第2章:『信仰律』の支配(4)

「先日話した通り、君の両親はシズナとアルダだ」

 シズナは唯一王国アナスタシアの勇者として、故郷の村を滅ぼし魔王となった幼馴染のアルダを倒すべく、王都で教育を受けた。その最中でエクリュを産んだが、唯一王妃ヘステの奸計によって、母の腕に抱かれる前に取り上げられてしまったという。

 その後シズナは、ミサクを含む四人の仲間と共に、魔王城を目指す旅に出たが、うち二人は裏切りの果てに死に、シズナとミサクともう一人の仲間である魔法士も、空に浮かぶ魔王城に辿り着いたものの、魔法士は魔族と相討ちになり、一人アルダのもとへ向かったシズナは、二度と戻る事が無かった。

「俺の腕も、その時失った」

 肘から先の無い右腕を左手でさすりながら、ミサクは話を続ける。

 魔王城は天空から唯一王都へ堕ち、国王や多くの民を犠牲にして、やがてアナスタシアは滅び、蛮族の跋扈ばっこする時代が訪れる。

 シズナを失ったミサクは、せめてエクリュを迎えに行こうとしたらしいが、彼女が預けられたはずの辺境貴族は、館に辿り着いた時には、既に蛮族に襲われ一族郎党皆殺しの憂き目を見ていた。だが、館に紫髪の赤ん坊の死体が無かった事から、エクリュは蛮族に連れ去られたものと信じて、探し続けたという。

 真っ赤な嘘を教えて金を得ようとする者、アナスタシア騎士であったミサクに意趣返しをして陥れようとする者。何度も偽の情報をつかまされ、藁にもすがる思いで各地を彷徨った結果、エクリュをさらった蛮族がギサ族である事を突き止めるまでに、十七年の歳月を必要としてしまった。

「すぐに迎えにいけなくて、すまなかった」

 ミサクが深々と頭を下げる。だが、エクリュはそれを他人事のような思いで見つめていた。

 自分が人とは違った人生を送ってきたのは、ミサクのせいではない。彼を翻弄した愚者どものせいであるし、辺境貴族を襲った蛮族のせいであるし、そもそも母から自分を取り上げたヘステとかいう女のせいである。彼らがエクリュに詫びる道理があったとして、ミサクが謝る必要は、エクリュの認識に照らし合わせれば、全く存在しなかった。

「そんな事より」

 それよりも、エクリュの関心は、昼間見た異様な光景へと移っていた。

「デウス・エクス・マキナって、何だ?」

 それを聞いた瞬間、ミサクが苦い物を口に入れてしまったかのごときしかめっ面をし、メイヴィスが橙色の瞳を細め、リビエラもやや不機嫌になったようだった。

「勇者と魔王がいなくなった後に現れた、『自称』神だ」

 その言葉を口にする事さえ苦であるかのように、ミサクが声を絞り出す。

機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』の伝承は、このシュレンダイン大陸の創造神として、昔から存在していた。だが、十七年前、大陸が混乱に陥った後に、それを救い主とする一団が現れ、人々に教えを説いて回ったという。

 曰く、神は人と魔族を造り、魔法の源となる『魔律晶』を作り出し、相戦わせる事で、生命の進歩を促したのだと。

「くそくらえ、ですわ」リビエラが忌々しそうに、可愛らしい顔に似合わぬ舌打ちをする。「神を信じる者は『信仰律』という魔律晶を身体に埋め込め、などと抜かしましたのよ」

 そういえばメイヴィスが、デウス・エクス・マキナの信奉者は『信仰律』を身に着け、神の下僕になる、と言っていたか。

「わたくしのいた孤児院もデウス・エクス・マキナの下僕連中にそそのかされて、『信仰律』を埋め込まれそうになったので、ふざけやがんなって逃げ出した先で、ミサク様に助けていただきましたの」

 丁寧な口調の合間に、ちょこちょこと物騒な言葉遣いが混じるリビエラに続き、

「オレの母さんは、魔族に捕まって、魔王城で実験を受けてたって」

 メイヴィスがぽつりと洩らした。

「父親が誰かもわからないオレが、腹の中にいる時に、オレの心臓に『化身律』を埋め込んだんだ」

 化身。その言葉に思い出す。逞しい虎から人間に変わってみせた、メイヴィスの姿を。『オレも、君とは少し違うけど、異端だから』と言ってみせた諦観を込めた彼の横顔を。『律』の名がつくからには、魔律晶の一種なのだろう。それを生まれる前の子供に埋め込むとは、魔族は一体どれだけ得体の知れない実験を、人間に行ってきたのか。自らも魔族の血を引く身でありながら、いや、だからこそか、同胞である存在の行為を、エクリュは無知なりに、えげつない、と見なした。

 ミサクはそれぞれに怒りを燃やす少年少女を見回し、エクリュに視線を戻して、再度口を開く。

「我々の最終目標は、デウス・エクス・マキナを倒してシズナ達の仇を討ち、この大陸を神の支配から解放する事。その為に、エクリュ、君の力が必要だ」

 一体どういう事だろうか。眉根を寄せると、エクリュの疑念も織り込み済みだったのだろう、ミサクが言葉を重ねた。

「神を倒すには、聖剣『フォルティス』と魔剣『オディウム』が必要だ。だが、二振りはシズナとアルダの行方と共に失われているし、もし見つけ出す事が出来ても、勇者か魔王の血筋でなければ、使いこなす事が出来ない」

 勇者の血筋ならば、エクリュと血縁があるミサクもその剣を扱えるのではないだろうか。それも疑問として口にする前に、彼には伝わっていたようだ。

「俺は使えないんだ。こんな腕だし、それに」

 ミサクは苦笑しつつ失われた右腕を示し、それから、神妙な顔つきになった。

「俺はシズナが勇者として育ちきる前に失われた際の、保険としての存在だった。彼女を凌駕しないよう、唯一王国の監視下に置かれて、刃を持てば死ぬ『呪詛律』を身体に埋め込まれている。そのせいで魔法もからきしだし、『呪詛律』を取り出せる手練れの医師ももういないから、無力も同然なんだ」

 無力と彼は言うが、剣も魔法も使えない状態で、なおかつ身体に欠損を抱えながら、銃のみで生き延びてきた彼の努力は、並々ならぬものであっただろう。天性の魔法の才能以外にも、ザリッジによって血反吐を吐きそうな訓練を課されて剣を修得したエクリュには、簡単に想像のつく事であった。

「とりあえず、今日はここまでだ」

 ミサクが告げて、カップの中身を空にする。

「今夜はゆっくり休むといい。先の事は、明日以降考えよう」

 そう言われて初めて、エクリュの身にどっと疲れが押し寄せた。今日一日だけで色んな事があり、色んな事を聞き過ぎて、身体も脳も知らず知らずのうちに疲弊していたようだ。心地良い眠気すら漂ってくる。

「ほら、わたくしと同じ部屋で寝ましょう。こちらですわよ」

 リビエラに腕を引かれるまま、エクリュはふらふらしながら食堂を出てゆくのであった。

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