第13話 新学年と男子高校生

第13話 新学年と男子高校生

 新学期になると、世界のすべてが新しくなったように見えるのは何故だろう。いつもと同じ通学路であるはずなのに、ピカピカと輝いている人たちが行き交うせいか、コンクリートの道も瑞々しく見える。


 それから、行き慣れたはずの教室に行かないことも、僕の心を新しくさせる。


「恩田はよーっす。」

「おはよう。」


 新しい教室だけどクラスは持ちあがりのため、そこに居る人たちは親しみがある。そのコントラストに、胸の奥がなんだかむずがゆい感じがする。


 でも、僕がそうやって暢気に野久保くんと挨拶できたのは、束の間だった。


「え、えええ?!蓬はどうしたんだ、その髪の毛!!!」


 僕と一緒に教室に入った蓬さんの様子に、クラスのみんなが全力で驚いた。


「えへへ。可愛いでしょ。似合う?」


 ショートカットの蓬さんは、クラスのみんなにとって破壊力があったらしい。それもそうだろう。ロングヘアーだった蓬さんが、春休みの間に短くしてしまっているのだから。


「え?!2人、別れたとか?!」

「縁起でもないこと言わないでよ!てか別れてたら、一緒に登校なんてしないでしょ!」

「そ、それもそうか……。じゃあ、なんで?!」

「イメチェンよ。」

「な、なるほど。」


 蓬さんがあまりにも堂々と言い放ったため、野久保くんはそれ以上ぐうの音も出ないらしい。僕はそんな蓬さんの隣で、苦笑いを続けるしかない。


 クラスのみんなにもこの会話は聞こえていたらしく、初めは僕たちの関係がどうなったのか気になっている顔をしていたものの、蓬さんがただ髪の毛を切っただけだと分かり、みんな各々のことにへと関心が戻った。


 クラスのみんなは僕たちの話を実際に聞いていたので、それでよかった。でも、大変だったのは、それからだった。






「つ……疲れた……。」


 放課後。ベランダで過ごす僕の隣に、蓬さんは満身創痍の表情でやってきた。


「どうしたの?」

「色んな人に捕まった……。他のクラスの人たちからめちゃくちゃ聞かれるし、見られるし……。」

「蓬さん目立つもん。ショートカットにしたら、そりゃあみんな驚くよ。」

「それはいいんだけど、購買に行ったら2年の子たちにもひそひそ言われるしさあ。面と向かって聞いてくればいいのにさあ。」

「2年生が蓬さんに向かってそんなことできるわけないじゃない。」

「それはそうだけどさあ。」


 蓬さんはぶつぶつと言いながら、こてんと頭を僕の肩に預けてきた。


「充電。」

「ふふっ。僕の肩でよければ、いくらでも貸すよ。」


 そう言いながら、読んでいた少女漫画を膝の上に置いて、蓬さんの頭を撫でる。ふわふわのショートカット。ずっと撫でていたい。


 僕が撫でるのに応えるかのように、蓬さんはぐりぐりと頭を押し付けてくる。まるで、猫のようだ。


 あまりにもその仕草が可愛くて、思わず蓬さんの耳やほっぺも触ってしまう。そうすると彼女は、「ふふふっ。」と笑みをこぼしながら、さらにぐりぐりと押し付けてくる。


 もうなんて可愛い生き物なんだろうか。


 そんなことを考えていると、蓬さんの肩の向こうから、「あ。」と声を出す人物が現れた。僕は寸刻違わず、その人と目が合った。


「ごめん、邪魔した?」


 穂高さんは真顔で、そしてまったく悪いと思っていないような顔で、そう言った。


「ゆ、百合子!どうしたの?」


 蓬さんは慌てて僕から離れる。


 僕も、蓬さんとスキンシップをとっているところを誰かに見られるのは初めてであるため、どうしたらいいのか分からずに無意味に咳払いなんかした。


「いや、教室の中に居るとまじで面倒でさ。さっきから、あんたの髪型についてめちゃくちゃ聞かれる。」

「「あ……。」」


 僕と蓬さんは、穂高さんが質問攻めに合っている様子を察した。


「それなのに当のあんたたちはこんなところでイチャイチャイチャイチャと。……ったくもう。」

「「す、すみません……。」」


 僕たちは声を揃えて謝るしかない。まるで、怒られた後の犬のようだ。


「髪型くらいでって私も思うけどさ。人から見たらきっと、そうじゃないんだろうね。」


 穂高さんはこちらを見ずに、ぽつりとそう呟いた。


「そうだねぇ。」


 蓬さんは、壁に背をもたれながら、空を見上げて応えた。僕は何も言わず、蓬さんの隣で壁に背をもたれて、ゆっくりと流れていく雲を見上げる。


 良いも悪いも注目されやすい蓬さんだ。だから、こうやってみんなが気になってしまうのも仕方がないけれど……。


 見た目だけで僕たちの関係を揺るがす何かがあったと勘繰られるのは、良い気がしないと思った。






 次の日、僕と蓬さんが一緒に登校していると、まるで針の筵状態だった。昨日は同級生たちに注目される程度で済んでいたけれど、今日は下級生にもひそひそ言われているのがよく分かる。


「……蓬さん、僕こんなに注目浴びるの、人生で初めてなんだけれど。」


 自慢じゃないが、蓬さんと付き合う前は本当にひっそりと生きてきた。なんなら、クラスの誰とも喋らない日なんて、当たり前にあるほどだった。


 そんな僕が今、こんなに大勢の人からひそひそと噂話をたてられている。今では普通に色々な人と会話はするけれど、こんなにじろじろ見られるのは、居心地が悪い。


「……さっと教室に行こう。」

「……うん。」


 僕と蓬さんは、突き刺さる視線から逃げるようにして、自分たちの教室へと向かった。すると、僕の席には机に上体を突っ伏した一臣くんが居た。


「一臣くん?おはよう?」


 僕がそう声をかけると、性急にからだを起こした一臣くん。その動作に一瞬驚いて、僕は少しだけ体をのけぞった。なんだ。寝ていたんじゃないのか。


「どうしたの?」


 僕の顔をじっと凝視するのに何も言葉を発しない一臣くんに、僕は首を傾げる。何か言いたいことがありそうな顔をしているのに、一臣くんはそれをどう説明しようか考えているようだ。


「……驚かずに聞いて欲しい。」

「うん?」


 一臣くんが前置きをするということは、何か僕が驚くような出来事が起きたのだろう。僕は思わず、生唾を飲む。


「……俺が蓬を略奪したという噂が出回っている。」


 えっ……。


 心臓の奥が一瞬にして、ひゅっと冷えた。


「もちろん、ガセ。ガセというか、千尋と蓬が別れたんじゃないかっていう噂に、尾ひれがついた形みたいだけど……。」

「そ、そうなんだ……。」


 どんな顔をして一臣くんの話を聞いたらいいのか分からない。だって、よりにもよって、噂の相手が一臣くんだなんて。


 大好きな一臣くんのはずなのに、彼に向けてぐちゃぐちゃでどろどろな感情を向けてしまいそうになる。


 ぐらぐらと自分の足元が揺れそうになる。今はまだ、ただの噂だけれど、もしそれが現実になってしまったらどうしよう。


「……千尋には安心してほしいんだけどさ。」

「うん?」

「間違っても俺と蓬がどうにかなることはないから。」


 それはきっと、一臣くんなりの優しさだろう。蓬さんが好きなはずなのに、こうやって言ってくれる一臣くんは、なんてできた人なんだと思う。


 しかし僕は、一臣くんの次の言葉を聞いて耳を疑った。


「だって、俺の好きな子は千尋のクラスの女の子じゃないし。」

「……え?」


 なんでそんな嘘をつくんだろう。僕に話せない人って言うのは、世界で一人しかいないはずだ。


「千尋、なにか誤解してるみたいだからちゃんと言っときたくてさ。“言えない相手”ってところで察して欲しいんだけど、とにかく千尋のクラスのというか、同級生の女の子じゃないよ。この学校にはいるけどね。」


 言えない相手で、同級生の女の子じゃなくて、でもこの学校にはいる……。もし、相手が下級生の女の子だとしたら、普通に教えてくれるだろう。


 と、なると。


「えっ。」

「分かった?」

「わ、分かった。でも、あえて誰なのかは聞かない。」

「ありがとう。そういうことだからさ。……俺も、親友の千尋に言えないのが心苦しいけど。」


 ……まったく。僕ってなんて恥ずかしい奴なんだろう。一臣くんの好きな人が蓬さんだって勝手に決めつけて。


「……ううん。僕の方こそ、ごめん。てっきり、一臣くんの好きな人は蓬さんなのかと思ってしまってた。でも、本当に違ったんだね。言えないのに、言えるところまで教えてくれてありがとう。」


 僕がそう言うと、一臣くんはちょっと困ったようなでもはにかんだような顔で笑った。


「それで、俺から提案なんだけどさ。」

「う、うん?」

「できるだけ千尋と一緒に居ようと思うんだけど、どう?」

「う、うん?」


 一臣くんの提案の意味が分からなくて、聞き返してしまう。


「俺と千尋が少しでも気まずそうにしてたら、噂が本当だったと誤解する人も出るだろ?だから、俺と千尋はできるだけ一緒に居て仲良しのところをアピールすんの。あと、千尋は蓬と一緒に登下校するの欠かしちゃだめだぞ。俺はできるだけ、蓬と喋るのは千尋が一緒のときだけにするから。」

「そ、それで噂は大丈夫なのかな。」

「人の噂も七十五日。だけど、ネタになりそうな噂があれば食いつくもんだよ。だから、食いつかせないようにやろうって話。」


 一臣くんは口端を妖しくあげて、笑った。


 なんかちょっと、いたずらっ子のような顔にも見える。


「……一臣くん、ちょっとだけ楽しそう?」


 僕が指摘すると、彼はまるで「やばっ。」とでも言いたげな表情をして、口元に手を当てた。


「……楽しいっていうか、何事も楽しんだモン勝ちじゃないかなって。だって、ことの真相は俺たちだけが知ってて、みんなはそれに踊らされてるんだぜ。なんかそれって、ちょっと不謹慎だけど面白くない?」


 僕の目から、数十枚の鱗が落ちた。一臣くんから話を聞いて、奈落の底に突き落とされたような気分になっていたけれど、その状況を楽しんでしまうなんて。


「楽しんじゃって、いいのかな。」

「いいだろ。千尋の心は千尋だけのものだし。」


 一臣くんは、いたずらっ子のようにして笑う。その彼の笑顔を見ると、彼と友達になれて本当によかったと思う。


「ふふっ。一臣くんと一緒なら、楽しめそうな気がしてきたよ。」

「そりゃよかった。とりあえず、休み時間のたびに千尋のところに来るようにするわ。」


 休み時間のたびに、一臣くんが僕のところに来てくれる。それはそれで嬉しいけれど、みんなに仲良しをアピールするのであれば……。


「僕が一臣くんの方に行こうかな。」

「えっ。」


 今まで聞いたことがないような、すっきょうとんな声が一臣くんの口から飛び出した。


「だってその方がみんなにも印象付けられるでしょ。」


 『赤髪の白雪姫』の中でも、自分の中だけで会うなとハルカ侯爵が白雪に言い諭す場面がある。僕のテリトリーの中だけで一臣くんと仲良くしていることを見せても、クラス以外の人に分かってもらうことはできない。


「それは、そうかもしれないけれど……。千尋は大丈夫なの?」

「うん。一臣くんと蓬さんの名誉を守るためだもん。1限目終わったら、すぐに行くから。」


 自分だけが噂に傷つけられたように思ったけれど、一臣くんだって蓬さんだって良い気のしない噂だ。2人のためだったら、僕だって頑張りたい。


「分かった。じゃあ、千尋が俺のところに来てくれるの楽しみにしてるよ。」

「任せて。」


 それからは、できるだけ一臣くんもしくは蓬さんと一緒に行動するようにした。一臣くんのクラスに僕が初めて足を運んだときの、みんなのぎょっとした視線が忘れられない。


 だけど、物珍しく見られたのもその1回限りで、一臣くんのおかげでしかないけれど、一臣くんのクラスでも違和感なく馴染めるようになった。


 一臣くんと仲良しの篠原くんとも、よく話すようになった。篠原くんは、僕と仲良くしたいと思ってくれていたらしいけれど、一臣くんがガードしていたらしい。


 2人の他愛のない話に付き合うのも、とても楽しい時間だ。篠原くんも「ザ☆キラキラ男子」って感じだけれど、話をしてみないと分からないことってたくさんあるんだなって思った。






 新学期に新入生が入ってくるのは、学校だけじゃない。僕のバイト先にも新しい子がやってきたため、店長から紹介があった。


篠原瑠璃るりです。よろしくお願いします。」


 篠原さんと言ったその子は、長い黒髪をポニーテールにしており、つぶらな大きな黒い瞳が特徴的な女の子だった。どこかのアイドルグループに居ても遜色ないだろう。


「私、恩田さんと同じ東高の1年です。」

「そうなんだ。」


 同じ学校の子が後輩として入ってくるなんて、なんだか気まずい気もする。


「分からないところばかりなので、ご迷惑をおかけするかと思いますが、宜しくお願いします。」

「こちらこそ、宜しくお願いします。」


 にこりと笑ったその子は、純情そうだ。だけど、少女漫画で言うと、こういう感じの女の子って大体腹黒い。


 見た目で判断するわけではないけれど、なんだか居心地が悪い。


「とりあえずしばらくは、恩田くんが一通り教えてあげてくれる?」


 店長にそう言われたら、そうせざるをえない。


「分かりました。……教えるのはあまり上手ではないので、分からないところがあったら、なんでも聞いてください。」

「はい!ありがとうございます!」


 ああ、不安だ。最近は色んな人とコミュニケーションをとれているとはいえ、後輩とからんだことは無いに等しい。


「恩田さんって、山崎先輩と付き合ってるんですよね。」


 レジの作業を教えている最中、篠原さんからそんな発言が飛び出した。


 なんと。1年生まで知っているとは。驚きすぎて、僕は少したじろいだ。相手は年下の女の子だから、そんなに恐れる必要はないと思うけれど、あまりに不躾だったから距離を測りたかった。


「……1年生も知ってるんだね。」

「ふふっ。みんな知ってますよ。だって、先輩たち有名ですもん。」


 どんな風に有名なの?とは聞けない。僕は力のない声で「ああ、そう。」としか答えられなかった。


「でも、お2人とも系統が違いますよね。どっちから告白したとか聞いてもいいですか?」


 な、なにその質問。


「……まあ、どっちでもいいんじゃない。」


 初対面なのになんでここまで聞かれなきゃいけないのかと思い、少しぶっきらぼうに言葉を放ってしまった。でも彼女はまったく気に留めていないようだ。


「ふふっ。恩田さんって、1年生の間でも人気あるんですよ。」


 ん?聞き間違い?


「私の周りでも“恩田先輩って山崎先輩の横に居てもクールで良いよね”って言ってます。」


……ん?


 しばらく理解が追い付かない。


「え、僕の話?」

「そうですよ。ふふっ。私も、恩田さんのこと、いいなって思ってますよ。」


 ……意味が分からない。


「……なんか、1年生ってよく分からないね。」


 理解に苦しむ。一体、僕のどこに良いと思う部分があるというのだろうか。


「ふふっ。そうですか?」

「どう考えたって、蓬さんの方が素敵でしょうに。」

「ふふっ。ノロケですか?」

「そういうわけじゃないけれど。僕に憧れる要素なんて、1つもないよ。蓬さんだけが知っててくれればいいし。」

「そう……ですか。」


 蓬さんが有名だから、僕のことを知られるのは仕方のないことだ。だけど、僕に変な憧れを持たれるのは困る。


 よく、少女漫画の中でも“あの人と付き合ってるからすごい”なんて描写があるけれど、それはただの虎の威を借りる狐と似たようなものだ。


 だけど蓬さんと付き合っているからといって、決して僕自身がすごいわけじゃない。ただ、僕の良いところも悪いところも、蓬さんが好きになってくれたというだけだ。


 1年生はきっと、僕のことなんて知るはずがない。だからきっと、“あの山崎先輩と付き合っているから素敵”と思っているだけにすぎないのだ。


 その後は、淡々と作業を篠原さんに教えた。1日で全部教えられるわけではないため、少しずつ彼女ができそうな作業から教えた。


 数時間だけだったけど、人に教えるってすごく疲れた。なにしろ、自分がちゃんとわかっていないと人に教えることはできない。


 だから、自分の作業の確認もしながらだった。だけどこれはある意味、新人の彼女に感謝だ。自分の復習ができたのだから。






 次の日。昼休みにベランダで蓬さんと話をしていると、一臣くんが慌てて僕たちのところにやってきた。


「あれ。一臣くん、どうしたの?」


 一臣くんはなりふり構わずここへ来たのか、ぜーはーぜーはーと息を整えている。僕はとりあえず、持っていたお茶を差し出して、彼に飲ませる。


 すると、大分息も整ったようで、「ふうっ。」と大きく一息つくと、深かった呼吸が浅くなった。


「……慌てすぎでしょ。」


 一臣くんのその様子を見て、蓬さんはドン引きしている。いや、蓬さんは引きすぎだから。


「いや、それがさ。さっき、とおるに聞いたんだけどさ。なんか1年の間で、俺と蓬が噂になってるって。」

「え……?」


 最近、しっかりと蓬さんと一緒に居たし、一臣くんとも仲良くしているのが功を奏したのか、ジロジロと見られることはなくなったし、変な噂も耳にしないようになっていた。


「透は誰からの情報なの?」

「妹からだって。あいつ、1年に妹居るから。」

「……それなら、確実に近いわよね。でも、最近はそんな話、聞かなかったじゃない。それに、私と一臣は2人で居るのも避けてたし。なんで急にまた。」

「それが、見た人が居るって言うんだよ。俺と蓬が一緒に2人で居るのを。でも、そんなこと1度もなかったろ?だから完全にデマなんだけど、広まってるみたいでさ。」


 それは、最悪だ。今までの努力が無駄になってしまう。


「……まあ、噂なんて正直、気にしなきゃいいんだけど。でも、デマってのが面白くないわね。なんか、私たちに恨みのある人でも居るのかしら。」


 蓬さんの一言ではた、と思った。確かにそうだ。最初はただ、蓬さんが髪を切っただけで、邪推した人たちが噂を始めた。


 でもそれも、僕たちの努力によって“なんだ、ただ髪を切っただけだったのか”という認識になった。それにも関わらず、もう一度変な噂が盛り返すのは、盛り返した人が居るってことだ。


「……いるのかもしれない。」

「「え?」」


 ぼそっと呟いた僕の方に、2人とも視線を集める。


「だから、僕たちの誰かに何らかの思いを抱えている人が居るのかもしれないよ。じゃないと、今回の噂はおかしいよ。恣意的なものを感じる。」


 この噂に便乗して、何かをしようとしている人が居るのかもしれない。


「正直、私も恩田と同じ意見だわ。」

「わっ。」


 一臣くんの後ろからベランダにやってきた穂高さん。どこから聞いていたのか分からないけれど、そう言葉を言い放った。


 穂高さんが後ろからきていることに気付かなかったようで、一臣くんが吃驚した声をあげた。


「なんで百合子もそう思うの?」


 蓬さんは一臣くんが驚いたことにはスルーして、穂高さんに質問をした。一臣くんはそんな蓬さんを恨めしそうに見ているけれど、それもスルーされている。


「なんか、おかしいんだよね。例のごとく、私に“一臣と蓬がなんかあるって嘘でしょ”ってみんな聞いてきてるけど、聞いてきた人たちみんな、1年から聞いたって言ってんのよ。これって、1年が発端になって噂が広まってると思うのよね。」

「1年から……。」

「言われてみれば、透の妹も1年だしな。」


 だけどそこで妙な疑問が生まれる。1年生なんて、この間入学してきたばかりで、僕たちと関わっている後輩なんてほとんどいないはずだ。


 そうなると、恨みを買うようなことをした覚えがない。


「……蓬さん、1年生に知り合いなんている?」

「う~ん。中学の時に可愛がっていた後輩ならいるけど……。でも、そんな嫌われるようなことはしてないと思うけど……。一臣は?」

「俺も。1年の女子とはほとんど絡みないし。」

「でも、一臣くんはイケメンだから、ひょんなことから恨み買いそうだよね。」


 少女漫画でもあるあるだ。勝手にヒーローに憧れた女の子が、暴走すること。


「……千尋は俺のことなんだと思ってるの。」

「イケメン。」

「でも確かに、一臣ならありそうよね。1年のときなんか女の子とっかえひっかえだったし。」


 穂高さんは結構過激な爆弾を投下する。


「ちょ、それはもうずいぶん前の話だからさ。」

「一臣はそう思ってても、やられた方は覚えてるもんだからねぇ。」


 女の子2人には太刀打ちできないと思うよ、一臣くん。でも、一臣くんが原因となると引っかかることがある。


「……でも、一臣くんは巻き込まれただけのような気がするな。」

「どうして千尋はそう思うの?」


 蓬さんが上目遣いで僕を見上げてくる。本当に分からないという顔が最高に可愛い。


 彼女の可愛い視線に応えて、僕は自分の意見を発する。


「だって、この噂によって誰が1番嫌な思いをすると思う?僕は多分、蓬さんだと思うんだけど。」


 この噂は簡潔に言うと、一臣くんが蓬さんを僕から略奪したというものだ。そうなると、僕は友達に彼女を奪われた男という位置だから、噂は良いものではないけれど名誉が傷つくことはない。


 一臣くんも多少は“奪った男”というレッテルを貼られるかもしれないけれど、そこまで悪い印象を持たれることはないだろう。


 でも、蓬さんは。


「多分、僕を捨てて乗り換えた女っていうイメージになると思うよ。なんなら、二股かけていたとか、ないことないこと言われる可能性も少なくはない。」

「確かに……。俺も蓬なんかを好きだと思われるのは不本意だけど、1番不利なのは蓬だな。」

「ちょっと!私だって不本意すぎるくらい不本意だからね!」

「てことは、蓬が誰かに恨まれてるってことなの?それとも、恩田と蓬を別れさせたい何かが働いてるってことなの?」

「……それは、分からない……。」


 誰が何を意図して、こんな噂を立てているのか、今の時点では分からない。だけど、蓬さんが謂れもない噂で傷つくのは、僕には耐えられない。


「とりあえず、僕と蓬さんが仲良しだってことをアピールしつつ、誰が噂の発生源なのか探るしかないと思う。」

「噂の発生源はどうやって探るの?」


 蓬さんは、僕のブレザーの袖をぎゅっと掴んで、上目遣いで聞いてくる。最強だな、彼女の可愛さは。


「……地道だけど、噂の確認をしてきた人に誰から聞いたか教えてもらうしかないと思う。……だから、穂高さんの協力が必要不可欠になるんだけど……。」

「私?」

「うん。多分、一番噂のことを色んな人から聞いているのは、この中だと確実に穂高さんだから。」

「わかった。じゃあ、私にとりあえず私に聞いてきた人たちに聞いてみるよ。」

「ありがとう。僕達も穂高さんの手分けをして、探してみよう。その方が早く発生源にたどり着けると思うから。」

「そうね。」

「ああ。」


 穂高さんに尋ねてきた人たちをリストアップして、その人たちに一人ずつ当たっていくことになった。


 通常なら噂なんて放っておけばいい。でも、ただの噂じゃない匂いがしたら、そういうわけにはいかない。


 ただのいたずらかもしれない。ただ、僕たちのことが気に入らないだけなのかもしれない。


 だけど、蓬さんが目立つからって、それをやっていいわけじゃない。


 僕は放課後、蓬さんと一緒に担任の西野先生のところにやってきた。一応、大人にも相談しておく必要があると考えたからだ。


「それで、相談って?」


 保健室を借りてくれた西野先生は、養護教諭同席のもと僕たちの相談に乗ってくれた。保健室に入るなり、蓬さんは釈然としない顔をしている。


「……多分、西野っちが思ってるような相談じゃないけどね。」

「な、なんだよ。俺が思ってるような相談って。」


 西野先生が少しだけ動揺する。養護教諭の里中さとなか先生は、4人分のお茶を準備して、テーブルに置いてくれた。


「……まあ、カップルから相談とか言われたら、邪推するのも分かるけどね。でも、そうじゃないから。」

「そ、そうか。それなら少し安心したけれども。」


 西野先生は自分を落ち着けせるように、お茶に口をつけた。どうやら、僕たちの相談の内容次第ではどうしたらいいかと考えていたらしい。


「すみません。蓬さんは別に大人に言わなくてもいいだろって言ってたんですけど……。もしものことを考えて、大事になってからではと思って。西野先生になにか力を借りたいというよりかは、どういうことが起きたか知っていてほしくて。」

「……分かった。」


 西野先生と里中先生に、僕からことのあらましを説明した。時々、蓬さんが補足してくれたから、大体は起きたことを正しく伝えられたと思う。


 そして、僕たちがこれからしようとしていることについても、きちんと話をした。


「そっか。」


 西野先生は話を聞くと、「うん。」と大きく頷いて、僕たち2人の頭をわしゃわしゃっと撫でた。


「わっ。」

「ちょっと!」

「よく話してくれたな!ありがとう!」


 西野先生は満面の笑みだった。里中先生も柔らかく微笑んでいる。


「だからって頭触るのはやめてよ。セットが乱れちゃうじゃない。」

「すまん、すまん。」


 まったく悪いと思っていないような声だ。


「まあ、現時点では何とも言えないけれど、もし誰かが故意にお前たちの噂を流しているのであれば、それはれっきとした嫌がらせだし、いじめだと先生は思う。だから、話してくれてありがとうな。ただ、犯人捜しがなー。まじでやるの?」

「このままにしておけと?」

「いや、そうじゃない。いいよとも言えないし、だめだとも言えないのが正直なところだ。里中先生はどう思います?」

「そうですねえ。ただの犯人捜しになってしまうか、それともきちんと話して折り合いをつけるかは紙一重ですからね。ここで何もしないっていうのも、そのデマを発信した子にとっても良くないことでしょうし。大人が最初から出しゃばるのは、かえってよくないこともありますしね。まずは、私たちに相談してもらいながら、ことを進める方が良いんじゃないでしょうか。」

「うん、そうですね。……とりあえず、ちゃんと俺か里中先生に相談しながら行うこと。いいか?」

「はい、わかりました。」

「はあい。」


 話を聞いてもらえてよかった。こういうことは、正義を振りかざして暴走するのは絶対によくない。少女漫画の展開とかでよく、自分たちの考えだけで解決するシーンが多いけれど、あれは漫画だからなせるものだ。


 僕たちはただの平凡な高校生だ。中には大人の意見なんてと思う思春期真っ盛りの人も居るだろうけど、僕はまだまだ子供だ。


 僕たちだけの正義感を振りかざして進むのではなく、ちゃんと大人のサポートも必要だと思ったのだ。大人への一歩は、自分が子供だと認めることから始まると思う。






「山崎さんのあの噂って、本当なんですか?」


 バイト中、篠原さんからそんな言葉を投げかけられた。1年生の間で噂になっているらしいから、彼女が知っていてもなんら不思議ではない。


 だけど、本人のような存在の僕に、ストレートに聞くのはいささか頭を抱える。


「……篠原さんは本当だと思うの?」


 だから僕は、逆に質問をしてみた。


「ふふっ。分からないから恩田さんに聞いてみたんですけどね。ん~でもそうですね。恩田さんに言うのも悪いですけど、無きにしも非ずかなって。だって、山崎さんと丸林さんってお似合いなんですもん。」


 分かっている。彼女になんら、悪意はない。だけど、こういう人のせいで噂って広がっていくのかなって思ってしまう。


「そっか。でも、篠原さんはよく知らないでしょ。蓬さんのことも、一臣くんのことも、僕のことも。見た目だけで判断してそれを口に出すのは、あんまりよくないと思うよ。」

「えー。でも、私のただの意見ですから。恩田さんはそうですねえ。なんかもっと、清楚な女の子が似合うと思います。髪の毛だって黒くて、化粧だってケバくなくて。」

「ありがとう。でも、自分に似合うかどうかで誰かを好きになることはないから。」


 僕がそう言うと、篠原さんは少し納得のいかないような表情をしたけれど、それ以上何かを言うことはなかった。


 それにしてもやっぱり、1年生の間で噂になっているんだなって思う。


「……ちなみにだけど、その噂って誰から聞いたの?」

「誰から?誰からだったかなあ。私の友達はみんな知ってますよ。」

「そうなんだ……。誰か、蓬さんに恨みのある人でも居るのかな?」

「え~。そんなの、いっぱい居るんじゃないですか?だって、有名になればなるほどアンチって居ますし。」

「いっぱい居るの?」

「気に入らない人はいっぱい居ると思いますよ。」


 篠原さんは笑顔で言っているけれど、言葉の端々に棘がある。


「そう……。」


 きっと彼女は、蓬さんのことをよく思っていないのだろう。なぜそんなにと思うけれど、“有名になればなるほどアンチが居る”っていうのが、きっと彼女の答えなのだろう。


 そこまで関わりはないけれど、なんか鼻につくってことだったり、なんか嫌だってことだったりということは、きっとあると思う。


 それはその人の感情だから自由だし、僕だってキラキラグループのことは苦手だと思っていた。ひょっとしたら、噂の発信源の人物も、それくらいの気持ちなのかもしれない。


 噂の発信源を特定したと穂高さんから聞かされたのは、それからすぐだった。






 バイトのない日の放課後、僕と蓬さん、一臣くん、穂高さんの4人は、生徒指導室へとやってきた。そこには、西野先生と里中先生も居る。


 生徒指導室に置いてある応接セットは、3人がけのソファーが長テーブルを挟んで対面して2つ置いてあり、その左右に1人がけのソファーが1つずつ置いてある。


 蓬さんを真ん中にして穂高さんと僕が座ると、一臣くんはパイプ椅子を持ってきて、僕の横に座った。


 里中先生は穂高さん側のソファー、西野先生は僕側のソファーに座っている。僕たちと対面する3人がけのソファーには、噂を流した人とその子の担任が座る予定だ。


 僕たちが生徒指導室に来てから5分後、ドアがノックされた。「失礼します」と最初に入ってきたのは、1年生のクラスを担任している藤原ふじわら先生だ。


 その後に続いて入ってきたのが、篠原くんの妹・篠原瑠璃さんだ。


 まさか、彼女が噂の発信源だったなんて、思いもしなかった。それに彼女が篠原くんの妹だなんてことも、思いもしなかった。だけど、穂高さんに噂の確認をしてきた人たちの話をたどると、すべて彼女に行きついた。


 そのため篠原くんはダイレクトに、デマを妹から聞かされていたことになる。


「お待たせしました。」


 藤原先生と篠原さんが僕たちの目の前に着席する。藤原先生は30代後半の女性の先生で、僕たちが1年生のときに育休から復職した。担当教科は国語だ。


「それでは、しきりはどちらかに傾きがあってはいけないので、私がさせていただきますね。まずは恩田くん。なにか言いたいことはありますか?」


 里中先生が率先して、この場をとりしきってくれることになった。さすが養護教諭だ。里中先生の柔らかい口調を聞いていると、篠原さんへの怒りが少しだけ冷静になる。


「……まず、僕の方から事実を確認したいと思います。一臣くんが僕から蓬さんを略奪したっていうデマを流したのは、篠原さんで間違いないですか?」


 じっと篠原さんの黒い大きな瞳を見ながら、質問をした。彼女は僕の方を一切見ない。どこを見ているのか分からないし、表情も一切変えない。


「違います。」


 そしてはっきりと、彼女はそう言った。


「は……?」


 3年生チームに、ぴりっとした緊張感が走る。蓬さんが体をぐっと前のめりにしたから、僕はそれを左手で軽く制した。


 篠原さんがどんな姿勢でくるか見たくて質問をしてみたけれど、これは少し厄介かもしれない。


「……じゃあ、質問を変えます。一臣くんと蓬さんが一緒に居るのを見たという話を流したのは、篠原さんで間違いないですか?」

「はい、間違いありません。お2人が一緒に居るのを見たので、友達にそれを話しただけです。」

「一緒に居るのを見た?そんなわけねえだろ。蓬と2人でなんて居なかったんだから。」

「そうよ。それにここ最近は誰に見られるか分からないから、家族以外の男の人と2人きりにならないようにしてたし。」

「そうだったんですか。それじゃあ、私の見間違いだったんですね。すみませんでした。それだけですか?」

「は……?」


 穂高さんの眉間に深いしわが寄せられる。篠原さんは穂高さんの顔を一切見ていないから分からないかもしれないけれど、鬼のような形相になっている。


 綺麗な人が怒るとすごい。


「では、篠原さんの言い分はありますか?」


 里中先生が篠原さんに話を振ると、篠原さんは座り直して姿勢を正して言った。


「先輩たちは、私がデマを流したかのように思われているかもしれませんが、先ほど言ったように、私はただ、見間違ったことを友達に話しただけです。デマを流そうとして話したわけじゃなくて、お2人を見たと思ったから喋っただけです。それが、何か悪いんですかね?」


 なるほど。


 篠原さんはどちらでくるのかなって事前に考えていた。あくまでも、友達から聞いた話を友達に話しただけだとするポジションと、今みたいに話の内容は認めたうえで悪意はないとするポジション。


 彼女は後者できたらしい。


 ただ、どちらで来たとしても彼女の「デマを発信しよう」とする悪意は、隠しきれていなかった。だから僕は、それを質問してその真意を聞いていくしかない。


「……でも、明らかに噂を立ててやろうと思って話してるよね?」

「恩田さんはどうしてそう思うんですか?」


 彼女は初めて、僕の方を見た。どんな感情なのか分からない大きな眼で僕を見つめる。


「まず、複数の人に話をしていること。噂を篠原さんから聞いたと言っている人は、5人を超えていたよ。もしただ、ぽろっと話しただけなのならば、そんなに大勢の人に話なんかしないよね。それから、全員に「友達から聞いた話なんだけど」と言って話している。悪意がないのであればそんなことをする必要はなかったと思うんだけど。」


 この話し合いの中で、初めて彼女の瞳に動揺が宿った。だけどすぐに立て直す。


「それは、色々な話をする中でぽろっと友達に話しちゃっただけで。複数人に話をしていたとしても、その域を出ませんよね?それに、自分が見たなんて話をしたら根掘り葉掘り聞かれてしまうので、それが嫌で友達が言ってた話なんだけどっていう前置きをして話をしました。」

「なんで根掘り葉掘り聞かれたくなかったの?」

「それはプライベートなことなので。」


 まあ、なかなかしぶとい。でも彼女は、自分で墓穴を掘っていることに気付いてないのだろうか。


「……根掘り葉掘り聞かれるとしても、篠原さんのプライベートなことまで聞かれることはないんじゃない?それに、そこまで上手く交わせるなら同級生の質問くらい、上手に交わせるでしょ?根掘り葉掘り聞かれたくなかったのは、本当は何も見てなかったからだよね?」


 篠原さんは上手く答えをしているつもりかもしれないけれど、さっきから微妙にズレがある。それはきっと、デマを流したいという悪意を隠したいための綻びだ。


「篠原さん、言っていたよね。蓬さんのことが気に入らない人はいっぱい居るはずだって。それって、君自身のことだったんじゃないの?」


 あのときの篠原さんの表情は、少なくとも悪意が感じられた。何があったのかは分からないし、篠原さんの言うように有名になればなるほど、本人のことをよく知らなくても気に入らない人は出てくる。


 篠原さんだってその類なのかもしれない。だけどだからといって、陰湿な噂を流していいわけじゃない。だって僕たちだって心無いことを言われたら、傷つく人間なのだから。


「どうしてこんなことをしたのか、正直に話しをしてほしい。僕は君を責めたいんじゃない。ちゃんと話をしたいんだ。」


 僕の言葉に、篠原さんは一瞬、天井を見上げてから盛大に溜息をついた。そして、今までとは打って変わって、座っているソファーにも深く腰をかける。


「あーあ、つまんない。」


 彼女から出た一言に、その場にいた全員が彼女の口から出た言葉なのかと、目を点にする。僕はじっと、篠原さんを見据えた。


「せっかく山崎先輩から恩田さんを奪ってみようかなーって思ったのに。恩田さんってば、全然私の方になびかないんだもん。」

「……蓬さんのことが気に入らなかったの?」

「いや、別に?ただ有名な山崎先輩の彼氏と付き合えたら、拍が着くなーって思っただけです。そのためにせっかく恩田さんと同じバイト先に入ったのに。」

「……それなら変な噂なんて立てないで、正々堂々と僕にアプローチすればよかったんじゃないの?」

「私が恩田さんにアプローチ?何言ってんですか。アプローチ受けるのは私の方でしょ。だから、山崎先輩と恩田さんにさっさと別れてもらおうと思ったんですけど。なんで上手くいかないかなー。だってどう見ても、丸林先輩の方が山崎先輩にお似合いじゃないですか。」


 いたって真面目にそう話す彼女に、隣に座っている藤原先生も引きつった顔をしている。まさか篠原さんがこんな態度をとるなんて、思いもしなかったのだろう。


「お似合いなんて、篠原さんに決めてもらうことじゃないから。」


 僕は笑顔で言った。僕だってずっとずっと悩んできた。本当に蓬さんにお似合いなんだろうかとか、一臣くんの方がなんて思った日なんて、たくさんある。


 だけどそれは、僕を好きだと言ってくれている蓬さんの気持ちを否定することだ。僕は蓬さんが好きで、蓬さんも僕を想ってくれている。


 それだけで、いいと思う。


「でも、周りからどう見られるかって大切でしょ?恩田さんだって、私と付き合った方がよくみられますよ?」


 ああこの子には、何を言っても通じないんだなあと思う。だってそもそも、根本的なところから噛み合っていない。


「……とりあえずさあ。あんたがどんな考えしてるかどうでもいいからさ、私たちに謝ってくれないかな?」


 収拾のつかなさそうな空気が流れ始めたところで、言葉を発したのは穂高さんだった。


「は……?なんで私が謝らなきゃいけないんですか?」

「悪いことしたら謝るのは当たり前でしょうが。」


 穂高さんの圧倒的な格上のオーラに、篠原さんは少しだけ怯む。


「私、何も悪いことしてませんけど?」

「何もってことはないじゃん。デマをでっちあげたことは悪くないって言い張るの?」

「……それは……。」

「あんた一人の身勝手な行動で、どれだけの人が迷惑をしたと思うの?分かっているだけでも、ここに居る蓬と恩田と一臣の3人は噂の当事者だからもちろんだし、私はその噂に振り回された人の相手で迷惑をかけられたし、なによりあんたの兄貴の透は、知らないうちにあんたのでっちあげの噂を広めるのに加担させられてるのよ?あんたの友達だってそうでしょうに。それのどこが悪くないっていうの?世界はあんた中心に回ってるんじゃないし、悪気がなくても悪いことをしたら反省するのが人間なのよ。それともあんたは人間じゃないの?」


 今まで黙っていた分なのか、穂高さんは一気に捲し立てた。それでも、篠原さんは納得の言っていないような顔をする。


 するとここで、この話し合いの動向を温かく見守ってくれていた里中先生が、篠原さんの方にからだを向けて、口を開いた。


「篠原さん。この場で自分の気持ちを話にくければ、また後で保健室に来て話をしてくれればいいなと思うんだけど。でももし、“小さなデマくらい”って思っているのであれば、それは考えを改めてほしいの。」


 ゆっくり諭すように、篠原さんに語りかけた。


「デマを流すつもりもなくて、ちょっとした冗談のつもりで言った一言でさえ、時には重大な事件に発展することもあるの。『豊川信用金庫事件』って知ってる?ある一人の女子高校生がね、“信用金庫は危ないよ”って友達をちょっとからかったところから、その冗談が段々と大人を巻き込んで大きな噂に発展していって、“豊川信用金庫は危ない”っていう噂があっという間に町中に広がるの。そこからどうなったと思う?」

「……どうなったんですか。」

「ただの噂で済めばよかったんだけど、その噂を真に受けた大勢の人たちが、“倒産する”と断定し始めてね。信用金庫側が真実を発表しても聞き入れてもらえなくて、ついには預金者が殺到して、たった数日の間に20億円もの預貯金が引き起こされたの。事態を鎮静化するために、マスコミや警察、日本銀行を巻き込んでの大騒動。たった一人の女子高生の冗談話からだよ?もし、篠原さんが流した噂が、聞いた人によって曲解されて独り歩きしだしたら、もう誰にも止められなくなる。どんなことが起きるのか分からない。ここにいる3年生だけじゃなくて、あなただって今の生活を送れなくなるかもしれない。それを分かったうえで、やったことなのかな?」

「……。」

「ちょっとした出来心でやったのかもしれない。だけど、あなたのちょっとした出来心が、ここにいる3年生を大きく傷つけたし、あなただって傷つく恐れがあった。そのことだけはよく胸に留めておいてほしい。」

「……はい。……先輩たちもすみませんでした。」


 篠原さんは完全に納得したようではなかったが、とんでもないことが起きる前に収拾がついたことは理解したようで、不服そうに謝罪の言葉を口にした。


 話し合いが終わり、先生たちは篠原さんと詳しく話す必要があるとかで、僕たち4人と西野先生は生徒指導室を出た。


「西野先生、ありがとうございました。」


 僕は深々と、西野先生に頭を下げた。


「いや、お前たちが勇気をもって話をしてきてくれたから、俺はそれに応えただけだよ。それより恩田、よく頑張ったな。見直したぞ。」


 西野先生はぽんぽんと僕の背中を軽く叩いた。それが心地よくて、なんだか胸の奥がじんわりと温かくなる。


「私も恩田のこと見直したな。ただのヘタレかと思ってたけど。」

「あー。百合子ひどい。千尋はずっと正義感があって優しいもん。」

「千尋はここぞって時に決めるんだよな。」

「……やめてよ、3人とも。恥ずかしいよ。」


 僕としては、篠原さんとも蓬さんとも面識があるのは僕だけだから、僕が話をしないと進まないと思っただけだった。


「それより、篠原さんはどうなるんでしょうか?」


 大事になる前に手を打てたから良かったけれど、故意に相手を陥れるために噂を流したのは悪質だ。


「……まあ、職員会議でかけられると思うけど……。何かしらのペナルティはあるかもしれないな。相手がお前らだっただけで、それがいじめじゃなくなるなんてことはないし、いじめって言ってるけど立派な犯罪行為だからな。」

「そうですよね……。」

「なんか、すっきりはしないよね。」


 蓬さんの言う通りだ。すっきりはしない。


「それに、篠原くんが大丈夫か気がかりだよ。」

「確かに。透の方が落ち込むかもね。」

「じゃあ明日さ、みんなで透の家に押しかけようぜ。ケーキとか買って行ってさ。」

「えー。透の家に行ったら、あのムカつく妹に会わなきゃいけないんじゃないの?」

「いいじゃん、百合子。それも込々で。ね、千尋。」

「そうだね。なんか篠原さんとの関係もこのままじゃいけない気がするし。」


 許すわけじゃないけれど、嫌悪する相手が一人でもこの世界から居なくなるなら、僕はそっちの方が良いと思う。


「お前たちはほんと……。ほどほどにしろよ。じゃあ今日はもう遅くなってるから、真っ直ぐ帰るんだぞ。」


 西野先生は、昇降口のところまで僕たちを送ってくれた。


「はーい。」

「さようなら。」

「はい、さようなら。」


 挨拶をして玄関を出ると、空にはもう一番星が輝いていた。段々と陽が長くなってきたのに、東の空の向こうから暗いカーテンが閉まり始めている。


「それじゃあ、また明日ね。」

「百合子も一臣も気を付けて帰ってね。」

「ありがとう。」

「お前らもな。」


 校門で一臣くんと穂高さんと別れると、僕と蓬さんはどちらからともなく手を繋いで、家路へと着いた。



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