第3章:好奇と敵意と親愛と(2)

 シズナとミサク、二人の足音が長い廊下に響き渡る。

「すごいな、貴女は」

 ミサクの心底からの感銘を込めた声が耳に届いて、シズナは彼の方を向き、「そう?」と小首を傾げた。

 模擬試合の開始数秒。シズナはイリオスが余裕綽々で突き出した得物を叩き落とし、その首元に剣を突きつけていた。これが真剣だったら、後は力を込めるだけで騎士の首は地に落ちていただろう。

『何でも言う事を聞くって言ったわね』

 イリオスの首に剣をあてがったまま、シズナは碧眼で相手をぎんと睨みつけた。

『二度とそんな下品な口を叩かないでちょうだい』

 完全にシズナを侮っていたイリオスは目を見開いて絶句し、興味本位で観戦していた周りの人間も言葉を失って、訓練場は異様な沈黙に陥った。そんな連中を置き去りにして、シズナはミサクと共にその場を立ち去ったのだった。

「イリオスは、態度に問題はあるが、まがりなりにも騎士団の中では腕の立つ一人だ。それを一瞬でねじ伏せるのだから、貴女に剣を教えた人は、相当な手練れだったんだろう」

 たしかに、ガンツは大酒呑みで酔っ払うとてんで役に立たなかったが、シズナとアルダに剣を教える時だけは、頑なに素面しらふを守り、正確な剣の振るい方を指南してくれた。今はもう会えない師匠に、内心感謝する。

「次は魔法だ。この国で一番の研究者に引き合わせるから、その者から話を聞いてくれ」

 剣だけでなく、魔法も、ミサクの担当ではないのか。シズナが怪訝そうに眉根を寄せると、彼は苦笑して肩をすくめた。

「僕は魔法はからきしだ。これから貴女に教える相手に、『才能が無い』とまではっきり言われたよ」

 だから、と、ミサクは剣帯の代わりに腰にはいたホルスターを指し示す。

「僕の武器はこれにするしか無かった」

 そこには黒光りする武器が収められていた。山奥暮らしのシズナでもそれは見た事がある。

 銃。火薬と弾丸で敵を撃ち抜く、使い方次第では剣より強力な武器だ。オーキド老が、『もう湿気た弾が一つこっきりしか無いから、こうして手入れをしても宝の持ち腐れだがなあ』と皺だらけの顔をくしゃりと歪めながら、ひとつひとつの部品を解体していたのを覚えている。

 あの銃も、魔物の襲撃の炎の中に消えてしまったのだろうか。もう戻らない日々を思って軽く唇を噛んだ時。

「脇に寄って」

 ミサクが鋭く囁きながら、シズナの腕を引いた。訳がわからず引かれるまま、よろめくように廊下の端に寄ると、続いて「頭を下げて。目を合わせてはいけない、僕らの立場の方が下だ」と言われたので、出来る限り頭を低めた。

 シズナ達が向かおうとしていた方向から、絨毯を踏み締めて人の歩いてくる気配がする。それが通り過ぎるのを待って下を向いたままでいると、気配が自分の前で止まった気がした。

 いや、気のせいではない。値踏みするような視線を感じる。一刻も早くそれが過ぎ去ってくれる事を願いつつぎゅっと目を瞑ると、突如、がつ、と何か硬い物で、相手に向けていた頭頂部を思い切り突かれ、視界に星が散った。

 ぐらりと世界が回る。遅れてきた痛みに、シズナは顔をしかめながら膝をつき、目を合わせてはいけない、というミサクの忠告も忘れ、いきなり無体を働いた相手をぎんと睨みあげて、そして碧眼をみはった。

 護衛の兵士を二人連れたその顔には、見覚えがある。ヘルトムート王に謁見した時に、隣でシズナをひたすらに見すえていた女性だ。

「あら」

 女は手にしていた、銀製の短い錫杖――それでシズナの頭を突いたのだろう――で口元を隠して、化粧っ気の濃い目元を嘲りに細める。

「こんな所に邪魔な像があると思ったら、エルストリオの娘だったか」

「ヘステ妃殿下」

 ミサクが、苦い物を呑み込んだような声色で、女の名を呼ぶ。妃殿下、という事は、彼女はヘルトムートの妻という事か。ヘステ妃は、ミサクの言外の非難もどこ吹く風、逆にミサクの頭も錫杖で叩きつけた。

「王妃の道の邪魔をするような躾しかしていないのかえ、ミサク?」

「……誠に申し訳ございません」

「剣も魔法もろくに使えぬお前に騎士の位を与えてやっている陛下の温情を、仇で返すような真似はするでないぞ。その気になれば、すげ替える首などいくらでもいるのだからな」

 ただひたすらに低頭するミサクの頭や顔、肩や胸を、ヘステ妃はしつこいくらいに錫杖で突く。何故、ミサクがここまでの扱いを受けなくてはならないのか。シズナの胸に怒りがこみ上げ、

「やめてください!」

 ミサクとヘステの間に割り込むと、失礼も無礼も知らぬまま、平手で王妃の錫杖を絨毯の上に叩き落としていた。

 ヘステが冷や水を浴びせかけられたような憮然とした表情でシズナを見つめ、ミサクが吃驚きっきょうを隠さない様子でこちらを向いている。

「ミサクは謝っているじゃないですか。どうして追い討ちをかけるような真似をするんですか」

「シズナ」

 ミサクが制止をかけてきたが、シズナの苛立ちはそれで治まるものではない。

「私は山奥育ちだから、王都の事は何もわかりません。だけど、立場が上だからとか下だからとかで、暴力を働いて良い理由にはなりません」

 それはシズナの中の常識だ。父エルシや母イーリエは、時にシズナを厳しく叱る事はあっても、それはシズナに非がある、きちんと怒られる理由の存在する場合のみであったし、手を挙げる事は決して無かった。

 ユホに叩かれた事は何度もあったが、その度にアルダが『ごめん』と、祖母の理不尽な怒りを詫びてくれた。だから許そうという気になれた。

 だが、目の前のこの女性は、ただ気に食わないからという理由だけで、シズナとミサクを力でねじ伏せようとしている。シズナの常識にのっとれば、決して右から左へ流せる行為ではない。

「貴様」ヘステがぎり、と口元を歪めて、肩を震わせた。「田舎娘が、このわたくしに、唯一王妃に意見する気かえ!?」

 王妃が錫杖を拾い上げ、再び振りかざす。今度は本気の力が込められている。受け流しに失敗すれば気絶する事すら覚悟して、シズナは身構えたが、今度はミサクが二人の間に入った。

 ごつ、とかなり痛そうな音が耳に届く。シズナの眼前でミサクの身体がよろめいて、床に膝をついた。

「ヘステ妃殿下」相当な打撃を食らったはずなのに、ミサクはあくまで淡々と言葉を紡ぎ出す。

「シズナはまだ、王都に来て二日目です。道理がわからぬのも当然。どうかここは、唯一王妃の情け深いお心で、ご慈悲を」

 そのあまりにも平坦な態度に、ヘステも気概を削がれたらしい。「ふ、ふん!」と忌々しそうに顔を歪めながらも、錫杖を引っ込める。

「ならばせいぜい、その田舎娘を教育する事よの!」

 捨て台詞を残し、兵を引き連れて王妃は廊下の向こうへ去る。膝をつき頭を垂れたまま動かなかったミサクだったが、王妃の姿が角を曲がって見えなくなった途端、ぐらりと傾いで床に倒れ込んだ。

「ミサク!?」

 シズナは驚いて彼の傍らに屈む。顔を覗き込めば、強く殴られたせいだろう、こめかみを血が伝い、絨毯まで滴り落ちて、その赤を更に赤く染めていた。

 手当てをしなくては。落ち着きを失った頭でそう思い、懐にしのばせておいた手布を傷口に押し当てようとした時。

「……大丈夫だ」

 ミサクの手がそれを押し返し、彼は頭を振りながらゆっくりと身を起こした。

「でも」

 かなり痛そうな音がした。それに彼は、シズナの身代わりになってこんな怪我をしたのだ。責任は取らねばならない。

 だが、しかし。

「貴女が負い目を感じる必要は無い」

 拳で血を拭いながら、ミサクは深々と息をつき、青い瞳をじっとシズナに向けるのだ。

「貴女は何も間違った事は言っていない。この王都には、貴女が納得のいかない事が多々あるだろう。だが、それら全てに異を唱えていては、貴女の身も心ももたない。真正面から立ち向かわない事も覚えてくれ」

 その言葉に、シズナは納得した訳ではない。しかし、受け入れなくては、シズナ自身が危害を被る可能性があるし、これからもミサクがこうして自分をかばって怪我をする可能性も高いのだ。

 そんな事態は避けなくてはならない。それだけは理解したシズナは、ゆっくりと首肯する。

「良かった」

 それを見て、ミサクがふっと口元をゆるめた。

「貴女には苦しんで欲しくないが、これもこの唯一王国で生き延びる為だ。わかってくれ」

 流血して、鈍痛を感じているだろうに、何故彼はそんな風に優しく笑えるのか。理由がわからなくて、シズナの胸は、しくしくと針で刺されるような痛みをおぼえた。

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