第3章:好奇と敵意と親愛と(3)
ふらつきながらも立ち上がったミサクに連れられて、シズナはひとつの部屋の前に導かれた。閉じられた扉越しにも、つんと鼻を突く薬品のにおいが漂ってくる。
ミサクが扉を数回拳で叩くと、「いるよ」と、男か女か判別のつかない声が端的に返ってくる。それに応えて騎士が扉を開けば、薬のにおいがより強くなり、シズナの想像の範囲を超えた光景が眼前に広がった。
机の上に並んだ、透明な液体の入った硝子瓶。その中に、青や赤、緑、紫、白、黒といった、掌で軽く包み込めそうな大きさの、鉱石のような物体が入っている。形は様々で、動きも、浮き沈みを繰り返している物もあれば、ゆるりと漂っている物、底に沈んであぶくを生み出している物もある。
そんな瓶の合間から、ゆっくりと立ち上がる者がいて、シズナはそちらを向き、またもあっけに取られる羽目になってしまった。
裾の長い濃緑の服をまとっていた。背丈はシズナよりほんの少し高いくらいだろう。だが、彼女を戸惑わせたのは、その者が髪の毛一本無い艶を帯びた禿頭である上に、顔もレンズの分厚い色眼鏡で目を完全に覆い隠しているせいで、男女の区別が全くつかなかったからであった。
「ああ、君がシズナ?」
相手は背を丸めた状態でひょこひょことシズナの前にやってくると、小さめの口をにやりと笑みの形にして、指の長い手を差し出した。
「私はコキト、この城で魔法研究の責任者を務めている。あんたの魔法指南を仰せつかったよ」
やはり口調からも、一人称からも、性別がわからない。ついでに言えば、眉毛が無く目元も完全に見えないので、年齢もうかがい知る事が出来ない。
「よ、よろしくお願いします」
狼狽えながらも握手に応えると、コキトはにいっと並びの悪い歯を見せて笑みを深くした。
「
たしかに、本来の仕事に加えて、魔法のまの字も知らない人間にものを教えるのは、相当な労力だろう。
「それは……すみません」
シズナが素直に詫びると、コキトは口をすぼめて、色眼鏡の下の目をきょとんとみはった――ようだった。その直後、ぷっと吹き出したかと思うと、「あっははは!」と笑いながら握手をほどき、そのつるりとした頭を撫でる。
「ちょっとからかったつもりだったのに、真正面から受け取るなんて、本当に一本気なお嬢さんだな」
そうしてコキトは、再び歯を見せて、シズナの腕をばしばし叩く。
「むしろ気に入ったよ。私に教えられる事は全て与えるから、何でも聞いてくれ」
どうやら自分は、コキトの機嫌を損ねずに済んだらしい。今日半日だけで、下卑たイリオスや理不尽なヘステに辟易していたシズナは、好意的な人間に出会えた事に安堵して、
「じゃあ、お願いします」
と素直に頭を下げる事が出来た。
「んじゃ、早速始めようか」
コキトは机の上に置いてあった、鉱石のごとき物体の一つを手にする。白みを帯びた半透明のそれは、ひとつの根からいくつもの芽が伸びたかのように、ごつごつとした造りをしていた。
「体感してもらった方が話が早い」
と、魔法士は口元をゆるめて、シズナの手に鉱石――その言を借りるならば魔律晶――を握らせる。
「これは『回復律』。使い方はいたって簡単。ぎゅっと握って『こいつの怪我を治したい』と念じるだけ」
ぶらぶらと手を振りながら、コキトは天気の話でもするかのように呑気に語る。
「丁度そこに怪我人がいるから、試してみようか」
コキトが顔を向けた方向へ、色眼鏡の下の瞳もそちらを向いていると信じて振り返る。シズナをコキトに任せきりにして、手布でこめかみの血を拭っていたミサクが、今更気づいたかのように顔を上げた。
「いや、僕は大丈夫だ」
「全然だいじょばないだろ。この娘の守役はあんたなんだから、きっちり実験台になれ」
からかうようなコキトの台詞に、ミサクは深々と溜息をつく。それが了承の証と判断したシズナは、騎士の元へ歩み寄り、左手に『回復律』を握り締め、右手をミサクのこめかみに当てて、目を閉じた。
自分をかばってヘステ妃に殴られた彼の背中が、まぶたの裏に浮かぶ。あの傲慢な王妃を思い出せば怒りが再燃しそうだったが、今はそんな事を考えている場合ではないと、首を横に振る。
どうか、この傷を癒して欲しい。自分に魔律晶を扱う素質があるなら、故郷の人々を救えなかった分まで、アルダを止められなかった分まで、どうか今は、目の前の彼から痛みを取り除いて欲しい。
そう願って『回復律』を握る手に力を込めると、りぃ……んと静かに鳴り響く音と共に、急に左手が温かさを帯びた気がして、シズナは薄目を開き、それから驚きにしっかりと目を見開いてしまった。
『回復律』が、静かに青い光を放っていた。光は流れるようにシズナの左腕からかざした右手へと伝い、ミサクの傷に降り注ぐ。
やがて光がおさまると、ミサクは数回瞬きしてこめかみに触れ、
「もう、痛くない」
と呟き、それから、シズナに向けて淡い笑みを見せた。
「流石だな、ありがとう」
一切おべっかなどではない素直な感謝の言葉に、シズナは気恥ずかしくなって顔をうつむける。
「おー、見事見事」
その後ろで、コキトが呑気に拍手をした。
「あれだけの説明で、本当に魔法を使っちゃうなんて、あんたは噂以上の逸材さね。そっちのダメダメ弟子とは偉い違いだ」
「悪かったな、不出来で。あと、君の弟子になった覚えは無い」
「私があれだけ手取り足取りじっくり教えてやったのに、『静音律』を大事な物に取りつけるしか成果が無かったじゃないか」
「シズナに誤解を与えるような言い方はよしてくれ」
コキトの性別が不明なので、二人のやり取りを、悪友同士のじゃれあいと取れば良いのか、男女のふざけあいと受け取れば良いのか、判然とせずにシズナがぽかんとしていると、その様子に気づいたミサクが、不機嫌そうに眉根を寄せてコキトを睨む。
「それよりも、彼女に才能があるとわかったのだから、どんどん指南してやってくれ。剣と魔法の両方が使えるならば、勇者としての能力もそれだけ見込みがあるという事だ」
「そうだね、反応が良い弟子ならば、私も教え甲斐があるってもんさね」
その後、コキトは鼻歌でも歌い出しそうな機嫌の良さで、様々な魔律晶をシズナの手に握らせた。炎の矢を放つ『火炎律』、いざという時の飲料にも使途がある『流水律』、稲妻を飛ばす『雷音律』。基本的な魔律晶の力をシズナは次々と引き出し、コキトとミサクを感心させた。
「素晴らしい!」
コキトが興奮気味に手を叩く。
「初めて魔律晶に触ってこれだけの成果を出せるなら、魔法戦士としての資質も大したものだ」
シズナが、握り締めていた『雷音律』の黄色い魔律晶をコキトに返すと、魔法士は嬉々とした様子で受け取り、色眼鏡の下の目を、親しげに細めたようだった。
「鍛え甲斐のある子は大好きだよ。これからもよろしく頼む」
「こちらこそ、お願いします」
コキトに頭を下げながら、しかしシズナの胸中では、複雑な思いが渦を巻く。
魔族が作り出したという魔法を、あっさりと使いこなす事が出来た。それは自分が勇者の血族だから天性の才能があるのだろうか。それとも、アルダ――魔王の妻だから影響を受けたのだろうか。
それはわからない。だが、確実にわかるのは、いつかこの魔法を用いて魔王の部下を次々と倒し、彼に近づかねばならないという事だけだ。
アルダを、魔王アルゼストを倒す為に。
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