日本を終わらせた男

オーロラソース

第1話 終わった国、ニッポン。

 これだけは言っておきたい。


 あの日までの人生を、私は間違いなく愛していた。退屈だと感じたこともある。戻りたいと願ったこともある。幸福だったかと問われれば、少し考え込むかもしれない。それでも私は、あの穏やかな日々を愛していた。間違っても壊したいなどと思ったことはない。


 本当に、ただの一度も、思ったことはないのだ。


――史上最悪の虐殺者、その手記より抜粋。




 日本はどうやら終わったらしい。


 配給の列は、いまだ途切れることなくつづいていた。

 暗い目をした男が三人、その様子を少し離れた場所から眺めている。そのうちの一人、白いワイシャツを着た男が誰に言うともなくポツリといった。


 日本はもう終わりだ、と。


 彼が言うには、本州と北海道、つまり日本列島の大半は、こんがり焼けたミートパイのようになってしまったらしい。


「どこの情報ですか、それ」

 尋ねるもう一人の声には、明らかな苛立ちがあった。インターネットは使えず、テレビやラジオは、もうずっと同じ内容を繰り返している。誰もが皆、情報というものに飢えていた。そして飢えた私達の前に差し出された情報エサは、世間話のネタにしては少しばかり刺激の強いものだった。


「情報ってほどのもんじゃない。米兵が話してるのを聞いたんだ。本州と北海道は完全な焼け野原、地面の上は吹っ飛んでるってな」


 ワイシャツの言葉を聞いた若者は「あり得ない」と呟きうなだれる。彼は、チェ・ゲバラの顔がプリントされた長袖のシャツを着ていた。私はその服を着ている理由がただのファッションであればいいと思った。それが思想によるものならば、米軍占領下みたいな今の状況もきっと大きなストレスになるだろうから。


「あくまで聞いた話だ。そう落ち込むな」

 ワイシャツはそう言い、ゲバラから視線を外すとポケットからタバコを取り出し火を付けた。配給にはない物だ、きっとこうなる前から持っていたのだろう。


「核……ですかね」

 黙り込んでしまったゲバラの代わりに私はワイシャツに話しかける。


「分からんよ、兵器のことなんてよう知らん。ただ、米軍の連中が防護服を脱いだんだ。放射能の危険性がないって話は、信じていいんじゃないか」

 タバコをふかす彼の視線の先には配給を監視する米兵達の姿があった。来た当初は防護服にガスマスク、その上完全武装という物々しい格好をしていたが、今は皆普通の迷彩服を着て任務にあたっている。


「そうだ! 放射能ですよ、放射能! 本州が吹っ飛んだんなら、原発とかもグチャグチャになってるはずでしょう! そしたら普通、放射能漏れとか起こるじゃないですか! でも実際は、そんなの起きてない。それってつまり、本州も北海道も無事ってことじゃないですか? ていうかこれ、そういう風に見せかけたアメリカの侵攻なんじゃ……」

 うつむいていたゲバラが顔を上げ、ちょっと過激な持論を展開する。「アメリカの侵攻」部分を小声で言うあたりかなり本気の意見とみえる。


「確かに、俺の話に確証はないさ。さっきも言った通り聞いた話だ。けど、君らも見ただろう、あの巨大な光を……それに、音も聞いたはずだ」


「ええ、あれは凄まじかった」

 私の脳裏にあの時の光景が浮かんだ。信じられないほどの巨大な光、そして轟音。あれを見た者ならば、日本の大部分が焦土化したという話も信じられるのではないか。

 

「うわ、思い出しちゃった……」


 私がそう思っているとゲバラが頭を抱えてうずくまった。勇敢とは程遠い若き革命闘士は「あれ、今でも夢に見るんすよ」と、丸まった姿勢のまま小さく呟く。


「俺もだよ」

 そう言って彼を見つめるワイシャツの表情もまた暗かった。おそらく彼もあの日のことを思い出しているのだろう。それほど長い時間ではないが、私達の間に重苦しい沈黙が流れた。


「そういえば、米兵の会話から情報を得たと言ってましたね。英語、できるんですか」

 私は出来るだけ明るい声でワイシャツに話を振った。こういった状況で黙り込むのはあまり良くない気がしたのだ。沈黙は人の心を沈ませ、時に死へといざなう。そんな言葉を言ったのは、友人だったかあるいはどこかの偉人だったか。


「一応な……仕事で海外に行くことも多かったんでね」

 ワイシャツは少し照れた様子でそう答えた。どうやらこの男、ちょっとしたインテリらしい。


「仕事で海外! カッコイイや。やっぱり落ち着いたら海外むこうに移住? 英語ペラペラならどこに行っても楽勝だ」


「いや、俺は無理だよ……」

 ゲバラの問いかけにワイシャツは暗い目をして答えた。


「希望者は多いはずだから時間はかかるでしょうが、無理ということは――」

 そこまで言いかけて私はハッと気がつく、彼に前科でもあれば移住は難しいのではないか。犯罪歴があっても移住可能な国はあったはずだが、選択肢は限られる。

 

「やっぱ、金っすか?」

 気まずそうにしている私の横で若者の無神経な声が響いた。思ったことを全部口にするのはやめてくれ。私はそう思い彼を半目で睨むが、ゲバラに気づく様子はない。


「金の話をするなら日本人はほとんどが文無しさ。外貨ならともかく、貯めこんだ円なんてこれからは紙切れ同然になる。まあ俺は米ドルも結構持ってるがね」

 ニヤリと笑うワイシャツに私は羨望の眼差しを向ける。なるほど、これが出来る男という奴か……とはいえ最初から大した蓄えのない私もある意味勝利者と言えなくもないが。


「じゃあ、なんで――」


「こっちには出張で来ていてな。嫁さんと娘は……東京だ。俺一人、海外になど行けん」

 

 そういうことか。

 

 彼の言う無理とは、手続き上の問題でも経済的な問題でもなかった。ましてや前科がどうこうなどという話は見当違いもはなはなだしい。余計な話題を振ったことを後悔してももう遅い。ゲバラは口を開けたまま天を仰いでいる。どうやら私はいらぬ方向に会話を誘導してしまったらしい。


「あの――」


 私は何かを言いかけたゲバラを視線で制した。下手な慰めなどは口にすべきではない。何より、本州と北海道の話をしたのは彼なのだ。おそらくもう、彼の中で結論はでている。


「全部、夢ならいいんだが……」

 ワイシャツは呟き、ゆっくり立ち上がった。


「希望を捨てるな」なんて言葉は口が裂けても言えやしない。彼の家族は、ほぼ間違いなく死んでいる。


「俺はこれをやった奴を許さないよ。絶対に、死んでも許さない」

 それは、死んだ後も恨み続けるという誓いなのか。あるいはこの破壊をもたらした者に対する、死んでも許されることはないのだ、という呪いの言葉なのか。


 どちらにせよ、そう言った彼の目は未来を見ていないような気がした。


「また、会えますよね」

 そう尋ねる私に彼は返事をしなかった。


 過ぎ去る彼の背中に私は小さく頭を下げた。

 

  



 半べそをかいていたゲバラは、彼女と約束があるからと最後は笑顔で帰っていった。何でも最近出来た恋人らしい。こんな状況では案外彼のような単純シンプルな人間の方が強いのかもしれない。私はそんなことを思いながら、彼らとのやり取りを書き留めるべくポケットから黒い手帳を取り出した。


 4月15日


 インテリっぽいワイシャツに「死んでも許さない」とか言われちゃった。

 気持ちは分かるが一方的に恨むのはどうかと思う。私だってやりたくてやったわけじゃないのに……まあ、ご家族のことはお気の毒でした。


 すいません。


 あとゲバラが言ってた原発のことも気になる。私のアレが強力すぎて、放射能ごと吹っ飛ばしちゃったんだろうか。そういうことあるのかな、よくわかんねえや。


 それに、アメリカさんの数が随分増えてきたみたいだ。そろそろ正面衝突かな、オラ、ワクワクしてきたぞ。


「大丈夫だ、七個集まりさえすれば、きっと元に……」


 私は罪悪感を抱えたまま、誰も待つ者のいない自宅へと帰るべく、足早に歩き出した。

 


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