第2話 甘ったるい勇気

 次の水曜日。


 最後の授業の終了を告げるチャイムが鳴る。僕は机の上にある教科書をカバンに入れながら、この前とは少し違った緊張を覚えていた。


先週の水曜日、宮寺さんと話して以来僕は彼女と言葉を交わしていない。特にトークでのやり取りもなかった。楽しかった記憶は、逆にプレッシャーとなって僕に襲いかかっていた。


まだ少し僕へのからかいは続いていたが、それが続いていたことを安心している自分もいた。


 

 悩みを聞いてもらうだけ。


 

一度一階の自動販売機で飲み物を買いに行く。僕は迷わずミルクティーを押した。甘いものはそんなに好きではない。でも、紅茶のミルクティーの甘さは嫌いじゃない。そのほのかに甘い香りと後味は、何故か頑張ろうっていつもやる気が出る。



 美術室の前で息を整える。心拍数が早いのは、階段を三つ登っただけで息が荒くなる僕の体力のせいにした。


美術室の扉を開けると、そこの風景はいつもと違って見える、宮寺さんが居たからだ。彼女は椅子に座って、足を少しぶらぶらさせながら、イヤホンで音楽を聴いていた。彼女は僕に気がつくと無防備な顔でこちらを見ている。


「やっほ、あ ミルクティー! ちょっとちょうだい!」音楽を聞いているからか、少し大きめの声に僕はびっくりした。彼女は展開についていけない僕をさらに置いてけぼりにするように、飲みかけのミルクティーをさっと手に取り少し飲んだ。すごく美味しそうに、飲む。


「やっぱり、ミルクティーだよね! 私甘いものそんなに好きじゃないんだけど、ミルクティーは好きなんだ。なんかちょっと頑張れない?」屈託のない笑顔でそう言う。


  僕は、くすくすと笑う。彼女はそれを見て首をかしげた。


「いや、僕と同じ考えの人がいたなんて。僕もね、ミルクティーを飲むと頑張ろうって思うんだ」


 そこからは、何の気兼ねなく、そう、先週のように彼女と話すことができた。ただ、最初から少しひねり出すように愚痴を吐きながら。途中から、結局愚痴の話なのか世間話なのか分からなくなってたけれど、正直そんなこともどうでもよくなっていた。


 またしても終わりはあっという間に来る。スマホを観ると7時を過ぎている。僕たちは今度は一度も話が途切れることなく校門まで歩いた。


「じゃあ、また来週」と何気なく言ってから、僕の顔は少し引きつった。そうか、愚痴はもう全部言ってしまった。今日だって途中から全然違う話だった。


「うん、またね!」彼女はすぐにそう返す。僕はその言葉を聞いて、複雑な気持ちになる。


「その、もう言い足りない愚痴はないんだ......もし、無理して付き合ってくれてるなら......」


「ん? 私は無理をする人生は嫌いだよ。 それに、愚痴がないと話しちゃダメなの?」


 彼女は少し神妙な顔になった。初めて見る彼女の顔に僕は少し戸惑ったが「そんなことないね」と僕は微笑む。


 彼女は先ほどの顔が幻だったかのように、にかっと笑った。


「でしょ! また来週行くね!」


    ✳︎      ✳︎      ✳︎



 そこから、毎週水曜日に美術室で話すことが僕たちの日常になった。彼女が美術室にいることがいつもの風景になった。僕たちはいろんなことを話した。僕が将来画家として日本中を、そして世界中を回りながら絵を描きたいということ。そのために僕は今T芸術大学に入るために、週に3回ほど美術学校に通っていること。美術学校と大学の学費のためにバイトをたくさん入れていること。


 彼女もたくさんのことを話してくれた。将来は保育士か公務員になりたいこと。安定した生活を送りたいのだそうだ。僕が保育士に向いてそうだと言うと、彼女は「そうかな」と少し恥ずかしそうに、そしてその後すぐにまんざらでもなさそうな顔をした。

 学級委員の仕事と受験勉強を両立させながら、彼女は家で子供たちの世話に追われている。彼女は4人兄弟の一番上で、年の差も結構あるみたい。弟が2人に妹が1人。弟は世話がやけると呆れた顔をした彼女は、どこか楽しそうだった。お母さんは子育てしないのかと聞いたら、離婚してお母さんは仕事漬け、と告げられた。あまり深刻そうには語らなかったけれど、彼女はどこか悲しげな目をしていた。


 深刻な話ばかりではない。楽しいこともたくさん話した。僕が彼女のいつも聞いている音楽を聴かせてもらって「いいね」って言ったら、おすすめの曲を全部ダウンロードさせられたり、おかげで少し寝不足になったけど。目玉焼きはソース派か醤油派かで少し言い争いになったり。けどお気に入りのユーチューバーが同じで一緒に観たり。顔が変になるアプリで遊んだりもした。


 それでも僕が一番好きだったのは、彼女が見てる前で絵を描く時間だった。彼女は僕が絵を描くところをすごく嬉しそうに、見る。だんだんと視界が僕と絵と彼女だけになる。静かな部屋でただ、二人だけ。ゆっくりとした時間の中で、その何も語らない時間が僕に一番の温もりを与えてくれた。


 そんなことをして、早くも1ヶ月が過ぎた。まだ4~5回しか会ってないのに、僕たちはもっと昔からこうしていたかのような錯覚に陥るくらい、僕は彼女との時間を濃密に感じていた。

 


    ✳︎      ✳︎      ✳︎

 


いつものように美術室で、僕は絵を描いていた。課題の絵はなかなかイメージがつかず、苦戦をしていた。そんな時に扉が開く音が聞こえる。


「悠人、どう? 書けた?」


「いや、それがね、中々うまくいかなくて、苦戦中」 僕はぎこちなく微笑む。


「そういうこともあるよ」彼女はカバンを降ろして、僕の後ろに回ってほとんど白紙に近い絵を見ていた。


「それより、結菜、今日は少し遅かったね。委員会?」


「うん、新入生に向けての企画会議、結構順調に進んでるよ!」 彼女はにかっと笑った。


「そっか、よかった。僕の絵も順調ならよかったんだけどね」と少し肩をすくめて言う。


「なに? 落ち込んでるの? じゃあさ」 彼女はそう言うとカバン中から何かを探している。


「はいこれ」 彼女が手に持っていたのは、いかにも女の子らしく彩られたピンクの袋で、その入り口はクマさんのシールで留められている。


「なにこれ? 僕に?」 彼女は少しだけぎこちなく首を縦に振った。


 中を開けると、そこには手作りらしいチョコが入ってた。トリュフチョコレートが4個入っている。 


「今日、バレンタインでしょ。その、一発勝負で作ったから少し失敗しちゃったんだけどね」と彼女は恥ずかしそうに笑う。


 そう言われて、今日が2月14日だったことに気がつく。僕は今日をバレンタインというより、彼女と会う日だと思っていたから、気がつかなかった。


 チョコをよく見ると、なんとなくいびつな丸みを帯びていた。それがどこか手作り感があって嬉しかった。チョコをもらったのも初めてだった。


「ありがとう、食べていい?」 彼女はまた少しぎこちなく首を縦に振った。


 食べてみると、中からミルクティーの香りが口に広がる。


「あ、これミルクティーだ」


「悠人、甘いもの嫌いって言ってたし、ミルクティーは好きだから、これなら食べれるかなって」 彼女はいつもと違って少し小さな声でそう言った。


「うん、すごく美味しい」 僕が笑顔でそういうと、彼女の顔も少し明るくなる。


「でも、よかったの? 僕に合わせてミルクティーにしちゃって、みんなにもあげるのに」 


 少しだけ間が空いた。校庭からの声が際立つ。僕は何かを言おうと思ったけど、彼女が口を開くのを待つことにした。そうしたほうがいいと思った。 


「悠人、だけだよ」 彼女は恐る恐るそう言った。


「え?」 一瞬彼女の言っていることを理解できなかった。頭の中で何回もその言葉を反芻する。


「それって......」


「そういうこと!」 彼女は首を少し横に向け、僕に目を合わせない。


「ど、どういうこと?」 頭では分かっているけど、受け入れることができない。まさかほんとに、結菜が......


「あんまり言わせないでよ、本命ってこと」


 美術室に差し込む全てを赤く染めるほどの強い西日でも、二人の顔の赤さは隠しきれなかった。



「えっとその」 僕は言葉に詰まった。言いたい言葉がないのではなく、言い出す勇気の問題。


「なによ、じゃあ返して」 彼女は僕から袋をひったくろうとする。僕はすかさず袋を大事そうに胸に抱えた。


「いや、これは僕が食べる」 そう言うと、一気にトリュフチョコを2個口に入れる。甘ったるいミルクティーの香りが口一杯に広がる。なんだか少し頑張れそうな気がした。


「感想は?」 彼女は少し睨むようにこちらをじっと見ている。


「うん、僕と付き合ってください」 僕ははっきりと彼女の、結菜の顔を見てそう言った。

 

 結菜はにかっと笑った。


「うん! いいよ」




 僕は彼女と付き合うことになった。


 甘ったるい勇気。


 僕の恋の味。

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