第4話

 携帯端末を見て時間を確認すれば、そろそろ大文字山に火が点く頃だった。山を登り回り込んでみるとそこには巨大な革袋が四つと、一人の少女がいる。

 少女は。

 オルガンと同じ顔をしていた。

 一行を認めた瞬間ぶわっと泣き出した彼女に、流石にゾンビの気配を感じた一同も戸惑う。


「オルガン、オルガンちゃん」

「何――あなた、だれ」

 さすがのオルガンも驚いているのか声が震えている。そこに声を被せたのは、ロザリアだった。

「恒星月、チェンバロ?」

「え――誰それ」

 赤い着物のセレスが問う。

「比叡山の生臭坊主が見せてくれた昔のアイドルビデオに映ってた。出産明け最初の生放送の最中に、結婚と出産を認めなかった熱狂的なファンに噛み付かれてゾンビになった悲劇のアイドルって」

「それがなんでオルガンお姉ちゃんと」

「十三年ぶりだね。ママだよ、オルガンちゃん」

「は?」

 目の前の少女は二十歳に届くかどうか。とてもオルガンの母親とは思えないが、ゾンビだと言うのだから歳をとらずにいたのだろう。ママ。オルガンの母親? オルガンは呆気に取られて自分とそっくりの女性を見る。まだ少女と呼んでも良いような、女性を。

 彼女はぼろぼろと泣きながら、時折しゃくりあげ、話し出す。

「授乳もできなくて妹にあなたを預けたの。それからファンクラブをベースに、日本のゾンビ化計画を始めた。日本は島国だから比較的貨物船でゾンビパウダーを密輸するのはたやすかった。中国。ロシア。韓国。日本は山岳地帯が多いから一気に作戦を進められる。やっと、京都一帯を汚染できるだけの数が集まった。そしたらオルガンちゃんもここに来てくれた。ね、オルガンちゃん、ゾンビになろう? 十三歳のあなたとなら、一緒に親子として生きていける。オルガンちゃん。オルガンちゃん」

 しゃくりあげるチェンバロの背後から一人、また一人とゾンビ達が現れる。

「最初は青森に行くつもりだったんだ」

「でもあそこは知事が中々の食わせ者でゾンビパウダーを持ち込めなかった」

「だから人が集まる場所にした」

「そこに君がやって来たんだ」

「運命だよこれは」

「君はゾンビになるべきなんだ」

「お母さんの為にも」

「十三年待った僕らの為にも」


「――うるさい!!」


 初めて声を荒げたオルガンに、朔哉は瞠目する。


 オルガンは分厚いデニールのストッキングを掴み、びりびりと音を立てて裂いた。そこに薄れてはいるが百合の入れ墨があることを、朔哉は知っている。反対側の脚には鈴蘭が。どちらも毒草だ。薄れているのはそだけ時間がたっているから。言っていた、彼女は。何気なくぽつぽつと、己の境遇を話し合ってきた。オルガンも、朔哉も、自分達のことを相手に話してきた。

 だから知っている。あの入れ墨も、朔哉の部屋でなら見せられるから。そこでだけなら、晒せるから。どこでも分厚いストッキングで隠していても、朔哉の前でなら。

「子供の肌は柔らかいって、五歳の私に義両親は私にこんなものを彫ったッ! 腕だって!」

 制服の手首のスナップボタンを外して袖をまくり上げると、まだらに痕が付いている。チェンバロは息を呑んだ。その配下達も。そしてロザリアも、セレスもパラスもジュノーもベスタも。三大霊嬢だけが黙ってそれを見ていた。まるで最初から、知っていたかのように。

「煙草も押し付けられた、騒ぐとタオルを噛まされて何度も何度も繰り返されたッ! 今更入れ墨も傷もなくならない!」

「オルガンちゃん――」

「子供を捨てるほどにゾンビでいるのが嫌だったのなら、ゾンビにはならない。ゾンビにもさせない!」

 瞬間、優しい顔をしていた郎党がオルガンに襲い掛かって来た。おそらくは無理やりにでもゾンビパウダーを吸引させようとしたのだろう、しかし、彼女の背後には三大霊嬢がいた。ゾンビに容赦のない彼女達はチェンバロの姿を見つけた時からすでに臨戦態勢に入っていた。比叡斬は薙刀に。高野散は身を分け散弾銃に。

 そして不恐邪は、打ち刀に。

 四つ子ならではのリズムで高野散は飛び掛かって来る襲い来るゾンビ達を撃ち殺していく。

 打ち漏らしは比叡斬がくるくると器用に舞って斬殺していった。そして不恐邪は――

 オソレンジャーは、チェンバロに向かって行った。

 泣きながらオルガンは以前作ったプラスチック爆弾を母親に投げつける。しかしそれはオソレンジャーが弾き飛ばした。

「この人を殺すのは、僕の仕事だよ」

 爆発したプラスチック爆弾は大文字に火をつける。袈裟げりにされたチェンバロは、それでもゾンビパウダーに向かって走った。その足をオソレンジャーは切り落とす。手で這うのも切り落とした。古い時代の罪人のようになった母親の姿に、オルガンはただ呆然とする。

「オルガンちゃん、、オルガンちゃん――」

 それでも自分をゾンビにしようとした母親の姿に。

 オソレンジャーは朔哉の手を離れ、かんざしを外ししゃがみ込んでその髪でチェンバロの体を覆うようにした。

 彼女はもう、動かなかった。

 振り向けば髪を下ろした霊嬢達が無数のゾンビ達を殺したあとが広がっている。

「あ――」

 かくん、と膝を折ったオルガンに、ロザリアはぽんぽんと頭を撫でた。

「悲しい時は、泣いて良いんだよ。私も親友の葬式では、泣きっぱなしだったからね」

 わあああああと、オルガンは火が点いたように、糸が切れたように、泣きじゃくった。


 本来の点火係は、近くの小さなバラックから監禁されているのが見つかった。そしてそこには意外な人物もいた。

「お腹洗いたあい!」

 そこにいたのは、坂巻ドロレスと土倉ナボコフだった。

 チェンバロのネットワークの広さに身を寄せていたのだが、日本ゾンビ化計画などと言う荒唐無稽な計画に彼女は計画を密告したのだった。しかし一か月近くバラックに閉じ込められていた所為で、腹は減り、内臓は異臭を放っていた。苦笑いのナボコフは、でもうまくいったから良いじゃないロリータ、と片方しかない手でドロレスを撫でる。以前ならば絶対に見られなかった光景だ。二人にも、色々あったのだろう。ナボコフがドロレスをロリータと呼ぶような何かが。

「ねえねえオルガンお姉ちゃん、経費で落とすからさ、オルガンお姉ちゃんも着物着ようよ!」

 白い着物のパラスが言う。

「着付けならさっき着た時覚えたからさ、オルガンお姉ちゃんも思い出作ろう!」

「お化粧もしてかんざしも付けて写真撮って、夜は遊ぼう!」

「夜中皆で遊ぼう!」

「ドロレスちゃん達も!」

「高野散達も!」

「ロザリアちゃんも!」

「みんなで遊ぼう!!」

 声を揃える四ツ子にぽかんとしながら、ドロレスが恥ずかしげに呟く。

「その前に鴨川で良いからお腹洗いたい……」

 五山の送り火が点くのにわっと盛り上がる下界の様子に、オルガンも笑った。


 着物のオルガンはそれなりに綺麗だった。思えばアイドルの娘なのだから当たり前なのかもしれない。普段が仏頂面で解らないだけで。紅差し指で口紅を塗るとどこか大人めいて見えて、女性はやはり化粧で変わるのだなと朔哉はロザリアを見上げる。こちらも薄化粧だ。先ほどまでよりも大人びて見える。

「なあ楽隠居」

「なに、朔哉くん」

「僕達一緒に暮らさないか」

 女子一同が一斉に吹く。

「いや、義両親もろくでもないみたいだし、今まで通り家政婦してくれれは良いだけなんだけど。給料は出すから、まあたまにはおしゃれして出かけるのも良いと思う」

「お、おにーさんそれってプロポーズだよ!」

「へ?」

「最近の子は進んでるわねえ」

「え?」

「えーあー」

 オルガンは笑う。涙の痕は、もう見えない。

「不束者ですが、よろしくお願いします?」

 くすくすとオソレンジャーは笑っていた。

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