出来損ないの日常
まだ日が昇る前の、そこはかとなく薄暗い時刻の事。
エアーノの仕事場に当人の姿は無い。恐らくまだ寝ているのだろう。
その代わりに、ふんふんと鼻歌を歌いながら部屋の掃除をする男がいる。
赤茶の髪の男はぱたぱたと履物を鳴らしながら部屋を縦横無尽に動き回り、ほうきにちり取り、雑巾など様々な用具を駆使して埃やゴミを殲滅していく。
『・・・掃除の方は一通り終わりましたかね。』
ふぅ、と一息。次は洗濯に取り掛からねば と休む間もなくぱたぱたと洗濯物を回収しに走る。
春とはいえ、朝方はまだ寒さが残る。手をかじかませながら洗濯籠を持って川辺に向かうと、そこには既に仲間の2人が洗濯をしていた。
『『おはようございまーす!』』
『えぇ、おはようございます。今日も手伝ってくれるとは思いませんでした、とても助かります。』
『いえいえー』『自分達も何かのお役に立ちたいですし。』『『ねー。』』
『いやはや・・・今日も仲が良くて何よりです。』
少々呆れたように笑う赤茶の髪の男。よっこらしょ、と洗濯籠を地面に降ろしあらかじめ籠の中に入れていた石鹸と適当な服を一枚掴む。
『お二人はまるで双子のようですよね』
服に十分な量の石鹸をこすりつけた後、全体を水に晒し両手をすり合わせるようにこすり洗っていく。
本当にそうだったら素敵だったんですけどねー、と言い合いながら仲間の二人も同様に服を洗う。
この二人は赤茶の男が言う通り、双子のような二人である。
生まれは違えど仲の良さは一級品。やることなす事二人一緒でないと気が済まない。そのせいで元仕えていた神から気味悪がられ二人とも追放されたのだが、本人たちはあまり気にしてないようである。片割れの名前をクロ、もう片割れの名前をシロと言う。
『アディさんはよく疲れませんね。』
『毎日掃除、洗濯、料理を一人でこなすんだからすごいですよ。』
『部屋数いっぱいあるのに』『人数いっぱいいるのに』
『『ねー』』
『まぁ、それが私の仕事ですからね。』
手際よく服を洗いながら彼・・・アディは洗濯物を順調に減らしていく。
この男は良くも悪くも主婦のような男である。性格的にも、外見的にも。掃除洗濯料理はお手の物で、エアーノの家の家事はほぼ全て彼一人が担当している。
『さて、洗濯が終わりましたね』
ぱっぱっと手を振り水気を飛ばす。洗濯物は全てしっとりと濡れている。
はやーい!すごーい!と二人がはやし立てる。
『あっ、洗濯物は僕らで掛けておきますよ!』『なのでアディさんは別の所を!』
『『お願いします!』』
『おや、それは助かりますね!ではよろしくお願いいたします。』
アディにはこの後食事の準備と言う一番手間取る作業が待っている。そこに割く時間が増えるのは彼にとってとてもありがたい事だった。
ここは二人の言葉に甘えることにし、こんどは炊事場の方へとぱたぱた掛けていくのであった。
炊事場に着き、一番最初にやることはエプロンに着替え三角巾を着用する事だ。次に手を入念に洗う。もし料理の中に髪の毛が一本でも入ったら、食中毒にでもなったら口うるさく言われるのは自分である。それを回避するためにも、これらは大事な作業の一つだ。雑菌一つ残さぬように入念に洗う。
食器置き場から皿を人数分取り出して後ろの棚からおたまを取ろうと振り返ると、見知った仲間が棚をごそごそと弄りまわしていた。
『あ、キヨワ。おはようございます。』
『あ、どうも・・・。』
『いたのなら一声かけてくれてくださればよかったのに・・・。あと、朝からお酒は駄目です。』
『お酒駄目ですか・・・?』
『駄目です。』
むっとした顔をしてアディから顔を逸らす青年。キヨワと言う。
口調から気が弱いのかと推測されることが多いが、意外と我は強く持っている。無類の酒好きであり、四六時中酒を飲んでいる。の割には常に素面の様だ。
『ご飯はそれほど要らないので、その分をお酒にしてもらう事は・・・』
『駄目ですよキヨワ!ご飯はたくさん食べて頂かないと困ります!倒れてしまいますよ!』
アディがキヨワの方を掴みかくんがくんとかなりの力でゆする。
『ゆ、ゆすらないでください、酔います、酔う・・・食べますから・・・。』
『宜しい。偉いですよキヨワ!』
ゆするのをやめにこにこと笑うアディを見て、キヨワは少しげんなりしたような顔をした。アディは食器に作った料理を取り分けていく。
半分ほど取り分けた所で、 あっ と何かいいことを考え付いたかのようにアディが声を上げた。キヨワは嫌な予感がしたのかそそくさとこの場から離れようとしたがアディに回り込まれてしまい逃げる機会を失った。
『キヨワ。少し手伝ってはくれませんか』
『嫌です・・・』
『そう言わずに!この食器をあちらに運んでくれるだけでいいのです、お願いできますか?』
『・・・。はい・・・。』
どうせ拒否権は無いのだとキヨワは大人しく受け入れた。
『有難うございます!恩に着ますよ!』
『はぁ・・・。』
アディは中身の入った器を適当な板の上に乗せ、それをキヨワに渡した。
余談だが、キヨワはとてつもなく非力である。どれくらい非力かと言うと、何も魔術的な加工をしていない木綿でできた服を着ても3分もしないうちに崩れ落ちてしまうほどである。
つまり・・・
『ぐっ・・・・ぐぅぅっ・・・。』
案の定、お盆の重さに耐えきれずキヨワはプルプルと震えだし、徐々に膝が地面と密着していった。。
『・・・キヨワ、後で一緒にトレーニングをしましょうね。』
お盆をキヨワから取りあげた後アディが気を使ってそう言ったが、運動が大の苦手なキヨワにとっては地獄のような誘いだったので即お断りしてその場から逃げ去った。
結局一人で配膳をし、何とか皆が起きてくる前に支度を終えられた。
外を見るとだいぶ明るくなっている。そろそろ皆起きだす頃だろう。
さて、最初に来るのは誰だろうか?
リビングにあるソファに腰かけ本を読んでいると、部屋のドアが開いた。誰かが起きてきたようだった。
『あぁ、チビ。おはようございます。一番乗りですね?』
起きてきた一人に声を掛けてみたものの、当然のごとく無視をされた。まぁ、いつもの事なので気にしない事にする。この子は気難しい子なのだから仕方ない、と自分を納得させた。
『ぉざーっすアディさん』『よぉアディ。』
『チャラとズノウですか。おはようございます。・・・二人とももう少しまともな挨拶は出来ないのですか?』
『十分まともじゃねぇすか』『声かけてるだけマシだろ?』
まぁ、確かに返されないよりはいいかもしれないが。それでも年長者にそんな挨拶はどうなのかと少し気になる。
・・・まぁ、大人なのでそういった不満は押し殺すことにする。大変不本意だが。
『ゴウケツはまだ寝てます?』
いつもこの二人(正確に言うとチャラ)とつるんでいるもう一人の名前を出してみる。答えは分かり切っているが・・・。
『あぁ、寝てるねてる。起こしに行こうなんて思わないほうが良いぜ。』
ズノウは予想通りの答えをくれた。
『もとより、起こしに行く気もありませんよ。まだ死にたくありませんので。』
『だろうな。』『アディさん、今日の朝飯何すか?』
『そこに出してありますでしょう?見て判断してください』
『つめてぇなぁ。』『さっさと行こうぜ、チャラ。』『うぃ。』
他にも何事かを話しながら二人は離れていった。
にしても。普段ズノウは夜の仕事が多いので朝はあまり得意でなかったはずだが、今日はなかなかに早起きだ。やっと彼も早起きの良さに気づいたのか!とアディは密かに喜んだ。
続けざまに誰かが起きてくる。普段はこれほど早く起きる者は多くない。
今日はなかなか貴重な日の様だ。
≪あでーさん!おはよございます≫
『おやおや、クチナシ君ですか。今日も早起きで偉いですね。・・・貴方もね、カイガ。』
『こんな時間に起きるつもりは無かったんですが、これに起こされまして。』
『早起きは良い事ですよ。良い事です。継続してくださいね。』
『無理です。』
ばたばたと足音を立てながら手持ちのボードをばこばこ叩いて主張するクチナシとそれに引きずられるようにカイガが起きてきた。
クチナシは声帯がなくしゃべれないので常にボードを持ち運んでいる。カイガは絵を描くのが好きなので常にキャンバスを持ち運んでいる。ざっくりとした目で見れば、似たような二人である。
≪ごはんは!≫
『いつもの所にありますよ。冷めないうちに食べちゃってくださいね。』
≪あい!≫
『クチナシ、俺の服の袖を引っ張らない。分かった、行きます、行くから引っ張るんじゃない!』
クチナシに半ば引き摺られるようにしてカイガは退場していった。クチナシ、あの子は元気ないい子である。これからも健やかに育ってほしいと思う。あわよくばカイガの生活習慣も直してやって欲しいと心の隅で思った。
それからも次々と仲間が起きてきた。
一秒として働かずに飯だけ食いに来るゴクツブシ、主の夢が見れたと大号泣するキョーシン、洗濯が終わったその足で来たシロとクロ、この間入ってきたばかりのイッセ・・・。
ゴウケツは例外として、後二人起きていない者が居る。
ので、今からそいつらを叩き起こしに行かねばならない。大事で大切なこの家の主人と気に食わない大男を同時に起こすのだ。
アディは複雑な気持ちになった。主にこれから己が心にかかる負担を想像しての物だった。できれば行きたくない。
が、しかし。絶対に主にできたての美味しい食事を食べて欲しいので行くしかない。重い足を動かし、まずは負担の軽いテーハルトの寝室へ向かう事にした。
テーハルトの寝室は予想通りもぬけの殻だった。ベットにも生物が寝ていた痕跡・・・ぬくもりがない。つまり、昨日はここじゃない別の所で寝たという事である。
アディはげんなりした。どうせあの部屋にいるはずだ、とため息をつきながらエアーノの部屋へ向かった。
『二人とも!!!起きてくださいッ!朝です!!!』
ドアを開けるなり、イライラしながらアディは大きな声で怒鳴った。
何をそんなにイライラしていたのか、そりゃ、自分の好きな人が別の男と眠っているのを見て苛立たない男はこの世にいないのではないだろうか。
「あとちょっとだけ寝かせ・・・うわまたいるのテーハルト」
彼女の少し引いた声をものともせずテーハルトはむっくりと起き上がり、アディの方へ歩いてきた。
予想外の行動に おや?今日は素直に出ていくのか?あのテーハルトが?今日はとても珍しい日だ とアディが考え込んだ瞬間、テーハルトは彼を部屋の外へと突き飛ばした。
アディがしたたかに尻を打ち付け痛みに呻いている間に、がちゃんとカギが閉まる音がした。
『ちょっと!こら!開けなさい!もう起きる時間ですよ!』
閉じたドアをどんどんと叩き開けろ起きろテーハルトは出ていけと抗議する。
テーちゃん開けてやんなさいよ! と部屋から声がするも一向に開く気配はない。
だからあのデカブツは嫌いなのだ、とアディは一人悪態ついた。主を独り占めするのも気に食わないしこちらの話を一つも聞かないのも気に食わない。
暫く壁を叩き続けたアディだが最終的にはドアを蹴破らん勢いで蹴りだすようになった。
『さっさと出てきなさい!せめて主だけでも!むしろ主だけでいいです!』
それはどうなの!?とドア越しに声が聞こえる。
「テーちゃん説得してるんだけど無理そうよ。と言うかこいつ鍵壊しやがったの」
『何ですって・・・』
そこまでやるか とアディは思った。まぁそこまでやるか根性腐ってるし とも思った。
暫くドアを蹴ったり殴ったり自前の槍で突いたりしてみたが、意外と頑丈に作られているようで蹴破るのは不可能と判断した。
アディ(と恐らく外に出れないエアーノも)が途方に暮れていると後ろから『どけよ』と声が聞こえた。
振り返るとそこにはチビが居る。
『そうか、貴方ならドアを開けられますね!』
不愛想な少年ことチビは盗賊の真似事をすることが多い。なので、大半の鍵は難なく開けられるのである。
『だから、どけってば。』
こちらを睨みつけながら少年とは思えないドスの利いた声で喋りかけられる。アディは大人しくドアから離れて専門家に任せることにした。
気分的には 先生やっちゃってください! と言うような感じである。事実、彼は成し遂げてくれた。部屋の鍵は無事空き、主の救出に成功したのだ。
『主ぃ♡出てきてくれて嬉しいよぉ♡もう会えないかと思っちゃった♡』
早速チビが主に媚を売り始めた。
先程のこちらを殺しかねんような表情とは打って変わり、自分に出せる最大限のかわいさを振りまいている。態度が違い過ぎてちょっとだけ引いた。
「お腹すいた・・・」
エアーノは特に変化を気にも留めず食堂の方へ歩いていく。チビと、自分の思い通りにならなかったせいでかなり機嫌の悪いテーハルトもそれに続く。
これで主も美味しいご飯を食べてくれるだろう。少々手間取ったので少し冷めてしまっているかもしれないが・・・ともあれ、私の仕事は今この瞬間ひと段落したのだ。
ふぅ、と息をついたらお腹がぐぅ、と鳴った。
そういえば私はまだ朝ご飯を食べていなかったではないか!
これはいけない。朝ごはんは万物の始まり、一日の活力の元である。
『早く食べに行きましょうかね。』
それに今行けば久しぶりに主と食事を共にすることができる。これを逃さない手は無い!そうと決まればさっそく行動に移そう。
今日は良い事が続いているから、きっといい日になるだろう!と彼は考え嬉しくなった。
アディは履物をまたぱたぱたと鳴らしながら足取り軽く食堂の方へ駆けていった。
いつも通りのちょっと貴重な日の出来事だった。
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