今日も僕は彼女とフリックで繋がる
イッセー
第1話 SNSの功罪
SNSの功罪。
僕は告白した。初めての告白は、SNSのトークで。
僕は友達関係が広い方ではない。それでも同じクラスで仲の良い、少なくとも僕は仲がいいと思っていた女の子がいた。ネットでのやり取りが主流になる中で、無意識に現実の温もりを求めて焦っていたのかもしれない。経験が少ないから、相手の気持ちに気がつかなかったのかもしれない。
僕は振られた。
ここまでなら普通によくある失恋話で終わる、はずだった。
翌朝、僕が教室のドアを開けると、一斉に周りの視線が僕に突き刺さった。「お前、茅野に告ったんだって?」そう言われ、全ての事情を理解した。
僕の告白した文章が学校中に広まっていたのだ。周りからの野次やからかいよりも、僕は何より僕のトーク画面を拡散した彼女に失望した。
少し仲の良かった友達もそれ以来、僕にあまり話しかけなくなった。一緒にからかわれるのが怖いのか、それとも一緒になって僕をからかっているのか、それは定かではないけれども。
しかもその2週間後、別のSNSで茅野さんに彼氏ができたという知りたくもないことまで知ってしまった。僕はしばらくの間、周りからの揶揄に、そして理屈のない自己嫌悪に苦しんだ。
この時、僕の一番嫌いな音はスマホの通知音になった。通知音は僕を戦慄させた。画面を開くのが怖くなっていた。
逆に一番好きな音はペンを走らせる音。ペンが紙を滑る音。絵を描いている時だけ、僕は穏やかな気持ちになれた。
音だけではない。匂い。紙の匂い。少し木の匂いと混じった鉛筆の匂い。パステルの匂い。水彩絵具、アクリル絵具の匂い。こむぎ粘土の匂い。スプレーの匂い。その全てが混ざり合う美術室の匂いは、僕にとって一番落ち着く場所であった。自分の部屋も同じ匂いがして落ち着いた。
しかし、憂鬱なものは憂鬱で、僕は以前よりも元気はなくなっていた。そんな憂鬱を助長させるかのような雨の降りしきる校庭を歩きながら、僕は今日も家に帰る。
家に帰り、絵を描いていると、スマートフォンから通知音が鳴る。僕は少しどきりとした。こんなことなら、通知音を切ろうかと思ったけれど、少し前に通知音が鳴らないせいで母の大切な連絡に気づけなかったことがあり、その経緯から仕方なく今も通知音は切っていない。
恐る恐る画面を見ると、知らない女の子からトークが来ていた。いたずらかもしれないが、一応画面を開く。トーク画面にはゆうなと書かれていた。
「突然、ごめんなさい、私、乙坂くんの隣のクラスの
宮寺さん、思い出した、隣のクラスのいつも元気そうな人だ。クラスでも中心的存在の......。
なぜ、自分のIDを知っているのかは分からないが、告白文が一日で拡散する時代だ、驚くべきことではないだろう。知らない人にいきなり相談と言われて、少し戸惑うところはあるものの、どこか嬉しかった。一人ではない、そんな気がした。僕は人との関わりをどこかで求めていた。
「ありがとう、改めて、初めまして、
僕は2、3回文章を読み直し、少しためらった後、送信ボタンを押す。すぐに既読がつく。少しだけ鼓動が早くなる。とりあえずトーク画面を抜ける。と思ったら、すぐに通知音が鳴った。
「ほんとに! 良かった。 いつも放課後とか、空いてる?」
トークではなくて、実際に会うとは思っていなかった。スマホから目を離し天井を見上げる。一点の黒いシミが気になり、それを見ながら考える。なぜか少しだけ落ち着いた。
「そうだな、水曜日の放課後なら空いてるよ。いつも美術学校の課題を美術室でやってるから」
送信するとやはりすぐに既読がつく。
「そうなんだ! 美術学校行ってるんだね! 他の日は?」
「他の日はバイトで、空いてない、かな」
「へえ、結構忙しいんだね。じゃ、今週の水曜日ね! 美術室行くね!」
彼女のトークは可愛いスタンプとともに終わった。僕はトーク画面を一度上まで戻して、もう一度読んでみる。スマホを机の上に置くと、僕はまた絵を描き始めた。窓の外を見ると、雨は止んでいた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
水曜日。
いつものように最後の授業の終わりのチャイムが鳴ると、教室が一気に騒がしくなる。友達と何かを話す者、すぐにスマホをいじる者。比較的校則がゆるいため、皆気兼ねなくスマホをいじる。
僕は、いつものように帰り支度をすると、いつものように美術室に向かった。
だが、心は少しいつも通りではなかった。初対面の人と話すのは緊張する。そっとドアを開けると美術室は誰もいなかった。美術部は水曜日は休みで、その日は先生に許可をもらって僕が使っている。自分の部屋でもいいのだが、ここの匂いがお気に入りだった。匂いを感じると、僕がここにいるって感じがして、少し安心する。
あたりは、夕暮れ。窓から西日が差している。校庭から響き渡る元気の良い野球部、サッカー部の声を聞きながら僕はペンを走らせる。いつしか、心の緊張は解け、いつものように絵を描くことに没頭していた。
その時、不意に扉が開いた。
「良かった、まだいた......ちょっと急に委員会の仕事入っちゃって」 と息を切らしながら話しているのは間違いなく宮寺さんだった。以前見た記憶が残っている。綺麗な黒髪、目鼻立ちは整いすらっとした体型をしている彼女は、遠目からでも目立っていたからだ。
「いや、大丈夫、いつもこのくらいまでは絵を描いているから」
彼女は足早にこちらに近づいてくると、僕の後ろに立って、絵を見ている。
「やっぱり、乙坂君は絵が上手だね」と彼女はしみじみ言う。
「やっぱりって? 前に見せたことなんて、あったっけ?」僕は少し首をかしげた。
「ああ、ほら、美術の合同授業、私たちクラス一緒でしょ? その時に凄く楽しそうに絵を描く人だなってね」
「ああ、なるほど」
と納得した表情を見せながら、少し気恥ずかしくもなった。
彼女は横にある椅子に腰をかけて、こちらを見ていた。てっきり何かを話してくれると思っていた僕は、少し戸惑った。
「あの......」
「ちょっと描いてて」
彼女は少し微笑む。目は僕に向けられたままだ。
彼女に話す気がないことを悟ると、仕方なく僕は少しだけ硬いタッチで絵を描いていく。美術室は再び静寂に包まれた。気まずさは、校庭から聞こえてくる声が和らげてくれた。この時だけは、僕への声援のように聞こえた。
しばらくすると、鉛筆のタッチは柔らかさを取り戻した。徐々に視界には絵しか入らなくなる。ここには僕と絵だけ......
ハッとして彼女の方を見る。彼女は微かな寝息を立てながら眠りに落ちていた。何がしたいのかよく分からなかったけど、あまりに気持ちよさそうにしているので、むしろ微笑ましく思う。
「あの、宮寺さん、宮寺さん」
僕に声をかけられて、半分だけ目を開けた彼女は、僕を認識するとハッと我に返ったようだ。
「ごめん、寝ちゃった!」と少し照れ臭そうな顔をする。
「いや、良いけど、僕から言うのもあれだけど、相談してくれるんじゃ......」
彼女は何かに閃いたような顔をした。
「そうだった! それで、最近、辛かった?」 彼女の顔が少し真剣な表情になるので、僕は少し背筋を伸ばす。
「いや、まあそうだね、辛かったかな」伸ばした背筋はすぐに曲がり、気づけば顔は下を向いていた。
「そっか、何が辛かった?」と彼女は表情を変えずに聞いてくる。
結構ストレートな物言いに、返答に戸惑う。
「そうだな、振られたことよりも、バラされたことよりも、なんか人間不信というか、誰も信じれなくなったというか、自分が誰にも必要とされてないんじゃないかって、自分がここにいるって実感が......」
そこまで言って僕は慌てて口をつぐんだ。彼女は少し遠くを見ながら何も言葉を返してはくれない。
深刻なことを言ってしまったことを後悔した。初対面の人に言うことでもないと、改めて自分を責めた。
「とは言っても......」
と僕が場を和らげようとしたその時、背中にやや強い衝撃を感じる。彼女の平手が背中を2度叩いたのだ。
「まあ気にしないこと! 乙坂君は見た目もよく見ると結構かっこいいと思うし、よく見るとモテそうだよ。 だから周りのことなんか気にしない! 切り替え切り替え。 私は少なくとも乙坂君の味方だよ」
「よく見るとって、褒めてるのそれ」僕はクスッと笑った。
「褒めてるよ」 彼女はにかっと笑うと改めて椅子に座った。
「でもさ、拡散するのはほんと最低! 私も聞いてて胸糞悪かったけどね」
「ほんとね、僕も教室入った時は信じられなかった。その時の彼女の悪びれてない顔、今でも忘れられないよ!」
「お、乗ってきた?」 彼女は嬉しそうにこっちを見ている。
そういえば、今僕も何気なく愚痴をこぼしていた。僕が初対面の人とこんなに打ち解けて話せるなんて。自分でも驚いた。
それからは、僕がこの数日間で感じていた怒りや恐怖、恥ずかしさなどを色々と話した。彼女はそれを全部きちんと聞いてくれて、時には明るく笑い飛ばし、時にはしっかりとした意見をくれて、時には純粋に励ましてくれた。
いつまでも続けていたい。そんな感覚を絵を描く時以外で思ったのは初めてだった。だがその理由を考える余地もなく、僕は彼女との会話を楽しんでいた。
「あ、もうこんな時間!」不意に彼女はそう言った。そう言われ僕もスマホの画面を開く。もう夜の7時を少し回っていた。気がつけば校庭からの声は聞こえなくなっている。校庭が静かになっていることに全然気がつかなかった。
「そろそろ帰る?」
「そうだね」
二人で校門まで帰る。この時間に帰る人はいなかったため、僕たちは二人きりのままだった。特に会話をすることなく、歩く。上を見ると雲ひとつない空が広がっていた。しかし、星はまばらに見えるだけ。東京ではこれが限界。
そんなことを考えていると校門が見えてきた。僕は少し寂しさを覚える。誰かとあんなにも長く話したのが久しぶりだったからか、それとも溜まっていたものが吐き出せたからか、あんなにも1分が60秒しかないことに疑問を感じることはこれまでなかった。
校門に着く。
「じゃあ僕はこっち」
「私はこっち」
僕は軽く手を振ると、彼女に背を向けて歩き出す。今日終わらなかった絵の課題のことや、明日のバイトのことで頭をいっぱいにしながら。
「乙坂君!」
不意に呼び止められて僕はぎこちなく振り向く。
「もしまだ言い足りないなら、来週も話聞くよ!」彼女は僕にしっかり届けるように声を張ってそう言った。
「そうだな、まだちょっと言い足りないことあるから、お願いします」
僕も彼女にしっかり届けるように声を張ってそう言った。それを聞くとすぐに彼女はにかっと笑った。
「じゃあ来週美術室で!」彼女は大きく手を振り、そして僕の視界から消えていった。
僕は少し立ち止まって、彼女の消えた先を見つめていた。視界に僕の白い息が見えるので、今度は白い息を吹いて少し遊ぶ。
SNSの功罪。
SNSは高校2年生の僕に恥と温もりを運んでくれたのだった。
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