最終話 卒業式

最終話 卒業式

 自分が卒業する日なんて想像すらできなかった日々を振り返ると、早かったような長かったような不思議な感覚に襲われる。そして、この学校に制服で登校するのも、もう明日で終わりなのかと思うと、それもまだ信じられない。


「あああああああ。緊張するううううう。」


 明日の卒業式の予行練習のために登校してきている僕たちは、基本的に和やかな空気を纏っていたけれど、一人だけ口から何か出てしまうのではないかというくらい緊張している人が居た。佐藤くんだ。


「義明が緊張してんの珍しいね。」


 いつも冷静沈着でキラキラグループにはいるけれど騒いでいるところを見たことのない佐藤くんが、卒業を間近にして初めて荒れ狂っていた。悶えているという表現の方が正しいかもしれない。


「佐藤くんが卒業生代表答辞をやるんだってね。」

「え。そうなの?」


 蓬さんは知らなかったらしく、大きな瞳をさらに大きくさせた。


「なんで義明だったの?」

「なんか、3年間通じての成績が、佐藤くんがトップだったらしいよ。」

「えー。意外だわー。義明ってそんな成績よかったの?一般受験組じゃなかったよね?」

「そうそう。推薦受けるってなったときは、先生たちとひと悶着あったらしいけどね。その妥協案で卒業生代表答辞をやるようにっていう取引だったらしいよ。」

「えぐい取引ね。」


 そんな話をしていると、佐藤くんが僕たちの方へとやってきた。


「恩田~。ちょっと添削して。」

「え。先生に出さなきゃいけないんじゃないの?」

「その前に!もう、自分で何を書いているのか分からなくなってきた。」


 これほど自信のない佐藤くんを初めて見る。僕は「そういうことなら」と佐藤くんから原稿を受け取り、それを読む。蓬さんは湯気の立っているココアを飲みながら、そんな僕を凝視している。


「……蓬さん、なに?」

「いや。千尋のそういう横顔好きだなーと思って。」

「ちょっ……。」

「ちょっと、俺の前でイチャつくなよ。」

「いいじゃん。高校生活も明日までなんだしさあ。」


 久しぶりに会う人も居るからか、今日の教室内はどこか浮ついている。まだ受験の終わっていない人たちもいるけれど、みんなリラックスした雰囲気だ。それはきっと蓬さんみたいに、“高校生活も明日まで”という意識がみんなにあるからだろう。


「うん。いいんじゃない?佐藤くんって、こんな文章書くんだね。なんかシンプルというか、そのシンプルさが逆に際立たせているというか。」

「そう?よかったー。じゃあ、これで提出してくるわ。サンキュー。御礼にこれあげるよ。」


 佐藤くんがくれたのは、可愛く包装されたチョコレートだった。彼は何故か大量に同じような包装されたチョコレートを紙袋に入れて持ち歩いている。


「え?いいの?佐藤くんがもらったんじゃないの?」

「違う、違う。うちん家ケーキ屋やっててさ。今日、母親から大量に持たされたんだよね。“お世話になった友達に配りなさい”とか言って。作ったのはショコラティエの父親だけど。美味しいから食べて。」

「ありがとう。」


 僕は、佐藤くんがチョコレートをくれたということよりも、友達だと思ってくれていたことに感動した。こういうことをさらっとできるところが、佐藤くんの素敵なところだと思う。


「蓬にもやる。」

「ありがとう。美味しそう~。」

「大地たちにも配ってくるわー。」


 原稿が完成して安心したのか、佐藤くんは先ほどとは打って変わって明るい表情になっていた。






 卒業式の予行練習は滞りなく進んだ。そんなに練習することも多くないため、2時間以内に終わった。教室に戻ってからは、明日の卒業式の注意事項が西野先生から説明されただけで、久しぶりに全員が集った教室は、午前中には解散することになった。


「明日で学校にも来なくなるね。」


 学校からの帰り道、蓬さんからそんな話をふられた。ちょうど、僕も同じようなことを考えていたところだった。


「そうだね。寂しくなるね。」

「うん。」

「明日、穂高さんが花束を準備してくれるんだっけ?」

「そう。百合子の知り合いのお花屋さんがあるからって。」


 2年間、僕たちのクラスの担任をしてくれた西野先生に、僕たちは色紙と花束を準備することにしている。色紙は今日、みんなで回して書いたから、後は花束を穂高さんが準備してくれることになっているのだ。


「なんだか、長かったようで早かったね。」

「本当にそうだね。高校に入学したときは、まさか千尋とこんな風な関係になれているって思って居なかったな。」

「それは僕もだよ。」


 あの、2年の教室のベランダで、蓬さんが話しかけてきてくれた。だから僕たちは今こうして、一緒に並んで帰ることができている。


 思えば、あの時まで僕は友達の1人も居なかった。登下校はもちろん1人だったし、休み時間も1人だった。特に、体育の時に2人1組でやらされるものなんかは、非常に困った。


 だけど、蓬さんと付き合うようになってから、僕の世界は一変した。一臣くんや吉永さんっていう親友もできたし、世界が違うと思って居たキラキラグループの面々とも友達になった。


 蓬さんが繋いでくれた縁に、僕は感謝しかない。


「僕の高校生活が楽しかったのは、蓬さんのお陰だよ。本当にありがとう。」

「な、なによ。急に改まって。私だって。私だって楽しかったのは、千尋のお陰だよ。ありがとう。」


 御礼を言い合うとどこか気恥ずかしくなって、僕たちは顔を見合わせて笑った。


「明日で蓬さんの制服姿も見納めかー。」

「残念?」

「うん。残念。JKの蓬さんが明日で終わると思うと、名残惜しい。」

「えー。大人になる私じゃ駄目?」

「ううん。どんな蓬さんも楽しみだよ。皺くちゃになったって絶対に可愛いから。」

「皺くちゃって、皺くちゃの私を見るためには、ずーっと一緒に居なくちゃ駄目だよ。」

「うん。ずーっと一緒に居よ。」


 蓬さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして大きく瞳を見開いた。


「……なんか、千尋がそういう系言うの、珍しいね。」

「そうかな?」

「うん。少女漫画好きだからロマンチストだけど、根本的な部分ではリアリストじゃん。だから、ずっと一緒にとか言わないと思ってた。」

「なんか、今日は言葉にしなきゃいけないなあと思って。普段から蓬さんとずっと一緒に居られたらいいなって思ってるし、それを現実にしていきたいと思っているけれど、それは僕たちの努力次第だと思っているし縁だと思うんだよね。だから、不明確な未来を口に出すことはしないけど、今日は言う日だなと思って。」

「今日は言う日なの?」

「うん。だって明日で卒業でしょ。もしこの先がどうなったとしても、今日言葉にしなかったらきっと後悔すると思うんだよね。今日がそういう日だなあと思って。」

「そういうの、千尋っぽい。」

「そう?」

「うん。」


 蓬さんの小さな手が僕の手を握った。僕はそれを握り返す。


「千尋の手、あったかい。」

「蓬さんの手は小さいね。」


 楽しい時間はあっという間で、2人の家の前に着いた。


「また、明日ね。」

「うん。また明日。」


 そう言ってそれぞれの家へと入った。きっとこれからも、蓬さんと色んな約束をしていくだろうけど、一緒に登校する約束をするのはこれが最後だ。


 それが少しだけ名残惜しくて蓬さんの家の方を向くと、蓬さんもこちらを見ていた。そして僕たちはもう一度、「また明日」と言った。






 通い慣れた教室へと足を踏み入れると、卒業式ならではの装飾が施してある。黒板には“卒業おめでとうございます”との下級生からのメッセージ。教室の中はモールや色とりどりのペーパーフラワーでいっぱいだ。


「お!恩田と蓬来た!今日帰りに行けるやつで飯行こうって話してるけど、お前ら行ける?」


 教室に僕と蓬さんが入ったのと同時に、野久保くんがそう声をかけてきてくれた。クラスの謝恩会的なものでもやろうというのであろう。蓬さんと顔を見合わせると、お互いに頷いた。


「うん。2人で参加するよ。」

「よかった~。あとは受験組だな。一応声かけて来れるやつだけ来てもらうか。」

「そうだね。まだ終わってない人も居るから、声だけかけてあとは任せた方が良いと思う。」


 野久保くんは「了解~。」と言いながら、名簿のようなものを手にクラスを駆け回っていた。おそらく、誰が参加できるか書き留めているのだろう。行動力のある野久保くんは、最後まで頼りになる存在だなあと思った。


「お前ら席に着け~。」


 本鈴が鳴るのと同時に、西野先生が教室へと入ってきた。いつもより正装の西野先生の姿を見ると、「やっぱり今日は卒業式なんだな」と実感する。全員が席へと着くと、胸章が配られた。


「胸章着けたやつから廊下に並べ~。」


 そしていよいよ、卒業式の始まる音がする。体育館の方からは、吹奏楽部の演奏が聞こえている。一歩を踏み出すごとに、その時が近づいて来ている。


 体育館へと入ると、鳴りやまない拍手が僕たちを出迎えた。これでこの体育館に足を踏み入れるのも最後かと思うと、名残惜しいような気もする。


 そして、卒業式は滞りなく進んだ。西野先生から「恩田千尋」と呼ばれて「はい!」と返事をすることに、この3年間が凝縮しているのかと思うと、なんだかあっけないような気もするし、身の引き締まるような気もした。


 楽しみだった佐藤くんの答辞は、思いのほか僕の視界を緩ませた。彼から見えた高校生活やそれに交わらせてもらった僕の高校生活を思うと、この学校に来れてよかったと思えたのだ。


 最後のHRをするために全員で教室へと戻ると、どこからでもすすり泣きが聞こえる。ふと蓬さんの方を見ると、彼女も穂高さんと肩を寄せ合って笑い泣きしていた。


「全員席に着いたか~。」


 西野先生が教壇に立つのを見るのもこれが最後かと思うと、込み上げてくるものがある。僕たちはもう二度と同じ教室で学ぶことは無いし、同じ時間を過ごすこともない。会うことすら、今日が最後になる人だっているだろう。


 みんなもそれを分かっているからか、いつも通りに見えていつもよりも西野先生の話を聞く姿勢になっている。


「じゃあ、卒業証書を渡すぞ~。呼ばれたやつから取りにこい。」


 出席番号順に西野先生が一人ずつ呼んでいく。そして、呼ばれた人に卒業証書を渡して、一声かけて握手を交わす。


「恩田。」

「はい。」


 自分の名前が呼ばれて、西野先生になんて声をかけられるのかと緊張しながら教壇の前に立つと、西野先生はふっと柔らかい笑みをこぼした。


「卒業証書。恩田千尋。以下同文。おめでとう。」

「ありがとうございます。」

「このクラスではお前が一番変わったな。お前がどうやったら高校生活を楽しめるのか悩んだけれど、良い仲間に出会えたようでよかった。楽しかったか?」

「はい。楽しかったです。」

「それはよかった。これからも縁を大事に。」

「はい。」


 間延びしたような話し方が特徴的で、特に生徒をしかりつけるようなこともしなかった西野先生だけど、僕たちのことを本当はよく見ていてくれたんだと感じた。


 全員に卒業証書を配り終えると、西野先生は咳払いをした。そして、じっとクラス全員の顔を見つめる。


「先生が卒業生を送り出すのは、君たちが初めての生徒です。こうしてみんなの顔を見ると、長いようで本当にあっという間の2年間だったなと感じます。だから、先生にとっても君たちと過ごす時間が、本当に楽しい時間だったんだなと思います。」


 初めて、このクラスになったときのことを思い出してみる。2年生になった初日、僕はどちらかと言えば最悪だなって思っていた。


 学年でも屈指のキラキラグループがこのクラスに居たからだ。初日からキラキラグループの人たちは騒がしかったし、他のクラスのキラキラグループの人たちも、「お前ら一緒なの?!」とか言いながら、クラスにやってきていた。


 それがうるさくて嫌いだった。だって僕には友達が居なかったから。西野先生も、すぐにキラキラグループと仲良くなっていたから、あっち側の人間なんだと思ってあまり好ましいとは思っていなかった。


 そんなスタートだったはずなのに、最後の日の今日は寂しいと思っている。


「卒業というのは、スタートです。明日から君たちの未来が始まる。どうか、一瞬一瞬を大切に。何よりも自分を大切に。君たちなら自分の人生を切り開く力を持っていると先生は確信しています。だから君たちもどうか、自分の可能性を大いに確信して、次のステップへと羽ばたいてください。いつまでも、君たちの幸せを祈っています。」


 西野先生の言葉は、まっすぐ伝わってきた。もし、先生の言葉自体を忘れてしまったとしても、西野先生の生徒でよかったと思えたことはきっと残っていく気がした。


 そして、大人の男の人が瞳を潤ませる姿を、僕は一生忘れないと思った。


「も~!西野っち泣くなよー!」


 西野先生があまりにも人目をはばからずに泣くものだから、鼻声の野久保くんが明るく声を出した。そのおかげで、教室のどこかしらから聞こえて来ていた鼻をすする音に、笑い声が混じり始める。


 野久保くんが僕にアイコンタクトを送ってきたため、僕は席を立って自分の机の下に隠していた花束と色紙を取り出した。そして、西野先生に渡すために教壇の方へと進む。


「西野先生。2年間、僕たちの担任をしてくださってありがとうございました。僕たち全員からの感謝の気持ちです。」

「お前ら……。」


 西野先生は、スーツのポケットからハンカチを取り出して、それで涙と鼻水を拭いてから、花束と色紙を受け取った。


「俺の方がありがとうだよ、本当に。君たちの担任をやらせてもらえて、本当によかった。ありがとう。」


 みんなぐしゃぐしゃの笑顔で拍手を送り合った。


 HRが終わった後は、各々写真等を取り合った。僕ももちろん、色んな人と写真を撮った。クラスのみんなとも撮ったし、一臣くんや篠原くんとも撮った。ちょっと怖かったけれど、橋本さんとも写真を撮った。


 関わりのあった人たちとの写真を撮り終わると、僕はある場所で蓬さんとの写真を撮っておきたくて、野久保くんに謝恩会には少しだけ遅れることを伝えて、蓬さんと一緒に教室を出た。


「ねえ、どこに行くの?」

「2年の教室。」

「えっ。まさか、撮っておきたい場所って。」

「そう。2年の教室のベランダ。」


 僕と蓬さんが数年ぶりに会話をした場所。そして、恋を育んだ場所。


「……なんか、少女漫画っぽいね。」

「だって、千尋が少女漫画みたいな恋をするなら、私としてほしいんでしょ?」

「……それを言ったのは駐輪場だけどね。」

「確かに。」


 蓬さんが僕の手を握る。校内では滅多に手を繋ぐなんてしなかった僕たちだけれど、これも最後かと思うとそこに恥ずかしさはなかった。だから僕も、自然に握り返した。


「2年生、もう帰ってるといいけど。」

「残っているのは3年と写真を撮りたい人たちだけだっただろうから、もう居ないでしょ。」


 そんな会話をしながら2年の階に着くと、予想通りもう誰も居なかった。外から、「野久保先輩写真撮ってくださーい!」という女の子の声がする。


「大地、モテてるねー。」

「目立つからね。」


 僕たちが使っていた教室へと足を踏み入れると、そこはもう僕たちの教室ではなかった。僕たちが使っていた頃とは、教室の表情が違う。


 教室を通り抜けてベランダへと出ると、懐かしい気持ちが涌き出てくる。あれももう、1年前のことかと思うと、心臓がぎゅっと締め付けられる。


「私、いつもここに座ってたね。」


 蓬さんの方が先に、ベランダへと腰をかけた。それに倣って、僕もいつもの場所へと腰を下ろす。


「僕はここだった。最初はめっちゃ邪魔されたけど。」

「だって!……千尋と喋りたかったんだもん。」


 両頬を膨らます彼女が可愛い。


「蓬さんのおかげで、僕たちはここから始まったんだね。」

「違うよ。千尋もたくさん努力してくれたよ。」

「でも、バナナチョコクレープ作ってくれたじゃない。」

「千尋だって勇気を出して、私と付き合っていることを言ってくれたじゃない。」


 数えきれないほどの思い出を、蓬さんとたくさん作った。


「ねえ蓬さん。」

「なあに?」

「僕、どの少女漫画よりも、良い恋してると思うよ。」

「当たり前でしょ。誰と恋愛してると思ってるの。」


 僕たちは自然と、笑いがこぼれた。


「じゃあ、先生に見つからないうちに写真撮ろう。」

「うん。」


 取り出したスマホのインカメラに映るように、僕たちは頬を寄せ合う。


「はい、チーズ。」


 ここでブックカバーを着けて少女漫画に憧れていた少年は、卒業のときにこんな写真を撮れるなんて想像もしていなかった。踏み出した少しの一歩で、自分の世界を大きく変えることができる。


「さ~。そろそろ、謝恩会に行きますか。」

「そうだね。大地も首を長くして待ってるかもね。なんだかんだ、大地って千尋のこと好きだから。」

「確かに。」


 ベランダから腰をあげて、来た道を戻る。僕は一度だけベランダを振り向いて、その光景を心に刻んだ。


「千尋ー?」


 先に廊下へと出ていた蓬さんから呼ばれて、僕は「はーい!すぐ行くー!」と駆け足でその場所を後にした。

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