1-2. 正論と感情

 翌週。 


 教室を、背広の男が尋ねてきた。

 中肉中背、濃紺のスーツにはシワも見当たらない。黒縁メガネに黒髪短髪の、逆三角形の「にんじん」の様なシルエットの男だった。


「SCRAPの者ですが」


(ついに来た)

 小規模音楽教室の経営者である御音みおんは、椅子を鳴らして立ち上がった。26才。教室に抱える生徒数10人。 

 

 SCRAPからやって来た、にんじんみたいな男は、小さな応接室へと通された。


 無理くりスペースを開けて作った応接室。

 窓から光が取り込まれる。

 窓の反対側には白い花瓶があり、薄黄色の花が活けてあった。


 その花瓶の側に、燕尾服姿の、教室のマスコットキャラクター「ぼびゅっしい」が、何も言わずに、でんと立っていた。


 御音みおんはお茶を客人に勧めた後、椅子に座り直し、背筋を伸ばして口を開いた。

「うちは、おたく様の管理楽曲は使っていません。著作権の切れた、クラシック曲を教えています」


「そうですか? 流行りのPGKGとか、お子さんから要望ありそうですよねぇ? うちの管理楽曲ですが」


「……演奏させないようにしています」


「おや? 将来有望なお子さんに、随分と酷な事をなさるんですね。それがおたくの教育方針なんですね」

 にんじんのような男は、形だけ笑った。

 

 後輩の里琴りこはうつむいていた。

 先輩であり、経営者の御音みおんは、勝ち気をその目に宿して、言い返した。

「あなた方のせいでしょ。著作権で、教育を縛るから」



「教育? これは面白い事を」

 にんじん男の口調は、つとめて冷静だった。

 小さく張り付く嘲笑。目は「モノを知らぬ小娘が」と言っている。

 「持ちたる者」の目だった。


 攻撃手段をまんまと引き出したにんじん男は饒舌になった。


「あなた方が非営利で、かつ、生徒から料金も徴収していないならば、演奏しても合法になります。しかしあなた方は、『営利団体』だ。我々の管理楽曲で『利益』を得ている者が、対価を支払うのは、創作者保護の観点から当然でしょう?」


「もう1つ。著作権は、法律で定められた『権利』です。その権利を行使することに、何の問題がありますか? 我々と包括契約を結んで、自由に曲を練習させる事だってできるのに。それを拒否しているのは、あなた方です。あなた方の生徒さんも、育てばいずれ、創作者になるはずですよね? その創作者に、対価が還元されなくても良い、と、おっしゃりたいんですか?」


「そんなこと言ってない。あたしたちは使ってないと、言ってるだけでしょう!」

 御音みおんの語気は荒くなったが、辛うじて、席から立ち上がりたくなる衝動を抑えていた。


「でしたら、それを証明していただかないと」

 対するにんじん男は、やはり冷静だった。


「無い事の証明なんてできないはずです。悪魔の証明です」

 里琴りこが、そっと助け舟を出した。しかし、にんじん男の黒縁メガネは、キラリと光った。


「悪魔? はは、人聞きの悪い事を。証明は行い得ますよ? 例えば、教室に監視カメラでも設置なさったらいかがです? 練習風景を動画撮影してお渡し頂ければ、我々の管理楽曲を演奏していない事が証明できますよ? あるいは、演奏した楽曲のレポートを毎日作成して、我々に提出するという方法でもよろしいですが? もちろん、嘘の報告は困りますがね。ははは」


「なんであたしたちがやらなきゃいけないの? それは、あなたたちがやるべき仕事でしょ! 権利を振りかざす側がやるべきでしょ!」

 ついに怒りを抑えきれなくなった御音みおんは、椅子に大きな音を出させ、ついに立ち上がった。


「ええ。ですからこうして、包括契約のお伺いに来ているわけですよ。現実問題として、演奏楽曲を全てリスト化するなど、繁雑すぎてナンセンスです。曲ごとに管理するより、包括でやった方がお互い楽です。御社の利益我々の世界ではの50%受講料の2.5%さえお支払い頂ければ、管理楽曲が使い放題なわけですから。我々はそれを、創作者に適切に分配する。みんな丸く収まる、良い案だと思いますが?」


「分配? ちゃんとやられていないじゃない!」

「いいえ。我々の規定に基づき、適切に分配がなされていますよ」


「とある音楽家が、『俺に分配が来ない』と愚痴っていましたよ!」

「どの方ですかね? 憶測や伝聞で言われても困りますね。また、仮にそうだとしても、とやかく言えるのは、我々に管理を委託している委託者の方です。あなた方ではない」


 にんじん男の言は正論だった。

 感情的には納得がいかない御音みおんも、教室の経営者だ。握りこぶしをふるふるとさせながら、再び着席した。



 重苦しい沈黙が、小さな応接室を支配した。



 その空気を、穏やかな口調で破ったのは、社会人になったばかりの後輩、里琴りこだった。

「……10人位ですよ? 私たちの生徒さんは。それでもダメなんですか?」


 しかし、賢そうスマートなにんじん男の反論は、予め準備されていた。

「あなた方は、継続して事業としてやってらっしゃいますよね? ですから、生徒さんは不特定多数、つまり『公衆』に該当するんですよ。判例もありまして。最高裁まで行って、『クロ』だと結論が出ています。ニュースでも報道されたんですがね?」



(本当に、そうなのかなぁ……? 演奏を聴いてるの、私と先輩と、えっちゃんだけなのになぁ……)

 里琴りこは、それを言うことが出来なかった。


 応接室には、再び重苦しい沈黙。

 その場にいる3人のうち、2人の女性の口は、きゅっと閉じたまま、ついに開く事は無かった。



 花瓶の側では、マスコットキャラの「ぼびゅっしい」が、空調の風を受けて、寒さに不平を鳴らすが如くカサッと音を立てた。黒いモジャ髪に、燕尾服という出で立ちだった。



 そして、にんじん男が口を開いた。

 彼の目は、2人の女性を見ていなかった。

 宙に向かってそらんじるように、冷ややかにフレッダメンテ


「うちの管理楽曲を使っておきながら、『払わん』は通用しないのです。著作権は、創作のインセンティブに関係します。創作を仕事にする者がいて、その創作物には鑑賞の対価が払われなければならない。でなければ、創作者は皆、飢えて死んでしまいます。それは、我が国の文化の発展を、阻害してしまう事にも繋がるのです」


 ……。


 ……。



 それを見つめるマスコットキャラ「ぼびゅっしい」の、1人の男が潜んでいた。






(TIPS)

【演奏権】

 著作権(財産権)の1つ。

 聞かせることを目的として演奏する権利のこと(若干丸めた表現)。



【公衆】

 (1)特定少数

 (2)特定多数

 (3)不特定少数

 (4)不特定多数

 

 (2)から(4)が「公衆」に該当します。


 ※社会通念上の言葉の定義と、法上の言葉の定義とは、ズレる事があるので注意が必要です。



【ちなみに】

 現世日本では。

「公衆とは?」が、目下の争点となっているようです。


(1)「女児1人、先生1人に聞かせるなんて、『公衆』じゃねーだろ!」

  と考えるか(社会通念は、こちら?)


(2)「教室には入れ替わり立ち替わり、いろんな教え子が来るでしょ? だから『公衆』です」

 と考えるか。(法的には、今の所こちら。「社交ダンス教室事件」控訴審平成16年3月4日)



【楽譜買ったのに、自由に演奏出来ないのって、おかしいよね?】

 社会通念的には、そう思うです。


 法的には、著作権が複数の権利に分かれてまして。(支分権と言います。)

 複製権だとか、演奏権だとか。

 複製権をクリアしても、演奏権を直ちにクリア、とは行かないんですよね。


 ……。


 楽譜買ったら、演奏権もクリアになるような社会実情になってくれたらいいのになぁ……(ぼそっ)

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