19話 背後


 朝、幼馴染と別れてからは基本的には毎日やる事は定型化されている。


 周囲からの呆れる程の好意的な挨拶を丁寧に返しながら、下駄箱で上履きに着替え、たまに入っている手紙を周囲に気が付かれない様に鞄に仕舞い込む。ラブレターを貰う事は正直女子目線ではマイナスしか無い。しかもそういう嫉妬から来る不満は抑え込むのが少々面倒。ばれないに越した事は無い。


 その後はその足で職員室に向かい、気に入られている先生にゴマを擦りに行く。大した用事が無くても、雑談だけでもこれは重要。毎日欠かさず行く必要がある。

 勿論、大体はそこで雑務を押し付けられる事が多いが、それが目的でもある私は、嫌な顔一つせずに引き受ける。


 ここまで完璧な笑顔と態度で周囲に対応し、自分のGクラスの席に付くまでが毎朝の仕事の様な物だ。




 私は自分の席に座るなり、深い溜息を一つ付いた。

 既に取り巻きの子達が先に登校しており、私を囲む様にして席を覆った。



「おはよ。向日葵。」

「ひま、おはよ!」

「向日葵ちゃんおはよう~」

「ひまちゃん、おはよ。」



「これ読んどいて。」



 挨拶も無しに今朝、下駄箱に入っていたラブレターを差し出した。



「今日も大量だね。」


「2回目以降の奴は無視でいい。時間が被ってるのは、ずらすように連絡しておいて。」


「了解。にしても、よく毎回ちゃんと対応するよね。」


 手紙をいつもの様に渡された星野亜紀ほしのあきは不思議そうな表情で聞いて来た。


「評判に関わるから。それに振られれば言い触らさない。」


「名前も見て無いのに、振る事は確定してるんだね……。」



 その言葉には、無言で応えた。スマートフォンを取り出し、朝から届いているメールに一つずつ業務的に可愛く対応していく。

 その間、取り巻きの4人はラブレターを見てケラケラと笑っているようだ。傍から見れば、こんな下衆い会話も女子5人が朝から戯れている様に見えるのだろう。


 この4人は2年生の中で強い力を持つ子達だ。それ故に、取り巻きである事を許している。皆、ルックスに秀でており存在感もある。友達になる気なんて毛頭無いが、彼女達を配下にした時点で2年生内に敵は居なくなったのも事実。

 ここに本来ならあと一人、以前までは芹沢優奈せりざわゆうなが加わっていた。彼女もそれなりのルックスと持ち前の活発さで周囲から目を引く存在だったからこそ取り込んだ人物の一人だった。

 が、あの女は許されない事をした。だから潰した。取り巻きから追放し、徹底的に攻撃してやった。

 芹沢優奈せりざわゆうなには唯ゆいもアプローチしていたらしいから、その苦痛の2週間は彼女にとって永遠にも近い、長い時間に感じられた事だろう。元々活気的だった性格も今やあのザマ。


 必要最低限の相手へのメールを返信し終えた時点で、丁度朝のチャイムが鳴り響いた。


 キーンコーン……。




―――――




「結城向日葵ゆうきひまわりさん! 好きです! 付き合って下さい!」



 人気の無い校舎裏。男は意を決してと言わんばかりに頭を下げる。

 想いを告げられた少女の顔は一瞬にして朱に染まった。



「ごめんなさい……。急にそんな事言われると思ってなかったので……。貴方の事よく知らないので、お友達からでもいいですか……?」


 少し恥ずかしそうに少女は応えた。

 男はその返答が喜ばしい物なのか、顔には笑みが零れている。 


「勿論です! 俺、好きになって貰える様に頑張ります!」


「そ、そんな事言われると恥ずかしいですね……。」


 少女の顔には照れの色が隠し切れない笑顔。

 男はその表情を見て、興奮の色を隠し切れない。


「あ、あの……連絡先教えて貰ってもいいですか?」


「は、はい。」


 お互いにスマートフォンを取り出し連絡先を交換する。


「出来ればメールとかしたいなって……はは。」


「はい。全然構いませんよ。」


「ありがとうございます!」


「じゃあ私はこれで……。友達に待って貰ってるので……。」


 その言葉に男は酷くがっかりしながらも笑顔を作った。


「そうですよね。向日葵さん凄い人気者だし……。今日は来てくれてありがとうございました!」


「そんな事全然無いですよ……じゃあまた……。」



 少女も同様に笑顔を作りながらその場から離れていく。

 曲がり角を曲がれば、お互いの姿は完全に見えなくなる。途端に向日葵は深い溜息を付いた。そこには先程、頬を染めていた可愛らしい少女の姿はもう無い。殺意の籠った目付きで舌打ちを当たり前の様に鳴らす。



「話なげーよ、きもい。」



 ボソリと呟きながら、校舎に入っていく。

 既に多数の友人との賑わった昼食を済ませ、昼休みに済まさねばならない事項はこれにて終了。昼休みもあと15分もしない内に終わりが訪れるであろう。


 身体の怠さを感じながらも、未だに背筋をピンと張りながら教室に入って行く。

 いつもの様に先程の悪寒がするような告白に感じたストレスを取り巻きへの八つ当たりで解消しようとしてみれば、見知った影が楽しそうに4人と会話しているのが目に付いた。



「あははっ! え~先輩超面白いですね!」


「唯ちゃんウケる! めっちゃ可愛い! 妹にしたいくらい~」


「え~嬉しいです!」



 何とも言えない程の和やかな雰囲気に、呆れた溜息すら出そうになる。それと同時に耐えきれない程の苛立ちが全身を襲った。



「ひま、おかえり。唯ゆいちゃん来てるよ。今、用事で居ないって言ったら待っててくれたんだよ。」


「先輩先輩! 私と向日葵ちゃんって幼い頃からの馴染みなんですよ! 親友なんです!」


「え!? そうなの!?」


 私は強く歯ぎしりを起こす。唯に鋭い目線を送るも彼女は笑顔を作り続ける。

 此方の視線に応える様に、再度馴れなれしく話しかけて来た。


「向日葵ちゃんまた告白されたの? そろそろ誰かと付き合っちゃえばいいのに~。」



 私は全身を支配してしまいそうな殺意を噛み殺す。

 こいつが此処にいるのは何か狙いあっての事。ここでこの安っぽい挑発を受けても何一つ得にはならない。今までも散々他人を引っ掻きまわしてきた唯の事など、今は相手にしてはいけない。

 強く自分を制止して、ようやっと引き攣った笑顔を作った。



「唯ちゃん何か用? もうすぐ昼休み終わるよ?」


「向日葵ちゃんと二人で話したくてさ。」


「悪いけどまた今度にしよ? 授業始まっちゃうからさ。」


「そっかあ。涼りょうに言われて来たんだけど、ダメならしょうがないよね。」


 途端に諦める唯。


「涼ちゃんが? なに?」


「だから二人で……ね……?」



 唯がわざとらしく席を立ちあがり教室から出て行く。

 私もそれを追うように歩き出した。そろそろ授業が始まる。生徒達は次第に教室に戻って来始めている。その流れに逆らう様に教室から出た。

 唯はそのまま近くの女子トイレに入っていった。それを怪訝な視線で見つめながらも、しょうがなく追随する。



「何?」


 不機嫌と苛立ちを隠そうともせず率直に質問を投げかけた。


「目覚まし時計の事謝ろうと思ってさ。」


 二人になった今でも唯は笑顔を作っている。


「は……? あんたが……?」


「うん。向日葵ちゃんには悪い事しちゃったなって。」


「きもいんだけど。まあどちらにせよ、時計壊した事は絶対許さねーけど。」


「違うよ違うよ。謝ってるのはそっちじゃないよ。あの目覚まし時計渡したときに、涼と約束したでしょ……?」


 途端に目を大きく見開いた。

 驚きが隠せない。なぜこいつがあの約束の事を知っている? あれは私と涼ちゃんしか知らない筈。涼ちゃんは例え妹であってもそういう事を他人に言う人じゃない。


「あんた何言って……。」


「涼ね、あの約束。全然覚えて無かったみたい! ふふっ。」


 言葉も出なかった。ただ今言われた事が茫然と頭の中で反響し続ける。

 唯はこちらの事などお構いなしとでも言いたそうな顔で楽しそうに話し続けた。


「だから悪い事しちゃったなって思ってさ。ていうか、それなら壊す必要無かったし。」


 身体に力が入らない。それと同時に自分の中から真っ黒い憎悪が湧き出る感覚に指先まで支配されていく。

 気が遠くなる程に殺意が芽生えているのに、唯の声はクリアに耳に入って来た。


「涼が怒った時の話聞きたい? 向日葵の為に怒ってたよ? 良かったね。でも約束の事はすっかり忘れてたみたい! 涼にとっては大した事じゃなかったんだね。」



 気が付けば、すぐ近くにある蛇口に繋がっている清掃用のホースから勢いよく水を出し、唯ゆいの頭から浴びせていた。

 一瞬にして水浸しになる唯。



「お前ちょっと黙れ。」



 私の暗く低い声が狭い女子トイレの中に響いた。

 彼女の口元にはそれでも不気味な笑みが彩られている。


 水が滴り続ける彼女はゆっくりと近づいて来る。ふと耳元で微かに囁いた。



「私、涼にキスしたんだよ。」



 それが耳に入った途端に頭の中が真っ白になった。

 自分の体をもう自分の意志で動かす事は出来なかった。

 それが恐怖なのか、怒りなのか、嫉妬なのかは分からない。私は只、唯ゆいを蹴り飛ばしていた。大げさに地面に倒れる唯。


 それでも今尚、口元には細やかな笑みが滲む。その笑みに強い殺意が芽生え、何度も地面に倒れる唯を蹴り付けた。何度も何度も何度も。



 ガンッガンッガンッ!

「死ね死ね死ね死ね死ね!」



 途端に唯の表情には恐怖の色が滲み出した。

 初めて見る唯の恐怖の顔。この女は昔から私に楯突いて来る奴だった。お互いにいがみ合い、何をされても怖気づかない。そう何をされても。

 取っ組み合いの喧嘩なんてしょっちゅう。その喧嘩の優勢はその時々で、この程度の事では唯が動じる訳が無い。むしろすぐやり返して来る女だ。


 なぜこんな時間に清掃用のホースが蛇口に繋がっているのかと、自分の中でふとそんな疑問が頭に浮かぶ。



「ひ、向日葵……?」



 背後から、今一番聞きたくない人の声が聞こえた後に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る