第3話「憂いの国」


 食事が終わってから、俺たち義援士四人は任務について話し合った。イシュルとタナデュールは名目上技術義援士の増員として派遣されて来たので、リンドラに何が起ころうと逃げ出すわけには行かない。

「俺とシドはあんたらの護衛だ。そっちの任務の、細かいところを教えてくれ」

 ヤーンスがそう言うと、イシュルが頷いてテーブルに書類を並べた。

「私とタナデュールは常時一緒に行動します。私は鬼病患者の血液を採取して、血液の中に何かが入り込んでいないかを調べます」

 イシュルが書類を指して早口でいろいろと説明してくれたが、俺とヤーンスにはほぼ意味が不明だった。それよりイシュルは身長が六フィート(百八十センチ)近いので、横に立たれると圧迫感がもの凄い。

「何かって……何だ?」

「それを探すために検査するのです」

 やっぱり意味がわからない。

「症状の進行度合いごとの血液検体が必要ですので、段階ごとに最低3人お願いします」

「お願いしますって……生きて捕まえろってこと?それとも、殺していいのか?」

「はい死んでいても、すぐなら大丈夫です」

 俺はたじろいだ。最低三人を斬ることではなく、でかいのは別にして金髪緑眼で人形のように美しいイシュルが平然とそう言い放ったことに。

 控えめにカウントしても五十人近く斬って殺してきた俺をたじろがせるのだから、イシュルもなかなか凄い玉だ。


 鬼病に罹った人間は病気の進行ごとに3段階に姿形を変えて行く。地域によって違うらしいが、公社でリンドラではそれぞれ『人鬼・土鬼・屍鬼』と呼ばれる。

 『人鬼』は人間の姿を保ってはいる。会話も可能で道具も使えるが、凶暴性があって社会生活ができない。

 『土鬼』になると関節の変形、脊椎の湾曲が始まって人間のように見える何かに変化する。ほとんど意思疎通はできない、凶暴性は変わらず衣服も身につけない。虫や小動物を獲って食べるようになる。

 『屍鬼』になるともう動き回る死体かミイラで、体のあちこちが腐り始めて這いずるようにしか動けない。虫すら食べることができなくなるので数日で衰弱か腐り果てて死ぬ。

戦闘を仕事とする義援士にとっては全部『排除すべき脅威』で、逃げて行かない限り必ず殲滅もしくは無力化させる。非公式ではあるが、義援士の間でそいつらは『幽敵』と呼ばれている。

 昔はリンドラ以外の五王国でも希に発生していた病気だが、現在ではリンドラにしか患者は発生しない。そしてハンマの王女様が嘆いたように、リンドラではそれは病気と認識されていない。

はっきりとした原因は不明。人から人への感染はしないと確認されているが、どうもリンドラでは集団感染が起こっている。だが今のところ調査も研究も許されないので実態すら把握できていない。

「まあ斬るだけなら難しいことじゃないけど、そっちの仕事は?」

 ヤーンスに聞かれて、タナデュールが何度か瞬きした。彼女の頭はイシュルの肩にも届かない、完全に一フィート(三十センチ)小さい。

「あー、私わぁ。水とか、居住している場所の衛生状態とかぁ、とにかく調べられる物を見つけ出して記録しますぅ」

「それじゃ、時間かかるだろ?」

 俺がそう言うと、タナデュールはまた何度か瞬きした。

「あ、ああ……そうです。時間は、あったほうが、いいですぅ」

「いっそ、全部斬っちまった方が良さそうだな」

 ヤーンスが本気で言ったのかどうかわからないが、村と街道を安全にできるので俺も同意だった。

「あ、でも……」

 イシュルが慌てたように声をあげた。

「将来、治療の方法が発見できると思いますし……」

「それはまだ先の話だろ? 今あんたとタナデュールの安全を確保しながら任務を果たすなら、全部殺すしかない」

 ヤーンスに断言されて、イシュルは押し黙った。

「あ。じゃ、いいですぅ。全滅で」

 まるでお茶に砂糖を入れるかどうかを聞かれたようにタナデュールが言った。こいつも普通ではなかった。

 昨日の偶発的な戦闘で、敵の戦力はほぼ掴んだ。普通歩兵二十人の支援があれば、正面から攻め込むふりをして敵を引き出して殲滅できるだろう。だが俺たちは全てを自前でやらなくてはいけないのだ。

「荷車に箱を乗せて、中に俺たちが隠れて。それで街道を押して行くのはどうかな? あいつらが出てきて荷車を襲おうとするだろうから、イシュルとタナデュールは荷車置いて逃げる」

「弩ありますから、援護できますぅ」

 タナデュールはそう言ったが、イシュルは顔を強張らせていた。

「すみません。私、そっちの方は何もできません」

 医療士がガンガン戦えるなんて思っていないので、別に失望はしなかった。逆にイシュルが下手に剣を遣えて前に出られたら、俺たちがやりにくくなる。

「今日出てきた奴らが全部だとして、総数は三十も残っていないはずだ。何とかそれで行けるんじゃないか?」

 俺が言うと、ヤーンスは少し考えてから頷いた。

「センテルバスの息子がいたはずだから、それに手を借してもらえば何とか行けるだろう」


 翌朝、イシュルとタナデュールが妖怪と化した人間を片っ端から斬り捨てて行く夢で覚が覚めた。リンドラへ来て三日目の朝だった。

マイテザール商館は毎朝ハンマとの電信を行う、リンドラで行政府以外に電信を許されているのは飛行場とここだけだ。

 驚いたことに……と言うよりはここでは当然と言った方が良いのだろう。商館の自家発電は人力だった。四人の使用人が交代で大きなホイルを回すのだ。風車を立てて発電しようとしたこともあったが、許可が出なかったしょうだ。

 通信方法は世界中どこでも使用している紙テープへのプレスによる符丁表示だ。短い一文を送るのにだいたい十分はかかる、商品発注のやりとりでも一時間以上。だが返信もほとんど同じ時間がかかるから二時間も三時間も発電機の重いホイルを回し続けなくてはならない。

 やることがない剣士ふたりはその係を買って出て、一人で一時間ずつホイルを回して使用人にすごく感謝された。人を斬る以外で感謝されたことは、これが初めてかも知れない。

「やっぱり、剣士の方って鍛え方が違いますね」

 使用人だと思っていたが、顔を見るとどうやらセンテルバスの子供のようだった。ヤーンスが言っていた息子だろう。

「マイテザールの長男で、アデルバスです」

 まだ幼さを残している雰囲気だったが何をやって鍛えているのか、体はそこそこできあがっているようだ。

「毎日毎日紙束を運びますから、腕の力は鍛えられました」

 体のことを聞くとアデルバスは笑ってそう答えた。マイテザール商館の重要商品は行政府や各役所で使用する紙で、年間一万ポンド(四トン半)近い紙をリンドラに輸入している。嵩を減らすのと破損を防ぐためにもの凄い重量をかけて圧縮された梱包で送られてくるので、梱包ひとつが四十から五十ポンド(二十キロ)もあるのだ。

 交信が終わると、長さ百フィートくらいはありそうな紙テープを束にしてセンテルバスの部屋に持って行った。

「何てことだ」

 テープを読んでメモを書き出していたセンテルバスが呻くように言った。

「リンドラとハンマの国境通行が禁止された、こんなことは聞いてないぞ。たぶん後の義援士隊は来られない」

「禁止って……何で?」

 俺が聞くとセンテルバスは首を振った。

「理由までは書いていない。これは行政府に聞くしかない」

「まあ、班ごとに別行動になるはずだったからな。俺たちはイシュルたちが考えた通り動けば良い」

 イシュルとタナデュールにあてがわれている部屋に行くと、中は倉庫だか実験室だか、よくわからない状態になっていた。ほとんどがイシュルの使う検査器材らしい、布で間を仕切った半分にはタナデュールの器材らしい木箱が積み上がっている。うっかり足を踏み入れると危険そうだった。

「あれ? この部屋、ベッド……ないのか?」

「邪魔だから出してもらいました」

 イシュルが平然と答えた。

「それでお前ら、どうやって寝たんだ?」

「その辺です」

 ヤーンスが聞くとイシュルはテーブルの下を挿した、そこには確かに毛布と枕が押し込まれている。だが小さいタナデュールならともかく、身長六フィート近いイシュルがそこでどうやって寝るのか謎なほど狭い空間だった。

「ハンマとの国境が閉鎖になった。次の班はいつ着くかわからない」

 俺がそう言うとイシュルは顔を上げて、部屋の隅に座り込んでいるタナデュールに声をかけた。

「ねえー。次ので、何か器材来ることになってた?」

「んー? ないよぉー」

 タナデュールが顔も上げないで答えた。

「これ、夜は安定光源いるけどさ。どうするの?」

 タナデュールは顕微鏡か何かを組み立てているらしい。

「ローソクじゃだめなの?」

「できないことないけどぉ……たぶん凄っごく見づらいよ」

「あー、それじゃ昼間だけかぁ……厳しいなぁ」

 二人とも、もう俺たちのことは頭から失せてしまったらしい。

 俺もヤーンスも何だか気が抜けたようになった。二人の準備が整うまでは護衛役の仕事がないので商館の積み出しを手伝った。戦闘がない時の剣士というのは、力仕事以外にほとんど役に立たない存在だ。

 大量の紙を役所に配達する荷馬車が出て行くと、本当にやることがなくなった。退屈しのぎにもう一度あの村に行って、もう何匹かぶった斬ってきてもいいと考えたほどだ。だがそうやって勝手に敵を全滅させてしまったらイシュルに怒られるだろう。

 いきなり商館の外が騒がしくなった。役人が何人も中庭に入ってきたので、俺とヤーンスは建物の脇に退いて何が起こるのか見守った。

 女官の集団が、何かを隠すようにヴェールのようなものを掲げてやってきた。

「誰か、女性王族のお召しらしいな。誰だ?」

 ヤーンスが不審そうな口調で言った。誰なのか、女官とヴェールの分厚い壁に遮られて全く見えない。女官の集団はそのまま館に入って行ったが、その中に一人だけ俺たちに視線を向けていった女がいた。

「あっ」

 俺は気がついて声を上げた。あれは飛行場で見た護衛の女だ。

「一人だけ、俺たちを見ていたな」

 ヤーンスもあの女には気付いていた。

「昨日飛行場で見た。女警護官か何からしい」

 少しの間があって、アデルバスが館から走り出てきた。

「義援士の方、皆さん来てください!」

「今のは何だ?」

「姫様がお越しになって……」

「どの姫だよ」

 ヤーンスが聞いた。

「ウードラスシシルターリアム様です」

 一瞬予想が外れたと思ったが、名前の一部に聞き覚えがあった。

「シシルターリアムって……7番目の姫?」

「そうです」

 タァンドルシア姫に会えるとわかって、ちょっと俺の胸が躍った。





 イシュルとタナデュールをあの混沌の中から引っ張り出し、押し出されてきた役人と女官の集団と入れ替わりで俺たちはセンテルバスの私室に入った。来客用の席についているのは間違いなくタァンドルシア姫だった。その脇に立っている女に気がついたのだろう、ヤーンスがさりげなく身構えた。

「突然おしかけてしまいました。無礼をお許しください」

 彼女は初めて会った時の平民の姿に、金糸で刺繍が施された被り物とケープのようなものをはおっていた。何だかちぐはぐな格好だ。

「こんな仰々しい外出はしたくなかったのですが、女官たちが許してくれませんでした」

 ちょっと不満そうな表情で彼女が言ったが、無理もないことだろう。

「あの……」

 俺たちを見回して彼女が言った。

「どうして皆さんお座りにならないのですか?」

 そう言われたところで、国のお姫様の前で厚かましく椅子に腰を下ろすことなどできない。

「それはあなたが王族の腕輪と指輪を付けたままだからです」

 姫がただ一人部屋まで伴ってきた女が言った。一緒に付いてきた他のお供は部屋の外やら商館の前でごちゃごちゃと所在なさげに佇んでいる。何事かと市民が見に来るので、商館の前はひどい混雑になっているのが部屋の窓から見えた。

「ヴェルイシア」

 姫が腕輪と大きな指輪を外してお供の女に渡した。女が両手で恭しくそれを受け取って革ベストの内側にしまい込んだ。

「こちらに迷惑だからみんなを追い返して。迎えは呼ぶと言っておいて」

 ヴェルイシアと呼ばれた女が部屋を出ていくと、姫はもう一度俺たちを見回した。

「ハンマ王立大学の学生で、タァンドルシア・イッシュリマと申します。お話ししたいことがあります、恐れ入りますが皆さんもお掛けいただけませんか?」

 全員、ぎくしゃくしながら椅子に腰を下ろした。姫、ではなくタァンドルシアは商館から従者や侍女たちが離れていくのを窓越しに眺め、それから俺たちに顔を向けた。

「義援士シド様」

「はいっ」

「思ったより早く、またお会いできて嬉しいです」

「あ、ああ……そ、俺、いや。私も、嬉しいです」

 タァンドルシアが微かな微笑みをよこして、俺は腰が砕けそうになった。たぶん立っていたらへたりこんだだろう。

「マイテザールさん」

「はいっ!」

 センテルバスが心臓発作でも起しそうな声を出した。

「あなたのお仕事とお立場から、王宮の事情にはとてもお詳しいと思います……」

 そこで彼女は口を閉じて、もう一度部屋にいる俺たちを見回した。

「ここにいらっしゃるのは、全て義援士のお方ですか?」

「はいっ! む、息子以外は……私が派遣を頼んだ義援士、です。その……行政府には、仕事の……」

「その説明は結構です。では申し訳ありませんが、ご子息には部屋から出るように言っていただけますか?」

 彼女の威厳はとても大学生のものではない。これが一番下のお姫様だということも信じられなかった。彼女の見た目と、その口調が全く合っていない気がする。

 アデルバスが出て行くと、入れ替わりにヴェルイシアと呼ばれた女が戻ってきてタァンドルシアに何か耳打ちした。普通の身のこなしなのだが、ヴェルイシアには隙が見えなかった。

「これは私の護衛でヴェルイシアという者です。ここにはいないものとお考えください」

 彼女が平然と、もの凄いことを口にした。

「マイテザールさん。いま王宮内で起こっている件について、あなたはすでにご存じと思いますが。いかがですか?」

 センテルバスの額に、一瞬にして汗が浮かんだ。

「カトラターリアム様のご逝去に、不審な点があったこと……に、つきましては……恐れながら、存じ上げております」

「すみません、時間がもったいないので普通に話してください。その件も非常に憂慮しなくてはいけませんが、私はその後に起こったことで相談しに参りました」

 いきなり彼女が早口で言った。この方が大学生らしい。

「はあ……」

 タァンドルシアの後ろに立っているヴェルイシアに、センテルバスがちらちらと何度も視線を向けた。ヴェルイシアは見事に気配を消しているので、姿は見えるがそこにいるようには感じられないのだ。

 俺とヤーンスにとってはそんな技は普通のことだが、普通の人間は気味が悪く感じてしまうのだろう。

「ヴェルイシア」

 タァンドルシアが言った。

「皆さんが落ち着かないから、あなたも座って」

 ヴェルイシアが壁際に椅子を置いて腰を降ろすと、タァンドルシアは話しを続けた。

「この出来事を、義援士の方々と五王公社はご存じなのですか?」

 センテルバスの顔が蒼白になって、汗が額だけではなく顔全体から流れ落ちた。

「ひ……姫様」

「ですから私がいま姫であることは忘れて、教えてください。大事なことですから」

「事情について、義援士に、説明は……いたしました」

「それで結構です、私から説明する手間が省けます」

「は?」

「五王公社への報告は?」

「現在の所、公社へは、まだ……」

「わかりました。私か宰相の許可があるまではお止め置きください」

 タァンドルシアが表情を動かさないで言った。

「は……かしこまりました」

ドアが遠慮がちにノックされ、センテルバスが立って小声で外と話した。

「ひ……あ、タァンドルシア様。お茶など、さし上げたいのですが……」

「ありがとうございます」

 お茶が注がれたカップにタァンドルシアが手を伸ばすと、ヴェルイシアが音もなく立ち上がってそのカップを取ろうとした。タァンドルシアが怒ったような顔でその手を払いのけた。

「マイテザール様に失礼です!」

 ヴェルイシアが毒味をしようとしたらしい。俺はカップに伸ばしかけた手が止まってしまった、ここはハンマとは違いすぎる世界だった。

「あ……センテルバスとお呼びください」

 タァンドルシアはゆっくりと頷き、優雅な手つきでカップを取り上げた。

「これは……どこの茶葉ですか?」

 カップの中をのぞき込み、湯気を嗅いで彼女が聞いた。その仕草がかわいい、初めて彼女の年齢にふさわしい部分を見ることができた。

「マローメサバルの南方で採れるもので、渋味が弱く最初から甘みがあります。黒砂糖を入れると香りが消えてしまいますので、ミルクだけで飲むことをお勧めします」

 タァンドルシアはお茶をそのままひと口そっと飲んだ。

「ああ……本当に、微かに甘みが……」

「ひ……タァンドルシア様はハンマのお茶に慣れていらっしゃいますので、その味が判るのでしょう。ここのお茶しか知らないと、味がないと思ってしまいます」

「ヴェルイシアはこの味わかる?」

 タァンドルシアに聞かれてヴェルイシアはお茶をひと口すすり、申し訳なさそうに首を振った。残念なことに、俺もわからなかった。

 全員がそれぞれお茶に口をつけたことを見て、タァンドルシアはカップを置いた。

「これからお話しすることは、本来王宮の外に出てはいけないことです。この部屋から外に漏れることないとお約束いただかなくてはなりません。よろしいですか?」

 タァンドルシアが一人一人の顔を見て、全員が頭を下げた。タァンドルシアが一度静かに息を吐いた。

「突然お邪魔した用件ですが……王宮から王位継承のために必要な宝物が奪われました。聖遺と呼びますが、誰が持ち出したのかはわかっています。どこへ逃げたのかは、これから調べます」

 俺とヤーンスはそっと視線を交わした、ここはセンテルバスに任せた方がいいだろう。

「タァンドルシア様。恐れながら、ちょっと……よろしいですか?」

 期待していたように、センテルバスが声を出した。

「昨日、東の街道にあるコムスデという村で、王宮の馬車が襲われていますが……ご存じですか?」

 タァンドルシアの表情が強張った。

「いえ……知りません」

「その……馬車が襲われる前に、北の別荘と牧場が賊に襲われたことは?」

 タァンドルシアが小さく首を振った。

「それも……知りません」

 彼女は一度深呼吸のように息をついた。

「何を……ご存じでいらっしゃるのですか?」

 恐る恐る聞くタァンドルシアに、センテルバスは頷いた。

「私どもでわかっていることは、全てお話しいたします」

 センテルバスが説明した。第三王女たちが別荘に宿泊していた時に、盗賊を装った集団に襲われて逃げた。そしてなぜか王宮には戻らずリンツヒラーを通り過ぎて、東の街道を走っている途中で馬車が事故を起した。さらにそこで鬼病の者たちに襲われて、第三王女と妾王子らしい二人だけが逃げ延びたこと。追っ手らしい四人が俺たちに斬られたこと。

「確かに……これは、姉上のものです」

 ヤーンスが拾ってきた装飾箱を見て、固い声でタァンドルシアが言った。

「誰が……別荘を、襲ったのでしょう?」

「まだ断定はできません。ただその一味ではないかと考えられる者が、これを持っておりました」

 王宮の通行メダユーを受け取ったタァンドルシアの手がわずかに震えていた。

「通行メダユー? これは……どう言う、ことでしょうか?」

 声もか細く、震えていた。

「今はまだ……わからないことが多くあり、断定的なことを申し上げることは控えさせていただきます」

 装飾箱とメダユーを睨みつけるようにして、タァンドルシアはしばらくの間じっと考えをこらしている様子だった。

 やがて、すっかり冷めたお茶を静かに飲んだ。もう手は震えていなかった。

「父が……」

 タァンドルシアはそこで大きく息をついた。

「いま、どんな様子かご存じですか?」

「ご不例で。宰相閣下としかお会いにならないと、聞いております」

 センテルバスが答えると、タァンドルシアはカップに目を落としたまま微かに頷いた。

「昨日……帰国の報告で目通りしましたが、私が誰かもわからないご様子でした」

 それでは宰相と会っても話などできない。俺はそう口を滑らしそうになった。

「あれではもう……立太子の詔など出せません」

 ヤーンスが微かなため息をついて片手で顔を覆った。事態はさらにヤバい状態だった。

「王宮はいま、兄上たちの諍いで何もできない状態です。まともに政務に就いているのは宰相だけです」

「宰相は……第三王子の、祖父にあらせられましたな」

 センテルバスが言うと、タァンドルシアは暗い表情で頷いた。俺も何だか嫌な予感がしてきた。

「もしかして……王宮の中が、三派閥に分裂してる、とかですか?」

 俺が恐る恐る聞いてみると、タァンドルシアが悲痛な表情で頷いた。

「兄上たちはお互いの様子を窺うばかり、廷臣たちはどうしていいのかわからなくて立ちすくんでいます。こんな大変なことがいくつも起こっているのに、誰も何もしようとしません。こんな……国が壊れる寸前なのに、誰も彼も役に立たないのです!」

「姫様」

 たしなめるように言ったヴェルイシアを、彼女はちょっと横目で見た。そして大きく息をついた。

「すみません……」

 タァンドルシアは指先で目を拭いながら言った。

「あなたは……何から解決すべきなのか、考えていますか?」

 落ち着き払った口調でヤーンスが言うと、タァンドルシアは息をついて目を上げた。あの強い視線が戻ってきていて、ヤーンスが微かに体を動かした。

「まず聖遺……宝物を取り戻します。そして、誰でも構わないから王太子の指名を受けたことにして、立太子の詔を出してしまいます」

「それが、本当にできると……思われますか?」

 ヤーンスが重ねて聞くと、彼女は悔しそうに唇を噛んだ。

「後の方は……立太子のことはわかりません。でも宝物を取り戻すことはできると思います……それを、義援士の方にお願いできないか。それでこうして来たのです」

 俺を見つめてタァンドルシアが言った。数秒、誰も言葉を発しなかった。

「タァンドルシア。それは……だめだ」

 誰も答えないので俺が答えた。

「なぜ」

 彼女は表情を変えず俺に視線を向けた、言葉はただそれだけだった。だが突然、ものすごい圧迫感が俺を包んだ。

「君は、ただの、大学生として頼んでいるけど……どうしたって、リンドラの姫様だ。義援士は、市民のために仕事をする者だ、だから、君の依頼で動くと、王族の依頼で王族のために働いたことになってしまう」

「そんなの、建前ではありませんか?」

 タァンドルシアの声が低くなって異様な響きを帯びた。そして圧迫感はさらに強くなって、息苦しさを感じるほどになった。部屋にいる皆もこの圧力を感じているのだろう、イシュルとタナデュールが顔を引きつらせていた。

「これは……五国の、王様が話し合って決めたことだ。国と、その国民のために働く組織であって。決して王や、為政者だけの都合で使ってはならないと。だから傭兵団ではなく、義援士なんだ」

 ヴェルイシアがタァンドルシアの肩に手を置いた。それで部屋に充満していた謎の圧力がふっと消えた。

「落ち着いて。義援士シドが言っていることは正しい」

 ヴェルイシアが声を出した。それで俺を見つめていたタァンドルシアは目を伏せた。

「……わかっているわ」

 今の金縛りみたいな物は何だったのか、タァンドルシアは何か力を使えるのだろうか。

「申し訳ありません……昨日から眠ることもできない有様で、感情が抑えられません。お詫びいたします」

 やはり、どこまでも彼女は姫だった。

「私がリンドラの混乱を心配して、自身の商売と、何より国民のために私費で義援士を呼んで宝物の奪還を依頼する。それなら問題はありません」

 センテルバスがタァンドルシアのカップにお茶を注ぎ足しながら言った。タァンドルシアはそっとお茶を飲んだが、疲れ切ったような表情になっていた。

「問題は、あります。それでも」

「それは……どのような?」

 彼女はカップを置き、手を添えたまま顔を上げた。

「もし私が依頼した場合、義援士は私の代理人。そう見なすことができます。もちろんこれは、仮の話しですけど。それは間違いではありませんね?」

「はい……タァンドルシア様が姫として、王の代理として、国と国民のためになされたと公言なさればそうなります。ただこの場合は、公社主管であるハンマ王女様の許可が必要になると思います」

「もし、王女様の許可が出た場合……」

 彼女はカップを見つめたまま、少し考えた様子だった。

「もし……兄上たちが動いて、義援士の……妨害を行うと、それは不正となる。そうですね?」

「その部分に関しては、確かに」

「でも、センテルバス様が依頼した場合には。義援士よりも兄上たちの活動が国の中では優位となる。だから、兄上たちによる妨害を責める者はいません」

 タァンドルシアはそこまで考えていたのだ。ここの王子と姫の中では一番の才女ではないだろうか。

タァンドルシアはカップから目を上げて、俺たちを一度見回した。

「もし、皆さんが……兄上たちに襲われたら、どうなさいますか?」

「どうもこうも……逃げる以外ないな」

 ヤーンスがお茶をかき混ぜながら答えた。

「もしそうなる恐れがあると知っていたら、依頼は受けられない」

 俺も同意した、まさか赴任した国の王子と斬り合いなんてできるはずがない。

「王子様たちが……動かれると?」

 センテルバスが聞くと、タァンドルシアは沈痛な表情で頷いた。

「兄上たちを放っておけば、姉上を追って自分の手で宝物を取り戻すためにそれぞれで動くでしょう。でもそれでは兄上たちの喧嘩がさらに激しくなるだけです、ですから宰相は兄上たち自身が宝物の捜索に出ることを許可していません」

 誰も口を挟む物はいなかった。

「でも、しつこく要求してくるなら最後は認めるしかない。それに勝手に出て行ったら止めることはできないと……ただし、軍兵は絶対に動かさないと言っています」

「いや、それは……まずい」

 センテルバスが言ってからうろたえたが、タァンドルシアはゆっくりと頷いた。

「兄上たちはそれぞれ私兵を雇っています、それを連れて行くでしょう。それに、兄上たちに力を貸すことで後の利を得ようと考える者たちもいます」

 ゆうべセンテルバスが説明していたことだ。王子たちがそれぞれで捜索に動き始めたら内戦が起こる危険もある。

「兄上たちが動くと決めてしまったら、止められる者は誰もいません」

 そうなる前に何とか、王子たちより先に宝物だけでも取り戻す。そうなれば後は王宮の中でもめればいい。タァンドルシアはそう考えているのだろう。

「タァンドルシア、さんがぁ。ご自分で動く……ことは、できるのですかぁ?」

 じっと聞いていたタナデュールが、気の抜けるような声で質問した。

「私が動くことに異を唱えるとしたら女官たちですけど、それは王のためと言い張れば済むことです」

 ちょっと戸惑ったような口調でタァンドルシアが答えた。

「ただ……私は兄上たちのように私兵など持っていません。助けてくれるのはヴェルイシアだけです」

 それで俺たちに依頼しようと思いついたのだ。

「王子様たちが痺れを切らして動くまで、どれくらい時間があるだろう?」

 俺は聞いてみた。一人で苦しむタァンドルシアを見ていられなかった。

「二日か三日か……まったくわかりません。もしかするとドーラタンテューカ様が動き始めてしまっているかも知れません」

 タァンドルシアは小さく首を振りながら言った。

「王様は、意識はおありですか?」

 イシュルの言葉に、タァンドルシアはちょっと驚いたように顔を上げた。

「何かできるのか?」

 ヤーンスがイシュルに聞いた。

「ショックで意識が薄れているとか、体の機能低下で薄れた意識を少しだけ戻す。あと痛みを和らげるくらいの力は持っているわ」

 自分が持っている治癒の特殊能力を生かすために、近代病院ではなく未開地に赴く医療義援士を希望する者もいる。たぶんイシュルはそれなのだろう。

「だが今聞いたご様子では、誰にも会わせられない。それに、健康であっても外国人に体を触れさせはしないだろう」

 センテルバスが言った。

「恐らくそうでしょう」

 タァンドルシアもセンテルバスの言葉を認めた。

 俺は慢性不足気味の智恵をフルに使って考えた。ただ確実なのは、こうして話し合っている間にも宝物奪還の可能性は薄れ続けていることだ。そしてもし王子たちが揃って宰相の意向を無視したら、事態は最悪の方向に転がり始める。

「タァンドルシア、君が選ぶ道は二つしかない。全てを俺たちに任せて君は父上の傍にいるか。あるいは君も一緒に、捜索に加わるかだ」

 俺は腹を決めて言った。どう動くにしても一刻も早くだ。

「おい、それはまずいだろ。危険だ」

 ヤーンスが言ったが、タァンドルシアは真っ直ぐに俺を見ていた。

「実は……」

 タァンドルシアが恥ずかしそうな笑みを浮かべて言った。

「話しをしているうちに、そんな方法もあるって気がつきました」

「姫様!」

 ヴェルイシアが厳しい声を出した。だが俺は悪くない方法だと思っていた。タァンドルシアが同行していれば、王宮が関係する障害は回避できる可能性がある。ただし非常に大きな問題として、姫がもの凄く危険な目に遭う恐れがある。

 それから小一時間議論したが、それ以上奪還作戦を容易にする手段は誰も思いつかなかった。俺たちに責が及ぶことがないように、タァンドルシアが城を抜け出して勝手に行動を共にするのだ。

 そうしているうちに女官や侍従たちが痺れを切らしたのか、王宮から迎えの馬車が来てしまった。

「あのこと、何とか手段を考えます」

 部屋を出ようとして足を止め、彼女は部屋の中を振り返った。

「ですから黙って先に行かないでくださいね。もし置いて行ったら許しませんから」

 またもの凄い圧力で俺たちは竦んだ。

 タァンドルシアが館から出ると、待ち構えていた女官たちが寄ってたかって彼女をヴェールで包んで馬車へ押し込んだ。ヴェルイシアは馬車の横を走って付いていくらしい。

「おい。これ、どうする気だよ」

 ヤーンスは、既にうんざりした口調で言った。

「仕方ないだろ……黙って置いて行ったら呪われるぞ、きっと」


 その夜遅く、商館の裏扉が執拗に叩かれた。まだ相談を続けていた俺たちのところにアデルバスが来て、来客があることを告げた。

 ボロボロのフードつきの外套を纏った婆さんがドアの外に立っていた。フードの隙間から覗いた顔で、ようやくそれがヴェルイシアだとわかった。

「今夜中に姫様をお城から連れ出します。細かいことは手紙に……」

 そう告げて婆さんに変装したヴェルイシアは町の暗がりに消えていった。姿形も歩き方も、まるっきりお婆さんにしか見えない。

 俺たちは代わる代わる、ヴェルイシアが持ってきた小さな紙片に書き籠められたタァンドルシアのメッセージを読んだ。

 『兄たちはお互いを監視し合って、私も監視されています。三人とも私を味方にしようと考えているのは間違いないので、このままでは監禁される恐れがあります。明日の夜明け前にヴェルイシアと一緒に城を抜け出します。囮として明日の朝商館から荷馬車を一台南に向けて走らせてください、私たちは北の山越えでヴェルミエ湖を目指します。必ずどこかでお会いできると信じます』

 事態はますます猶予がなくなってきた。

「北の山ってのは?」

 俺たちは地図を拡げてのぞき込んだ。

「王宮の北にある森を抜けて、これだ」

 センテルバスが広大な森と山を指した。

「ヴェルミエ湖を目指すと言うのだから、姫様は何かを知ってなさるのだろう。南へ囮の馬車を出せとも言っているくらいだからな」

「これ……例の街道だよな」

 俺は王都から延びて町や村を繋いでいる線を指でたどった。第3正姫たちが襲われた街道は、山脈を大きく迂回してヴェルミエ湖へ向かっている。

「それを使ってヴェルミエ湖の方までは行けるが、馬車でも走り続けてまる2日、歩きなら四日はかかる」

 センテルバスが答えて、それからアデルバスとルルッスを呼んで旅に必要な携行品の準備を命じた。

「山越えで行ったら?」

 ヤーンスが聞いた。

「まあ二日だな……時間的には三姫たちにそう遅れは取らないと思う」

 地図の直線距離でおよそ四十五マイル(約七十キロ)と読んだ。山道があるかどうかにもよるが、センテルバスが言った通りでほぼ二日の行程だ。

「でもここへ向かったと、どうして姫はわかったんだろう?」

「落ち合ってから聞くさ」

 三時間ほど仮眠を取って、星の明かりを頼りに北の山を目指した。イシュルとタナデュールも同行を希望した、さらにアデルバスとルルッスもセンテルバスの命令で同行することになった。

 人数は多い方が便利だし、アデルバスたちは食料を背負ってきてくれているから心強い。

 森の中で完全に明るくなるまで待ち、山越えを開始した。タァンドルシアたちも同じあたりを移動しているはずだ、無事に城を抜け出していればだが。

「ところで……」

 俺は山登りに入った瞬間から息切れを起していた。

「方向とか、どうやって……わかるんだ?」

「どこかで山仕事の道に出会います。もし出会えなかったらひたすら登るだけです。頂上に出たら次の山が見えて、湖も見えます」

 アデルバスもルルッスもリンドラ生まれなので薄い空気は平気なのだろう、苦しそうな様子は全然ない。

 一時間ひたすら登って、十五分の休憩を取った。休憩では必ずルルッスがブキスケを手渡してくる。パンを挽いて粉々にして、麦糖汁で練ってから再び焼き固めた携行食だ。剣士隊でも強行軍の休憩にはこれが配られる。石のように固いが、口の中でしゃぶっているとそのうち溶け出す。

 二時間で低木地帯になり、三時間を過ぎると岩場ばかりになった。六時間の登山で、俺は息絶え絶えになって頂上にたどり着いた。いくら息を吸っても肺に空気が入ってこないような気がする。 

 タナデュールは両親がリンドラ人なので薄い空気でも平気なようだが、イシュルはタナデュールとルルッスに引っ張られて何とか動いているような有様だった。そんな状態でもイシュルは自分の脈を確かめている。

 まだ遠くにあるヴェルミエ湖を眺めながら、一時間の休憩と昼食を取った。さすがにこんんな場所では火も熾せないので携行食だけだ。

「あの、姫が、こんなとこ……登れる、のか?」

 声を出すだけでも息が切れた。

「タナデュールが平気なんだ、姫様も大丈夫だろう」

 俺に比べたらヤーンスはまだ普通だ。

「お前、絶対、ここの血、入ってる、だろ」

「知るものか」

「あっ!」

 アデルバスが声を上げて立ち上がった。馬の背になった峰を目指して、二人の小さな人影が登ってくる。立ち上がろうとした瞬間に俺は目の前が白くなってまた座り込んだ。

 アデルバスが指笛で鳥の鳴き声のような音を出した。タァンドルシア姫とヴェルイシアがこちらを見上げて手を振った。長い杖を持ったタァンドルシアは、まるで旅の僧のような出で立ちだった。

「危ないから、無理に立たないでください」

 俺たちのところまで登ってくるとタァンドルシアが言った。有り難い仰せだったが、立てと命令されても無理な状態だった。膝立ちの姿勢で彼女を見上げることになった。

 透明な空を背景にしたタァンドルシアは、地味な姿でも目が離せなくなるほど美しかった。リンドラの、希望の女神だ。




 リンドラの首都リンツヒラーにある王宮は、沈痛な雰囲気と激しい緊張が同時に漂っていた。王はご不例、姫の一人は毒殺されてその犯人はその姉姫。さらに王位継承に必要な宝物は持ち出されて所在がわからない。

 王位継承権の第一位、『ヴェルドーツ・フィム・テテルハラム・アージュ・ターテュンカ・リンツ』は、その朝宰相が出仕したと知らされるとすぐに執務室に向かった。

「どうなっている! 何かわかったのか!」

 第一王子の声には最初から怒気がこもっていた。当直担当者からの申し送りを受けていた宰相トラセンドムール・ホーヘフェルオーツは一瞬迷惑そうな視線を王子に向け、当直を退出させた。

「いまその報告を受けていたところでございます。ご在所へ報告に……」

 宰相は執務机からゆっくり立ち上がろうとした。

「形式などどうでもいい! 私は早く報告が聞きたいのだ!」

 ヴェルドーツの怒声に言葉を断ち切られ、宰相はため息をついて机から書類を取り上げた。

「昨夕ですが。東街道にあるコムスデの村……もう妖物に奪われて廃村となっておりますが、その付近で王宮の馬車が発見されました。この馬車は、理由は不明ですが別荘に滞在していたもので、別荘が賊に襲われたために逃げ出したものと思われます」

 宰相は僅かに目を上げてヴェルドーツの様子を窺ったが、何の反応もないので続けた。

「一台は街道上で横転して……」

「タフルハームは! それに……乗っていたのか?」

 詰るようなヴェルドーツの声に、宰相は書類越しに一瞬視線を上げて続けた。

「それが、タフルハーム様がご乗車なされていた馬車かどうかはわかりません。別荘管理の者は、使用者が誰であったのか知らせて貰えなかったと申しております」

「聖遺は?」

「これからです。ただ確認のためには、コムスデ村にいる妖怪の排除が必要です。本日その排除と捜索を行う予定となっております」

「トラセンドムール、私の第一軍を出動させる時ではないか?」

「いけません、第一軍を出すほどの事態ではありません。それと……」

「何だ?」

「近くの街道上で四人の男が殺されておりました。状況からして、別荘を襲撃した賊共が馬車を追っていたのではないかとも考えられます」

 宰相は書類を降ろし、ヴェルドーツを真っ直ぐ見つめた。彼の表情は動かなかった。

「本日牧場で生き残った者を連れて行き、首実験を行います」

 宰相がそう言うとヴェルドーツが頷いた。

「私も立ち会おう、従者だけを連れて行く」

「殿下のご出馬を賜る出来事とは思いませんが」

「この一連の騒動を、全て知っておきたいのだ!」

「御意。ああ、あの……バイトンメイロに宿をお取りになったのは、殿下ですか?」

「……何だと? 知らないぞ」

「宿から……昨日の夜に二名分の上等部屋を用意するように連絡を受けていたのに、どなたもお見えにならなかったと。主人が使いをよこしましたが」

「それは……タフルハームたちが泊まるつもりだったのではないか?」

「だとして……なぜ、わざわざ別荘にいらしたのでしょうか?」

 ヴェルドーツにも宰相にもわかるはずがなかった。

 宰相の部屋を後にすると、ヴェルドーツはそのまま城内にある父の第五正妃であるスリルシアの館に向かった。

「どうやらタフルハームは東の街道で妖物に襲われて、馬車を捨てて逃げたようだ」

 居間に通されるなり、ヴェルドーツは言った。スリルシアは何も答えずただ頷いた。十四歳でリンツ7世に嫁いで現在まだ三十八歳。ヴェルドーツより一歳年上だが、その美貌はいまだに他の妃を霞ませるほどだった。

「トラゼントムールは相変わらず軍を出動させることを躊躇している。こうしている間にもタフルハームたちは逃げ続けているのに」

 スリルシアはお茶を運んできた侍女を下がらせ、自分でお茶を注いでヴェルドーツに差し出した。

「殿下の私兵をお使いになればよろしいのではありませんか?」

 スリルシアはヴェルドーツのそばを離れ、その視線を避けるように窓の外でまばらに花が咲いている庭に目をやった。

「出している、ひそかに捜させてはいる。だが今のところ何も報告はない」

「いっそ、全て宰相殿にお任せになってはいかがですか?」

「何を言っている」

 ヴェルドーツは、スリルシアの視線を遮るかのように窓の前に立った。

「それはアトラミケルに任せるのと同じ事だ!」

 第三王子アトラミケルは宰相トラゼントムールの孫でもある。

「そのような、狭量なお考えが一層事態を悪くしているとはお考えになりませんの?」

 スリルシアは、王子の体を透かして庭を見続けているかのように視線を動かさなかった。

「狭量と言うのか、私を」

 ヴェルドーツの声に不快がにじんだ。他の妃であれば、実の母であったとしてもひれ伏して許しを請う場面である。だがスリルシアはそこでヴェルドーツに視線を向けて言い放った。

「ご兄弟を信用なさらない、宰相を信用なさらない、それを狭量と申し上げているのです。それでどうしてご政務が勤まりましょうか」

 一瞬ヴェルドーツの表情が動いたが、カップを持ったその手は動かなかった。そしてふと部屋の中を見回した。

「タァンドルシアはどうした?」

 第一王子の訪問である、館にいるのに顔を見せなければ不敬にあたる。スリルシアは一男二女を産んだが、次女タァンドルシアが産まれた後に上の二人が相次いで死んでいた。

「旅に出ました」

 スリルシアの答えに、ヴェルドーツは表情を動かした。

「旅に? どこへ? なぜいま……」

「私は反対したのですが、聖遺を取り戻すと申しておりました」

「何だと?」

 王子の手で、カップが音を立てた。

「いつ?」

「恐らくは夜中の内に、ヴェルイシア一人だけを伴って」

「どこへ向かった!」

「私は存じません。でも……殿下の代わりに動いたのだと思います」

「私の……代わり?」

「もちろんタァンドルシアは知りません。自分が陛下ではなく、本当は殿下の名代となっていることを」

 スリルシア・アージュ・イッスリマ・サーエン・ターレン・リンツはヴェルドーツから視線を外し、静かにカップを取り上げた。


 宰相から聞いた現場の視察は、ヴェルドーツだけで行うことはできなかった。第二王子のヴァルヴァンデ、第三王子のアトラミケルと一緒に動かなくてはならなかった。王子それぞれの従者と村の妖怪退治を行う兵士がいるので、一行は総勢百人を超す物々しい行列となった。

「別荘は、タフルハームを匿ったのか?」

 馬を横一列に並べて、アトラミケルがヴェルドーツに聞いた。

「来てしまったら断れるものか。普段あそこにいるのはただの下っ端役人だぞ」

 ヴェルドーツではなくヴァルヴァンデが答えた。

「襲ったのは何物だ?」

「それを調べに行くのだ!」

 アトラミケルは不機嫌そうに黙り込んだ。

「馬車の方は、見に行くことはできるのか?」

 ヴァルヴァンデがヴェルドーツに聞いた。

「この間、軍で焼き払いに行って失敗した村の近くだ。先に村を何とかしなくては」

「これだけの兵で? 指揮は誰がやるんだ?」

 アトラミケルがそう言うと、他の二人が顔を見た。

「だったらお前が指揮してみるか? 今なら三人揃っているから抜け駆けにはならない」

 後ろに付いている兵の先頭列にはその会話が聞こえていて、槍を担いでいる兵士たちが一斉に嫌な表情になった。

「いや、それは……まずいだろう。そんな許可は、宰相から出ていないし……」

 戦いの経験が全くない第三王子は慌てたように言った。

「お前より、タァンドルシアの方が勇ましいかも知れないな」

 ヴァルヴァンデがそう言って大きな声で笑ったが、ヴェルドーツは笑わなかった。

 兵を連れているために、現場に到着するまで三時間あまりかかった。死体は道ばたに寄せられて、どこからか派遣されてきた兵が付いていた。

「これは……手練れだな」

 死体の傷を見てヴェルドーツは呻った。

「どう違うのだ?」

 ヴァルヴァンデが死体を見比べて聞いた。アトラミケルは腰が引けて、数歩後ろで覗きこんでいる。

「この二人……こっちは斬り上げで、こっちは斬り下げられている」

 ヴェルドーツはふたつの死体を指した。

「しかもベルトの金具まで切れている、もの凄く切れる剣だ」

 他の二人はそれぞれ首の急所をひと太刀で切られていた。

牧場で生き残った農民が連れてこられて、震えながら四つの死体を確認した。その間王子たちは従者に付近を調べさせた。

「血の痕はあるが激しく斬り合った様子がない。たぶん四人とも一撃で殺されている」

 農民が、一人の男に見覚えがあると言っているのが聞こえた。

「誰か、あいつらの持ち物を改めたのか?」

 ヴェルドーツ聞いたが、死体を見張っていた兵は知らないと言った。首実検が終わって死体の片付けが始まったので、ヴェルドーツは従者に死体の持ち物を改めさせた。

「何も持っていません。鞘は身につけていますが剣はないので、誰かが盗んでいったのでしょう」

 従者からそう聞かされて、ヴェルドーツは無表情に頷いた。

 そこから妖物に占領されているコムスデの村まではおよそ半時間、王子たちは森の中に身を隠して様子を見ることなどしなかった。堂々と街道を進んで行ったのだ。

 村から二十人ほどが武器を持って飛び出してきたが、兵の槍ぶすまに遭って村の中に逃げ戻った。

「何だ、たいしたことないな」

 アトラミケルが不満そうに言った。だが兵は戦う気などなく、防ぐだけだったので敵も攻めあぐねたのだ。

「村へ攻め込め!」

 ヴァルヴァンデが発破をかけたが、兵は村の出入り口を槍ぶすまで塞いだだけで動こうとはしなかった。王子たちは不満そうだったが、今は馬車の検分が先だった。

 横転した馬車の傍には馭者の死体と、馬の残骸が散らばっている。馬は解体されて喰われてしまったのだろう。馬車によじ登って恐る恐る中を見た侍従が、顔を引きつらせて飛び降りた。

「女が死んでいるが、女官でタフルハームではないと言っている」

 話を聞いたヴェルドーツが言った。周辺を調べていた兵士が走ってきて王子たちを呼んだ。

「下に?」

 村を通り越した先の街道下に馬車が転落していた。その先では馭者の死体と妖物どもの死体が散乱している。

「こっちはまともな斬り合いだな」

 ヴェルドーツが死体を見ながら言った。何カ所も斬られ、最後に首を切り落とされている。少し離れたところでは、立木が幹を断ち切られている。

「これは……どうやって切ったのだ?」

 少しのささくれもない滑らかな切り口に指を這わせながら、ヴァルヴァンデが呻くように言った。

「斧でも……鋸でもこんな切り口にはならないぞ」

 ヴェルドーツもアトラミケルも代わる代わる切り口をのぞき込んで指先で触れ、呻りながら首をひねった。

「向こうで四人を斬ったのと同じ剣か? 恐ろしい手練れがいるのだな……」

 馬車の中は内装まで引きはがされている有様で、何も残っていなかった。扉に描かれた紋章から、こちらが王族の乗る馬車だと判明した。時間をかけて周辺を念入りに捜索したが、それ以上の発見はなかった。

「生きて逃れたとして……どこへ行ったと思う?」

 ヴェルドーツがヴァルヴァンデに聞いた。

「手練れの者に助けられてここから逃げ延びて、あそこで四人を殺して……向かったとすればバントンメイロの町か?」

 ヴァルヴァンデが兵士の一人に聞くと、その兵士がまた数人に聞いて報告した。

「この先には無名の集落がありますがもう無人です、その先は湖まで人里はありません。一番近い町は、おっしゃる通りバントンメイロです」

 三人の王子は顔を見合わせた。

「ここからバントンメイロへはどれくらいかかる?」

 ヴェルドーツが聞くとまた兵士たちの相談が行われた。

「馬車でおよそ半日、歩いたら一日半です」

 また王子たちは顔を見合わせた。

「行くだろうか、そこへ」

 ヴァルヴァンデが誰にともなく聞いた。

「そこしかないのだから、行くに決まっているだろう」

 アトラミケルが言い切った。だが兄二人は判じかねている様子だった。

「タフルハームとヤザーニは、バイトンメイロに知り人がいるのか?」

 王子の侍従たちが額を寄せ合ってしばらく相談した。

「恐らく、どちらも縁者などいないと……」

 侍従の返答を聞いて、ヴェルドーツもヴァルヴァンデも再び考え込んだ。

「バイトンメイロには役所がある、門もある。出入りは厳しく監視されている」

 羊をはじめとする農産物の集散地だけに、密輸取り締まりのための厳しい監視が行われているのだ。王族であることを明らかにすれば出入りは問題なくできるだろうが、王族が供も連れず徒歩で来たら役所から王宮へその日のうちに知らせが届くはずだ。

「ハイデン州を通り越せばミヘイル州、そこはトロムハラームの領地だ」

 ヴァルヴァンデが言うとヴェルドーツも頷いた。

「タフルハームが頼れるのは、血縁があるそこしかないな。だがもしそこを目指しているならバイトンメイロ回りでは時間がかかりすぎる」

 ヴェルドーツが言うと、ヴァルヴァンデが首を傾げた。

「だが、ここから歩きでミヘイルに向かうとして……その間をどうする?三日も四日もかかるぞ」

「ここから丸一日歩けばたぶんヴェルミエの湖に着く。そこまで行けば人家はあるだろう……しかしタフルハームがいるからな、もっと時間はかかるかも知れない」

 ヴェルドーツはもう一度、断ち切られた幹の断面に見入った。

「しかしこいつは何物だ? これがタフルハームと一緒にいたら、かなりやっかいなことになるな……」

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