第14話 記念日と男子高校生

第14話 記念日と男子高校生

 今まで何ヶ月記念日とかは、蓬さんと一緒にお祝いをしてきた。お祝いといっても、どちらかと言えばデートをする口実にして、お祝いをしていたように思う。


 だけど、今回は違う。


 もうすぐ、付き合って1年になるのだ。


 どんなことをしたら良いのか、どんなことをしたら蓬さんが喜んでくれるのかと考えれば考えるほど、1周年記念のお祝いの方法が見つからない。


「うう……。」


 僕は放課後の教室で進路相談に行っている蓬さんを待ちながら、スマホとにらめっこをする。“高校生カップル 1周年記念”で検索しているけれど、どれもピンとくるものがない。


「あれ。恩田、まだ残ってんの?」


 部活生の元気な声だけが入りこんでくる教室で1人項垂れていると、吉瀬くんが教室へと入ってきた。


「蓬さんの進路相談が終わるのを待ってるんだ。吉瀬くんは?部活終わり?」


 吉瀬くんは首からタオルをかけていた。


「ああ、うん。早めに終わったから。だから吉永さんのことを待ってようかなと思って。」

「そうなんだ。吉永さんも進路相談?」

「そうそう。なんか、迷ってるらしいんだよな。だから色々相談してるんだと思うわ。」


 吉永さんは成績が良い。進路先だってたくさん選べる。だからこそ悩むところもあるのだろう。先生たちだって吉永さんにはできるだけレベルの高い学校に行ってもらいたいだろうし。


「仲が良さそうで良かった。」

「……ま、まあな。でもそれは恩田たちもだろ。もう付き合ってどれくらいなん?」

「……もうすぐ1年、かな。」

「げー!長いじゃん。なんかお祝いすんの?」


 吉瀬くんのその言葉で僕は机に突っ伏した。


「どうした?」


 頭上から吉瀬くんの声が響く。


「……そのお祝いを何したらいいか悩んでるんだよねー……。」

「ああー。なるほどなあ。」


 僕が座っている席の前の席に座って、僕の方を向いて話してくれる吉瀬くん。僕は、体はまだ机に突っ伏したまま、頭だけあげて吉瀬くんの顔を見上げる。


「吉瀬くんだったら、どんな記念日にする?」

「んー……。感謝を伝える記念日にするかな。」

「感謝か。」

「うん。記念日ってそういうもんだろ。」


 そんな風にさらっと言えちゃう吉瀬くんがかっこいい。見た目が爽やかなこともあるけど、サッカー部で運動できるし、成績だっていいし、吉瀬くんこそ少女漫画に出てくるヒーローみたいな人だなって思う。


 壁ドンなんかもさらっとできちゃいそう。しかも、吉永さんみたいな人を口説くのも様になる。


「山崎の好きなところをあえて言うとかさ。」

「えー。」

「恥ずかしがる顔とか可愛いから見たいじゃんか。」


 いひひと笑う吉瀬くんはいたずらっ子のようだ。でも確かに、彼女の恥ずかしがる顔は最高に可愛い。


「じゃあ吉瀬くんは吉永さんのどんなところを好きになったの?」

「んー。まず、顔が完全にタイプだな。ずっと見てられる。」

「か、顔?!」


 まさか、吉瀬くんが“顔”だなんて浅はかなことを言うとは思わなくて、思わず上体を起き上がらせた。


「あ~。顔って、なんていうかその……。多分、恩田が思ったような顔って意味じゃなくて。いや、もちろんそういう意味も含まれてるよ。可愛いなって思うし、吉永さんって顔立ち整ってるし。でもそれだけじゃなくて、その人の生き方とか考え方とかそういうのって、顔っていうか表情に出ない?表情とかあと仕草。吉永さんってさ、俺から見ると本当に良い顔するんだよな。頑張ってる顔してんなって思ったら、俺も頑張ろうって思うし。なんかそういうの。」

「……なんかそれ、分かるかも。」


 もちろん、蓬さんと色々な話をして、彼女の考えていることとか思っていることを知ることも、すごく好きだ。だけどそれ以上に、蓬さんを見ているのが好きだ。


 僕に向けてくれる表情も、僕じゃない人に向ける表情も。そういうところを見ることで、彼女をもっと好きになっている感覚は僕にもある。


「なんかそういう意味で言うと、僕も蓬さんの1番好きなところは顔かなあ。ずっと見てられるもん。」

「だろ?まあこんなこと、本人には普段は言わないからな。あえて、記念日とかに言うのもいいんじゃね?」

「確かに。なんか、手紙に認めるとかいいかも。」

「手紙かあ。俺は多分それ、苦手だなあ。」


 吉瀬くんはそう言いながら苦笑した。うん。吉瀬くんは文章に書き起こすより言葉で伝える方が上手そうだよね。


「あと、記念日っつったら……。うん。色んなことも考えるかもな。」

「え、色んなことって。」

「まあ、アレだよ。記念日を記念日にするのもいいじゃんか。」

「え。アレって記念日になるの?」

「いや、大切にしてればなるだろ。要は、どんな心持ちかってことなんだからさ。」

「……吉瀬くんたちはもう済ませた?」

「……うーん。なんか、どんくらい付き合ったらするとかっていうの、なんか分かんなくてさ。いや、もちろんしたい気持ちはあるよ。健全な男子高校生だしさ。そりゃあチャンスがあればいつでもしたいけどさ。でもなんか、大切すぎて。だから、初めても大切にしたいって言う話を吉永さんにしたら、“じゃあ記念日になるね”って恥ずかしそうに言ってくれたんだよ。」


 記念日っていう表現、吉永さん発だったんだ。


「……なんかさ。僕たちの年だと大人からはそれをすることを悪いことのように言われがちだけど、決してそうじゃないんだよね。ただ、責任とか取れるのかっていうところで。お互いを思いやって尊重して大切にする中でのスキンシップだったら、きっと素敵なことなんだよね。そう思うと、記念日っていう表現、素晴らしいなあ。」


 さすが少女漫画同盟の吉永さん。分かっています。


「だよな。だから俺は、大事にするって意味の中で、そういうこともできたらいいなって思ってて。まだ早いっていうかプラトニックも大事にしていい時間というか。……まああとは、まだ自分がひけってるのもあるな。俺の責任として部活が引退になるまではしないって決めてるし。」

「そうなんだ。ちゃんと考えててすごいなあ。」

「恩田だって考えてるだろ。まあ、無理にしなくてもいいと思うし。どうせずっと一緒に居たらいつかはするんだしさ。」

「確かに。」


 ずっと一緒に居たらいつかはする。だったら、今という時間を大切に過ごしながら、焦らずに二人の歴史を作っていきたい。


 吉瀬くんと笑みをもらしていると、そこで教室のドアが開いた。僕と吉瀬くんで視線を向けると、そこには愛しい彼女が立っていた。


「あれ。2人も一緒だったの?」


 蓬さんと吉永さんが一緒に教室へと入ってくる。


「お待たせ。ごめんね、ちょっと長くなっちゃった。」

「ううん。それより、先生と色々話せた?」

「うん。」

「そっか。」


 蓬さんはにこっと笑って僕に答えてくれる。でも、なんだか違和感がある。いつもと同じ表情ではあるけれど。


 ひょっとしたら、進路相談のせいで疲れているのかな?少し気になったけれど、特に深く気を止めることなく、僕も蓬さんも帰りの支度をしてから、吉瀬くんと吉永さんと一緒に教室を出た。






 いつものように、昼休みにベランダで少女漫画を読む。その隣には、僕の大好きな蓬さんが居る。少女漫画から少しだけ顔をあげて蓬さんを覗き見ると、蓬さんは携帯をいじっている。なにかの動画を見ているようだ。


「……ねえ、蓬さん。」

「ん?なあに?」


 ぱっと携帯から顔をあげて、目線をこちらに向けてくれる。蓬さんのこういうところも好きだなあと思う。


「……1年記念日。どんなことしたい?」


 ここはもう、一人でうだうだと考えるよりも、蓬さんと相談をしてしまった方が良い。だって、蓬さんのしたいことを僕はしたい。


「え、考えてくれてたの?」


 すると、目を丸くして驚いてくれる蓬さん。


「もちろんだよ。でも、何がいいかってのが浮かばなくてさ。だから、蓬さんのしたいことをしたいなって思って。」

「えー。うーん。普通にデートに行きたいけどね。」

「それは僕も同じ気持ちだな。でも、いつもより特別なデートにしたいなって思って。」

「……ありがとう。そうだなあ。なんか、遠出するのはどう?今までは結構近場だったし。」

「遠出?」

「うん。水族館とか動物園とか。」


 水族館とか動物園。ふと、大きな水槽を見ながらあるいはたくさんの檻を見ながら、蓬さんの隣を歩くのを想像する。……うん。いい。


「いいね。楽しそう。」

「でしょ。そういうのが、なんかいいなあ。」


 きっと、夏になってきたらそんなにうかうかと遊びに行くことなんてできなくなるだろうし、そんな心の余裕はなくなる。


 だったら今のうちに、蓬さんと思いっきり楽しめることをしても良いと思う。


「そうだね。じゃあ、動物園にするか水族園にするか、あみだくじで決めよう。」


 あみだくじの結果、僕たちは1周年記念のデートに、水族館へと行くことになった。


「楽しみだね。」

「うん。」


 ふふっと僕たちは笑い合う。


「……今さらだけど、聞いてもいい?」

「うん?」

「私のどこを好きになってくれたの?」


 瞳の奥に少しだけ不安を揺らして、蓬さんが僕にそう聞いた。


 何が彼女をそうさせているのだろうか。今の僕たちに何か不安なことなどあるはずないし、僕の気持ちを疑われるようなことはしていないはずだ。


 だけど蓬さんは、何かを不安がっている。


「どこって……。そうだなあ。言葉にできないや。どんな蓬さんも好きだよ。」

「しいて言うなら?」

「しいて言うなら~~~?」


 うーん。


「明るいところかな。蓬さんの笑顔を見ると元気が出る。でも、その他のところも全部好きだよ。蓬さんに会う度に、今日も好きだなって思えるから。」

「ふ、ふーん。……ありがと。私も、千尋の全部好きだよ。」

「ありがとう。」


 蓬さんの欲しい答えだったのかどうかは分からないけれど、彼女はちょっとだけ頬を赤くそめて、唇を尖らした。


 ……可愛いなあ。その唇に今すぐかぶりつきたい。だけど残念ながら、ここは学校だ。仕方がないから、家に帰ってからその唇を奪うとしよう。


 しかしその日、バイトのなかった僕は蓬さんと一緒に帰ったけれど、その唇を奪うことはできなかった。






 それからしばらく、そんな日が続いた。今までだったら、僕のバイトがない日に一緒に帰っていた放課後は、その後どちらかの家で一緒に過ごすのが普通だった。


 だけどここ最近の蓬さんは、「ごめん、百合子と約束があって」とか、「見たいテレビがあるから」と言って、あまり一緒に過ごしてくれなくなった。


 もちろん、登下校は普通に一緒にするし、昼休みだって一緒に過ごす。だけど、それ以外の時間を一緒に過ごしてくれなくなった。


 それはたまたまなのかもしれない。偶然、僕のバイトが休みの日に、蓬さんの用事が入ってしまっているってだけなのかもしれない。


 僕は自分にそう言い聞かせるけれど、どうしても僕の頭を過るのは、蓬さんが僕を避けているんじゃないかっていうことだ。


 発端はなんだったのかは分からない。だけど、僕が気づかないうちに蓬さんを傷つける何かをしてしまったのかもしれない。


 だってこれまでの蓬さんだったら、できるだけ僕と会う時間を作ってくれようとしていた。


「それで、悩んでんの?」

「……うん……。」


 落ち込み気味の僕を見計らって、一臣くんは気分転換にと僕を一臣くんのお家にと招待してくれた。一臣くんのお家には何度も遊びに来たことがあるけれど、僕の家の方が学校に近い分、僕の家で遊ぶことの方が多い。


 僕は一臣くんの部屋にあるお気に入りのクッションをぎゅーっと抱きしめながら、蓬さんとのことで悩んでいることを打ち明けた。


「もうすぐ1周年なんだろ?」

「うん。」

「そんで、喧嘩したわけでもないんだろ?」

「うん……。」

「千尋に心当たりがなくってってことは……。」

「てことは?」

「心変わり?」

「!」


 僕が一番口にも出したくなかったことを、一臣くんは軽々と言ってのけた。でも、僕に心当たりがないのであれば、1番の理由として考えられるのは、それが真っ先にやってくる。


「……やっぱり……そう、なのかなあ。」

「それは蓬に聞かないと分からんだろ。でも、0%ではない。」

「……そうだよねぇ。」


 はあっと盛大な溜息をつく。どこから僕たちは綻んだのだろうか。たった数日前は、蓬さんだって僕のことを好きだと言ってくれたのに。


「話し合うしかないんじゃないか?引き延ばしたって辛いだけだろ。」

「そうなんだけど……。」


 “他に好きな人ができた”と、蓬さんの口からはっきりと聞かされるのが怖い。僕はそれほどに、蓬さんのことが好きなのだ。


「俺が言うのもなんだけどさ。千尋はちょっと勘違いしいなところがある。だから何も決めつけないで、ちゃんと蓬の話を聞いた方がいいと思う。」

「勘違いしい?」

「ああ。俺の好きな人だって勘違いしてたろ?」


 そういえばそうだった。


「多分千尋はさ、今まで人と関わるのが少なかった分、“なにか変だな”って捉えることはできていても、色んな可能性を探るってところが弱いんだと思うんだよな。だから勘違いしちゃう。今回の蓬のことだって、蓬の気持ちを決めつけずに、話をすることが大事だと思うけど?」


 僕は目を大きく見開いた。蓬さんの異変は感じたけれど、それがなんなのか全く分からなくて不安で怖くてひたすら悪い方に考えていたけれど。言われてみれば、一臣くんの好きな人の勘違いのときと、思考回路が同じだったかもしれない。


「……蓬さん、僕と会ってくれるかなあ。」

「会ってくれるまで、会いたいって言えばいいだろ。俺だったらそうする。だって、好きなんだろ?」


 僕は大きく頷いた。困ったように笑いながら一臣くんは、「じゃあ、頑張れよ」と言いながら、大きな手でわしわしと僕の頭を撫でた。






「この後、僕の家に遊びに来ない?」


 バイトのない日の帰り道。僕は蓬さんを誘った。いつもより緊張した。


「えっと……。」


 迷っているような蓬さん。もしいつもの僕だったら、「都合が良ければだけど」とか言って、逃げてしまう。だけど今日の僕は逃げない。


「最近、2人きりの時間とれてなかったからさ。一緒に過ごしたいんだ。」


 君と一緒に居たいってはっきり言う。


「……そ、そうだね。ごめんね、忙しくしてて。今日は大丈夫だから、千尋のお家に遊びに行こうかな。」

「本当?」

「うん。」

「嬉しい。」


 うん、嬉しい。だって昼休みもこの帰り道も、蓬さんと一緒に過ごしては居るけれど、彼女のことが遠く感じていた。


 蓬さんに何があったのか、僕はちゃんと聞かなくちゃ。


「なんか、千尋の部屋に来るの、久しぶりかも。」

「そうだっけ?」

「うん。」


 キッチンで準備したお茶とお茶菓子を入れたトレーを僕が持って、僕の部屋へと2人であがる。今日のお茶は、カモミールティーだ。お茶菓子にはマカロン。


 少しだけ緊張するけれど、平常心。平常心。


 僕の部屋に入ると、蓬さんもどこか落ち着きなく、いつも蓬さんが使っている座布団に着座した。もうすぐ付き合って1年なのに、なんで僕たちはこんなにぎこちないんだろう。


「……。」

「……。」


 静寂が僕たちを包む。僕の部屋から出る音は、2人がお茶をすする音と、カップをソーサーに置くときに出る音だけだ。


「……。」

「……。」


 ちらりと蓬さんの横顔を見やると、彼女の睫毛はいつもより伏せっている。誰が君にそんな表情をさせるというのだろう。もし、そんな顔を僕がさせているのだとしたら、本当に悲しい。


 蓬さんのその顔を見たときに、僕は自分の覚悟が決まった。


 蓬さんさえ笑顔で居てくれるなら、僕はそれでいい。


「蓬さん。」

「……なあに。」


 彼女は一瞬だけ肩を震わせて、ゆっくりと僕の方へと視線を向けてくれた。久しぶりにこうやって目と目を合わせるかもしれない。


「なにか僕に言いたいことがあるんじゃないの?」


 僕がその言葉を発すると、蓬さんの瞳が揺れた。きっと、正解なんだろう。


「……違うの。ごめん、千尋。千尋は何も悪くないの。」


 ゆらゆら揺れる瞳に、あっと思ったときには、大粒の雫が綺麗にぽろりと落ちた。


「何があったの?」


 僕は優しく諭すように、ゆっくりと蓬さんに言った。


「ごめん。私が千尋を好きすぎるだけなの。欲張りなの。だから、千尋にも、同じだけ……ううん。自分以上に自分のことを好きになって欲しいって……。わがままな気持ちが芽生えてしまうの。」


 ……ん?


「僕のことが好きすぎるの?」

「うん。」


 蓬さんは大きく頷きながら言った。


 ……さて。どうしたものか。話してみないと分からないっていうのは、まさにこのことだ。


「なんだ、よかった。」


 僕は蓬さんの小さな体を引き寄せて、自分の胸の中に閉じ込めた。


「……え?なにがよかったの?」

「蓬さんが僕を好きで居てくれたから。僕、嫌われちゃったのかって不安だったんだ。」

「そんな……!そんなことあるわけないよ。私、ずっとずっと千尋のこと好きだもん。……だから、不安で仕方ないの。」

「どうして?なにが不安なの?僕だって蓬さんのこと大好きだよ。むしろ、いや、絶対に、僕の方が蓬さんのことを好きだと思うよ。」

「……それ、ほんとう?」

「当たり前じゃない。」

「……じゃあ、私のどこが好き?」


 あれ?この質問って、少し前にもされたよね?よくよく考えたら、この質問をされた後から、蓬さんはよそよそしくなったように思う。


「全部。」

「……嘘だあ。」

「嘘じゃないよ。」

「……だって、私の顔が1番好きなんでしょ?」


 ん?


「何の話?」

「……ごめん。ちゃんと聞けばよかったの。私が勝手に一人で傷ついて。……私が進路相談だった日、吉瀬と教室で話してたでしょ。“好きなのは顔”とか、“こんなこと本人には言えない”とか。」

「それでこの前、どこが好きか聞いてきたの?」

「……うん。」


 はあっと僕は盛大な溜息をつきながら、小さな蓬さんの身体をきつく抱きしめた。


「蓬さんの馬鹿。盗み聞きするなら、ちゃんと全部聞いてよ。」

「え?」

「僕と吉瀬くんは、ただ単に顔が好きって話をしてたんじゃないよ。もちろん、顔もタイプだし可愛いなって思うけど、そういう浅いことじゃなくて。色んな表情をする顔を見るのが好きって話をしてたんだ。仕草とか表情の話をしてたんだよ。」

「……え?」

「蓬さんをずっと見ていたいってこと。だから、顔って言っても、ただ顔が可愛いってことじゃなくて、色んな蓬さんを見たいってことだよ。」


 僕が少しだけ腕の力を緩めると、蓬さんは一生懸命に僕の顔を見上げた。


「なに……それ。じゃあ、私の勘違い……?」

「蓬さんはどんな風に勘違いしたの?」

「吉瀬と話してるときは顔が好きって言ったのに、私には全部が好きって言うから。だから、千尋のことが分かんなくなっちゃって。それで、なんか、どんな態度とればいいのか分かんなくなっちゃったの。」

「……もう、蓬さんの馬鹿。ちゃんと聞いてよ。」


 蓬さんの瞳から零れ落ちる雫に唇を寄せる。こんなに近くに蓬さんを感じられるのは、いつぶりだろう。


「うん。ごめんなさい。」

「僕、もうずっとずっと蓬さんのことが好きで仕方ないんだから。離してほしいって言われても、それが難しくなるくらいに。かっこ悪いくらいに、蓬さんのことが好きだよ。」


 僕はいつも蓬さんの前だとかっこ悪くなってしまう。


「私のためにかっこ悪くなってくれる千尋は、かっこいいよ。」

「……っ!」


 上目遣いでそんなことを言われたら、たまらない。


 僕は蓬さん唇に、キスをする。蓬さんもそれに応えて受け入れてくれる。


 何度も角度を変えながら、お互いの気持ちを押し付け合うように唇を重ね合う。時折もれる吐息が、僕の理性をくすぐる。


 息も絶え絶えになっている蓬さんに気付き、僕はそっと唇を離した。


「……ごめん、大丈夫?」

「……うん。」


 潤んだ瞳と火照った肌。こんな姿の彼女を見て、欲情しない男がいるだろうか。


「……ねえ、蓬さん。」

「なあに。」

「約束しておきたいことがあるんだ。」

「?なあに。」

「……3月に卒業式が終わったら、2人で卒業旅行に行こう。」

「うん。いいね、それ。」

「それで、その旅行を僕たちの記念日にしよう。」

「記念日?」

「うん。本当はね。今すぐにでも蓬さんを抱きたいんだ。」

「……っ。うん。」


 耳まで真っ赤になった彼女が可愛い。


「だけど。なんかそれは、タイミングが違う気がするんだ。まだ守られている環境の中で、その責任を負えるかって言われると、まだ無理だと思うし。だからせめて、高校を卒業して。そして、バイトして自分で用意した場所で、蓬さんとそういう関係になりたい。蓬さんとの記念日にしたいんだ。」

「……私は。これからも、ずっとずーっと千尋と一緒に居る予定だから。だから、約束する。私たちの卒業旅行を、私たちの記念日にしよう。」

「蓬さん……。」

「ゆびきりげんまんね。」


 笑顔で小指を差し出す彼女に応えて、僕も笑顔で小指を差し出す。……ああ、この笑顔を守っていきたい。


「とりあえずまずは、1周年記念だね。」

「そうだね。」


 僕たちは額をくっつけて、そして笑みをこぼした。



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