We are ideal

悠夕

一章 『熱に揺れる』

第1話 『理想児』

 デザイナーベビーという言葉をご存知だろうか。二千十八年にアメリカが特許を取得し、人々の話題を呼んだ技術である。

 文字通り、子供を『デザイン』するモノであり、生まれる前から親の思い描く容姿、知能、身体能力を持って子供を作り上げ、生み出すことができる。

 二千三十六年現在では日本にもその技術がアメリカから提供され、そうして生まれて来る子供も少なくない。

 親の想いを両肩に背負い、容姿端麗、才色兼備といっても過言ではないまでの理想系として生まれて来る子供たち────。


 これはその、〝理想児〟達の苦悩の物語である。


 ◇◆◇


 神奈川県某所。

 磯の匂いが混じる風が窓から吹き込む。窓の外では桜が散り始め、春の終わりを告げていた。

 廊下を歩きながら憂鬱げなため息を吐き出す梶間かじま れんは、そんな桜を忌々しげに睨みつけて。ついでとばかりに、ポケットから取り出したスマートフォンを同様に睨みつける。


「……1日遅れたくらいでトイレ掃除って。そりゃないぜ先生」


 画面に映し出された時計は、五月八日の十五時半を映し出している。蓮が提出しなければいけなかったレポートの提出日、その一日後だ。

 蓮の左手にはバケツとモップ。先ほどのぼやきと低すぎるテンションから解る通り、レポートの提出期限を一日過ぎて、担当の教員にトイレ掃除を命じられた、という塩梅だ。

 足を引きずり、上履き特有の甲高い足音を立てながらとぼとぼとトイレへ向かって行く。今頃ギャグ漫画なら、蓮の周りにはドス黒いオーラが漂っていた頃だろう。

 手伝ってくれると言っていた友人ですら、なにやら用事があるからと帰ってしまった。

 申し訳なさそうな友人の笑顔を思い出し、再び重い重いため息をもうひとつ。

 いやしかしまあ、蓮としてもトイレ掃除に彼女を巻き込むつもりはなかったのだ。

 これは自分に与えられた罰。故に自分だけでどうにかすればいい。


「ま、あんま汚れてもないだろうしな」


 なんて、思考を前向きにシフトして。ようやくたどり着いたトイレの扉に手をかける。

 この二年と少しですっかり見慣れた扉を開いて、トイレの中を覗き込む。同時、


「気に入らないっつってんだよ、その顔が!!」


 蓮の目の前に散ったのは、真っ赤な真っ赤な血液だった。

 どさり、と何かがぶつかる重い音に遅れて、床に飛び散る生臭いそれ。

 尋常じゃない程に流れているそれは、たった今個室の扉にもたれかかる少年から溢れているモノだと解る。

 頭から、口から、鼻から。荒い息と共に血液を吐き出して、ふらふらと立ち上がる。

 所々血に染まってしまっているものの、身に纏っているのは蓮と同じ学校指定のブレザーだ。胸元に光る校章と、上履きのゴム部分には学年カラーの緑色。蓮と同じ学年。

 金髪に童顔、蒼い目をした男子だった。それを取り囲む影が、三人ほど。

 その三人は蓮の存在に気づくことなく、足で、拳で、言葉で、未だに暴力を続けている。


「テメェにはわからねぇだろうよ……〝理想児〟のおまえには! 何もかもを与えられて、いろんな期待も思いも生き甲斐も背負って生まれてきたおまえにはよ!!」


 言葉と同様に、降り注ぐ殴打も苛烈を増して行く。


「ち、が、」

「あ? なにが違うってんだよ。なにも違わないだろ。俺は期待されてないんだよ……ちっとも、まったく、ミジンコ程も。凡人の俺には誰も期待なんてしてねぇ────!!」


 粗く息を吐き、呪詛まで吐き捨てる男の足先が、膝を折った金髪の男子の顎を貫いた。

 打ち所が悪かったのかもしれない。ふらり、ふらりと覚束ない足取りで数歩歩いたあと、冷たい床に倒れこむ。


 ────マズい。止めないと。


 このままではマズい。蓮の本能が告げている。このままでは、取り返しのつかないことになる。


 ……そんなことはわかっているのに、身体が動いてくれなかった。


 怯えている。夥しいほどの血液。吐き気がするほどの呪詛に。


 ────関われば、俺だってヤバい。


 正義感と恐怖がせめぎ合い、身体を両端から引っ張って、縫い付けているようだった。

 身体から力が抜けて行く。だらしなく口が開き、奥歯が震え始めた。

 怖い、どうにかしなきゃ、逃げなくちゃ、誰か呼ばないと。

 恐怖に押し出され回る思考。目まぐるしく転々とするソレは、乾いた、バケツの落ちる音によって堰きとめられた。


「────ぁ?」


 全員の視線が一気に蓮に集まる。

 間抜けな話だ。逃げることも助けを呼ぶこともできず、すっかり存在を忘れていたバケツ……ソレを取り落す音で、状況が動き出すなんて。

 暴力も呪詛も止まってくれた。しかし視線は蓮に集まり、次は自分の番か、なんて身構えていたのだが。


「……やめたやめた。なんかもう萎えちまった。帰ろうぜ」


 意外なことに、唾を吐き捨てるだけで。暴行を加えていた三人は、蓮の脇を縫うようにトイレを出て行ってしまう。


「なんだよ、助かったのか……はは」


 思わず漏れる間抜けな笑い。右手で自分の目元を覆い、大きなため息を吐き出して。


「え、ええと。とりあえず、保健室────!」


 遅れてやってきた勇気に駆り立てられて、保健室へと駆け出した。


 ◇◆◇


「……ありがと、助かったよ」

 すっかり日が落ちた道に、二人の足音が響く。

 足音に混じって聞こえてくる波の音。二人が歩くそこは、海水浴場をもつ大きな公園だ。

 道を挟んで左手には広大な海。右手には青々とした芝生。

 休日には遊びに来た親子やカップルでごった返すそこには、今は蓮とくだんの金髪の少年しかいない。

「助かったっつったって、俺はなにもできてないんだけど……」

「いいや、あそこで梶間くんが来てくれなかったら……ホントに僕は死んじゃってたかもしれない」

 ……謙遜でもなんでもない。蓮は震えていることしかできなかった。

 あとできたことはと言えば、保健室から先生を呼び出したくらい。あとは手当てされて行くのを見ていることしかできなかった。


「……本当に、なにも」


 溢れ出る無力感を噛み締め、拳を握り締める。

 何もできなかったんだ。お礼を言われるようなことは、何も。


「……ところで、梶間くん。申し訳なさそうにしてるところ悪いんだけど、僕の名前わかるかな?」

「えっ、」


 突然投げかけられた問いに、思わず間抜けな声を返す蓮。

 名前。何故突然。そんな驚きより、初対面じゃなかったことが蓮には驚きだった。

「……だめだ、わからねぇ」

「だろうねぇ。やっぱり、僕には興味なかったか……」

 やれやれ、とばかりに肩をすくめられつつ。記憶を遡ってみたものの、心当たりは全くない。

 蓮の表情から全てを読み取ったのか、対面した少年は苦笑を浮かべて、


「じゃあ改めて。藤崎ふじさき 大翔ひろとって言います。……去年同じクラスだったんだけどなあ」


 今度は覚えておいてね、なんて。

 ……言われてみればそうだった気がしないでもない。

 ふつふつと、去年の自己紹介でそんな名前を聞いたような、そうでないようなよくわからない曖昧な記憶が蘇ってくる。


「……言われてみればそうだったような、そうじゃなかったような、みたいな顔してるね?」

「ひとの心読むのはやめてくれよ。でも二割くらい思い出したぞ? あまり周りと関わりを持ってなかったような、そんな気がする」


 窓際で、静かにひとりで本を読んでいたのを何度か見かけた気がする。

 賑やかなクラスの中で、独り。まるでそこだけが、何処か別空間になってしまっているような。

 顎に指を添えながら、考え込むような蓮の言葉に、金髪の少年────改め、大翔は口元に苦味を浮かべて、


「まあ、仕方ないよ。僕理想児だから」


 ぼそり、ぼそりと。小さな声で、途切れ途切れに呟いた。

 理想児。ソレはデザイナーベイビーが浸透したこの世の中で、その子供達を指す呼び名だ。


 仕方ない。そう呟く大翔の表情は苦しげで、目の前の蓮は直視できない。


 確かに普及はしてきた技術だ。しかし、完全に受け入れられているわけではない。

 本来人間とは両親の特徴を、両親の長所を、短所を受け継いで生まれてくるものだ。顔だって似てくるし、だからこそ我が子が愛おしいと思うものだろう。


 しかし、理想児は違う。


 両親が思う容姿、理想の身体能力、理想の頭脳────。


 今時自分の容姿にコンプレックスを抱いていない人間の方が少ない。故に、そこから生まれてくる子供は両親とは全くの別人のようで。

 それが気持ち悪いと白い目で見る者が居る。どこの世界も人間は、自分が理解できないものを気味悪く思うものなのだ。


 そして数々のモノを持ち、生まれてくる子供を憎む子供もいる。


 どこの世界でも人間は、自分が持っていないものを持っている者を妬むモノだ。蔑むモノだ。痛めつけるモノだ。


 出る杭は打たれてしまう。出てなくても打たれてしまう。


 だからこそ、誰にも関わらないように、ひとりで教室の隅で丸まっているしかない。


「……その仕方ない、ってのは少し嫌だな。おまえだって人間だ」


 けれど、それは間違っていると蓮は思う。

 何も普通の人間と変わらない。こうして話せば通じ合える。相手の言葉だってわかる。

 見た目も普通の人間となんら変わらない。生まれの国が違うだとか、そういう小さな違いほどしかないだろうに。

 なんでいつだって人間は、そうやって批判していないと生きていられないのだろうか、と。


「はは、梶間くんは優しいなあ」

「……いや、なんで笑うんだよ。俺真面目な話してんだけども」


 蓮は至って真面目なつもりだったんだが、対して柔らかな笑みを浮かべる大翔。

 ……にしても、こうして笑顔を見てみると本当に美形だ、なんて蓮はため息を吐く。

 今日何度も吐き出した呆れや負のイメージのソレとは違う。ひとは見惚れると、思わずため息を漏らしてしまうものだ。

 きっと蓮が女性なら、ここで恋心のひとつでも抱いてしまうのかもしれない。


「……キミにもっと早く出会ってたら、色々と違ってたのかもしれないね」


 吹き荒んだ強い海風に紛れて、大翔はどこか遠くを見つめながら呟く。


「なーんて! ちょっと僕、お手洗いに行ってくる。先に帰ってても良いから。こんな遅い時間まで付き合わせてごめんね!!」


 その言葉に応えを返すその前に、大翔はそそくさと近くの売店へと駆けて行ってしまった。


「……なんだアイツ。別に便所くらいなら待ってるのに」


 調子を掻き乱すだけ掻き乱され、取り残されてしまった蓮。

 別にこの時間になれば、十分や二十分遅れたところで変わりない。もう叔母には遅れると連絡してあるし、気を使うことはないのに。

 釣り具や飲み物などを扱う売店の前に腰を下ろし、真上に浮かぶ月を眺める。


「そういや俺、アイツに一度も────」


 そんな言葉を遮るように。

 爆発音のような。何か、焦燥感を煽る騒音が、蓮の鼓膜を揺さぶった。

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