35話 悪事


 静かな病室。この質素な部屋で一人、物思いに更ける。


 テレビには相も変わらずバラエティ番組が淡々と流れている。テレビに興味はさほど無いが、他にやる事も無く仕方なくテレビカードを購入した。これが中々高い。約1分で1円程度取られる。付けっぱなしには出来そうも無い。




 一応、病室は個室を用意して貰ったので精神的には大分ゆとりがある。大部屋で可愛い女の子との運命の出会いにも少しの憧れは勿論あるのだが、今は少し一人になりたい気分だったのだから、ありがたい。




 唯が既に帰宅して、もうすぐ一時間。


 可愛い妹を夜道、一人で帰らせる訳もいかない兄の心境的に、今日はさっさと帰れとしつこく言い聞かせ、言う事を聞かせるのには一苦労だった。いや、そこまで心配して貰えるというのも実にお兄ちゃん冥利に尽きる訳だが。




 唯はあれから散々泣きじゃくって、落ち着いた後も俺の手をずっと握り締め、中々離そうとしなかった。ここまで妹が動揺したのも酷く珍しい。


 記憶の中でも数少ない光景だった。


 昔から唯はとても感情の起伏が小さい子で。達観していると言うのだろうか。どんな状況でも冷静沈着。全てを冷めた様な目付きで見つめているような印象。それでいて誰よりも頭が切れる。何をやっても簡単に出来てしまう天才肌。




 だが、唯が何かに対して本気で取り組むような姿勢を俺は見た事が無い。成績はとても良いが、本来ならもっと上位に行ける筈。何でも出来るのに、何かのスポーツをやった事も無い。




 唯は何に対しても執着しない。


 そんな彼女も一度だけ本気で怒ったのを、俺は見た事がある。




 俺が向日葵と大喧嘩した時だ。


 当時、唯が向日葵に虐められていると聞いた俺は、その話を聞きつけるや否や、向日葵に襲い掛かった。今思えば、俺も馬鹿だったと思う。その時はまだ向日葵の事は、噂を聞いた事くらいしか無くて、出来れば自分も虐められたくないなと近づかない様にしていた頃だ。




 お互い何も知らない子供の大喧嘩というものは誠に恐ろしいもので、殴る蹴るでは収まらず、モノで叩いて、投げつけた。


 向日葵は青痣あおあざと擦り傷だらけ。俺は運悪く大量に流血した。それでも諦めない俺を見て、向日葵のこれ以上無い程驚く顔は今でも良く覚えている。




 しかし俺にとっての問題は、その結果を知った後の唯の方だった。




 向日葵との大喧嘩以降、圷家と結城家の交流が始まった訳だが。それ以来、唯と向日葵は、俺と向日葵の喧嘩程じゃないにしても、目を合わせれば取っ組み合いの喧嘩を始める始末。何度俺がそれを止めに入った事か。




 唯は、その一度受けた家族の仇を決して忘れる事無く、決して諦める事もしなかった。結果的にあの向日葵の相手を何年もして来たのだ。それも初等部を上がり、中等部になれば大部沈静化したが。




 今思えば、今までに向日葵に本気で楯突いたのは今の所俺達、圷兄妹のみという事になっている訳で。それはそれで複雑な心情ではある。そんな思い出に一つ溜息を付く。






 俺がそんな事をぐだぐだと考えていれば、この静かな病室に唐突に大きな音が響いた。






 ガチャン!!




 スライド式になっている病室の扉を大きな音を立てて開いた人物。




 驚いて扉の場所に目を移せば、幼馴染の結城向日葵ゆうきひまわりの姿がそこにはあった。


 肩を大きく上下させて、息を切らせている。どうやらここまでかなり急いで向かって来てくれたらしい。首には面会用のQRコード付きのカードをぶら下げている所から、一応は正規の手順を踏んでここまで来ている様だった。






「涼ちゃん!!」




 物凄い表情で此方に詰め寄る向日葵。




「お、おう……。どうした向日葵?」




「どうしたじゃねーよ! 部活終わって顧問から聞いたんだよ! なんで何にも言わねーんだよ!」




 向日葵の表情には本気の心配と怒りが入り混じる様な色を見せている。制服は着崩しながら走って来た所為か、大分よれよれになってしまっている。スポーツ用のバッグを肩に掛けて、部活が終わってから話を聞いたのか、すぐさま駆けつけてくれた様だった。


 俺は彼女を宥める様に両手をひらひらと振った。




「と、とりあえず落ち着けよ……ここ病院だから! もう少し静かにな……?」




「――っ! そ、そうだった……ちょっと大声出し過ぎた……ごめん。」




 向日葵はハッとして途端に辺りを見回す。


 幸い、ナースさんが駆けつけてくるような事態には陥らずに済みそうだ。




「いやまあ別に言うほどの事でも無いかなって。はは。」




 俺の一言を聞いて、向日葵は更に鋭い視線を俺に送る。




「ふざけんなよ……私がどんだけ心配したと思ってんだよ……意識無いって聞いて、ホント焦って……。」




 彼女はそんな俺の適当な台詞が許せない様だ。


 そんな真剣に心配してくれる向日葵にこれ以上いい加減な対応は出来無さそうだった。




「ごめん。心配かけたくなかったんだよ。」




「別にいいけど……。それで大丈夫なの?」




「ああ、全然大丈夫だよ。ちょっと頭打っただけだからさ。」




 俺は向日葵の心配そうな表情に笑顔を返す。


 向日葵もそれを見て、深い安堵の溜息を付いている所を見るに、少しは落ち着いた様だ。




「階段から落ちたんだって……?」




「ああ、まあな。」




「……誰かにやられたの。」




 途端に棘のある声を彼女は出した。向日葵は此方を真っ直ぐ見つめて来る。


 その雰囲気は真剣そのものだ。




「ちげーよ! 俺が勝手に落ちたんだよ。」




 つい慌てて反応してしまう。




「……は? 普通、一人で階段から落ちなくない?」




 その時点で初めて気が付いた。


 向日葵は、もしかしたら俺が階段から落ちた理由の方に怒っているのかも知れないと。




「俺が不注意だったんだよ。」




 向日葵は相変わらず此方をジッと見つめ続ける。


 その視線は俺の中を見透かされている様な気さえしてくる。




「相変わらず、涼ちゃんは嘘が下手だね……。」




「違うって。本当にそういうんじゃないよ。ほんとに違う。」




 これはきっと嘘じゃない。俺はそう信じている。


 そんな俺の想いが伝わったのか、向日葵も俺の頑なな態度を眺めながら深い溜息を付いた。




「わかった。じゃあ今回はそういう事にしとく。」




 何とか幼馴染の納得を得られた様だ。


 それにしても向日葵は毎回、事ある事に過保護すぎる気がする。俺がこうやってケガをすると、昔からすぐ誰がやったか聞いて来るあたりがその証拠で。


 ケガに限らず、俺が何かしらの問題を抱えていればズケズケと踏み込んでくるのも、一概に幼馴染だからかも知れない。


 世間一般の幼馴染が普通どの程度お世話を焼いてくれるのかは分からないが、うちの幼馴染に至ってはお節介の極致が当たり前な事はもう蛍光院学院の周知の事実。どうやら向日葵の中での幼馴染の定義は、幼馴染の事は自分の事と同じ事くらいの事だと思っている可能性がある。


 事実、そう思わざるを得ない出来事が今まで沢山あり過ぎて、もう俺もそれ自体に全くを以って抵抗が無い。




 まあそうやって文句を言いつつも、俺自身もそれに近い感覚を向日葵に対して持っている訳で。向日葵をケガなんてさせる奴が居たら絶対に許さないし、救急車なんかでもし運ばれたりなんかした日には、生徒会なんて放り出して向かってしまうかも知れない。


 それと同時にやはり幼馴染の定義についても、先程の例の関係性をそのまま逆にした様な考えを俺自身持ってしまっているかも知れない。実際向日葵の事なら、もうそれは自分の事に限りなく近い。勿論、こんな事は恥ずかしくて口には出さないが。




 そう考えれば、まあ結果的にお互い様か。






「なあ向日葵。」




「ん?」




 それでも、こうして毎回お世話を焼いてくれる幼馴染に対してキチンとお礼は言っておくべきだろう。俺自身、感謝の念は大きい。




「毎回ありがとな。」




「は!? いきなりなんだよ!」




 向日葵は少し頬を染めながら、鋭い目付きを向けてくる。


 そんな知らない人が見れば恐れてしまう様な視線も、優しさが込められている事を知っているからこそ心地良い。




「いや、毎回こうやって駆けつけてくれるのが嬉しくてさ。」




「――ッな! ッな!!」




 向日葵は案外こういう率直な気持ちの伝え方に非常に弱い。


 それは外面を偽っていても、偽っていなくても変わらない。


 俺の笑顔を見て、これがあざとい確信犯と気が付いた向日葵。悔しそうに顔を真っ赤にした彼女は鞄を持ち直し、くるりと背を向けた。




「もう帰る!!」




「はは、早いな。まだ此処に来て2分も経ってないぞ。」




「別に大丈夫だって分かれば今日はそれでいい。」




「そっか。気を付けて帰れよ。」




「うん。」




 向日葵はそのまま此方を振り返る事無く、病室から去って行った。


 一人病室に残されれば、途端にまた静寂が訪れる。




 結局、向日葵が病室に居た時間と言えば5分も満たない、お見舞いとはとても言い難いものだったけれど。それでも先程までの心の重みは少しだけ解消されていた事に気が付く。




 俺は、また栞先輩の事を頭に浮かべながら、流れ続けていた事さえ忘れていたテレビに目を向けた。








―――――








 蛍光院家の家紋が彫られた自家用車に揺られて毎朝と変わり映えの無い登校。


 スモークが掛かった窓から外の景色を覗けば、毎日通る故の見慣れた街並みが見える。自分の心模様を映しているかのような曇り空。


 この都会の朝には通勤の為に沢山の人が大来している。私が乗っているこの車もその一つとなって大通りを前進し続ける。時間は刻一刻と過ぎ去り、此処で立ち止まろうものなら、遅刻者というレッテルを張り付けられる。


 そんな事が私に許される訳も無く、今日も勿論の登校を誰に言われる訳でも無く余儀なくされた。




 彼女は確かに「戦争」と言っていた。




 少し前までの私ならその言葉だけで小躍りしてしまいそうな単語にも、今は大した関心が持てない。それ以前に少し億劫ですらある。気が重たい。


 圷唯が私に対して怒りを覚えるのは至極当然の事であって。兄が階段から突き落とされたのだ。怒って当然。




 本当はあんな事をするつもりなんて。


 そんな言い訳通用する訳も無く。きっと誰も聞く耳なんて待たないだろう。勿論、涼君も。私自身、自分という人間がどういう人間か知っているからこそ、言い訳なんてする気も失せる。


 それだけの事を今までして来たし、私自身それらについて深く考えて来なかった。今までの詰まらない自己満足の結果が唯一分かり合えるかも知れないと思える人との溝を深める。




 正直、彼があの時言ってくれた言葉に強く心を打たれた。


 もうあんな事を面と向かって言ってくれる人は私の前には、もう現れかも知れない。手を差しの伸ばしてくれる人は彼が最初で最後だったのかも知れない。




 でも、私が取った行動は拒絶だった。


 自分でも何故あんな事をしてしまったのかは分からない。それが衝動的だったのか、能動的だったのか。その理由を考えるまでも無く、もう私と彼の関係には終わりが訪れてしまった。




 だからといって別に悲しんだり、落ち込んだりなんてしない。




 私はもうずっと以前から他人との関係の一切を諦めている。他人との繋がりを全て捨てている。もう今更、誰かに固執する訳も無く、固執していい訳も無かった。




 それでも未だに私の中に何かが残っているのか、一筋の涙が零れた。


 それは希望かも知れないし、願望かも知れない。どちらにせよ、この感情もそろそろ捨てないといけない。


 この未練がましく、いつまでも心の片隅に残り続ける感情を。




 大丈夫。いつもと何ら変わらない。また少し胸に痛みが走るだけだ。






「栞様。到着致しました。」






 その言葉にハッとして気が付けば、車は学院に到着していた。


 運転手は此方を怪訝な瞳で伺って居た。私は、指で軽く涙を拭うといつもの笑みを作り出す。




「ご苦労。」




 蛍光院学院指定の革製の学生鞄をしっかりと握り締め、校舎に向かって歩き出した。高等部から初等部の生徒達が、一様に自分の学校に向かって歩みを進める。その流れに逆らう事無く合流した。




 高等部の校舎の前には、大量の生徒達が掲示板の前に集まっている。




 何やら、騒がしい。


 教師連中も何人も稼働している様で、その騒動を抑えるのに必死な様子だ。




 私がそれらを興味の無さそうに一瞥しながら横を通り過ぎれば、途端に大勢の視線が一斉に此方に集中した。数えきれない冷たい目線。一瞬にして今までの騒ぎようが嘘の様に静まり返った。背筋が凍りつく感覚。




 ここに到って、その意味を理解する。




 掲示板には、一枚の学内新聞が張り付けられている。


 見出しには仰々しくも大きな文字で、「蛍光院栞の悪事」と記されているのが良く見える。




 その新聞の一面には私が起こした事件の中で、相手に一番大きな損傷を出した時の出来事が大きく写真付きで載っていた。




 私は唖然とする他ない。


 その情報を一体どこで入手したのか。


 それと同時に、彼女がいう「戦争」がもう始まっている事に気が付くには、少し遅すぎた様だった。




 周囲がヒソヒソと話しながら此方の様子を伺って居る。


 この雰囲気に喉が詰まりそうになる。冷や汗が噴き出た。




 ふと気が付けば、誰かが私の真横を通り過ぎる。脱色された様な真っ白で真っ直ぐな髪を揺らしながら。


 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな独り言が偶々耳に届く。






「絶対に許さない……。」






 私は瞼をゆっくりと閉じる。


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