第7話 狩人 《ハンター》 後編

「まて、アラン!」

 叫び声とともに飛んできた矢が足をかすめる。アランは倒れ、地面を何度も転がった。


「くそ、こんなところで終わってたまるか!」

 アランには夢があった。いつか大きな手柄を立てて騎士になりたい。ハンターから身を立て大陸一の騎士となった、英雄スヴァングレイのように。


「アラン、もう諦めろ」

 いち早く追いついてきた俊足のネルソンが、弓に新たな矢をつがえる。


「舐めるなよ、臆病者の弓野郎……」


「口が減らんな。まあ、これでトドメの金一封は俺のものだ」

 まともに動けないアランに狙いを定め、ネルソンがゆっくり弓を引く。


 この足ではもう逃げられない。


 この苦境、絶体絶命の状況にあっても、アランはまだ諦めてはいなかった。ゴキブリアラン――それは、彼のしぶとさゆえに付けられた異名、たぶん……きっと、悪口ではないはずだ。


「ネルソン! これを見ろ! こいつが何か分かるか!」

 弓を引き絞るネルソンから数歩後ずさり、ゴキブリアランは懐から笛と液体の入ったガラス瓶を取り出した。


「わかりません」

 ネルソンは正直に答えた。


「……魔物寄せの笛と、魔物の好物『愛巣の実』のしぼり汁だ。お前、気付いているか、俺を追って、樹海の表層を越えつつあるってことに」

 これら二つのアイテムは、どちらもゴキブリアランが街の怪しい錬金術師から購入したものだ。払った金額を考えれば、かなりの効果が期待できるはず。つまりこれは脅しではないのだ。


「こいつをぶちまければ、その辺の魔物が群れをなして押し寄せてくるぞ、下手すりゃ深層の化け物にも出会えるかもな」

 ゴキブリアランの言葉に、ネルソンの足が止まり、弓を持つ手がわずかに震える。 


「俺と心中する覚悟があるなら、その下手糞な弓、撃ってみろよ」


「弓は撃つもんじゃない、引くもんだ。それに、その時間稼ぎに何の意味がある。ほら見ろ、ゲルハルトが来たぞ。これで二対一、お前はまた不利になった」

 ネルソンの言葉は正しい、確かに時間が経てば経つほどゴキブリの状況は悪くなる。だがそれも虫ケラにとっては計算の内、奴らが揃ったその時に、この切り札を使い魔物の群れをなだれ込ませる。そしてその混乱のなかに活路を見出すつもりなのだ。

 

「そう思うんならやってみろ、こっちはもうヤケクソなんだ。道連れにしてやるよ」

 コックローチは生き残るためのもう一つの秘策、懐に仕舞った一枚の布を握りしめ、「ククク……」などと笑って、ちょっとクレイジーな若者を演じてみる。仕掛けを打つ前に射殺いころされてはすべてが無意味、切り札を使うタイミング、それが何より重要なのだ。


「……クソが」

 ネルソンは苛立ちながらも、次の動きが取れないでいる。そうして緊迫した空気が漂うなか、巨漢の宗教かぶれ、ゲルハルトが息を乱して合流する。

 

「ハア、ハア、あれ知ってる。裏通りのペテン師ババアが売ってたやつだ」


「黙れ、ゲルハルト! これは本物だ! いくらしたと思ってんだ! これが偽物なら、俺は……俺は……」


「でもあのババア……この間、捕まって――」


「うるさい! 死ね!」

 最早、計画などどうでもいい、ゴキブリは荒ぶり、瓶を衝動的に投げ割ると、ヤケクソ気味に笛を吹いた。


「ソラシ~ラソ、ソラシラソラ~」

 間の抜けた笛の音が辺りに響く。


 そしてコックローチは、懐から出した布をすぐさま被った。その布には岩っぽい絵が描かれている。これこそが、ゴキブリの秘策――擬態であった。


「お前……ふざけているのか?」

 ようやく追いついたジェンソンが呆れたように呟く。ネルソンは必死に笑いを堪えていた。敬虔けいけんなファルティナ教徒であるゲルハルトは、愚かなアランが救われるよう女神に祈りを捧げていた。


 足の遅いルイスは、まだ追いつかない。


 そして魔物は……来なかった。


 インチキ錬金術師め!


 アランは心の中で叫んだ。


 その時である。


 ドゥルルルル――と轟音が周囲に響き渡った。


「なんの音だ!」

 ジェンソンが叫ぶ。


 色は暗めのネイビー、大きめのフードに厚手の生地、フロントにはトグル。


 そこには、お腹をおさえた幼女が「ラーメン、ラーメン」と謎の言葉を発しながら突っ立っていた。






「あんな音を聞かせられては、腹も鳴るさ」

 幼女はクールに呟いた。


『子供……なぜこんな場所にいる』


「チャルメラが聞こえたのでね。それでラーメンは……無いか。では君たち、ハサミと糸を持ってないかね」

 多少困惑気味の剣を持った――剣持ちのオッサンに向かって、幼女は出来るだけ丁寧に話しかけた。


『何を言っている……コイツ、魔物のたぐいか』


「やはり言葉は分らんな。まあ、落ち着け……糸と」

 幼女は両手を横にピーと広げ、糸を表すジェスチャーをする。


「ハサミだ」

 そして両手をチョキにして、バルタン星人のポーズをとる。


「フォフォフォ……」

 サービスでモノマネもしてやる。服を手に入れたこともあり、今日の幼女はご機嫌だった。


『……魔術か!』

 幼女のモノマネがお気に召さなかったのか、剣持ちのオッサンが奇声をあげて斬りかかってきた。


「交渉決裂……仕方がないな」

 ため息まじりの幼女バルタンは、左手のハサミで剣を受け止め、右手のハサミでおっさんの両目を貫く。


『アアッ、目が! 目が!』


「服が大きすぎて困ってるんだ。ほら、ブカブカだろう。見ろ、ブカブカ! ブカブカ!」


『おのれ、魔女め!』

 大きめのコートをバサバサして、サイズが合わないことをアピールする幼女に、今度は別のおっさんが矢を放ってきた。


「んもう、二指○空把……」

 幼女の二本の指で掴まれた矢が、弓のおっさんに投げ返され、彼の額をブスリと貫く。


「意思が伝わらん、何が悪いんだろ」

 モノマネが古すぎたのかな、などと幼女が考えていると、つづいて体の大きいおっさんがメイスを振りまわして迫ってきた。


『女神ファルティナよ! 我に力を与え給え!』

 

「あ? ファルティナ? くだらん女の名前を口にするなよ」

 幼女はそれを指一本で受け止めると、大きいおっさんの顔面をデコピンで弾き飛ばす。


「あべし!」

 おっさんの頭は爆散した。


「くそ、あいつの名前を聞いたら頭が痛くなってきた。記憶が定着すれば言語もどうにか……いや、覚えたほうが早いか……それ以前に人の言葉は……」

 幼女はブツブツと独り言を呟きながら、一人残った男の方へと歩き出す。奇妙な布をかぶった男は、怯えるような目で幼女をじっと見ている。


「一度だけチャンスをやる。役に立たないようなら殺す」

 冷たい瞳に殺意を宿し、幼女は男にそう告げる。殺気を感じ取ったのか、男は何度も首を縦に振ってウンウンと頷いている。


「よし、ではいくぞ……糸と」

 幼女は両手を横にピーと広げ、糸を表すジェスチャーをした。


「ハサミだ……」

 そして、小さいおててをチョキにしてバルタン星人のポーズをとる。


「フォフォフォ……」

 もちろんモノマネも忘れない。


「さあ人間、私の欲するものを差し出してみよ。それができれば、命くらいは助けてやろう」

 幼女は威厳たっぷりに、ジェスチャークイズの開始を宣言する。かかっているのは男の命、始めた理由は、暇つぶしだ。

 

 これがクイズであることに気づいたのだろう。男は、幼女のジェスチャーの真似をして、ああだこうだと考えている。

 

「……残り10秒……9、8、7……」

 少し楽しくなってきた幼女は、男を焦らせてみようと、カウントダウンを始めてみる。


「ほら頑張れ、これくらい江戸川なら5秒で解くぞ。間違ったらコイツでブスリといくからな」

 拾った剣で男の顔を突っつきながら、幼女はニヤニヤと笑みを浮かべる。


「はい、2……いち――」


 カウントダウンが終わりかけたその瞬間、幼女の嫌がらせに泣きべそをかいていた男は、何かに気づいたように大声をあげる。そして男の瞳に、叡知の光が宿る。


「こいつ……まさか」

 幼女はその目を知っていた。それはジッチャンの名に懸けたときのアイツの目、たった一つの真実を見抜いたときのアイツの目だ。


 男はその目を幼女に向けたまま、大きいおっさんの鞄に手を突っ込んだ。


「たどり着いたのか……」

 自信を持って糸とハサミを差し出した男の姿に、幼女は名探偵たちの影を見た。


「私の負けだ。お前には『EDOGAWA』の称号を授けよう」

 

 その日幼女は、糸とハサミを手に入れた。


 そしてアランは、EDOGAWAの称号をたまわった。

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