第8話 相棒 《パートナー》

 それは一見、冴えない男であった。


 しかし幼女は、目の前の男の才能を瞬時に見抜く。

 

 この男、存外鋭いと。


 仲間割れと思われる彼らのいさかい、その最中さなか、急遽開催された命がけのクイズ大会。


 言葉は間違いなく通じていなかった。ジェスチャーも少しばかり難しかった可能性がある。

 しかし、男は正解にたどり着いた。命のかかったプレッシャーのなかで、だ。


「たいしたものだ」

 幼女はEDOGAWAを称賛する。


 そして同時に思う。この男、使えるのではないかと。




 一方アランは、混乱の極致にあった。


 絶体絶命の状況で使った切り札は不発に終わった。嫌がらせにウンコでも投げつけてやろうと踏ん張っていたところに現れたのは、魔物ではなく――


 幼女であった。


 そしてその幼女の手によって、かつての仲間達は蹂躙じゅうりんされた。白い髪に白い肌、青く透き通った瞳は、恐ろしいほど冷たく見えた。


「リーリィの妖精……」

 アランは呟く。


 北の地方に住むという幼い子供の妖精。冬の終わりに民家を訪れ、横柄な態度で食べ物をせがむ。食料を与えてもてなせば、その家には幸運が訪れる。食料を与えず追い返そうとすると、家の年長者を執拗しつように殴りつけ、稼ぎの少なさをののしったあと、つばを吐いて去っていく。


「鉄拳妖精」の呼び名を持つ、癇癪かんしゃく持ちのワガママフェアリー。


 アランの肩に手を乗せ、「エドガワ、エドガワ」と連呼する幼女の姿は、妖精リーリィに酷似していた。


 だが、コイツはリーリィじゃない。


 目の前に広がる地獄絵図、その惨憺さんたんたる光景を見てアランは思う。こんな妖精などいるはずがない。如何いかな鉄拳妖精とて、ここまでやるはずがない。


「悪魔……」

 頭に浮かんだ単語が、そのまま口からこぼれでた。


 その悪魔は、ネルソンやゲルハルトの荷物を漁り、財布や金目のものをかき集めている。


 恐ろしい幼女だ。


 あの強さ、そして妖精と見紛みまごうほどの美しさ、あれはおそらく人の子ではない。魔物かあるいは別の何かか、何にせよ、人知の及ばぬ存在であることは確かだった。


 あいつをナイジェルにぶつけることができれば――

 

 アランの頭に一つの妙案が浮かんだ。しかし、その企みは大きなリスクをはらんでいる。

 あの幼女を街まで誘導できたとしても、アランの要求どおりに動く保障はない。それどころか、街に大きな被害がでる可能性さえある。どんなに可愛い見た目をしていても、あれは樹海の怪物、人ではないのだ。


「だが、ほかに手はない……」

 アランは、自分に言い聞かせるよう呟いた。


 この場を凌いだとしても、ナイジェルはあらゆる手段を使ってアランを破滅へと追い込むだろう。仲間パーティ殺しの犯人に仕立てあげるという方法もある。


 今なら逃げることも出来るが……


 心の中に生まれた弱気を、アランは首を振って掻き消した。彼の脳裏に浮かぶのは、愛しい恋人――ミカの顔。生まれて初めて出来た自慢の彼女、アランには勿体ないくらいのいい女だ。彼女をなびかせるためならば、ナイジェルはどんなことでもするだろう。何しろそのために、アランを殺そうとさえしたのだから。


「ヤツをこのままにはしておけない」

 アランは覚悟を決め、拳を握りしめた。怒りと冷徹さを宿した瞳が、キーマンとなる存在――白い幼女へ向けられる。

 

 その幼女は、目の見えないジェンソンに石をぶつけて遊んでいた。


「……あの子、ちょっと残虐すぎるんだよなあ」


 はたして、あの危険な生き物を外に出してもいいのだろうか。再び浮かんだその考えに、アランはまたもや、頭を悩ませることとなった。






「べつにいいぞ。森にも飽きてきたし」

 男のジェスチャーから、彼が同行を求めていることを察した幼女は、小さく可愛らしい親指をピッと立て、彼の提案に同意を示した。


『そ、そうか! 俺はアランというんだ。これからよろしく頼むよ。え……と君の名は……』


「ん、ああ、名前か……ないよ。母親がつける前に死んだからね」

 幼女は軽くかぶりを振ってため息をくと、肩をすくめて両手を上に向ける。いわゆるメリケン式お手上げポーズというやつだ。


『ないのか、それは不便だな。なんか付けた方がいいんじゃないか? 仮でもいいからさ』


 以心伝心、拈華微笑ねんげみしょうとでもいうのか、幼女は生まれ持った鋭い感覚で、アランはEDOGAWAの名に恥じぬ推理力で、まるで翻訳機でもあるかのように、二人は互いの考えを読み取っていく。


「確かに、人の街に行くなら名前くらいはあったほうがいいか。ならば……『青眼ブルーアイズ白竜ホワイトドラゴン』なんてのはどうだ。由来はもちろん、母譲りの美しい――」 


『長くない?』


「え? あ、あの、え……と、そうだな、少しだけ長い……か。よし! なら、デューク〇郷! 偽名といえばこれだ、短いし」


『あ、ごめん、わからなかった。もう一回言って』


「え? もう一回? もう一回言うの? あの、その、デュ……デューク…トウ…ゴウ……です」


『よろしく、デューク東〇』


「……やめろ! その名で呼ぶな!」


 この世界でゴ〇ゴ13として生きるつもりはない。

 幼女は心のなかで叫んだ。雪見だいふくのようなほっぺは赤く染まり、体は羞恥しゅうちに震えている。


「もう、自分で自分の命名なんてできるか。おい、エドガワよ、お前に私の命名権をくれてやるから、なんか気の利いたヤツ考えろ」


「イマイチだったら死刑だぞ」と付け加え、幼女はアランを恫喝どうかつする。そして彼が名前を思いつくまでの暇つぶしにと、「目が、目が!」と騒がしい男に、再び石を投げ始める。


『名付け親になれって……アイツの特徴は、白くてプニっとしてて……ああ、昔飼ってた仔豚に――いや、やめとこう、まだ死にたくない』


「おい、クールでイカしたヤツにしろよ、エドガワ・アラン・ポー。『推理作家の名前を適当に繋げました』なんてふざけた名前つけてみろ、あいつと同じ目に合わせるからな」


 幼女はアラン・ポーに再度の忠告をし、トルネード投法で標的を狙う。


「お、キンタマに当たった! ピロリロリーン、80点!」


『……体に点数つけてやがる。クソ、はやくしないとジェンソンが死んじまうぞ。あいつには、ナイジェルが俺を殺そうとしたってこと、皆の前で証言させたいのに……』


「こら、ブツブツ言ってないで早くしろ! そして貴様! 座るんじゃない! 立て! 股間から手をどけろ!」


 幼女は股間を押さえてうずくまる男を怒鳴りつけ、容赦なく石を投げつづける。頭部に石が命中した男は「ウギャ」と悲鳴をあげたあと、ビクン、ビクンと激しく痙攣けいれんし始めた。


「エビみたい」

 幼女はそれを見て笑っている。


『ああ、ジェンソンが死ぬ。もういい、どうせ由来なんて誰にもわかりゃしないんだ』

 何やらブツブツと独り言を言っていたアランが、追加の石を拾っていた幼女に「決まったよ」と声をかけてきた。


「遅いぞ、エドガワ」

 手に持った石をエビ蔵の脇腹に投げつけ、幼女は「はよ、言えや」とアランを急かした。


『ああ、ゴメン、ゴメン。それで名前だけど、え、えーと、ハルート……ハルートってのはどうかな。なかなかカッコイイだろう? ひ、響きも良いし……』


 ハルート――その名を告げるアランの様子は、何やら少しおかしかった。


 幼女は、「偉大な自分の名付け親になるのだから、緊張するのも無理はない」と、その不審さを好意的に解釈し、提案された名前について、ひとり静かに考え始める。


 ハルート――確かイスラーム辺りの、堕天使の名だったか。


 この世界に、あちらと同じ神話があるとは思えない。ならば、偶然思い付いた名前が異界の堕天使の名と一致したということか。


「フフ、貴様、なんというか……背中がゾワッとするセンスをしているな」

 アランの考えた名前、そこにある厨二的要素に気づき、幼女はニヤリと笑みを浮かべる。


『……気に入ったかな?』


「ああ、悪くない。翼を持たない竜には似合いの名だ」

 そして幼女――ハルートは頷き、その名を快く受け入れた。


『良かった。それじゃあ、これからよろしく頼むよ。ハルート……』

 幼女の前に、アランの大きな手が差し出される。


「ああ、こちらこそよろしくな。エドガワ」


 幼女はその手を白く小さな手でギュッと握った。



 




 ハルートか。


 アランは幼女の小さな背中をじっと見つめていた。


 アランが彼女に贈った名前、それはアランがかつて友と呼んだ存在、そして最終的には食卓にあがり、アランの血肉となった食材、家畜系フレンズ、仔豚のハルートちゃんから取ったものだ。


 俺は、アイツと同じように、あの幼女も利用しようとしている。


 寂しいときには友と呼び、お腹が空いたらオカズと呼んだ。愛しい仔豚ベイブに対する卑劣な裏切りを思いだし、アランの胸がズキリと痛んだ。


「すまない、ハルート……」

 思わず漏れた謝罪の言葉は、天国の仔豚ベイブに向けたものなのか、それとも幼女に対するものなのか、それさえわからず、アランはその場に立ち尽くし、己の下劣さをただ恥じた。


『では、しゅっぱーつ』

 視線の先では白い幼女――ハルートが、左手でジェンソンの剣を持ち、右手でジェンソンを掴んでいる。


「なんか、いやな予感がするな……」

 それは予感というより予言、百パーセントに近い確信を秘めた呟きだった。見たくもない現実から目をそむけようとしたアランは、わずかに開いたジェンソンの口が「助けて……助けて」と何度も動いていることに気づく。


「うぅ……」

 力なく呻いたジェンソンの体が浮き上がり、棒切れのように何度も振り回された。

 どうやらこの幼女、ジェンソンを武器として装備するつもりらしい。


「なあハルート、聞いてくれ。ジェンソンは人間という生き物で……武器じゃないんだ。ほら、ビクッビクッって動いてるだろ、これは生きてるってことだ。生きてる人間は棒みたいに扱っちゃダメだ。わかるだろ」


 ジェンソンは自分の命を狙った男、それでもこの扱いはあんまりだ。アランはそう思い、幼女を説得しようと人の命について語ってみる。


『…………プッ』

 幼女はなぜか吹き出した。


「……いいかハルート、もう一度言うぞ、ジェンソンは武器じゃない。ジェンソン イズ  ノット ア ウエポン OK?」


『ノー! ジェンソン イズ バイブレーションヒューマンメイス!』


 交渉は決裂であった。

 

 ヒトと幼女はわかり合えなかったのだ。


 すべてを諦めたアランはジェンソンから目を逸らし、何事もなかったかのように自分の荷物をまとめ始める。そして、涙を流し痙攣けいれんするジェンソンは、幼女のおてての中でメイスへと変化した。


今宵こよいのジェンソンは血に飢えている……』

 幼女局長ようじょきょくちょうの冷たい声が樹海の闇に響く。


「すまないジェンソン、頑張って……生きてくれ」

 アランは己の無力さを噛み締めながら、彼女の後ろを項垂うなだれて歩き始めた。


「待てよ、アラン……」

 その時不意に、アランの死角、後方の繁みのなかから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「誰だ!」

 アランは振り向き、大声で叫ぶ。

 

 それはジェンソンの声ではなかった。無論、死んだネルソンやゲルハルトが喋るはずもない。


「お前は……」

 その男の姿を見たアランの目が、驚愕に見開かれる。

 

 彼の名はルイス、鈍足ゆえに忘れられた男。


「神速の狼」ナンバー2セカンド――双剣の魔剣士ルイスであった。

 

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