第3話 『赤い』

「お、おい、藤崎」

 金髪を乱れさせ、大翔は蓮を庇うように、フードの男と蓮の間に立ちふさがっている。

 背中から入り込んだ槍の刃先は大翔の胸から飛び出していて。地面に座り込んだ蓮からでも確認できるほどに、深々と。


「よかっ、た。間に合って────」


 今日の放課後なんて比じゃない程に口から血液を吐き出して。

 掠れる目、乾いた声、消え入りそうなほど儚い笑顔。

 その全てに蓮は、死を身近に感じた。


「藤崎、藤崎────!!」


 蓮の悲痛な叫びとともに、その槍は大翔の背中から引き抜かれた。

 支えを失った体はふらり、ふらりと。蓮の身体に、覆いかぶさるように倒れこむ。


「ぁ────、っ、」


 呼吸音が小さい。身体に伝わる大翔の鼓動はひどく小さく、すぐに消えてしまいそうな。


「ふじ、さき……」

「……はは。そんな名前呼ばなくとも、聞こえてるって」


 赤、朱、紅。

 視線を覆い隠すものはその全て。血液が、フラッシュバックする火柱死のイメージ

 全てから目を逸らすために名前を呼び、ひたすらに大翔を見つめて。


「も……だめだ、これ」


 大翔の目が、紅色に光っているような幻覚を見て、世界が、かちりと音を立てて切り替わった。


 もう大翔の鼓動は感じない。彼の言葉の通り、もうダメだった────それだけだ。


 失った鼓動の代わりに、自分の胸の奥から心臓以外にもうひとつの鼓動が聞こえてくる気がする。

 どく、どく、と。心臓の鼓動に重なって、もうひとつ。


 視界が紅い。比喩表現でもなく、なんでもなく。紅く、紅く、夕焼けのように染まっている。


「無様だなぁ、一般人を守って死ぬだとか。まァ予想外の収穫だけど……オレ様が強くなることには変わりない」


 嗚呼、鬱陶しい。アイツの声が、笑う声が。吐き出す吐息のひとつひとつまで聞こえてきて、アイツの鼓動まで聞こえてきて、鬱陶しくて、仕方がない。


「……無様?」

「無様だろーがよ。オマエを見殺しにすれば自分は生きていただろうさ。隙を狙えば、オレ様を殺せたかもしれない」


 立ち上がる。ふらり、ふらりと。

 熱に浮かされた重い頭を振りながら、そっと大翔を地面に寝かせて。何がしたいのか、目的すらもわからないまま、ゆっくりと。


「こんなこと、一般人に言っても仕方が────」


 ゆっくりと見据えたフードの男。男は、何故か目を見開いて。驚愕の色を乗せた視線で、蓮のを見つめていた。


「おまえ……選ばれた理想児だったのか」


 何かわけのわからないことを言っている。目の前でヒトを殺した槍を構えている。

 あれほど感じていた恐怖は今はもうない。この胸を塗り替えた感情は怒りだろうか。


 足の先から頭まで満たすこの熱は、湧き上がる力は、きっと、


「何言ってんだよ。俺は生粋の一般人だ」


 この怒りを、ぶつけるための力だろう。


 ◇◆◇


「ぁ、く、ゔ────」

 痛みに思わず喘ぐ。脚から溢れ出た血液は止まる気配などなく、このままでは血の流しすぎでどうなるかは考えるまでもないだろう。

 傷が深い。加減のない一投だったし、本気で彼は愛生を殺すつもりだったんだろう。


「……ダメだ。あまり、やりたくなかったんだけど」


 アレがお前の弱点か、なんて蓮を追いかけて行ったのはもう三分ほど前。蓮が追いつかれてしまうのは時間の問題だろう。

 もたもたしている時間はない。

 躊躇いも何もかも振り切って、なんとか身体を起こして座り込むと、自分の脚に────傷跡に右手を構える。


 大きく息を吸って、吐いて。自分の内のスイッチを入れる。

 視界が一瞬紅く染まる。同時に熱が湧き上がり、吐き出す息まで熱を孕んだ。


「ふ……、……」


 もうすっかり慣れた感覚のはずなのに、未だに始動は吐き気を催してしまう。


「……痛みで気を抜いた、私がいけない」


 余分な思考を追いやって目を瞑り、ゆっくりと想像を立ち上げる。

 自分の身体に、時間に干渉するイメージ。歯車をひっ掴み、それの回転を止めて。逆向きに、無理やり回していく。


 力の動きと逆向きに回すんだから、かなりの力が必要で。酷い時は頭痛まで引き起こしてしまうのだが、


「よかった、上手くいった」


 今回はスムーズに。歯車はゆったりと速度を上げて、逆回転を始める。

 まずは地べたに散った血液が逆流を始めた。愛生の脚に、傷口に吸い寄せられるように。

 血液は音を立てて愛生の体に侵入し、その全てが逆流を終えたところで傷跡が綺麗に消え失せた。

「……タイツを直してる時間はない。行かないと」

 脚の調子を確かめてからゆっくり立ち上がり、酷く重い体に鞭を打って走り出す。


 ────急がないと。


 胸を焦燥感が満たしている。嫌な予感がする。

 何度も何度もこれまで感じてきた焦燥感。その度に愛生は後悔してきた。

 その後悔を二度と繰り返さないために。次はもう、間違えないために。


「お願い、間に合って────!!」


 その一心で、それだけを胸に、必死に脚を回して、駆けていく。

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