第3話 美術室の外で
僕は結菜と付き合うことになった。
ただ、生活が一変するわけじゃない。僕はバイトと美術学校で手一杯だったし、彼女は彼女で学級委員や家の事で決して暇ではなかった。唯一変わったことは、SNSでも会話をするようになったこと。会わない日も夜まで僕たちはトークで会話をした。
気がつけば周りの僕に対するからかいの言葉やいたずらメッセージもその影を潜めていて、これまで話しかけてこなくなっていた友達も話しかけてくれるようになった。都合がいいとは思ったけれど、許すことにした。僕にはもう、一つの大きな支えがある。その余裕が、僕に人を許す心を与えてくれた。
通知音は僕の好きな音になっていた。通知音は彼女と関わりを持つ音。会わない日は通知音を心待ちにしながら、僕は絵を描いていた。
彼女はクラスの中心だったから、頻繁にSNSで遊んでいる画像や動画をあげていたけど、僕はそれが嫌ではなかった。忙しい中でも友達との時間を大切にする彼女は素敵だった。
僕たちが会うのは変わらず毎週水曜日の美術室。彼女は僕の絵を真剣に描くところが好きみたいで、いつも嬉しそうに僕が絵を描くところを見てくれたし、将来の夢も応援してくれた。親には普通の大学に行って、普通に就職してほしいと言われている。だからこそ心から応援してくれる人がいてくれることは、僕の何よりの励みになった。
そんなある日の水曜日。だいぶ日が伸びてきたことを感じさせる晴れの日だった。
「悠人、日曜日って空いてないの?」彼女は美術室の一つの椅子が気に入ったのか、いつもそれに座っている。
「うーん、バイトだけど、その日はたまたま午前中で終わるよ」僕は絵を描きながら答える。
「ほんとに! あのさ、これ友達にもらったんだけど行かない?」彼女は、手に持った細長い紙を見せびらかすようにひらひらさせている。
彼女から渡されたそれはチケットのようだった。僕はそれに目を落とす。
「ワンダーランド、遊園地か、いいね」
「でしょ」 彼女は嬉しそうにチケットを見つめている。
黄色いチケットには、可愛い犬のメインマスコットが描かれている。一度小さい頃に家族で行った気がする。その時の記憶はほとんど覚えていないけど。
「このキャラ、なんていうんだっけ?」
「ん? ワンダフルくんだよ、犬だけに!」 彼女は凄く自慢げに答えた。
「なるほど、ワンダフルくんか、って結菜がなんでそんな自慢げなの」僕はおかしくて笑ってしまった。彼女も笑っている。彼女といるとなんでもおかしくて、いつも僕は明るくなる。
「じゃあ、日曜日、舞浜で集合ね」
「うん、わかった」
僕は家に帰ってご飯を食べるとお風呂に入る。浴槽から湯気がもくもく上がるのをジーと見つめる。壁についた水滴も、僕と一緒に汗をかいているみたいだった。
不意に僕はワンダフルくんを自慢げに言った彼女の顔を思い出して、少しにやける。それにしても不思議だ、まあ別にそこまで人付き合いがなかったわけでもないけど、それでも初対面の人とこんなにすぐに打ち解けて、しかも付き合ってしまうなんて。これまでの僕では考えられないことだ。あれよあれよと今度は初デートだし......と自分で思って恥ずかしくなった。そうか、初デートか。急にのぼせたような感覚に襲われたけれど、僕は湯船に顔まで浸かった。
そこからの日々は僕にとってはじれったい日々だった。あっという間に過ぎ去るはずの多忙な日々も、この時だけは永遠かと思えるほどに長く感じた。
コンビニのバイトが終わるとトークが入っていた。結菜からだ。
「バイト、お疲れ、明日は遅刻しないようにね!」可愛いスタンプにクスッと笑う。僕はすぐに返信をした。
「うん、バイト絶対定時で切り上げて行くね」返事を送ると相変わらずすぐに既読がつく。
「たのしみだね」 それを見て彼女のにかっとした笑いが、目に浮かんでくる。
「そうだね」 僕はそう送信すると、少し跳ねるようにして家に帰った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「お先に失礼しまーす」
僕はそう言うと、コンビニを後にした。なんだかんだで30分も残業してしまった。急いで電車に乗り込む。
僕は慌てて彼女にメッセージを送る。
「ごめん、少し遅れる」すぐに既読がついて、ほっぺが膨らんだキャラのスタンプだけが送られてくる。よかった、怒ってないみたい。電車では絵画に関する動画を見ることに決めている。それを夢中で見ていると、気がつけば舞浜に着いていた。
「ごめんごめん」僕は少し走ってきたために息が切れていた。
「あれだけ言ったのに、まあいいよ。 なんか奢ってね」 彼女は少しいたずらっぽい顔で言う。
「うん、わかった」
「やった!」と彼女はもう嬉しそうな顔をして、何を買ってもらおうか考えているようだった。
「じゃあ行こっか!」と彼女は僕の手を掴む。僕の鼓動が早くなる。見ると彼女の顔もほんのり赤かった。
「こういうのは、最初に繋がないとタイミングなくなるし......それに、混んでるから!」 彼女は言い訳っぽく最後にそう付け加えた。なんとなく、僕が言わないといけない台詞な気がして、落ち込む。
もう午後になっていたので、園内は人、人、人。ここまで多いとは思っていなかった。確かに手でも繋いでいないと、はぐれそうだ。
「何乗る? それともご飯にする?」 結菜は僕を覗き込むように見る。僕は園内図を見ながらどうしようか考える。
「いや、せっかくだし何か乗ろう.....」と言っている途中で、今目の前にいたはずの結菜の姿が見えないことに気がつく。
「ゆうとゆうと! ほら! ワンダフルくん!」彼女は凄く嬉しそうにワンダフルくんに抱きついてる。ちょっとだけワンダフルくんに嫉妬した。
「何してるの、撮って撮って」と彼女が急かすように言うので、僕は急いでスマホで撮る。彼女はその写真を見ると「いいね」と嬉しそうに笑った。
「じゃあほら悠人も」とワンダフルくんの目の前に僕を引っ張る。ワンダフルくんは思ったよりも大きかった。彼女はバックから細長い棒を出す。なるほど、自撮り棒か。
「はい、寄って寄って」僕はそう言われ、自然と彼女と密着する形になる。写真の僕の顔は少しぎこちなかった。彼女はその写真を目を細くして見つめていた。
「それでさ、乗り物なんだけどさ」
「一番怖いの乗ろう」被せるように彼女は僕にそう言った。
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「体がどっかに飛んで行くかと思ったよ」
「いや、悠人、ビビりすぎ」 彼女はゲラゲラ笑いながらそう言った。
「いや、冗談抜きで、あれはないでしょ」 僕は振り絞るように笑ってそう言った。
「もっかい」
「え?」
「もっかい」彼女はにかっと笑った。
僕は2度もその一番怖いアトラクションに乗らされて、満身創痍だった。彼女はむしろ乗る前より元気になっている。でも楽しかった。彼女が楽しければ、僕は楽しかった。
「ご飯にしよう」 僕はフラフラになりながら言う。
「そんなんで食べれる?」 彼女は少し心配そうな顔をする。
「も、もちろん」と少し強がって言った。
「そう? じゃあ食べよっか! 何がいいか調べてみるね!」
彼女はそう言うと、スマホで検索し始める。アトラクションに二回乗っただけなのに、もう15時を過ぎている。これでも早く乗れている方だと彼女は言っていた。いつもはどんなに待たされるのだろうか。
結局パスタを食べることにする。レストランも相当混んでおり、食べるまでにも相当待たされたけれど、とても美味しかった。お腹も満たされたし、食べている時に次に乗るアトラクションは決めておいたから、次の行動はスムーズなはずだ。
お店を出ると、スマホを見ていた彼女が不意に声を出した。
「あ、茅野さんも今日ワンダーランド来てるみたい、画像載せてる」彼女の言葉に、僕は一気に背筋が寒くなるのを感じた。
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