第2章:魔王の花嫁(3)
アティアに丁寧なお辞儀で見送られ、再び部屋を訪れたミサクに連れられてまた城内を歩き、辿り着いたのは、これまた広い部屋だった。一直線に赤い絨毯が敷かれた先には
「ひざまずいて。頭を下げて」
再度ミサクに囁かれ、階の下で膝を折った彼に倣って屈み込み、横目で様子をうかがいながら低頭する。すると。
「よくぞ来た、新たなる勇者の娘シズナよ。儂がアナスタシア唯一王ヘルトムートだ」
やや嗄れた声が頭上から降ってきた。間違い無く、玉座に座った男性から発せられたものだろう。
「勇者エルストリオの事は誠に残念だった。だが、希望は失われた訳ではない。そなたという新たな星がおる。そなたの成長と活躍を、期待しておるぞ」
声は掠れているのに、朗々と、まるで物語を詠むかのように王の口上は続く。シズナが頭を下げたまま戸惑いを覚えて黙りこくっていると。
「シズナよ、どうした?」
王の声が少し固くなって耳に届く。こちらの返答を待っていたのか。だが、何と答えれば良いのか。言葉を探してシズナがますます沈黙を貫くと、「陛下」と、見かねたのか、ミサクが口を開いた。
「申し訳ございません。シズナは王都という開けた環境に出てきたばかりの、何も知らぬ娘です。そして、偉大なるヘルトムート陛下を前に、緊張している様子。ですが、必ずや陛下のご期待に沿う働きをしてくれる事でしょう」
すらすらと出てきた台詞に驚き、頭を下げたまま隣を見れば、ミサクは凛と顔を上げ、国王を見つめている。だが、ヘルトムート王はそれで満足したようだ。「そうか、そうか」と鷹揚にうなずく気配があった。
「時に、シズナ」
「は、はい」
ようやく舌が回るようになってきたので、王の呼びかけに何とか返事をする。しかし、続けられた言葉に、シズナはまたも閉口する羽目になった。
「山奥の村で暮らしていたのだ、そなたはまだ乙女よな?」
しばし、言われた意味がわからなくてぽかんと口を半開きにしたまま呆けてしまう。だが、理解した瞬間、この国王は一体何を訊いているのかと驚愕がこみ上げて、シズナは思わず顔を上げてしまった。
いきなり振り仰いだ無礼にも、国王は動じなかった。顎髭をゆっくりと撫でながら、ねばついた笑みを顔に張り付かせている。視線を滑らせれば、隣の女性の表情が更に険を増した気がした。
ミサクが本当に小さく溜息をつくのが聴こえる。シズナの困惑に追い討ちをかけるように、ヘルトムート王はとんでもない発言を放ってきた。曰く。
「この城に仕える女は全て儂の手の内に入る。まずはその身を唯一王に捧げるのがならわしだ」
シズナは愕然として、出損ねた咳のような息を洩らしてしまった。この老王は、文字通り身を差し出せと言ってきたのだ。初対面の男にそんな事を言われるなど、驚きと屈辱と怒りがないまぜになって、胸の内で渦を巻く。
しかしその時、シズナの脳裏を一人の面影がよぎった。あの月夜、愛をささめきながら真っ直ぐに自分を見つめていた紫の瞳。彼以外に、この身を委ねる事は出来ない。いや、したくない。
「申し訳ありませんが」
シズナはぎんと国王を見すえると、意を決して口を開いた。
「私は既に一人の人妻です。アルダ以外を夫にと思う事は、ありません」
途端。
しん、と場が静まり返った。
「……アルダ、だと?」
ヘルトムート王がふるふると身を震わせ、腹の底から絞り出すようなしゃがれ声を放つ。
「そなた、まさか魔王アルゼストの花嫁となったか!」
王が怒りを爆発させた理由の根底がどこにあるかは、シズナにはわからない。だが、彼が「アルゼスト」と言った魔王が、この国の人間が認識している、自分が愛した人の今の姿なのだという事だけは、動揺無く理解出来た。
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