第6話 親友の好きな人と男子高校生
第6話 親友の好きな人と男子高校生
夏休みが開けると、僕達は大忙しだった。体育祭があって蓬さんが大活躍だったかと思うと、すぐに文化祭の準備が始まった。
文化祭実行委員の僕は、毎日のように準備に追われててんてこ舞いだった。そんな僕を見かねて蓬さんがいつもより甘くしてくれたのは、最高だった。
慣れない実行委員の仕事だったけれど、蓬さんが率先してクラス展示をやってくれたおかげで、キラキラのグループの人たちも張り切って参加してくれた。
こればかりは、本当に蓬さんに感謝だ。
野久保くんや駒田くんは仲良くしてくれるようになったけれど、まだその他のキラキラの人たちとはそんなに関わりがない。
そんな中で蓬さんが動いてくれたことによって、クラスも団結して体育祭と文化祭を終わることができたのだ。
それに、嬉しいことも1つだけあった。僕にも女の子の友達ができたのだ。それが、同じ文化祭実行委員をした吉永さんだ。
吉永さんとは文化祭の準備期間中、ほぼ毎日のように連絡を取り合って一緒に準備を行ってきたのだけれど、話をする中で吉永さんも少女漫画が好きということが分かったのだ。
そのことを一臣くんに話をすると、一臣くんも吉永さんと仲良くなった。それからというものの、3人で好きな少女漫画の話をすることが多くなったのだ。
「昨日発売の花とゆめ読んだ?やっぱり何回読んでも赤髪にきゅんとするんだよな。」
今日も相変わらず、うちのクラスに一臣くんが来てそんな話を始めた。
「えー。待ってー。僕、今日バイト行ったときに買う予定なんだから、言わないでー。」
「私、読んだよ。よかったよね。やっぱりミツヒデとオビが好き。」
「分かるわ。ミツヒデのツンデレとオビのツンデレがマッチするよね。」
特に最近感じているのは、一臣くんと吉永さんの相性の良いことだ。好きなものとか、好きな作品とか、割とこの2人は共通点が多い。
だから、僕がバイトで帰るときも2人だけで話をしているのも見かける。付き合ってるのかな?と思うけれど、一臣くんにその話をしたら「ない。」と一蹴された。
吉永さんに「一臣くんのこと好きなの?」と聞いたときは、慌てふためいて「ごめんなさい。違うの。そんなんじゃないの。」と言われた。
僕からすると、2人が仲良しであってくれればそれでいいから、それ以来とくに2人の関係に言及することをしたことはない。
だけど、周囲の人からすると、そうでもない人もたくさんいるようで。
「恩田。ちょっとツラ貸しな。」
「は、はい……?」
僕は、女の子たちに呼び出しを受けることが多くなった。その内容というものが、決して僕への好意ではなく、一臣くんと吉永さんの関係についてだった。
「ねえ。吉永さんって、一臣のなんなの?」
今日も僕はキラキラグループの女の子に呼び出しを受けていた。彼女は、橋本さんだ。別のクラスだけれど、蓬さんたちと仲が良い。
廊下を行き交う人たちが、僕たちのことを一瞥しながら通り過ぎる。
そうだよね。僕と橋本さんが何か会話をしているなんて、珍しい光景だよね。橋本さんはすらっと高身長でワンレンストレートロングヘアーの大人っぽいギャルだ。
蓬さんから、橋本さんには大人の彼氏がいるっていうことを聞いたことがある。
「なんなのって……。僕に聞かれても……。」
「本人に直接聞けないからあんたに聞いてるんでしょ?一臣に聞いてもはぐらかすしさ。」
一臣くん、吉永さんとのことはぐらかしてるんだ。一体それは、どうしてなんだろう……。ただの友達って言っちゃえば、こんなにみんなの間で噂にならないはずなのに。
「3人で仲良くさせてもらってるけど、2人が特別な関係という空気は特に感じないよ。」
僕はそう答えたけれど、僕以外の人が2人は特別な関係なんじゃないかって感じるほどだ。一臣くんと吉永さんは、特別に仲が良い理由はあるはずだと僕も思っている。
だけどそれを、僕が勝手に他人に教えることじゃない。だから橋本さんには悪いけれど、何も感じていないふりをした。
「嘘でしょ。あんた、絶対になにか知ってるでしょ。教えなさいよ。」
「なっ……!本当に知らないよ。」
「だってあの2人、最近一緒に帰ってんのよ?なにもないわけないでしょ。」
「えっ。」
それは僕も知らなかった。帰りは蓬さんと一緒にため、2人が一緒に帰っているなんて、これっぽっちも知らなかった。むしろ、そこに思い至ることもなかった。
「……なんだ。それは恩田も知らなかったんだ。じゃあまだ付き合ってるわけじゃないのかもしれないわね。それが分かっただけでもいっか。」
橋本さんは独り言のようにそう言った。
「私が恩田に一臣のことを聞いたって、一臣には言わないでね。嫌な気分になるだろうし。」
「もちろんだよ。」
僕がそう言うと、橋本さんは満足げに笑みを浮かべた。
「御礼にこれあげる。」
「なに?」
橋本さんが手を出してきたので、僕は受け皿のように手を出す。
「飴。これ、美味しいやつだから。ごめんね、不躾に聞いちゃって。ありがとう。」
「いや、うん。」
僕の手のひらには、2つの梅味の飴が置かれた。これは、僕も子供の頃から大好きな飴だ。
橋本さんは手のひらをひらひらとさせると、自分の教室の方へと踵を返していった。
僕は橋本さんにもらった飴を見つめながら、「彼女ってすごくモテるだろうな。」と思った。
しかし、蓬さんからは大人の彼氏がいるって聞いていたけれど、どうして一臣くんのことを聞いてきたんだろうか。
その日の放課後、僕は一臣くんと吉永さんと3人で一緒に帰っていた。僕がバイトに行くのについでに、2人も本を買いたいそうなのだ。
橋本さんからあんなことを聞いた手前、なんだか2人のことを色眼鏡で見てしまっている自分がいる。
「恩田くんは何時までバイトなの?」
「今日は21時までかな。」
「よく頑張るよな。」
「一臣くんだってバイトしてるじゃない。」
一臣くんは回転寿司屋さんでバイトをしている。その姿もきっと、様になるんだろうなあ。
「俺のバイトは遊びに行ってるようなモンだもん。みんな仲良いし、お客さんと接するの苦じゃないし。」
「2人とも偉いよ。」
「吉永さんはバイトしないの?」
「私の家は大学生になるまでダメだって。高校生まではちゃんと勉強をしなさいって言われてるの。本当は興味あるんだけどね。恩田くんの本屋さんでのバイトとか羨ましいもん。」
「そうなんだ。お母さんにバイトしてみたいとか言ったことないの?」
「あるよ。でも、バイトなんて大学生になってからでもできるんだから、高校生のうちにしかできないことをやりなさいって言われたよ。それもそうだなって思うから、高校生の間はお小遣いで我慢するの。」
こればっかりは家庭の方針もあるし、どっちが良いとか悪いとかはないと思うけれど、ちゃんと自分の意見を話した上で、お母さんの意見も聞いて、それに納得する吉永さんも偉いと思う。
「あ。やべ。」
「どうしたの?」
他愛もない話をしながら道を歩いていると、一臣くんが焦った声を出した。
「俺、学校に宿題忘れてきちゃった。明日当たるんだよー。ちょっと俺、悪いけど一旦学校戻るわ。」
「え。じゃあ、私も行くよ。」
「いいよ。千尋と先に本屋行ってて。取ったらすぐに俺も向かうから。」
一臣くんはそう言うと、今出てきたばかりの学校に向かって踵を返した。
「気を付けてね!」
そう声をかけると、後ろ手にひらひらと手をあげて応えてくれた。
「じゃあ、行こうか。」
「うん。」
僕は自転車を押しながら、吉永さんの隣を歩く。吉永さんとこうやって2人だけで歩くのは、初めてだ。
「なんか不思議。」
「なにが?」
「丸林くんと恩田くんの2人に仲間にいれてもらえたことかな。だって2人ってすごく仲良しじゃない。壁になりたい気分だったもん。」
「壁?」
「あ!え、あ、あの、そう。2人が仲良しなのをずっと見ていたいというかさ。」
「そうなの?」
「うん、そう。」
吉永さんって、ちょっと変わってるなあ。見た目は真面目で綺麗な人なのに、少女漫画のことになると僕たちと同じように熱く語るし。
「一臣くんとは一緒に帰ること多いの?」
橋本さんから聞かれたことが少しだけ気になって、なんでもないようなことのようにして聞いてみた。
「そうだね。最近は一緒に帰ること多いかも。ついつい、話が盛り上がっちゃうんだよね。」
「一臣くんと吉永さんは、好きなジャンルも似てるもんね。」
「そうなの。」
僕が不思議だなあと思っているのは、やっぱり一臣くんと吉永さんの関係だ。2人は特別な関係に思えるのに、2人と話すと付き合っているという空気は感じない。
現に吉永さんも、一臣くんと仲が良いことは認めるけれど、それはなんてことのないことのように話す。
それがどういう感情からきているものなのかがよく分からなくて、僕も困惑しているのだ。
「一臣くんと吉永さんって、2人のときはどんな話をするの?僕と一臣くんが2人きりのときは、少女漫画の話だけじゃなくて、蓬さんの話を聞いてもらうこともあるんだけど。」
僕は純粋に気になった。一臣くんと吉永さんの間に男女の友情が成立しているのかが。まったく成立しないということもないと思うけれど、お似合いの2人だ。自然とカップルになったっておかしくない。
「そうだね。少女漫画の話も多いけど、恋バナもするかな。あ、私には今、好きな人は居ないんだけどね。」
「えっ。一臣くんって好きな人いるの?!」
僕がそう声を発すると、吉永さんは「しまった!」とでもいうような表情をした。何度か一臣くんに好きな人はいるのか聞いたことはあるけれど、全部はぐらかされてきた。
それなのに、吉永さんには好きな人が居るって言ってるなんて……。
「あ、えっと、そのね。うーん。なんて言ったらいいんだろう。ごめん、私の失言だった。」
「……僕、一臣くんに信頼されてないのかな……。」
「違うよ!そんなことない!丸林くんは、恩田くんのこと本当に大切に思ってるよ!ただその……。丸林くんの好きな相手っていうのが……。ちょっとこれ以上は私の口からは言えないんだけど……。というか多分、丸林くんは誰にも好きな人を言うつもりなんてなかったと思う。でも私がたまたま言い当てちゃって。」
「……僕には言えない人ってことなの?」
「恩田くんには言えないというか……。誰にも言えないと思う。だから、聞かなかったことにしてあげて。私も別に協力してるわけじゃないの。ただ、気持ちを聞いてあげてるだけというか……。」
なんで吉永さんには言えて、僕には言えないんだろう。僕はいつも一臣くんに気持ちを聞いてもらっているから、僕にだって何でも打ち明けて欲しかった。
なんだか、いきなり崖の下にでも落とされたような、そんな感覚が全身を走る。親友だと思っていたのは、僕の方だけだったんだろうか。
「もう、本当にごめん。違うの。私からは言えないけど……。丸林くんが本当に親友だと思ってるのは、私じゃなくて恩田くんだから。それだけははっきりと言えるから。」
「いや、こっちこそごめん。こんなに吉永さんにフォローさせちゃって。ありがとう。一臣くんが話してくれるまで、待つことにするよ。」
そうは言ったものの、その後はずっと一臣くんが僕に話してはくれず、なぜ吉永さんを頼っていたのかが気になって仕方なかった。
後から僕のバイト先である本屋に一臣くんも寄ってくれたけど、僕は上手く彼の顔を見れただろうか。
バイトが終わって家に帰り、自分の部屋のベッドに寝転んで天井を見上げる。大好きな少女漫画を読む気になれない。
……一臣くんの好きな人、か。
それが誰なのかなんて、詮索する気はない。だけど、僕に話してくれなかったってことが、すごくショックだった。
吉永さんはああいう風にフォローしてくれたけど、一臣くんが実際にどう思っているかは分からない。
「はあ……。」
盛大な溜息が出る。ここでこうして考え込んでも、何も解決するわけじゃないし、僕の気持ちも整理できるわけじゃないのに、何も手に着かない。
ぼーっとしていると、スマホの画面が着信を知らせた。相手を見ると蓬さんだ。僕たちはたまに、この時間に電話をしあう。
「もしもし。」
『今、電話大丈夫?』
「大丈夫だよ。」
蓬さんから電話がかかってくると、必ず電話が大丈夫か聞いてくれる。そういうところ、好きだなあって思う。
『どうしたの?なにかあったの?』
「え?」
突然、そんな風に聞かれたもんだから、僕は驚いた。
「なんで?蓬さんが何か用事あったんじゃないの?」
電話をかけてきたのは蓬さんのはずだ。だから、なにか用事があるのは蓬さんのはずだ。
『そういうことじゃなくて……。私はただ千尋と電話したかっただけだけど、千尋の声が元気ないからさ。なにかあったのかなあと思って。』
「……元気ない?」
『うん。』
僕も蓬さんみたいに、一臣くんの敏感な変化に気付くことができたらいいのに。そしたら、吉永さんみたいに、一臣くんの力になってあげられたのかもしれない。
『千尋が話したくないことなら、全然いいんだけどさ。話せるようになったらでいいし。』
「……蓬さん……。ありがとう。……いや、今日一臣くんと吉永さんの3人で帰っていたんだけどさ。」
僕は今日起きた出来事のあらましを、蓬さんに話した。一臣くんに好きな人が居るっていうのはプライベートなことだから、そこは伏せて「一臣くんが悩んでいること」に置き換えて、蓬さんに話をした。
『それで、千尋は一臣にその悩みを打ち明けてもらえなくて寂しいって話?』
「うん……。」
『そっか。なんかわかるかも。私ももし、百合子が他の子に私には話せない悩みを打ち明けていたら、なんだか嫉妬じゃないけど、信用されてないのかなって思っちゃうし、親友って思っていたのは私だけだったのかなって思っちゃうし。』
「え、蓬さんもそうなの?」
『当たり前じゃない。みんなそうだと思うし、それだけ自分は友達のことが好きだってことなんじゃないのかな。』
「そうなんだ……。」
僕は少しだけ安心した。僕にとって何でも話せる友達っていうのは、一臣くんが初めてだ。だから、こうやってうじうじ悩むのも僕だけなのかと思っていた。
『たださ、親友だからってなんでも話さなきゃいけないわけじゃないじゃない?これは、私と千尋みたいに恋人同士にも言えることだと思うんだけど。』
「うん。そうだと思う。」
僕は一臣くんに何でも話しているけれど、それは義務じゃない。僕が一臣くんに話してもいいって思っているからだ。
『親友だから何でも言えるけれど、親友だから言いにくいことだってあるじゃない。実際私は、千尋と付き合う前に千尋のことが好きだなんて、百合子に1回も話したことないし。だから、一臣のその悩みだって、ひょっとしたら千尋に言いにくいことなのかもしれない。でもだからって、一臣が千尋のことを信頼してないってわけじゃないと思うの。吉永さんがたまたま言い当ててしまったってことは、誰にも言うはずじゃなかったんだろうし。』
蓬さんの言っていることは、頭では理解できる。一臣くんが僕を信頼していないわけじゃないってことも。だけど、どう受け止めたらいいのかが分からないんだ。
『とりあえず、一臣が気持ちを話せる場所があってよかったって思ってあげるのがいいんじゃないかな?』
「え……?」
『だってもし、吉永さんが気づかなかったら、一臣はずっと1人で悩んでいたわけでしょ?それってきっと、苦しかったと思うよ。“自分の親友を助けてくれる人がよかった”って思っとけばいいと思うよ。実際に助けてあげれたのが自分じゃなくても、親友が少しでも心軽くできたのであれば、それでオッケーだって私は思うことにしてる。だって最終的に、百合子が笑顔で居てくれればそれでいいから。』
あんなにざわざわしていた僕の胸の心の奥は、ちょうど良い箱に収まったかのように、すっと整理がついた。
そっか。なんで僕に話してくれなかったんだろうってことばかり考えていたけれど、僕は全然一臣くんの気持ちを考えられていなかった。
蓬さんの言う通りだ。なんで僕が一臣くんに信頼されたくて力になりたいかって思っているかというと、一臣くんに笑顔で居て欲しいからだ。
一臣くんが吉永さんに話せたことで、少しでも心が軽くできているのなら……。それでいいじゃないか。
『それにきっと。話せるようになったら話してくれると思うよ。』
その通りだと思う。一臣くんには一臣くんなりの考えが合って、あえて僕には好きな人を言わなかったんだと思う。そうだとしたら、いつか話せる日がきたら、きっと話してくれると思う。
ひょっとしたら、僕にも話せないような辛い恋をしているのかもしれない。
「……そうだね。僕、自分のことしか考えられていなかったよ。ありがとう、蓬さん。一臣くんが頼ってきてくれたときは全力で力になりたいと思うし、今は温かく見守ろうと思う。」
『私は何も。考えたら千尋にとっては初めての友達だもんね。悩んで当然だよ。でも、人ってそうやって成長していくと思うんだ。だから私は、千尋が悩んでくれて嬉しいし、それを私に話してくれて嬉しい。』
電話だけれど、にこにこしている蓬さんの顔が目に浮かぶ。蓬さんに話してよかった。大好きだ。
次の日、僕は一臣くんから昼休みに呼び出しを受けた。いつもなら僕の教室のベランダで少女漫画読書会をやっているけれど、今日は誰もいない空き教室だった。
「ごめんな、ちょっと聞かれたくない話だから。」
「ううん。」
2人だけにしては広い教室のせいか、お互いの声が響き合う。外からは校庭で遊んでいる人や廊下で喋っている人の賑やかな声がするけれど、静まり返っているこの教室に、まるで僕たちだけ現実から切り離された世界にいるみたいだ。
「昨日、吉永さんから聞いちゃったんだろ?俺が好きな人いるって。」
一臣くんは言いよどむことなく、その話を切り出した。
「あー……うん。あ、でも事故というか。吉永さんのこと、責めないでね。誰が好きとかは聞いてないし。」
僕は、やっぱりその話だったかと思った。多分、吉永さんは律義にも一臣くんに自ら申告したのだろう。
「大丈夫。吉永さんが誰かにバラす人じゃないって分かってるから。それに、自分から謝ってきてくれたから、そのつもりはなかったんだろうって分かる。それより、俺、ずっと千尋に好きな人いないって嘘ついててごめん。」
一臣くんは、すっと僕に頭を下げた。思わず、“なんて綺麗なんだろう”と見とれてしまうほど、潔い所作だった。
しかし、一臣くんは僕に謝らなければいけないようなことはしていないはずだ。嘘をついていたと言っても、それは僕を傷つける嘘ではなかったはずだ。
「やめてよ、一臣くん。」
僕はとっさに一臣くんの肩を掴んで、頭を上げさせる。
「そんな嘘、嘘のうちに入らないよ。誰も傷つけちゃいけないんだから。」
「でも。昨日、千尋は本当のこと知って、嫌な気持ちになっただろ?誰かは言えなくても、好きな人が居るってことだけは言っておけばよかったって思って。千尋は、俺が言えないって言えば、それ以上聞いてくるようなやつじゃないのに。そう、分かってたはずなのに。なのに、少しも触れられたくなくて、居ないって言ってしまったんだ。」
顔をあげた一臣くんは、苦悶の表情をしていた。
その表情をみたときに、僕はなんて馬鹿なことで悩んだんだろうって思った。信頼されてないんじゃないかなんて、少しでも考えた僕が浅はかだった。
一臣くんはたった1人で、僕に嘘をついてしまったことを後悔していたのだ。僕に言えないことがある自分を責めていたのだ。
「いいんだよ、一臣くん。だって僕に話せなかったんだろ?それよりも僕も謝らなきゃいけない。一臣くん、ごめんなさい。少しでも“なんで吉永さんには言えて僕には言えないんだろう”って思ってしまって、ごめんなさい。」
僕は、一臣くんに向けて頭を下げた。謝るべきは僕だ。親友だからといって、相手のことを何でも知っておきたいなんて、なんて僕は傲慢だったのだろう。
言えないということは、それだけ事情があるってことだ。僕たちは縁してこうやって友達になれたけど、心の中まで土足で踏み込んでいいものじゃない。
「なんで千尋が謝るんだよ。嘘をついたのは俺だよ?」
一臣くんはそう言いながら、僕の頭を上げさせた。
「僕、吉永さんに嫉妬しちゃったんだ。一番仲良しなのは、僕のはずなのにって。だけど、違うよね。どんなに仲良くても、言えないこともあるもん。でも思ったんだ。吉永さんが一臣くんの話を聞いてくれて、一臣くんは少しでも心が軽くなったんだよね?」
「……ああ。」
「だったら、吉永さんに感謝だなって。僕の親友の一臣くんを守ってくれたんだもん。一臣くんが元気で居てくれるなら、僕は嘘くらいつかれたっていい。一臣くんは誰かを傷つける嘘はつかないと思うから。」
「千尋……。」
大きな体で、一臣くんは僕に抱き付いてきた。
「ありがとう。」
「僕の方こそ。言えるようになったら教えてね。」
「……ああ。」
僕は親愛なる友の背中を抱きしめた。
今までどうして、ちゃんと人と向き合ってこなかったのだろう。傷つくこともたくさんあるけれど、得られるものの方がこんなにも大きいじゃないか。
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