第2話 『熱と、』

 熱い、熱い、熱い。

 吐き出す息が。頰を撫ぜる豪炎が。視界を埋め尽くす死の気配が、熱を孕み、目の前に佇んでいる。

 炎にそっと手をかざす。不思議と熱さはなかった。

 麻痺してしまったのか────熱を感じる機能自体が、死んでしまったのかもしれない。


「────、────!!」


 代わりに、頭の内側に熱がこもっていく。

 まるで、ファンが壊れたパソコンのよう。熱が蟠り、渦巻いて、思考がおぼつかない。

 ただ今は、自分が命を落とさないために。細胞を、身体を、全てを回す。


 目の前の炎が消えていく。まるでそこだけ、時間が逆流していくかのように。

 炎は小さく。火種に吸い込まれていくように。最後に小さく、破裂音だけ残して、炎は完全に消え失せた。


「……ァー、嫌になるね。その正確さ」


 炎の後ろから現れたのは、黒いフードを被った怪しげな男。

 男の手のひらには小さな炎が揺れて、フードの下の素顔を照らし出す。

 顔半分を埋め尽くした、痛々しい火傷の跡。ソレが特徴の男の名は、


「……もうここらで手を引く気は無いの、寺崎てらさき? このまま戦ってれば、そっちがスタミナ切れを起こすのは考えなくてもわかることだと思うけど」


 寺崎 綾人あやと。今しがた自分の口で紡いだソレ。

 この小競り合いが始まってから、相手が生み出した炎を消しては生み出し、消しては生み出しを繰り返していて。一歩も状況は好転しない。

 自分が不利だと解りきっているはずだ。だというのに、綾人は一歩も引こうとしない。


「意外だな、オレ様の名前を把握してるだとか……案外相手を調べてるもんなのか」

「御託はいい。降参するの、しないの?」


 応えを待つ。このまま戦い続けるつもりはない。この戦いで相手を倒すなら、相手を殺すしかないのだから。


 けれど、


「降参? するワケ!!」


 綾人は一切引くことをせず。

 再び殺し合いが、始まった。


 ◇◆◇


 何故かはわからないが足音を殺して。気配まで消しながら、歩みを進めていく。

「……いったい、何が」

 今もまだ蓮の耳には、聞きなれない怪音が届いている。

 ごう、ごう、と炎が燃えるような。心なしか、五月にしてはここら一帯の気温が暖かい気がする。

 石畳で出来た道を踏みしめて、なかなかの広さの公園の隅までやって来てしまった。


「……たぶん、ここだ」


 音のすぐそばまでやって来て。頰を撫でる風も、かなり熱いものへと変貌を遂げた。怪音は何かがぶつかり合うような鈍い音に。しかし熱は消えてくれない。

 目の前には立ち入り禁止の立て看板。その隅が、黒く煤けている。

 何のためらいもなく黄色と黒の縞模様のバーを乗り越えて、奥へと進んで行く。

 道の脇には整備士が使うであろう芝刈り機や、葉切りハサミが乱雑に転がっているのが見えた。

 街灯の光も届かない、暗い暗い道を、数歩進んで、


「────ぁ、っ」


 目の前に突然現れた炎に、その歩みを止められた。


 歩数にして十歩程先。その先に高く燃え盛る火柱と、ソレに向き合う小さな影があった。

 熱を含む風に揺れる、よく見慣れたスカートと、短く切りそろえられた黒い髪。それから、裾がほんの少し焼け焦げたブレザー。

 蓮の学校の制服だ。違う。今はそんなことを考えてる暇はない。


 何でウチの生徒がこんなことに。何でこんなところに火柱が。なにが、なんで?


 蓮の頭を疑問が埋め尽くす。身体が動かない。足が地面に貼り付いているようだ。


「っ、ぅ────」


 目の前の少女が炎に手をかざし、ソレが跡形もなく姿を消す。まるで、元からそこには何もなかったと言わんばかりに。

 目の前で繰り返される非日常。その全てに抱いた疑問を吐き出す前に、


愛生めい


 跳び退き、頰に汗が伝うその横顔に見覚えがありすぎて。

 すらりと口から、彼女の名前が飛び出した。


「────蓮!?」


 彼女の、愛生の表情が驚愕に染まる。

 何故ここに、どうして、色々な言葉が詰まったその表情が、


「づ、ぁ!!」


 一瞬にして、痛みに塗り替えれた。

 土埃を立てて地面に突き刺さる槍。遅れて衝撃波がやってきて、愛生が目の前にまで転がり込んでくる。

 破けたタイツから血が溢れ出ている。暗闇でもわかるくらいに、石畳を朱く染め上げている。

 今日だけで二度目。二度と見たくないと思っていた光景が、何故か目の前に広がっている。しかも今度は、よく見慣れた友人が。よくわからないうちに、襲われて。


 なんだ。これはなんだ? 何が起こっている。いったい、なんで、愛生が、こんな目に。


 湧き上がるのは恐怖か、怒りか。身体が震えだし、呼吸が上がる。ひゅう、ひゅうと喉が悲鳴をあげ、身体のあちこちから脂汗が滲み出る。


「逃げて、蓮!」


 聞いたことないような彼女の悲鳴で、ようやく足が動いてくれた。


 ────そうだ、逃げないと、逃げなくちゃ。


 不思議と愛生を置き去りにすることに抵抗はなかった。必死に足を回しながら、そんな薄情な自分に嫌気がさす。


「なんだよ、なんだ、なんだってんだ、なんなんだよ……!!」


 死にたくない。死にたくない、死にたくない。自分のことが一番可愛いんだ。当然だ。自分が死んでしまっては、そこに何も残らない。

 死ぬわけにはいかない。死にたくない。なんで自分が、死ぬような目に遭わなくちゃならない────?


 息が切れる。肺が悲鳴を上げている。足が止まってくれと懇願している。

 それでも必死に足を回し、前へ。死なないために。命を落とさないために。今を必死に失わないために。


「ちく、しょう……」


 噛みしめる奥歯。不思議と、目からは涙がこぼれ落ちていた。

 死の恐怖からじゃない。自分の無力感からだ。


 今日のトイレのときだってそうだ。やめろよ、のひと言すら言えなかった。恐怖に震えていることしかできなかった。

 今だってそうだ。血を流し、必死に痛みをかみしめていた彼女を背負うことすらできずに逃げ出して。


 無力で、無力で仕方がない。何も────


「っ、!」


 足元に槍が突き刺さる。

 衝撃で足がもつれた。疲労がたまっていた足がフラフラと覚束ず、数歩先の地面に胸から無様に倒れこむ。


 ああ、これは。もうダメだ。


 全てを諦めて体を転がし、飛んできた槍へと視線を向ける。

 地面に突き刺さる黒い槍。街灯に照らされたソレの節々から、炎がにじみ出ているのがわかる。


「なーんだ、もう諦めちまったのか。つまんねェな」


 唐突に聞き覚えのない声がした。

 同時に歩み寄ってくる、ひとつの小さな足音。

 現れたのはつまらなそうに口元をへの字に曲げた、フードの不気味な男だった。

 男はため息混じりに槍を引き抜いて、蓮との距離を縮めて行く。


 もう逃げても無駄だ。


 今日はため息ばかりの一日だ。大きく諦めのため息を吐き出しつつ、体をごろん、ともう一度転がして、不気味な男と向き合って。全てを諦めきったような視線で見上げてやる。


「まぁせめて、安らかに逝ってくれ。流石のオレ様も寝覚めが悪くなる」


 刃先が蓮の胸に向いた。しっかりと、心臓を捉えるように。


「じゃあな」


 その一言で、高々と構えられた槍は振り下ろされて。


「ご、────ふ」


 蓮の顔に、血液が降り注いだ。








「藤崎……?」

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