27話 保留


 衣変え。気が付けば6月。今年は梅雨も例年よりも元気が無く、「あれ?もう終わったの?」と言いたくなる程降らなかった。今日、6月一日は世間一般と同様に蛍光院学院も衣替えだ。

 朝目を覚ますと、いつも掛かっている筈の制服のジャケットは消えており、代わりに、もはや見慣れてしまった夏服用の薄手の学校指定のベストが壁に掛けられていた。この母親バリの仕事っぷりは勿論、妹のゆいの仕業である事はもう説明の必要は無いだろう。

 蛍光院学院の夏服は半袖のシャツにこの味気無いベストだが、ベストの方は強制では無い。着ても着なくても可。それでも校内を見れば来ている割合の方が圧倒的に多い。何故かうちの制服にはそれなりの人気があるらしい。

 俺は例年、邪魔という理由で着ていなかった部類の人間なのだが、今年からはそうも行かない。生徒会役員は強制着用との事で、今年からはきっちり着用。

 もうすぐそこまで迫っている体育祭に向けて生徒会も切磋琢磨している訳だが、栞しおり先輩のおかげで、もはやあれだけあった書類作成の作業も終了に近い。


 これだけ聞けば、俺の高校生活も順風満帆に聞こえるかも知れないが、そうもいかない。

 例の向日葵の公開告白の一件以来、周囲の視線と対応が大変な事になっている。男子からは嫉妬の目線を一身に浴びせられ、ファンの近くを通れば舌打ちの嵐。いつ強硬派の奴らが武力行使に出るんじゃないかとヒヤヒヤしている。

 女子も女子でそんな事お構いなしの姿勢を貫き、事の顛末てんまつを大声で聞いてくるものだから、更にタチが悪い。


 そんな訳で、昼時にも関わらず学食にも行けず教室にも居られない俺は、こうしてサンドイッチ片手に階段を登っている。

 一つ深い溜息を付きながら屋上の扉を開けば、時期相応の心地良い風が吹き抜ける。そこには学食とは比べられない程の人気の無さ。人っ子一人いない事に安心を覚える。



「あれ、先輩だー。」


 唐突に側面から声を掛けられ、飛び上がる様にびっくりさせられた。


「うわ! びっくりした。」


 押し扉の所為で、死角になっていた扉の裏に座っている人影に全く気が付かなかった。


「あははははひゃひゃ……ひー。びっくりし過ぎでしょ! 相変わらず先輩ウケるね。」


「なんだよ、白亜はくあかよ……。驚かせんなよ。」


「なんだとは、なんだ! 先輩のくせに生意気ー!」


「いや、後輩のくせに生意気すぎだろお前……。」


 こいつの存在を忘れていた。屋上なら人はいないと思い来た訳だが、白亜と出会ったのも屋上であり、登校して来ている日は高確率で屋上に出没する。

 俺はしょうがなく溜息を付きながら彼女の隣に腰掛ける。


「にしても先輩、結構久しぶりだね。昔は毎日屋上で話してたのにねー。」


「昔って言う程、昔じゃないだろ? たったの1年前だ。」


「そうだっけー? あたし仕事また始めちゃったから最近、中々来れなくてさー。」


「そいや、白亜って芸能人なんだもんな。」


「「そいや」かー。先輩あたしの事全然興味無いからねー。」


 白亜は少し寂し気な表情を見せた。


「そんな事無いよ。応援してるよ。」


「たまにはテレビ見てよね! 結構これでもいっぱい出てるんだから~!」


「悪いな。うちのテレビのチャンネル権は妹にあるんだ。正直テレビで白亜を見かけた事は一回も無い。」


「ふーん……。」


 俺の自室にもテレビはあるが、正直ほとんど使っていないに等しい。実際に一度は白亜がテレビに出ている所を見てみたいと思ってはいるのだが、如何せんテレビにあまり興味が無い俺には中々その機会は訪れてくれない。

 俺は、持ってきたサンドイッチを頬張る。白亜はそれから少しの間、無言になった。俺も特に話すことも無く二人の間に無言の沈黙が訪れる。風が気持ちいい。


 少し続いた沈黙を破るように白亜はチラチラと此方を伺いながら、問いを投げ掛ける。



「そいや……さ。先輩告られたらしいね。」


「え? あ、ああ、まあ。」


 こいつもか、と此処に来た理由を考えながら溜息を付いてしまう。


「ひゅーひゅー。モテる男は違うねー。」


「やめろっつの。そういう絡みが嫌で、わざわざ屋上で飯食ってんだから……。」


「で? 付き合ったの?」


 白亜の方に視線を向け彼女の表情を確認すれば、何故か真剣な目付きをしている。


「いや、付き合ってないけど……。」


「そっか、ふーん……。ま、当たり前かっ! 先輩きもいし!」


「いやだから、きもいって言うな! 俺、先輩! 一応先輩だから!」


 勿論、白亜は最初からこんな失礼な訳では無い。以前、よく話していた時期に段々と慣れて行った結果だ。こんな事を言っていても、まあいつもの会話ではある。


「ぶははは! 先輩ってそういえば先輩だったんだね!」


「まあ別にどうでもいいけどさ。あ、そういえば、この会話この前もしたよな? なんか言いかけてたよな。何だったんだ?」


 今の会話から、脳内にあの日の事を思い出す。確かあの日、会話の最中に電話が鳴って中断した筈だ。唯が倒れて俺が慌ててその場を去った。

 白亜も思い出したのか、明後日の方向を向いて頬をポリポリと掻いている。


「あー、いやー……。」


「ん?」


「それは今じゃ微妙っていうか……。このタイミングじゃ私も二の舞になり兼ねないというか……。」


「え? どういう事だ?」


「ま、まあまた今度言うよ! たぶん! もしかしたら!」


「とっちだよ……。ってかなんだよ。言いたい事があるなら言えよ。」


「だめだめ! もっとぐわーってなった時じゃないと、そう簡単にはムリなんだよ!」


 すごい剣幕で腕をぶんぶんと降る白亜には、不思議とこれ以上の追及を許さない雰囲気が漂っていた。


「そ、そうか……。」



 勢いに圧倒され、思わず頷く。その理屈で言えば、この前はぐわーってなっていたのだろうか……。気が付けば、先程まで食べていたサンドイッチはもうすっかり無くなっている。少々の物足りなさに不満を感じながらも、まあこんなものかと自分を納得させつつ、欠伸を掻いた。


 それからは白亜と久しぶりの邂逅という事もあり、最近の近況をお互いに話す。学校はどうか、仕事は順調か。勿論、俺の近況も話した。生徒会の愚痴から、最近の小さな楽しい出来事まで。

 話していれば、忘れかけていたお互いの会話のリズムを思い出して来る。意外に俺たちの息は合う。以前よく彼女と話していた頃は、白亜が芸能活動を休止中だった事もあり、ほぼ毎日話していた事もあったくらいだ。正直もう気の知れた仲。

 暖かい日差しのおかげか、若干の睡魔を感じる。

 俺はいつもの様に昼休みの残り時間を有効に使うべく立ち上がった。



「まあ、俺は教室戻るよ。」


「え? 久々なのに、もう行っちゃうの……?」


 白亜の顔には少し残念そうな色が感じられる。

 俺はそんな彼女に笑顔を返した。


「同じ学校なんだから、またいつでも話せるだろ?」


「うん。そだね……。」



 その言葉を最後に校内に繋がるドアを開く。

 校舎の中に入れば日光の直射が遮られ、今まで感じていた熱が失われると共に、体感温度がグッと下がる感覚。そのまま階段を下りると一つ下の階1年生のフロア、5階の階段の踊り場に唯ゆいが壁に背を預けながら立っているのを見つける。

 同時に唯も此方を見つけた様だ。目が合うと同時に可愛らしい笑みを飛ばして詰め寄って来た。



「涼。」


 途端に俺の服の裾を掴む。


「唯、こんな所で何してるんだ?」


「こんな所って、ここは一年生のフロアだよ。涼こそ屋上に行ってたんだね。」


「まあ、そう言われればそうだな。俺は飯食ってたんだよ。」


「そうなんだ。学食行かなかったんだね。」


「まあな。今はちょっと人の目線が辛い時期だからさ……。まあ俺は教室戻るから、またな。」


「うん。」



 ゆっくりと指を離すゆい

 そんな仕草も可愛らしい。もしかしたら、こんな可愛らしい仕草や笑顔を他の男子にも向ける様になったのかと、ふと考えてしまう。まあ確かに唯も年頃だ。彼氏なんかが出来ても可笑しくは無い。未だにそんな話を聞いた事は無いが、これから出来るかも知れないし、只言わないだけで、もう既に存在しているかも知れない。それを考えると途端に胸の中に、重りが縛り付けられている様な感覚に見舞われた。

 それと同時に、別に仲が良い兄妹なのだから、遠慮せずに聞けばいいじゃないかと思い到った。


「あのさ。」


「ん?」


「唯って彼氏いないのか?」


 唯は俺の唐突な質問に目を丸くしている。


「なんでそんな事聞くの?」


「いや、なんとなく思った。」


「涼はどっちがいい?」



 相も変わらず可愛らしい笑顔を向けてくる妹。

 仮に、俺がその質問に「いない方が良い」と言えば、本当に唯は彼氏を作らないのかも知れないと真剣に考える。しかし兄がそれを口にするのは、度が過ぎている事も十分に承知している。



「うーん。保留で。」


「わかった。」



 俺は自分のシスコンっぷりに深い溜息を付きながら教室に向かった。

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