ビー玉の木
鹿野習作
ビー玉の木
五つ上の姉はいたずら好きで、私はよくからかわれた。
「これはとっておきの秘密だから、誰にも言っちゃだめだよ。実は、ビー玉の木には花が咲くの」
その頃の私は純真無垢な幼稚園児で、しかも姉のことが大好きだった。つい過去形を使ってしまったけど今でも好きだ。サンタさんは歌が上手で、鏡の中は魔法の国で、月の兎は相撲が好き。すべて姉に教えられ、丸ごと信じて疑わなかった。
姉曰く、私の手の中できらきら光っているのはビー玉の種だという。ビー玉はとてもきれいだ。こんなにきれいな種から生まれるんだから、きっとビー玉の木は大きくて、ビー玉の花は鮮やかで、ビー玉の実はとてもおいしいに違いない。姉はそこまで言ってなかったけれど、私の中ではそんなイメージが出来上がっていた。今でもビー玉の実はおいしいと思っている。たぶん桃みたいな味がする。
私はとてもわくわくして、家でビー玉の木を育てることにした。当然のごとく姉を巻き込んでだ。
「じゃあ一緒にしよう。まずはね……」
姉は丁寧に教えてくれた。まずは鉢植えに種を植える。私は透明、姉は赤色のビー玉を植えた。種はひとつでいい。水だけあげれば勝手に育つ。ある程度大きくなったら庭に移して、その後は水をあげる必要はない。木が成長して花が咲くまで時間がかかるから根気よく。赤とかオレンジとか、暖色系は比較的育ちやすい。などやたらデティールが細かかった。姉は幼子を騙すのにも本気を出す人なのだ。
ゾウさんのじょうろで毎日水をあげた。大切に大切に育てた。するとある日ぴょっこりと芽が出て、そのまま順調に冬を越え、何か月もかかってついにチューリップの花が咲いた。私の知らないところで姉がすり替えていたらしい。私の花は白で、姉のはピンク。植えたビー玉に近い色だった。芸が細かい。
チューリップはとてもきれいで、のちのち私の趣味がガーデニングになる程度には嬉しかったのだけど、それとは別に不満もあった。チューリップは木ではないし実もならない。いくら幼稚園児とはいえ、チューリップが球根から育つことぐらいは知っていた。
「なんでだろうね。愛が足りなかったのかもね、愛が」
姉はふわっとした説明でごまかした。私はごまかされた。ビー玉は愛が足りないとチューリップになるらしい。理由は今をもって不明だ。
これが私の長い挑戦の始まりだった。
中学校の制服を脱いでシャツに着替えた。家の庭にはプランターや鉢植えがずらりと並んでいる。半分ぐらいは母の家庭菜園、残り半分は私が趣味で育てている花とかだ。
パンジーはきれいに咲いたが、ビー玉は今回も沈黙している。またもや失敗だ。
私はあの日以降もビー玉の育成に果敢に挑み続けていた。ガーデニングは私の性に合っていたみたいで、趣味として季節の花を育てるついでに、ビー玉を植えた鉢植えを毎回ふたつほど作っているのだ。
私はもう中学二年生で、年相応に常識だって弁えている。かつて姉が私に教えた秘密がだいたい嘘だってこともわかっている。わかっているのだけれど、ビー玉の木だけは諦めたくなかった。
とはいえ、いい加減ネタも尽きてきた。土をかえ季節をかえ肥料を与えてみても何も起こらない。当然だ。私はリンゴの種をまいているわけではない。
他にも思いつくことはなんだってやった。歌を聞かせたり、土にクッキーのかけらを混ぜたり。オカルト上等、奇跡のような偶然を期待してのことだ。ゲームのバグみたいな感じで現実にも何かのエラーがあってもいいじゃないか。しかし現実はしょうもなく、未だ結果振るわず。
今回は土のかわりに綿を敷き詰めてみた。やってから気づいたが、真綿に水をやると濡れてしぼんでふわふわ感がなくなってしまう。見た目からしてよろしくなく、明らかに失敗だった。
「お、やってるねえ」
私が庭先でうんうん唸っていると、後ろから姉の声がした。もう秋だというのにアイスを食べている。私も一本貰った。
「で、どうよ」
「ダメ。ネタ切れ。何かいい案ない?」
「んー、色水で育てるとか? 絵の具使って」
色水か。そういえばやったことがない。絵の具じゃ土に悪そうだから、食紅でも使おうか。食紅ってどこに売ってるんだろう。あれこれ考えている私の隣に姉が座った。久しぶりに二人でアイスを食べる。今年大学生になった姉はバイトなどで忙しく、最近は家を空けていることが多くなった。
「楽しそうだよね、あんた。見てて安心する」
「安心? なんか馬鹿にしてない?」
「してないって! 感心してんの」
安心でも感心でも結局意味がわからない。じっとにらみを利かせるが、姉は私のことなどお構いなしに庭の花々を眺めている。
「だってさ、いつの間にか妹が花屋みたいなことになってるんだもん。軽い冗談のつもりだったのに」
「だって普通に楽しいし。というかお姉ちゃんも手伝ってよ」
もとをただせば、このガーデニングも姉妹二人で始めたことだ。母に教えてもらいながら二人で花の世話をした。枯らしてしまったときは二人で悲しんだし、大きな花が咲いたときは手をつないで喜んだ。
姉が段々と花の世話から離れはじめたのは、彼女が高校に進学したあたりだった。もともと飽きっぽい性格だから、それでも長く続いたと思うべきだろう。私はもちろん不服だったが。
「あんた一人で充分でしょ。私の出る幕なんてないよー」
姉には毎回こんな調子で躱される。わかっているので食い下がったりはしない。
私はため息をついて目の前の鉢からビー玉を掘り出した。小さなガラスの塊を、ころころと手のひらで転がす。
「……ねえ、高校ってどんな感じ?」
姉は不思議そうな顔で私を見た。いきなりなんだと目が言っている。
「進路調査票書かないといけなくてさ。だけどあんまり実感なくて、どうしよっかなー、って」
とりあえずは近くの公立高校を受験するつもりだ。ちなみに姉の母校でもある。
姉は大して考えもせずに答えた。
「高校ねえ。楽しいとこだよ」
「お姉ちゃんいつも楽しそうじゃん。参考にならない」
「そんなこと言われてもなあ。どこ行ってもなんだかんだ楽しいとは思うから、まあテキトーに学力に見合ったとこ行けばいいよ。中学から高校なんて制服の見た目が変わるだけさね」
参考になるのかどうかよくわからない。うううと唸って空を見上げた。雲の上にはビー玉の木がありそうだなとぼんやり考えた。
空に答えが書いてあるはずもなく、視線を戻して隣の姉をのぞき見る。メイクをしているから、今日もこの後バイトなのだろう。
制服の見た目が変わるだけ。クラスメイトが変わるだけ。通学にかかる時間が変わるだけ。では、私自身は変わらないのだろうか。自分以外の何もかもが変わっていくのに、自分だけが不変だなんてあり得るのだろうか。私には信じられなかった。
いや、違う。頭を振って思考を切り替える。私は変わりたくないわけではない。成長だって変化のうちだ。ビー玉の木を本気で信じていた私と今の私は別人で、変わっていくのは当たり前。姉だって昔のままではないけれど、私たちは普段通りを何年も続けている。
私は何を怖がっているのだろうか。
「あ、そうだ」
まとまらない思考が中断した。すぐ隣で姉がにっこり笑っている。昔の、私に嘘を教えるときの表情だ。
「あんた園芸部だったよね?」
「うん、そうだけど。何?」
「体育倉庫あったじゃん。グラウンドの隅にある古いやつ。あれまだある?」
「あの告白スポット?」
人目につかないのでよく呼び出しに利用されていると聞く。残念ながら私には縁がない。
「それそれ。あそこの裏に小っちゃいプランターがあったの」
「お姉ちゃんが通ってたとき? 何年前の話なの」
姉は私の問いかけを黙殺した。アイスの棒が私に向けられる。
「今もまだあるならあんたもらっちゃいな。あんなところで忘れられるの可哀想だし」
「プランターを? まあいいけど」
「よろしくね。では私はバイトに行きます」
ばいばいびーと言い残して姉は家の中に消えていった。何だったのだろう。よくわからないけど、流石にもう無くなっているんじゃないかなと思った。
さて後日。私は言いつけ通りに体育倉庫へ向かっていた。まさかこんな形であそこに行くことになろうとは。どうせなら男の子に呼び出されたかった。まあそれはいい。
それにしても姉はなぜこんなところにプランターがあると知っていたのか。なんだか青春のにおいがするなー、いいなーうらやましいなー、と中学時代の姉に思いを馳せた。
そんなことを考えているうちにグラウンドの端に着いた。体育倉庫付近にひと気はなし。念のため、息を殺して裏側を窺う。今まさに青春真っ最中です、みたいな人影はなかった。
安心して裏に回ると、目的のブツはすぐ見つかった。姉の言った通り、寂しげにひとつだけ置かれている。どうやら黒土らしきものが敷き詰められているが、育っているのは雑草ばかりだ。ひょいと持ち上げて、次は部室へ向かう。
園芸部にはまだ誰も来ていなかった。ちなみに園芸部員は私含めて四人。全員女の子だ。
水やりは後回しにして、先にプランターを片付けることにした。土を再利用することも考えたが、結局捨ててしまうことにした。何を育てるにしても枯らしたくはない。邪魔にならないところまで移動して、プランターをひっくり返した。小さな山が出来上がる。
ネットに入った軽石だけは回収しておく。山を均すべく片足を上げた瞬間、足元の山の中に何かきらりと光るものを発見した。直感で、それが何なのかわかった気がする。
確認のために、プランターを置いてもう一度しゃがみこんだ。土に手を突っ込んで、それをつまみ取る。
「あは」
笑ってしまった。姉のしたり顔が目に浮かんで、なんだか悔しい。
私の手の中にあるのは、土に汚れても輝きを失わない、きれいなビー玉の種だった。
姉の蒔いた種を回収した日の放課後、私は近所の公園まで出かけた。
結局、あのプランターからは三つのビー玉が発見された。赤青黄色。それらはこっそり家の庭に埋めておいた。姉には秘密にしておくつもりだ。
進路調査票は姉と同じ高校を書いて提出した。不思議なことに迷いは全くなくなっていた。これも姉には秘密にしておく。
もう夕方だから、公園には誰もいない。目当ては砂場だ。そして、ポケットにはたくさんのビー玉が忍ばせてある。近所のちびっこが遊んだあとなのか、穴と通路が砂場全体に掘られていた。ちょっと申し訳ないが埋め立てさせてもらう。
が、埋める前にすることがある。私はビー玉をひとつずつ、ある程度間隔をあけて落としていった。落として、埋めて、落として、埋めて。丁寧に繰り返していく。
明日になればまたちびっこが遊びに来るだろう。また川をつくるか、あるいは山をつくるか。どちらにせよ、いったん砂場の砂をスコップで掬い取るはずだ。
私は想像する。砂場から突然出てくる、宝石みたいなビー玉たち。宝さがしみたいで楽しいんじゃないかと思う。子どもたちが夢中になってビー玉探しをしてくれたらうれしい。掘り返されてしまったらビー玉の木は生えてこないけど、もしかしたら、ひとつだけ誰にも見つけられなかったビー玉が残って、忘れたころに芽を出すなんてこともあるかもしれない。そうなったら最高だ。
実は、家の外にビー玉を埋めるのは初めてである。ちょっとドキドキする。
「お姉ちゃん、なにしてるの?」
「わっ!?」
舌足らずな声に顔を上げると、小さな女の子がまん丸い瞳で私を観察していた。長い髪がふわふわしていてとても可愛い。帰る途中で私を見つけ、興味を惹かれてつい寄り道してしまったのか。
女の子の視線は、私の手のひらに注がれている。正確には、私の手のひらに乗っている色とりどりのビー玉たちに。まるでいつかの誰かさんみたいに。
私はにっこり笑って、小さな女の子に耳打ちをする。
「これはとっておきの秘密だから、誰にも言っちゃだめだよ。実は――」
ビー玉の木 鹿野習作 @shika_no_syusaku
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