第6話 狩人 《ハンター》 前編

「あのクソッタレども、いつかウンチ食わせてやる!」

 アランは怨言を吐きながら必死に走った。矢が刺さったままの右肩からは今も血が流れている。

 激しい痛みのなか、それでも倒れずに走り続けていられるのは、強い怒りのためだろう。


 あんな理由で殺されてたまるか!


 矢に貫かれた右肩のワッペンをにらんでアランは心のなかで叫ぶ。元々灰色だった紋章は流れる血で赤く染まっていた。

 かつて憧れ、それを手にしたときには、これで俺も一人前のハンターなのだと小躍こおどりするほどに喜んだ灰色狼の紋章。

 今ではもう憎しみの対象でしかないそれは、商業都市『シリングタウン』を拠点とするハンターチーム『神速の狼』のパーティエンブレム。


「なにが狼だ、薄汚いドブネズミどもが!」

 怒りと悔しさ、そして失望、兄と呼んだ男の裏切りにアランの瞳がわずかに潤んだ。彼の後ろから迫るのは、同じ灰色狼の紋章をつけた『神速の狼』の仲間たち、いや、かつて仲間だった者たちだ。

 何ゆえアランは彼らに追われているのか、話は少し前にさかのぼる。



 魔物と呼ばれる凶暴な生き物を狩り、肉や素材を換金してかてとする、魔物狩りの専門家エキスパート——ハンター。

 アランもまた、相互扶助組織「ユニオン」の認可を受けた許可証ライセンス持ちのハンターとして、シリングタウンを拠点に活動をつづけていた。


 彼が所属するパーティの名は――神速の狼。


 腕は立つし頭も切れる。そしてその長所がまとめて台無しになるほど性格が悪い。巨乳の女が大好きなヒゲのバッドガイ、「ナイジェル」がリーダーをつとめる、街一番の武闘派パーティだ。


「ユニオンから依頼が入った。標的ターゲットは桃色パンサーだ。毛皮を傷つけずに狩ってこい」

 アランはナイジェルから指示を受け、四人の仲間とともに黒の樹海へと出発した。


 いくら樹海が恐ろしい場所とはいえ、今回選ばれた面子は腕利きばかり、深層にでも踏み込まなければさほど危険もないだろう。


 案外、簡単に片付きそうだ。


 そう考えたアランの思考はおおむね正しかった。熟練のハンター達の連携に隙はなく、彼らは一人の負傷者も出さずに桃色パンサーの討伐に成功する。

 後は戦利品を持ち帰るだけだと、アランがピンクの毛皮を剥ごうとした、その時である。


 仲間の一人ジェンソンが、突如アランに斬りかかった。


「何すんの!」

 その一撃をかろうじてかわしたアランだったが、つづけて放たれたネルソンの矢が、彼の肩口をとらえる。


「アウチッ!」

 仲間からの攻撃、突然の凶行にアランは狼狽うろたえ、奇妙な叫び声をあげた。


「なんのつもりだ!」

 被害者ヅラをして叫ぶアランであったが、実のところ彼には心当たりがいくつかあった。


 まずアランは今ジェンソンに金を借りている。しかも返済をのらりくらりと先延ばしにしていた。それと今使っているナイフはネルソンから借りパクしたものだ。今のところどちらも返す予定はない。というよりも、金に関しては返したくても返せない。


「金は来月、いや再来月返す! いいだろ、それで!」

 アランは出来るだけ真剣な表情をつくり、ちょっとキレ気味に叫んだ。反省する姿勢を見せつつも、強気な態度は崩さない。対借金取り用の高等テクニックだ。


「お前、何を言っている」


「……借金のこと怒ってんじゃないの?」

 ジェンソンの返答にアランは困惑する。


「なら、なんで……」

 アランとて、人との付き合い方くらいは知っている。パーティのなかでは年下キャラとしてそれなりに上手く振舞ってきたし、ジェンソンたちとの関係も悪くはなかったはずだ。


「これはリーダーの……ナイジェルの指示だ。恨むならアイツを恨め。それと借金は、お前の報酬から回収しておくよ」

 ジェンソンの言葉にアランの表情が固まった。


「ナイジェル……なんで?」

 それこそ理由が分からない。アランはナイジェルを兄のように慕っていた――訳ではないが、そういう素振りを見せることで、彼の機嫌はしっかり取ってきたつもりだ。ナイジェルと揉めた連中がどうなったか、それをよく知るアランが、彼の機嫌を損ねるはずがない。


「ルイス! こいつら止めてくれよ!」

 混乱し追い詰められたアランは、ニヤケ顔で傍観している別の仲間に助けを求めた。


「お前さ、ミカにちょっかいかけたろ。それでナイジェルキレちまったんだ。ボスのお気に入りに手を出した……それがお前の死因だよ」


「あの二人、できてたのか?」 

 だとしたら二股だ。自分もナイジェルも被害者ということになる。ミカがそんなことをするとは思えないが、つい最近までサクランボ少年だったアランには、女のことはよくわからない。


「いや、ナイジェルが一方的に……あと、何度か振られてるみたい」

 泣きそうになっていたアランに、ゲルハルトが親切に教えてくれた。そのあと死者に捧げる祈りを唱えるあたり、彼もアランを殺す気ではいるようだ。


「俺、何も悪くないじゃん! あとその祈りやめろよ!」


「ナイジェルに睨まれたらウチじゃやっていけない。アイルトンやミハエルが死んだのもそういうことだ」

 ジェンソンはそう言って、アランに剣を突きつける。


「ふざけるなこの外道ども! てめえらの血は何色だ!」

 アランはジェンソンをにらみつけ、怒りの形相ぎょうそうで叫んだ。それとタイミングを同じくして、茂みから飛び出してきた一頭の桃色パンサーが、ジェンソンめがけて飛びかかってきた。


「クソッ! なんだこいつ!」

 予期せぬ襲撃にジェンソンの体勢が崩れる。アランはその隙をついてジェンソンを蹴り飛ばし、ついでに唾を吐きかけ、さらにその辺の不味そうな果実を何個も千切って投げつけた。


「このハゲ! クソ野郎! 魔物に喰われて死んじまえ!」

 アランは、借りパクナイフを投げつける振りをしてジェンソンをビビらせると、樹海の奥へ向かって全速力で駆けだした。





 彼女はもう全裸ではない。


 色は暗めのネイビー、大きめのフードに、生地は厚手のメルトン生地、フロントにはトグル。


 ダッフルコートである。


「ちょっと大きい」

 地面にこすれて汚れないようにと、幼女はコートのすそを持ち上げ腰のあたりで結んでいる。

 巾着袋みたいになったコートからは白い顔と足だけがピョコンと飛び出している。そうして長い袖を振り回しながら歩く姿は可愛いらしくも禍々まがまがしく、幼女系モンスターの得体の知れない性質を実に的確に表していた。


「これは手直しが必要だ。針はともかく糸をどうしようか」

 せっかくのイカしたコートも、サイズが合わねば魅力半減だ。幼女は蜘蛛と針ネズミみたいな魔物でもいないかとそこらを散策してみるが、そんな都合のいい生き物がそう簡単に見つかるはずもない。ならばハサミ代わりのカニはいないかと小川を覗きこんでみるも、魚はいるが蟹など何処にもいやしない。


「蟹、蟹……くそう、また魚か」

 というわけで幼女は今、蟹がいつ現れてもいいように小川を監視しつつ、たまに泳いでくる魚に石をぶつけたりして遊んでいた。


「いかん、夢中になって本来の目的を忘れるところだった」

 小川に魚の死骸が満ち、中国の危ない川みたいになったところで幼女はコートを手直しするという使命を思い出した。そのためには魚など何匹仕留めても意味はないし、今は魚を食べる気分でもないのだ。


「無益な殺生……ごめんなさい」

 幼女が手を合わせ、口先だけの反省をしていると、遠くから叫び声のようなものが聞こえてきた。


 怒声のようだが――


 幼女は穏やかな森に争いを持ち込まんとする何者かの来訪に眉をひそめ、「また、無益な殺生をしなければならないのか」と悲しみの声を漏らす。


「とりあえず様子をみてみるかね」

 手頃な木に素早く登り、幼女は辺りを見回した。


「あれは……ホモサピエンス!」

 幼女の目に人間らしき生き物が映る。必死に走る男のあとを、複数の人間が武器を持って追いかけている。


「……こんな場所でも同族同士で殺し合うか」

 世界が変わってもまるで変わらぬ人の姿に、幼女は呆れと安堵のまじった溜息を漏らす。


「しかし、人間ならば裁縫道具くらい持っているかもしれんな」


 呟く幼女の顔には、冷たい笑みが浮かんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る