第7話
私の嫁の血液型はB型。私はA型で二人の性格は、最悪の相性であるのを知ったのは結婚してからだった。
私は、その前に付き合っていた女人から、「私はB型の人間とは決して付き合わない。協調性がないから嫌いだ。」と言っていた彼女とは、六年もつきあっていた。
二人の相性は、すこぶる良かった。しかしO型の彼女は、何でも計算尽くしでしかたがなかった。
「子供は二人必要だ…」などと、結婚も決まっていないうちからそう言うのであった。
その彼女は一人娘であった。その為には二人欲しい、という。彼女は生理不順で、そんなに子供を生めるのかもわからないうちから、そんな打算的なことで悩んでいた。
私は最初から、子供は必要ないと思ってもいた。私は、生きても五十歳代で良いと思い、他人の三倍は働いてきた。
それも、同時進行で二軒の店舗を仕切る役目の時もあった。そこで富田氏と私は、心の探りあいで共同で経営してきた。
氏がいなかったら、私の店は出来ていなかったし、氏には、私が存在しなかったら、三店舗の店を失うことの危険があった。
私は富田氏の千二百万円と、連帯保証がなかったら出来なかったし、富田氏は、私がいなかったなら、渋谷の店と御徒町・青山の店は経営不振になっていたろう。
何せ、経理だけの社長なので従業員の操縦は苦手だった。私は、それまで現場主体の経営者であった。
その富田氏は機を見たり、時代の流れを読むのが上手だった。
渋谷店は、一億で売り、巣鴨の店は三千万円で売り抜けてきた。そこで私の青山の店と御徒町の店を安価で売り抜けている。
藤田の懐に残ったのは、一億五千万円と杉並の六〇〇坪の自宅だった。その富田氏は、その金を元手にして、マンションを建て、各部屋を分譲して、全室を売り払ったそうな。
そこへ行くと、同じ経理だけの社長であった船団の安藤社長は、杉並の自宅を担保にして、バブル崩壊の荒波の打撃を受けて、沈没してしまった。
最高で十軒もの店を、日本橋・銀座、虎之門で経営してきた人物であった。
私だけが知っている。
「俺は、最初の女房を貰う前に、三号に手をつけてしまった。」と詠嘆していたが、私が「銀座の店を買ってくれ」と言われて見に行ったときには、もう居酒屋になっていて、左側がスターバックス、右側はドトールの店が出来ていた。
銀座店は買うのを辞めにした。「一千五百万円でいいよ!」と言われたが、あの競争が激化した松坂屋裏の店は既に死んでいた。
その日、落胆して家に帰りたどり着いたのは、夜中の一時半であった。
タクシー代は三百七千円であった。普段はあまり酒を飲まない私だがついつい安藤社長にお供されてつきあった店が五店で、常磐線の電車はなかった。
それから一ヶ月半を過ぎ横谷部長が突然私の店にやってきて、安藤さんが、新橋駅で飛び込み自殺をしたと、聞かされた。
その翌日、私は朝からビールを飲み、店へ出ることはできなかった。
きたせ受益から引き返したのであった。そのころは、私は完全にノイローゼになっていた。
家へ帰るも嫌であった。これで一週間が過ぎていった。私の心は完全に崩壊してしまったのである。
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