第10話 狂信者 《MARK Ⅱ》

 それは、美しい幼女の姿をしていた。

 彼女の放つ輝きが、身にまとう清らかさが、ジェンソンを激しく狼狽うろたえさせた。


「魔物の類か!」

 そう叫びながらもジェンソンは気づいていた。彼女は魔物などではない、もっと清冽せいれつで崇高な存在、おそらくは神にも等しい絶対者。


――俺は死ぬのだな。


 半ばヤケクソ気味に振り下ろした剣は、小さな指にそっと阻まれた。そうして裁きは下される。ジェンソンに与えられた罰は、暗闇と絶え間なくつづく痛みだった。



「もう、許してくれ……」

 ジェンソンは、何度も何度も許しを請うた。しかし、冷徹なる断罪者に容赦はなかった。犯した罪を数えるように、彼女はジェンソンにつぶてを浴びせつづける。断罪の石礫せきれきは、盗みを働いた手を砕き、弱者を踏みにじった足を砕き、卑しく淫らな股座またぐらを砕いた。


――これが罪の痛みなのか。


 身を砕く激痛にジェンソンは身体を震わせる。


「やめろ、ジェンソンは武器じゃない!」

 混濁する意識のなか、ジェンソンはアランの声を聞いた。彼は、自分を殺そうとした者を救おうとしているのだ。しかし彼女は止まらない。罪人つみびとに相応しい罰を与えるまで、彼女が止まることはないのだ。棒のように振り回された身体は、木にぶつかり、地面にぶつかり、少しずつ、少しずつ、砕けてゆく。


――この感じ、身体が壊されるたびに罪が一つずつ消えていくようだ。


 激しい痛み、削り取られる命、それと同時に、何か解き放たれるような感覚があった。罪と同じだけの痛みに耐えれば新しい自分に生まれ変われるのではないか。ジェンソンは贖罪しょくざいの先に光を見出す。

 いつしか苦痛は希望に変わっていた。

 しかし、心は折れずとも肉体には限界がある。脆弱な身体は、もうどうしようもなく壊れていた。


――やはり俺は、変われないのか。


 ジェンソンは不甲斐ない我が身を嘆き、涙を流す。

 幼き日、路地裏の悪童は、弱者を虐げ、強者に媚びることでしか己のを守れなかった。そしてその生き方は、大人になってからも変わらなかった。強者ナイジェルのために弱者アランを殺す。金のため、自分の立場を守るため、友を裏切り、悪におもねる。誇りも信念も正義もない、そこにはただ打算だけがあった。


「俺……は、変わ……り…たい」

 それは心からの願い。人の心を持たない人非人にんぴにん、そう呼ばれた男の魂の叫び。


――女神よ、どうか、どうか……


 命の灯火が消えるその間際、薄れゆく意識のなかで、ジェンソンは祈った。


 そして……光は舞い降りたのだ。


「エロイムエッサイム、エロイムエタイセンシ……」

 それは、聞いたことのない不思議な言葉だった。


「エコエコアザラク、エコノミックアニマル……」

 見えないはずの目に光が見える。光はジェンソンを包み込み、死を待つだけの身体に力を宿す。耳元で囁くように紡がれるのは、慈愛に満ちた神秘の呪文、そして痛みが消えていく。


「聖女……様」

 暖かな光のなか、ジェンソンは目を覚ました。

 かすかに開いた瞳に、厚く茂った木々の枝葉が映る。仰向けに横たわる身体に痛みはなかった。腹の上にはわずかな重みと小さな温もり。身をよじらせ首をもたげると、そこには光り輝く幼女の姿があった。


『目覚めたか、我が武器アルマ……ジェンソンよ』

 それは御言葉みことば、神の声。可愛いお口が囁くのは、けがれた者には理解し得ない聖なる言語。


「はい、聖女様……」

 お腹のうえにちょこんと座る小さくも大いなる存在、彼女に向かってジェンソンは祈りを捧げた。そしておのが身に起こった奇跡を思い、はらはらと涙を流す。


「私は……生まれ変わったのですね」

 穢れた肉体と魂は粉々に打ち砕かれ、聖なる力によって新しく創りかえられた。卑しき罪人は一度死をたまわり、彼女の従僕として復活リボーンしたのだ。


「我が主、聖幼女様……どうか私めに、その尊き御名をお教えください」

 

『私はハルートちゃんです』


「ハルートチャン……」

 それは清らかなる水の調べ、それは陽光の煌めき、告げられた美しい御名にジェンソンの心が激しく震えた。


「あ、その名前、名付け親は俺だよ。ちなみに由来はペットの豚な、でもこれあいつには内緒だぞ、殺されちゃうから」


「この、無礼者が!」

 ジェンソンは、ハルートチャンを抱っこして立ち上がると、アランを殴った。


「ウギャッ!」

 

「ハルートチャンは神の子! その名は神より与えられた御名! 貴様のような金も返さない男が名付け親なわけがあるか! 妄想も大概にしろ、この貧乏人め!」


「金の話すんなよ! 関係ないだろ、金は!」

 

『うーん、メタボ……』

 二人が言い争いをつづけるなか、抱っこされたままのハルートチャンが、ジェンソンのお腹をつまんで、謎の言葉をつぶやいた。


「おお、メタボ……!」

 その美しい響きにジェンソンは確信する。これは聖言、神聖なる祈りの言葉、ハルートチャンは自分に、御身を讃えるための言葉を授けられたのだ。

 

「ハルートチャン……私の魂は、あなたの聖なる光によってきよめられました。それでも、犯した罪が消えるわけではありません。本来ならば、自ら命を絶つべきなのでしょう。しかしこの肉体は、ハルートチャンに与えられたもの、言わばゴッドボディ、傷つけることなど許されません。このジェンソン、これからは正義と信仰に生きていくつもりです。ハルートチャンの教えにならい、鉄拳と投石を以て、愚民どもに正しき道を示すのです。そうして多くの人が救われれば、私の罪もきっと……うーん、メタボ……」


『長くてキモい……あと最後のメタボなに?』


「どうでしょう……このジェンソンがハルートチャンの弟子となること、お許しいただけないでしょうか? メタボ……」


『だから、なんでメタボって言うの?』

 

「おお、ありがとうございます。我が師、ハルートチャン……」


『あ、今度はメタボって言わな――』


「メタボ……」

 

『ウギィィ! この、メタボって言うな!』

 

 その日ハルートチャンは、知らないうちに弟子をとった。弟子の名はジェンソン、後にクレイジー修道士と呼ばれる男、ジェンソンMARK Ⅱである。





「あの子、本当に聖女なのかね」

 嫌そうな顔をしながらも、なぜかジェンソンに大人しく抱っこされている幼女を見て、アランは疑問の声を漏らした。


 見目麗しく心は清らか、そして慈悲深く信心深い。それが聖女に対するアランのイメージだった。


――美形……ではあるよな、幼女だけど。


 確かに見ためは、かなりの美少女、というか美幼女である。心は清らか……ではないが、真っすぐではあるようだ。気まぐれとはいえジェンソンを助けるあたり、慈悲深いと言えなくもない。信心深い……彼女はいったい何を信じているのだろうか。たぶん、自分自身だろう。女神とかではないような気がする。


 結論、聖女っぽい感じもするが、よくわからない。


「でもあの力は、女神の加護だよな……」

 女神ファルティナ、そして聖女についての話は、ファッション宗教かぶれのゲルハルトから嫌というほど聞かされている。


 聖女、あるいは聖者、それは女神の祝福を受け、「ファルティナの加護」を得た者達のことだ。女神ファルティナは自らの使徒となるべき少年少女を選び、二つの加護を与えるという。


 二つの加護とは、「治癒の力」と女神からの預言――「神託」を得る力だ。瀕死の騎士の傷を癒し、自らも三日三晩生死の境を彷徨さまよった「聖女アレクシア」の話などは、酒を飲むたびにゲルハルトが話すので、アランも内容を覚えてしまっている。


――ハルートは、死にかけのジェンソンを簡単に治したんだよな。しかも本人、普通に元気だし……


 もしかしたらあの幼女は、聖女アレクシアよりもすごいのだろうか。そんなことを思い幼女を見れば、彼女は抱っこされたまま、ジェンソンの顔面を何度も何度も殴っていた。


『おい! こいつどうにかしてくれ! 殴ったら喜ぶし、どうしていいかわからない!』

 叫びながらジェンソンを殴打する幼女の姿は、聖女になんて見えはしない。しかしこの凶暴さこそが、今のアランに必要なものなのだ。


「ジェンソン、そのお姫様を俺達の街までお連れするぞ。そして悪の親玉をぶっ飛ばしてもらうんだ」

 聖女様のありがたい説法など、ナイジェルは聞く耳持たないだろう。しかしなんの問題もない。あの悪党には恐るべき幼女の鉄拳こそが相応しいのだから。


「ナイジェルか、確かにあれは悪だ。いくら寛大な御心を持つハルートチャンでも、あの外道はお許しになるまい。俺のようにリボーンする可能性もあるが、何しろヤツの魂は汚れきっているからな。一万回殴打したあと一万個石をぶつけて、それで浄化できるかどうか……いや、まてよ。そんなに石をたくさん投げたら、ハルートチャンのおててが疲れてしまうんじゃないか? これは大変なことだぞ。ナイジェルにそんな、ハルートチャンのおててを疲れさせるほどの価値があるか? 俺はないと思う! ナイジェルにそんな価値はないと思う! ねえ、アランはどう思う? アルジェルと思う? それともナイジェルと思う?」


「ナ……ナイジェル……と思う。あの、その、それでジェンソンは、えーと……協力してくれるってことでいいんだよね?」


「え? ああ、うん。それがハルートチャンの意志だから」


「……そうなんだ」


 呟くアランの視界に光が差した。樹海の終わりが近づきつつあった。

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