生命体X

今泉 叶花/宮園 れいか

第1話 生命体X

 朝日に起こされ天井を少しの間虚ろな眼で眺めた後、ふと左に寝返りをうつと、それはいた。

「ぎゃああ!」

 とっさに叫んでベッドから飛び起きる。一体なんだ、なんなんだ?

「どうしたの!」

 お母さんが階段を駆け上る音がしたので、「違うの、ベッドから落ちちゃっただけ。ごめんね、気にしないで。大丈夫だから」とドアを開けて叫ぶ。何も知らない母の「なあんだ、びっくりさせないでよね」という言葉に、理不尽な怒りが込み上げてくる。

「いやあ、驚かせてごめんね~? だからってさ、いくら何でも驚きすぎじゃない? こっちもびっくりだよ、耳が痛いじゃないか~」

 それ――白地に青い水玉模様のアメーバみたいな生命体はすっとぼけた声を出しながら、うにょうにょとこちらへと寄ってきた。

「来ないで!」

 私は言うより早く近くにあった枕を投げつけた。

 見事に命中。

 ぐにゃりと情けない音がしてアメーバは潰れた。おそるおそる近づき枕を手に取ると、お餅みたいにひっついてくる。

「うわあ……」

 戸惑っていると、やつは「もう、何してくれるの! 死ぬかと思ったじゃん!」と憤慨し始める。やめてくれ、騒々しい。

「あーあ、体がバラバラだ~」

 出てくる言葉とは裏腹の、余裕綽々な口調にカチンと来て、もう一度枕を高々と振りかざし戦闘態勢に入る。

「あー、やめて! お願いだから、やめてよう……」

 アメーバが怯えた声を出すので、さすがに可哀想になってきた私は、枕をそっとベッドに置いた。

「ねえ、何でそんなに嫌がるの?」

「気味が悪いから」

 アメーバが枕とシーツの間から這いずり出てきて滅入ったように問いかけてきたので、間髪入れずに答えた。アメーバは「え、それだけ?」と聞いているこっちがため息を吐きたくなる気の抜けた返事をする。

「他に理由が必要なの?」

「いやあ、そんなことはないんだけどね」

 アメーバは「仕方ないなあ、特別大サービスだよ」なんてふざけたことを言いながら、スライムみたいに融けだした。一度球状になったあと、表面から切り込みが入ったトマトの皮がむけるみたいに、あるいは灼熱の中姿かたちを変えていくガラスのように、みるみるうちに白くてふわふわした毬のような動物へと変貌を遂げる。

「かっ、かわいい」

 私が近寄ると「ああ、いじめられる~」なんて叫びながらそれはカーテンの内側へと隠れてしまった。なんだか悔しい。

「今まであんなに逃げていたくせに姿を変えただけで追いかけてくるなんて、人間はなんて自己中心的で現金な生き物なんだ」

「もしもしー、ばっちり聞こえてますけど?」

 猫なで声で突っ込めば、カーテンが微かに揺れる。

 やつは布の向こうの世界で震えあがっているに違いない。

「やめて、まだ殺さないで~」

 白旗が見えてきそうなので、試しに「えー、どうしようかな。ちょっと部屋が寒いな。あーあ、暖房つかないかなあ」なんてわざとらしく言ってみる。すると目にも留まらぬ速さで、白い生物はストーブのスイッチに着地した。

「はい、ついたよ。これでいいでしょ?」

 そうしてやつは再びカーテンの陰へ隠れてしまった。


「……っていうわけなんだ」

 それから白い生物が私の目の前に現れるのには随分な時間がかかった。白玉あんみつを食べさせてあげるから、という交渉でようやくのそのそと姿を現した。――そっちだって相当現金なやつじゃないか。

 白玉あんみつに目が穏やかになった白玉は、上機嫌でこっちが白目を剝くほどべらべらと話し出した。

「えー、つまり君は約五億年先の未来からやって来たと?」

「うん」

「その目的はこれから二X〇〇年後に地球を侵略をしてくる〈クロム〉っていう生命体から地球と人間を救うため?」

「そうそう」

「それで、君らはこの地球中にやってきて身を潜めているというわけだね?」

「いえすいえす」

「ちなみに、今地球にはどれくらいの生命体がいるんだい?」

「ざっと数えて百億くらい?」

 ……なんだって?

「ちょっと君、冗談もいい加減にしなよ」

「本当だって」

「いや、そんなにいるわけ……」

「なんなら、今ここに全員収集してみようか~?」

「やめて! 信じるから、そんなこと絶対しないで」

 口では妥協したものの、いやいやいや、そんなことあっていいわけがない。それが本当なら、〈クロム〉が来る前に地球は目の前の白玉もどきに侵略されていることになるじゃないか。

「僕らはね、姿を自由自在に変えられるんだ。顕微鏡レベルから特大ゴジラサイズまでいろいろ。そうやって人間から身を隠しているんだ」

 何で最初から今の姿にならなかったのだろう。そうすれば、少なくとも枕を投げられることはなかっただろうに。

「……それ、言っちゃダメじゃん。なに墓穴掘ってんの?」

 突っ込みを入れると、「いや~、こんな美味しいものをくれる人に悪い人はいないよ~」なんて馬鹿な答えを出してくる。何せ誘拐犯が「チョコレートの国へ行こう」なんて言って小学生に声をかける時代だ。もしこれが人間だとしたら、さぞかし痛い目にあっただろう。

「ところで、君に名前はあるのかい?」

 私が訊くと、白玉もどきは得意げに「チッチッチ」と言う。舌打ちではなく口で言ってしまうあたり、とてつもなく残念だ。

「馬鹿にされちゃ困るね。もちろんさ」

「なんていうの?」

「僕の名前は――知りたいかい?」

「うん」

 白玉は「えー、どうしよっかな、どうしよっかな~」と言いつつ満更でもなさそうだ。

「やっぱりいいや」

 つんと言えば、「えー……」としょんぼりした声が返ってくる。

「普通そこは目をきらきらさせて訊くところでしょ、少なくとも純真無垢な女子中学生はさ~」

「あいにく、女子中学生は女子中学生でも私はかわいげのないひねくれ婆なのでね」

 そもそも君が思っているほど純真無垢な女子中学生はむしろ絶滅危惧種に近いと思うぞ。君は一体どこで女子中学生の知識を仕入れてきたんだ、全く。と心の中で毒付く。結局聞いて欲しいんじゃん、じゃあもったいぶらないでさっさと言えばいいのに。

「まあいいや。僕の名前は〈生命体X〉」

「まてまて、それはおかしいでしょ。ちなみに家族は?」

「お父さんの名前もお母さんの名前も〈生命体X〉だよ。ご近所の後輩も、そのガールフレンドも全部その名前」

「……それは名前がないっていうんじゃないかなあ?」

「失礼だな~。ちなみに僕らの世界には〈生命体〉がAからZまで二十六種類いて、他にも一から千までいるよ」

 めちゃめちゃいるんじゃないか。そしてそれはやっぱり名前じゃなくて種の名前なんじゃん!

「名前なし、と」私がそうメモすると、自称・〈生命体X〉は怒りはじめる。

「だから名前なんだってば!」

「分かった、分かった。でもみんな同じ名前だと再会したときに面倒くさいから、私がこれから名前つけてあげるね」

「仕方ないなあ。で、どんな名前なの?」

「白玉」

「え?」

「聞こえなかった? 白玉だよ、しーらーたーまー」

「……ねえ、もしかしてだけどさ、君、僕のこと馬鹿にしてる?」

「もしかしなくてもそうだよ」

「ひどーい、馬鹿にされた、あんまりだー」

 白玉はふて腐れたように皿に残っていた残りの白玉を飲み込んだ。「でも、これと同じ名前か。美味しいし、あんまり嫌じゃないかも」

「君、今白玉食べてたでしょ。あれ、共食いっていうからね?」

「ぎゃああ」


〈生命体X〉は、二X〇〇年後に銀河の向こうから地球に攻めてくる〈クロム〉から地球を守るという任務を課され、五億年先の宇宙から百億一斉に地球へと移住した。

 白玉によると、〈生命体X〉は姿かたちを変え、地球の至る所に生息しているらしい。例えば路地裏に敷き詰められている石と石との間、屋根の上、街のポストの裏、空気中、etc etc……。

「待って、君たち空気中にもいるの?」

 回想し頭の中で話をまとめていると、明らかに違和感というか認めたくないことまで思い出してしまい、隣を見た。

「そうだよ。そんなことより、この漫画面白いね~.いやあ、こんな面白いもの初めて読んだなあ。滅んじゃうなんて本当もったいないよね~」

 そうか、もしかしたら私の体内にも生息しているかもしれないんだ。そう思うと心なしか途端に気持ち悪くなり、慌ててトイレに駆け込む。……やっぱり気のせいだった。ほっとした。

 出会ってから一時間経過。本当、今日が日曜日で良かった。元々今日は友だちとの約束があったのだが、親が急に出勤することになって家事を押し付けられたのだった。あの時はちょっと沈んだけれど、この状況じゃむしろ大助かりだ。……そんなことよりも!

「いや、だから滅ばないように君らが助けてくれるんじゃないの?」

「うーん、そうなんだけどね。まだ打開策見つからなくてさ。今のところこのままじゃ二X〇〇年後の人間の致死率はなんと」

「なんと?」

「九九・九九九九九九九……%!」

「やめて、どこかのテレビショッピングみたいにめっちゃ楽しそうに言うのやめて。それから面倒くさいからって小数点以下、途中で省略するのやめて」

「えー。だってしんみりするの嫌いだし、そもそも小数点以下無限に九が続くもんだから表記しきれないってこっちの〈世界〉の学者も宣言してるし、四捨五入したら一〇〇%じゃん、もう救いようがないよね、これ」

 やめてくれ、とろける笑顔でちゃっかりそんな末恐ろしいこと言うのやめてくれ。という心の叫びはそっとしまっておくことにして、とりあえず今は、ベッドの上で寝そべって漫画を読むというゴールデンタイムを繰り広げているこの白玉生物をどうにかしなければ。

「ねえ、漫画返して」

 その言葉に何を思ったか白玉は読んでいた漫画を閉じ、その上を陣取る。どうやら返す気はさらさらないようだ。

「嫌だ」

「あー、あんなところに抹茶白玉あんみつパフェが!」

「え、どこどこ?」

 白玉があわあわしている隙に、漫画は見事、回収した。地球を守るというのにこんな単細胞で大丈夫なのか。もっとも、こんな単細胞の生命体集団が地球を守ろうと画策している時点で、地球の運命はどう転んでも決まっているのではないか。


 今日は日曜日だ。日曜日の次は決まって月曜日だ。この常識を今日ほど憎んだ日はない。

 二X〇〇年先の未来なんてわからない。ただ、この正体不明の生命体をまわりの人間から匿い振り回され続けるこの現状こそ、私にとっては確実に生活圏の侵略だ。〈生命体X〉はこうして、今日も地球を〈クロム〉から守るために侵略し続けるのだろう。

「この場所気にいったよ、これからここに住ませてもらうね。よろしく~」

                            〈完〉

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