第6話 降り止まない雨
茅野さんのおかげもあり、僕はクラスの人とも結構友達になることができた。これまでは自分からは無理して人と関わろうとしなかったけれど、学校に彼女がいない穴を埋めようとしていたのか、僕は茅野さんの手も借りながら積極的にクラスに溶け込んでいった。
それでも、学校以外ではクラスの人と会う余裕もなくて、僕はバイトと美術学校に追われていた。それでも僕は毎日欠かさず彼女とトークでのやりとりをした。彼女からもトークは頻繁に来た。僕にとってはそれが一番の原動力だった。
彼女は登校初日にして、もうクラスに溶け込んだらしい。彼女が楽しそうに友達とカラオケに行った画像をSNSで見て、僕は微笑んだ。
明日は結菜に会いに行く日。それを思うと、描いているペンが走りすぎるので、僕はあえてゆっくり描くように心がける。
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名古屋は初めてだった。名古屋駅周辺はほとんど東京と同じで、遠くまで来たという感じはしない。今日は日曜日、この日を一日空けるために夜勤のバイトに入って帳尻を合わせた。
彼女と会えた。
一週間くらいしか経っていないはずなのに、ものすごい久々に会った気がして、僕は嬉しさのあまりちょっと泣きそうになる。
「やっほ」 彼女は手を振りながらこっちに走って来る。
「久しぶり、でもないか、はは」 僕は何故か照れ臭くて下を向く。
「いこいこ!」 僕は手を引っ張られる。少し前の緊張を思い出して、それで緊張する。
結菜は本当に僕のために色々回るところを調べてくれていた。駅ビルに入っていたビュッフェは野菜が豊富で美味しかったし、科学館は子供に混じって普通に楽しめた。−30℃体験でちょっと風邪をひきかけたけど。その後何度もくしゃみをする僕に「そんなに寒かった?」とゲラゲラ笑いながら、彼女は僕にホットのお茶を買って来てくれた。楽しい一日は相変わらずあっという間だった。
「じゃあ次は私が行くね」 彼女はにっこり笑う。
「うん、待ってる」 僕もにっこり笑った。
帰りの新幹線で日頃の疲労が一気に出たのか、急に眠気に襲われて、僕は少しだけ席を傾ける。まどろむ意識の中で、僕は安堵していた。なんだ、遠距離は全然平気。こういう風に会いに行けば、いつでも......
気がつくと、電車の電光掲示板は東京を示している。慌てて僕は電車を降りる。僕が降りるとそれを待っていたかのようにすぐに扉が閉まった。
僕は軽く背伸びをする。少し身体がだるかったけど、気にしなかった。
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次の週は東京で遊んだ。彼女はしっかり東京に来てくれた。僕はまた、時間を確保するためにバイトは夜勤に入った。
お母さんが、子育てに集中できるようになった分、彼女の負担は少し減ったのだそうだ。それでも彼女はまた委員会に入ったみたいだし、忙しいもののその浮いた時間を使って受験勉強に力を入れ始めているそうだ。
折角彼女が来てくれたのに、途中めまいで座り込んでしまった。すぐに良くなったけど、彼女は心配そうな顔をしていた。
それからも僕の多忙な生活は続いた。週三の美術学校に加えて筆記の勉強。バイトはこれまでに加えて夜勤を加えることで、名古屋までの交通費を捻出していた。家では課題の絵を描かなくてはならない。寝る暇もなかった。だけど、僕は頑張った。彼女に会いに行くために。
あまりに忙しくしているので、僕はいつしか学校のグループからは外れていた。休み時間にも課題や勉強をしないと、他では時間がなかったからだ。クラスでは一人になることが多くなった。茅野さんがたまに話しかけてくれたが、僕に気を遣ってか、その回数も減っていった。
そんな生活を2ヶ月ほど続けた。彼女にもきちんと毎週会っていた。彼女が余裕のある時は、僕の体調を気遣って彼女が僕のところに2週連続で来てくれたりもした。
そんな中、今日も夜勤が終わって、夜中に家に帰る。夜勤といっても朝までではない。
家に着くと、母と父が起きていた。二人とも椅子に座って、少しかしこまっているようだった。
「ただいま」 僕はとりあえずそう言う。
「最近遅いな、バイトか?」 父が言う。
「うん、そう」 僕は話が途切れるように話す。親とはあまり話したくなかった。
「そんなに大学のお金が必要なのか」 父は僕に目を合わさず言う。
「いや」
「あら、じゃあ彼女でもできたの?」 母の急な言葉に、僕は思わず背筋を伸ばす。
「なんで?」 ちょっと声が上ずる。
「あら、そうなの」 母は目を丸くしている。
「いいでしょ、なんだって」
「悠人、お前最近大丈夫か、食欲もないみたいだし、寝てるのか? 一人でやるのが無理なら......」
「無理なら? 普通の大学に行けってこと?」 僕は口を挟む。なぜか熱いものがこみ上げてくるのでぐっとこらえた。疲労感で色々と弱っているみたいだ。確かに、今の生活は、楽ではない。
「僕がお母さんとお父さんの反対を押し切って、美術大学に行くって言ったから、それで、それで!」
「違う」 父は表情を変えない。父は机の上にあるお茶の入ったコップを見ている。
「じゃあ何?」 僕は少し声を張る。
「少しは頼っていいってことよ」 母が優しく言う。
すると父は椅子からおもむろに立ち上がると僕のところまできて、僕の手のひらに紙のようなものを手渡す。それを見ると一万円札が5枚重なっていた。
「悠人、なんのためにここまで頑張ってバイトしてるかは置いておいて、どちらにしても、無理はしないでね。それで夜勤しなくても大丈夫かしら」
母はそう言った。 父は椅子に座りなおして、またコップを見ている。
てっきり、親には応援されていないと思っていた。反対を押し切って強引に決めた進路。その上、付き合っている彼女のためにお金がないなんて口が裂けても言えない。
「でも、反対してたんじゃ」
「親だからね。やっぱり、心配なのよ。 険しい道でしょ? 画家って」 母はずっと優しい口調で話す。
「じゃあ......なんで?」
「それも親だからだ、息子を応援しない親はいない」 父は今度は僕の目をしっかり見て言う。
僕はこぼれ落ちそうな涙をぐっとこらえた。
「ありがとう」 それだけなんとか言葉にすると、僕はその場を後にした。素直に嬉しかったけれど、それを素直に表現するのは恥ずかしくて、少しぶっきらぼうに言ったありがとうを、きちんといえば良かったなと冷静になって後に思い始めた。
しかし、このお金を使う機会は訪れなかった。
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6月、梅雨だからか、雨の多い日が続いていた。
通知音が鳴る。
スマホを見る。
「ごめん、明日急用が入っちゃって、会うの来週でもいいかな?」
急用、何かあったのだろうか。
「うん、わかった、またね」 それだけ打つ。
可愛いスタンプがきて、安心する。そういう時もあるだろう、と思った。
会えなかったけど、SNSでやり取りをしていたから、少し寂しさは和らいだ。
次の週。又しても彼女は東京に来なかった。
「ごめん、今日も急用が入って......ごめんね」
「わかった」 そこでやり取りは終わる。
メッセージのやり取りは普通にしていたから、きっとタイミングが重なっただけだと思っていた。
次の週。
「ごめん、今日も無理そうなんだ」
「そっか、何かあるの?」 僕はさすがにおかしいと思って、聞く。
「ちょっと委員会が忙しくて」 僕はその言葉を信じるしかなかった。
「来週は、東京来れそう? もし厳しかったら僕が行くよ?」 既読が少し遅れてつく。
「わからない、また連絡するね」 僕はそれを見てそっとスマホを閉じる。
結局6月は、一度も彼女に会わずに過ぎていった。
降り止まない雨が、僕のつながりまで一緒に流していくようだった。
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