二章 『虚食過食』

第7話 『二人きり』

 人気のない路地裏に、ばしゃ、と何かが滴り落ちる音がした。

 地面に落ちたソレは、赤く、芳醇な香りを放ち。数センチほど転がると、何かが倒れる音と共に踏み潰された。

 暗闇に揺れる二つの紅い光。光は何やら地面に近づいて、再び水音が立ち始めた。


 べちゃ、ぐち、ずり、ずるる。


 汚らしい音を立てながら。まるで、何かを啜っているような。

 聞こえてくる荒い呼吸音。何かに興奮したような、抑えきれない欲情を吐き出すような、定期的に聞こえてくるソレ。

 暗闇に一瞬、僅かな光が差す。外の通りを車が通ったのだ。


 車のライト────その残滓に照らされて、現れたのは二つの影。


 紅く目を光らせて、口周りを血液で汚した地面にうずくまる少女と。

 その目の前に転がされた、骨が丸見えになった、血だらけの死体だった。


 ◇◆◇


 学校帰りに、女の子の家へ寄る。年頃の男の子なら心躍るイベントのはずなのに、愛生の隣を歩く蓮は複雑そうな表情を浮かべていた。


「なあ、ホントに愛生の部屋じゃなきゃダメか?」

「ダメ。今私お金ないし、その辺のカフェとかでできる話じゃないし」


 即答で首を横に振る愛生に、思わず蓮はため息を吐いた。またひとつ、幸せが逃げていく。

 別に蓮とて、意味もなく愛生の家を嫌がっているわけではない。ちゃんとした理由はあるのだ。でも口に出すのは憚れるというか、なんというか。


「……大丈夫だよ。母さん、今日いないから」


 口に出さないでも表情に出ていたのか。愛生はさらりと蓮の不安要素を取り除き、蓮の手を引きながらズカズカと帰路を歩んでいく。


 叔母、叔父の死亡。それから焼け落ちた我が家。

 誰かが燃やした、という事実は隠せても、流石にあそこまで大きな被害までは隠しきれなかったらしい。多くの目撃者もいたし。

 当然火事のことは愛生の母の耳にも入っているはずだ。


 ……嫌だった。誰かに気を使われるのは。


 学校の面々は、今日の朝のホームルームの時点で『もう住む場所も決まったし吹っ切れてる。だから気を使うな』、とみんなの前で話させてもらったことでどうにかなった。

 愛生の母親とは付き合いが長い。色々と良くしてもらったということもあって、気を使わせたくはないし。腫れ物扱いされるのも嫌だ。

 だがまぁ今日は留守とのことで安心こそしたのだが、


「…………え、あれ? 家で二人きり?」


 したの、だが。また新しい問題が生まれてしまったような。

 戸惑う蓮を他所に、とうとう二人は愛生の家の目の前までたどり着く。

 住宅街の一角に建つ、ごく一般的な二階建ての一軒家だ。

 少し歩けば蓮の家────だったものが見えてくるが、今はそちらに用はない。

 愛生の背中を追いかけて、家の扉をくぐる。

 よく見慣れた玄関だ。蓮の胸ほどの高さの下駄箱の上には、蓮と愛生が小さい頃の写真が写真入れに入って鎮座している。

 まだ飾っていてくれてることが嬉しい反面、こんな頃もあったなとほんの少し恥ずかしくなる。

 そんな玄関のすぐ左手の扉が愛生の部屋だ。

 扉にぶら下がった古けた看板に『MEI』の文字。見慣れたそれを揺らしながら、部屋の扉が開く。


「……相変わらずだなぁ」

「そうそう変わるもんじゃないでしょ?」


 足を踏み入れて、苦笑いを漏らす蓮。

 シンプルなベッドに、窓際に配置されたデスクトップのパソコン。部屋の壁のほとんどを支配する大きな本棚。

 本棚の足元には収納しきれなかった漫画本が綺麗に積まれていて、この前来た時より量が増えている気がする。

 ジャンルは少女漫画から少年漫画、ライトノベル原作のモノと幅広く。愛生の守備範囲は昔から随分と広かった。


「適当に座って」

「ん。言われなくても」


 部屋の中央にある折りたたみ式の机……その目の前に、扉に近いところを陣取り腰を下ろす。ここが蓮の定位置だった。

 腰を下ろし、荷物を降ろしてから、沈黙。何故か二人の間には気まずげな雰囲気が漂い、口を開くのを躊躇わせたのだ。


「……もう、大丈夫なの? 叔母さんと、叔父さんのことは」

「ああ、もう大丈夫。だいぶ整理がついて、落ち着いたよ」


 叫ぶのも、涙を流すのも昨日のうちにやりきった。新しい住処は決まったし、必要最低限の生活用品も昨日のうちに揃えきった。泊まらせてもらった病院に、もうこれ以上世話になるわけにはいかない。

 なら今は後ろを向いている暇はない。前に進まなければ────やらなくてはいけないことが、蓮にはある。


 燃え盛る炎。喉が枯れるまで叫ぶ蓮。

 それを眺めながら薄い笑みを浮かべていた、フードの男を思い出す。


 アイツに、アイツに会わなくてはいけない。アイツは大翔のみならず、大切な二人までも。


 湧き上がる気持ちを、拳を強く握ることでなんとか押さえ込む。


 奥歯を噛みしめる音と、強く握りしめられた拳。その二つに表情を歪めて、愛生が再び口を開いた。


「……で、『傷力』と戦いのこと……だったよね。じゃあまずは、傷力のことから話そうか」


 ベッドに腰を下ろして話し出した、愛生の表情は浮かない。

 まあ無理もないだろう。蓮を巻き込まないように、と今まで色々と思考逆子して来たのに。

 が、こうなってしまった蓮は止まらない。そんなことは愛生が一番よく知っている。

 止まってくれないからこそ、蓮が理想児だと自覚したあの日、口論の末にああいう結末を迎えてしまったのだから。


「傷力は、文字通り『傷』の『力』────すなわち、心に刻まれた過去の傷、トラウマ、コンプレックスが現れるものなの」


 心の傷、トラウマ、コンプレックス。

 おそらく蓮の能力は、『周りに理想児であることを隠して生きてきた』ところから来ているのであろう。

 蓮自身はあまり気にしていないつもりだったのに。現実は少し違ったらしい。


「それに目覚めることができるのは、理想児全員ってわけじゃない。適性のある、選ばれた理想児だけ」

「選ばれた……? その選ぶ基準はなんなんだ?」

「……ごめん、それは私にもわからない。でもただ、私たちの世代に多いってことだけはわかってるかな」


 選ばれたことだけはわかっていても、選ばれる基準はわからない。

 案外、思ってる以上に不明な点は多いらしい。


「私たち理想児が、誰かの死を感じることで、『傷力』に目覚める────そうすることで、ようやくこの戦いに参加できるの」

「能力の発覚は誰かの死、か。あの日、死体を見たから……」


 今でも鮮明に思い出せる。それほどに当時の蓮には大きな事件だったのだろう。

 その死体の転がり方、血液の量、匂いまで。全て。

 ……今では、さらに大きなものに上書きされつつあるが。


「そう。それで、傷力に目覚めた理想児にはメールが届くの。よくわからないメールが。そこには私が今話したことと、戦いのルールが書かれてて……」

「おい待った。俺のメールボックスにそんなメールなかったぞ」


 蓮の食い気味の言葉に、露骨に目をそらす愛生。

 ……昔から愛生は嘘をつくのが下手くそで。こうやってやましいことがあるとよく露骨に目を逸らしたものだ。


「……巻き込みたくなかったから勝手に消させてもらいました、ゴメンナサイ」

「……いやまあ別にいいけどもさ。俺にそのメール、見せてくれ」


 なんでロックの番号を知ってるんだ、とかいくつか浮かんだ疑問は置いておいて。ため息混じりに右手を差し出すと、愛生は渋々ケータイを差し出した。

 青色のカバーが被せられた、白いiPhone。そこに表示させられたメールを読むと、


『参加者は願いを叶える権利をかけて、最後のひとりになるまで戦わなければならない。勝利条件としては、相手の能力を使用不可能にすること』


 と、気になる一文が。アドレスはおそらく使い捨てのものだろうか。意味のない数字の羅列が並んでいるだけだ。


「……なあ、愛生。能力を使用不可能ってどうすればいいんだ?」

「能力の使用不可……この前の戦いを見てくれればわかる通り、相手は本気で殺す気でかかってくる。自分には罪は着せられず、死体も隠滅されて────理想児は、基本鬱憤が溜まってるし。それに、」


 蓮のよく吐く、暗き気持ちがこもったため息が愛生の口から吐き出されて。同様に低いトーンでつらつらと語られていく。

 しかし、途端に言いづらそうに愛生は口籠ると自分の手を握り、視線を伏せて。


「選ばれた理想児を殺すと、傷力のレベルが上がるの。まるで、殺しソレを支持するように」

「……レベル?」

「そう、レベル。傷力はその人の心の傷の表れでしょう? だから、身体が無意識に何段階もロックをかけちゃうみたいなの。最初から自分の傷を全部さらけ出す、なんて嫌だしね」


 ……なんとなく、言葉の上では愛生が言いたいこともわかる気がする。誰だって、誰にでも自分のトラウマを話せるわけではない。

 その能力を見られてしまえば、自分がどういう傷を抱えているのかバレてしまうかも知れない。バレて、後ろ指を指されて笑われてしまうかも知れない。

 ソレが怖くて、無意識のうちに鍵をかけてしまうのだ、と。


「で、相手を殺すことでロックが外れて、レベルが上がると」

「……厳密にいうと、傷力を持った理想児の死に立ち会うだけでいいんだけどね……どういう原理かは知らないけど。レベルが上がることで自分より下のレベルの参加者に傷力で干渉されづらくなるし、自分の傷力は強くなる。だから、積極的に殺そうとしてくるってわけ」


 蓮にかけてた仕掛けが解けちゃったのもそのせいね、と。愛生は視線を伏せたまま。

 ……ということは藤崎も参加者だったのか、なんて今更ながらに蓮は思う。確かにあの時、フードの男がそんなことを言っていた気がする。


「ともあれ、レベルがまだ低い私たちじゃ他の参加者に勝つのは多分難しい。多分、今残ってるのは躊躇いなく相手を殺してきた連中だろうから」


 ゆるり、と。愛生の視線が控えめに蓮の瞳へ向けられた。


「だから、仲間を募集しようと思うんだけど……どうかな」

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