第8話

 その翌日、私は果物ナイフで胸を一突きにして、自殺をしたのであった。

その時は、まだまだ己の脳梗塞に気付いてなかった分、心の傷は深く、傷についていた。

同じ傷跡の切り口を何度も貼り付けていたが、私の心は脈打っていたのであった。

 その夜、十時になると、「お父さん、これから一緒にお風呂に入りにいかないか?」と言われたが、私の返事は「ノー」であった。

私の自殺事件は終わったのであった。

 その間に会社が倒産しニートになった妹が店にやって来、「兄貴、私を使ってくれないか?」と言ってきた。

私は、即OKのサインを出した。これで私の店の名前だけは残る、と思った。

その時信じられない状況がやってきた。私の持っていた懐刀の小原君が、『これじゃ、上野の店は私の手には入らない』と思って逃げ出し、唯一の女性社員であるパニック障害患者である佐藤真理が、「社長、私は妹さんがトップになるんなら辞めさせてもらう」と言って辞めていった。

 しかし、私は御徒町の古橋君に指示を出し、一人分多くアルバイトを探しておいてほしい、と伝えておいた。

 それは、それで成功したと思いきや、彼は多重債務者であった。

 相手から電話がある度、二万、三万、七万円と私に借りに来て、私は応じていた。

 その代わり、彼の給料から差し引かせてもらった。彼の借金は増えこそすれ、減る見通しはなかったのであった。

彼は、バンドマンで何度も渋谷のライブハウスでコンサートをしていた。

私は彼がプロとして行くには困難であろうと思ったのである。私の直感で、私なら「貞岡さんのバンドよりゆずならプロになれる」と思ってた。

彼は高知県が故郷であり、「すぐ高知に帰ったほうがいい」、と私は言っていた。

 路上ライブをしていた小松君と吉田君には、ゆずのような詩と曲を歌いだす力があるとは思えなかった。

小松君は頭が良く、吉田君の目的だった戯曲作家への道のりも不可能に思えていて、私は彼にも故郷の広島に帰ったほうがいいと答えていた。

 専門学校は、遊びで受験した小松君が合格し、それのみが目的で上京した吉田君は落ちてしまったのが滑稽であった。

二人の若者は、あれから二十年過ぎた今になって、それぞれが故郷へ帰っているのが不思議でしょうがない。

吉田君には、看護婦の彼女がおり、彼女も福岡から吉田君を訪ねて上京してきた。

妊娠させてしまった様子で、妹が中心になって商売の社長になり現状維持がされているらしい。

 十年も過ぎた最近になって訪ねてみると、午前中は彼女が一人で店を開けている様子だった。

 その彼女は、「私は男を使うのは嫌だ」と言う。

 そこで彼女は、店の近隣の主婦をパートタイマーとして使っている様子で、彼女の友人で知的障害の女の子を、洗い場で使っている様子だった。

それに、元タカラホテルの場所に三十階建ての日立製作所の本社がテナントとして入っているビルのところで、私は道に迷ってしまい、通り越していた。

 二軒あったそば屋もなくなっているし、日債銀の本社があった場所には、二十階建てのマンションが建っていた。

 ガソリンスタンドがあった場所には、私の知らないビルが建っており、富士吉のマスターは亡くなっていて、まる金はなくなっているし、あの「静」という居酒屋でさえ、この二十年間で三回も名が変わっているらしい。

まる屋の跡に出来た和風料理は、どう見ても客足などはありもしない。

 こんな場所で一皿二千円もする飲み屋に客が入るはずもない。東京、いや、上野の町は変化している。

時々刻々と変化している。そんなところに出しゃばる私でもない。今では、この老人ホームにどっぷり漬かっている。

 

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