第19話 入試と男子高校生

第19話 入試と男子高校生

「だあ~~~~っ。もう勉強したくねえ!!!」


 みんなが自習している教室に、野久保くんの声が大きく響いた。入試が始まっている僕たち3年生は、登校日さえ学校に来れば良いようになっているけれど、みんななんだかんだ学校に来ている。


 ただ、推薦入試ですでに決まっている人たちは来ていない。だから最近吉瀬くんや佐藤くん、駒田くんには会っていない。


「大地うるっさい!!!」

「蓬の声もうるさいー。」

「ごめんー。」


 野久保くんが大声を出して、それを注意するのが蓬さんで、その蓬さんを注意するのが穂高さんで。彼らのやりとりは1日に1回は起きる。教室内で勉強している僕たちは、それで1日に1回は笑えるのだ。


 現に今も、さっきまでピリピリしていた教室内も、クスクスと小さく笑い声が起きている。勉強に集中すると苛々することもあるけれど、ずっと緊張状態にいるのも中々しんどい。こうやってみんなで勉強をすることで、緩急をつけることができて、精神も安定させられているなと感じる。


 そんな僕の楽しみはやっぱり、昼休み中の少女漫画の読書だ。寒いけれどベランダに出てブックカバーをつけた『赤髪の白雪姫』を開く。ファンタジー少女漫画は、僕の背中を押してくれるから大好きだ。


「千尋っ。」


 しばらくすると、いつものように蓬さんが僕のところへとやってきた。寒いから来なくていいよと言っているけれど、「高校生活も残りわずかだから」と言って聞かない。


「蓬さん。」


 僕が漫画から顔をあげて彼女に笑顔を向けると、僕にくっつくようにして隣に腰を下ろした。冬のベランダは寒いから、蓬さんは座布団を持参している。


 それにしても、蓬さんはいつも寒そうな格好をしている。


「も~。来るなら暖かい格好をしてからっていつも言ってるのに。」


 ミニスカートの蓬さんの足に、僕は着けていたマフラーを被せた。どうして女の子って露出している面積が多いんだろう。


「ダメだよ。千尋が風邪ひいちゃうじゃん。」

「蓬さんの方がおかしな服装してるでしょ。僕はコート着てるから大丈夫だよ。」

「でも……。」

「でもじゃないよ。今の大事な時期に風邪なんてひいたら大変なんだから。」

「そうだけど……。」

「大人しくそれ足に被せてて。まったく、スカートが短すぎるんだよ。もう。」


 僕が鼻息を荒くすると、蓬さんはふわっと笑みをこぼした。


「でも、千尋が風邪ひいたら嫌だから、そこ行っていい?」

「……どうぞ。」


 僕が両手を広げると、蓬さんは胡坐を搔いている僕の足の上へと腰を下ろした。そして僕は蓬さんのお腹のあたりへと腕を回す。蓬さんの後頭部の髪の毛が僕の鼻をくすぐる。


「あったかいねえ。」


 表情は見えないけれど、その声で嬉しそうな彼女の顔が分かる。


「うん。あったかいね。」


 ずっとこうしていたいなって思う。時間が止まればいいのにって思う。だけど、ずっとこうしていることはできないし、時間も止まらない。


 僕たちは確実に、あと少しでこの学校を卒業して蓬さんとも一緒の学校に通わなくなる。進路は自分が望んでいるもののはずなのに、みんなと離れることが想像できない。


「っくしゅん!」

「え!千尋、大丈夫?」

「ごめん、ちゃんとハンカチで抑えてくしゃみしたから。」

「そんなのはいいのよ。ベランダなんかに居るから冷えちゃったのよ。教室入る?」

「んー……。でも蓬さんあったかいからもうちょっとだけこのまま。」

「わ!」


 僕は蓬さんを抱きしめる腕の力を先ほどよりも強めた。彼女の首筋に頭を埋めると、より温かいし蓬さんの香りでいっぱいになる。


 小さい彼女の身体はすっぽりと僕の腕の中に入ってしまい、借りてきた猫のように動かなくなった。






「んんっ。」


 うーん。なんだか喉の調子が悪い。家に帰って勉強をしていると、室内が乾燥しているせいか喉がイガイガする。


「姉さん。」


 僕は勉強を一時中断すると、僕の隣の部屋に居るはずの姉さんを訪ねた。


「どうしたの?」


 姉さんはベッドの上で寝転びながら本を読んでいる。大学生はすでに春休みで、姉さんは家でゴロゴロするかバイトに行くか友達と遊ぶかのどれかだ。今日はゴロゴロらしい。


「加湿器って持ってる?ちょっと喉がイガイガしててさ。」

「え!それは大変!!2台あるから2台とも持って行きな!」

「いや、1台でいいよ。」

「足りる?!」

「足りるでしょ。」


 喉がイガイガというだけで血相を変えた姉さんは、大き目の加湿器を貸してくれた。「もう1台も」と最後まで粘られたけれど、部屋がびちょびちょになるのも嫌だから、僕はそれをしっかり断った。


 しかしやはり姉さんはそれだけでは心配だったようで、後からのど飴を持ってきてくれた。さらに、母さんはショウガ紅茶を持ってきてくれたし、父さんはブランケットを持ってきてくれた。


 まさに家族総出で僕を心配してくれている。少し申し訳ないなと思ったけれど、素直に嬉しかった。頑張って受験を勝ち越えようと思った。






 入試当日、ベッドで目を覚ますと顔が水浸しになっていることに気付いた。何事かと思って飛び起きると、僕の目の前には僕の方を向いた加湿器が置かれていた。


 よく確認してみると、水浸しになっているのは僕の顔だけじゃない。枕やシーツ、布団も水浸しになっている。これは全部、加湿器の仕業であると思われる。


「もう、入試当日の朝にどういうこと……。」


 僕は部屋で一人、噴出してしまった。まさか、入試当日の朝からこんなに笑えるなんて。僕の喉の調子を心配した誰かが……いや、恐らく姉さんが、僕の寝ている間に加湿器を置いてくれたのだろう。


「頑張るしかないな。」


 まだ夜も明けきらない部屋の中で僕は両頬を軽く叩くと、支度を始めた。


「受験票は持った?

「持った。」

「財布は?」

「持った。」

「スマホは?」

「持ったよ。」


 入試へと出発する僕を心配して、母さんと姉さんは玄関で持ち物チェックをしてきた。会場までは、父さんが来るまで送り迎えをしてくれる。


「ちーくんなら絶対に合格できるんだから!」

「お母さんのお弁当、しっかり食べるのよ。」

「うん。二人ともありがとう。いってきます。」


 今にも泣きだしそうな女性陣に見送られながら、僕は父さんの車へと乗り込んだ。しっかりとシートベルトをつけると、スマホがメッセージの受信を知らせる。開いてみると、蓬さんからだった。


<千尋、ファイト!>


 たった1行だけれど、その一言に背中を押された。これで目一杯頑張れる気がする。ふふっと小さく笑みをこぼすと、父さんが「蓬ちゃんか?」と聞いてきた。


「うん。ファイトだって。」

「そっか。よかったな。」

「うん。」

「……蓬ちゃんと付き合いだしてからの千尋は、本当に楽しそうになったよな。」

「えっ。」


 家族に学校での出来事を父さんに詳しく話すことはあまりないけれど、父さんは僕のことをよく見ていてくれたのだと知った。


「……そんなに変わったかな?」

「変わったよ。友達もできただろ。一臣くんだっけ?初めて一臣くんに会ったときはオレンジ色の髪の毛で驚いたけど、とても良い友達じゃないか。」

「一臣くん、今黒髪なんだよ。一般入試組だから。」

「そうなのか。それは見たかったな。」


 父さんは楽しそうに笑った。だから僕は照れくさくて笑った。


 入試は思ったよりもスムーズに終えることができた。自分の力を発揮することができたと思うし、これで落ちたなら悔いはない。合格発表まで引き続き勉強をしなきゃいけないし、滑り止めの私立大学の受験だってある。だけどひとまずは、第一志望の国立大を無事に終えることができた。


 試験はスムーズに終えることができたけれど、昼休憩のときに開けたお弁当は小っ恥ずかしかった。姉さんの仕業だとは思うけれど、ご飯の上にピンク色のでんぷんでハートマーク、さらにその上に刻み海苔で「ちーくんやればできる」とかいてあった。


 しかも、刻みのりが弁当箱に張り付かないようにフィルムを挟んである徹底ぶりだった。帰ったら、姉さんにクレームを入れてやろうと思う。


 試験が終わって会場を出ると、父さんが迎えに来てくれていたため、行き道と同様に帰りも父さんの車に乗った。こうやって家族に絶大なバックアップをしてもらっていること自体がありがたいと思う。


 試験が終わってからすぐに蓬さんにメッセージを送っていたけれど、家に着いてからも<今、無事に家に着いたよ>と送った。今日、蓬さんは勉強をしに学校へと行っているはずだ。


 そろそろ帰ってくるだろうかと思い、僕は「ちょっと散歩に出てくる」と母さんに伝えると、家から学校へと向かった。


夕方に通学路を歩くことに、逆走をしているような感覚になる。建物や道路や街並みは黄金色に染まっており、僕の心の琴線へと触れてくる。蓬さんと何度も歩いたこの道をあと何回歩けるのだろう。


 何人かの同じ学校の生徒とすれ違った後、見覚えのある姿が僕の目に飛び込んできた。


「蓬さん。」

「えっ。千尋?」


 僕のことを見つけた蓬さんの瞳は反射して輝いている。まるで、零れ落ちたダイヤモンドのようだ。


「どうしたの?」


 彼女に駆け寄り、はらはらと瞳から零れる粒を、優しく親指で拭う。蓬さんは拒否することなく、黙って身を委ねてくれた。


「ううん。一人で帰っていたらなんだか切なくなって。あと何回、千尋と一緒にこの道を歩けるんだろうって思ったら……。そしたら千尋が居るんだもん。びっくりしちゃった。」

「えっ。僕も同じことを考えながら、蓬さんのお迎えに向かっていたよ。」


 僕たちは視線を合わせると、どちらからともなく破顔した。そして、手を繋いでゆっくりと歩きだす。言葉にせずとも、それは遠回りの放課後デートコースへと足が向いていた。


「嬉しいことだけど、寂しいなと思ったの。」


 立ち寄った公園のベンチに腰をおろすと、蓬さんはぽつりと本音を零した。


「千尋には第一志望に絶対に受かって欲しいし、私だって受かりたいって思う。卒業のときは笑って門出に立ちたい。だけど、そんな希望を抱く気持ちと同じくらい、寂しいって思うの。」


 僕の手を握る彼女の手の力が強まった。


「だって……。千尋とずっと一緒に居たい……。同じ校舎で千尋と過ごしたいし、登下校も一緒にしたい。千尋の姿を見つけられない校舎なんて想像できない。」


 蓬さんは口をハの字にして必死に前を見つめているけれど、その瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。不謹慎かもしれないけれど、それはなんて綺麗な横顔なんだろうと思った。


「それは、僕も同じだよ。蓬さんと離れるなんて今は想像もできないし、離れて暮らすことが当たり前になんてなりたくない。」


 僕の第一志望は、家から通うとなると公共交通機関を使って片道2時間以上になる。だから、もし僕が第一志望に決まったら、大学の近くで一人暮らしをすることになっている。それに対して蓬さんは家から通えるところだ。


 お互いの希望の進路だから今まで触れずにいたけれど、蓬さんがこんな風に思ってくれていたなんて。


「……千尋のバカ。」

「え?」

「私がずっと我慢してたの知らないでしょ。」

「……ごめん。でも、今から考えたら分かるよ。僕が蓬さんに遠慮して進路を変えることがないように、寂しいって言えなかったんでしょ。」

「も~~~~。」


 蓬さんは僕の胸の中に飛び込んできた。僕はそれを抱きとめて、ぎゅっと優しく、温かく、抱きしめる。


「ありがとう、蓬さん。どっちの感情も持っていてくれて。」

「……どういうこと?」

「進路を応援したいっていう気持ちと、寂しいって気持ちの両方を持ってくれていて、ありがとう。それって、僕のことが大好きだからってことでしょ。」


 応援する気持ちも、寂しいって気持ちも。どっちも素直な蓬さんなんだ。


「……でも僕は、蓬さんにならいくらでも困らせられていいんだからね。だから、わがままだと思っても、ありのままの蓬さんの気持ちを聞かせてよ。解決策は浮かばないかもしれないけど、心で受け止めることはできるから。」


 僕の胸のところから「ぐすっ。」という鼻をすする音が聞こえる。


「……じゃあ、1つだけ素直に謝る。」

「うん?」


 一体、蓬さんが僕に謝らなきゃいけないことって、何があるんだろう。


「……鼻水がセーターに着いちゃった。」

「えっ。……いいよ、仕方ない。泣かせたのは僕だから。」

「ぐすっ。」


 僕の胸のあたりで蓬さんがごそごそと動く。おそらく、鼻水を拭いてくれているのだろう。


「私、わがままを許されちゃったら、めちゃくちゃわがままになるよ?」

「蓬さんのわがままはわがままじゃないから大丈夫。だっていつも、僕のことを考えてくれているでしょ?だから僕だって蓬さんのことを考えたいんだよ。」


 蓬さんの小さな頭を撫でると、彼女はゆっくりと僕を見上げてきた。


「じゃあ、絶対に守って欲しい約束。」

「なあに?」

「ずるい男にならないでね。私もずるい女にならないから。」


 吸い込まれそうな瞳でそんなことを言われると、「もうすでにずるい女じゃないか」と心の中で苦笑する。


「蓬さんが何を心配しているのか分からないけど、僕だって蓬さんに悪い虫がつかないか心配なんだからね。」

「私は大丈夫だもん。」

「そんなこと言って。野久保くんに好かれていたの、忘れたの?」

「千尋だって、一臣に好かれていたの、忘れたの?」


 僕たちは両頬を膨らませて顔を見合わせると、同時に噴出した。そして、自分の額を蓬さんの額にくっつける。


「ありのままの発露を大事にする僕たちでいようよ。」

「うん。分かった。……千尋の一人暮らしの家にも遊びに行くから。」

「もちろん。いつでも来てよ。」


 鼻先で蓬さんの鼻をくすぐると、彼女は柔らかい笑みをもらした。「そのうち一緒に暮らせるようになりたい」という言葉は、まだその時までとっておこうと思う。


「大好きだよ。」

「うん。私も大好き。」


 軽く触れ合った唇を離すと、僕たちはベンチから腰をあげた。そして、久しぶりの放課後デートを噛みしめるように、2人の影が伸びて行った。

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