18話 着信
気が付けばもうすぐ5月の中旬。生徒達の制服もあと少しもすれば夏服に衣替えされるだろう。既に少し暑苦しいこの洒落っ気の無いジャケットともしばしの別れ。巡りくる夏に新たな変化を求めて、若干心が浮足だつのが自分でも自覚出来る。
我らが通う小中高一貫である蛍光院学院けいこういんがくいんの衣替えは6月の一日。6月になれば直ぐにでも体育祭が待ち構えており、今後予想されるであろう多忙な日々に若干の憂鬱を感じながらも、「まだ時間はある」なんて悠長に事を構えながら、この静けさが漂う昼過ぎの図書室で欠伸を掻いた。
「こら。欠伸している場合じゃないぞ。涼りょう君。」
俺のすぐ横で、珍しくもメガネ姿で俺を叱りつける人物。蛍光院栞けいこういんしおり先輩。その相も変わらぬ美貌はとても魅力的ではあるが、今この瞬間だけは逃げ出したい俺こと、圷涼あくつりょう。
今まさに、先程述べた楽しみな行事が訪れる前に訪れるであろう中間試験の対策を叩き込まれている最中である。
先に言っておけば、勿論これは俺自身が学業成績の頗すこぶる優秀な栞先輩に、「勉強教えて下さい。」なんて進言して起きたイベントでは無く、彼女の唐突な「今日の昼休み図書室に来たまえ。」という理不尽な呼び出しから始まった事である事をまず此処に示しておこう。
「栞せんぱーい。」
「なにかね?」
「栞先輩って彼氏いないんですよね?」
「ああ。残念ながらね。」
「じゃあ膝枕してもらっていいすか?」
「な! いきなりなぜそうなる。」
途端に少し頬を染める……と言いたい所だが、栞先輩にそのような常識は通じない。途端に目を細め、ギロリと此方を睨む様はまるで獅子を連想させた。
「いやね。快適な学習は快適な環境から生まれる物であり、俺の様な軟弱な存在がこの誇り高い蛍光院学院の難攻不落とまで言わしめる中間試験を赤点無しで通過するには普通の手段では誠に遺憾ながらも……。」
「ああ、わかった。少し黙りたまえ。」
栞先輩は、俺の下らない暇つぶしにメガネを外しながら溜息を付いた。
「じゃあいいんすか!?」
「良い訳ないだろう。そもそも最初の前提が既に破綻している。」
「どこらへんがです?」
「まず彼氏がいないなら膝枕オッケーだと思って居るところだ……。」
「ひいいぃぃぃぃ!」
途端に見せる栞先輩特有の鬼の形相。静かな図書室に俺の悲鳴が響く。周りの生徒も一様に此方に視線を集めるも、栞先輩は「はい説教。」とでも言いたげな黒いオーラを身に着けていた。
「大体君は能力はあるのにやる気が無いのがいけない。」
「ど、どうでしょう。」
勉強をするつもりで来た図書室で延々と繰り広げられる説教。気が付けばもうすぐ昼休みは終わりを告げそうな時間に近づいている。
「それに最近は、何やら少し悩みを持っている様だ。」
栞先輩はふと話の腰を折り、脚を組みながら頬杖を付く。
この人は案外、人の機微に鋭い。その特性故か、人から相談事を持ちかけられる事も多いらしい。そうは言っても俺もその多数の一人であり、栞先輩に悩みを打ち明ける事は多く、しっかり者なのか、お姉さん気質なのか頼りやすく、甘えやすい。
「ははは。わかります?」
「いつも君を見ているからね。」
「いや、ちょっと妹が最近グレまして……。」
「ああ、唯ゆい君のあの髪の事か……。」
「はい。」
「まあ頭髪の着色については我が校に到っては禁止されている訳では無いからね。」
「いやそれにしても、あれはやり過ぎでしょ……と。」
「唯君なら見た目が良いから、なんでも似合うさ。」
「いやそういう事じゃないでしょ!」
「ふふっ。冗談さ。」
栞先輩は悪戯な笑みを口元に表した。
いつもながらに溜息を付く俺を見て栞先輩は楽しんでいるようだ。
「それが原因でこの前喧嘩までしたんすよ。」
「思うに。君は妹に干渉し過ぎではないかね? 好きにさせてやればいい。」
「ダメっすよ。家族ですから。」
栞先輩の厳しい言及に怯む事無く、彼女の目をしっかりと見据え自分の信念を口にした。
栞先輩は俺のその顔を見て少し驚きを感じているようだ。
「ふふっ。やはり涼りょう君は面白いな。にしても、将来君の家族になる人は苦労しそうだね。」
「えー、親父と母親がまだ頑張るって事です? いや未だにラブラブなのは確かですけど……。」
「まあ今はそういう事にしておこうか。さあそろそろ時間だ。」
時計を見れば、5時限目の予鈴5分前。二人で同時に立ち上がる。
図書室故の、数少ない生徒達も自分の教室に戻って行く様だ。俺たちも同様に歩き出し、図書室の前で互いに向き合う。
「じゃあ今日はありがとうございました。またいずれ……。」
「ああ、また明日な。」
「で、ですよね~。」
明日から毎日始まるであろう昼休みの中間試験対策から逃げる事に失敗した俺は、そのまま栞先輩とは逆方向に歩き出す。
妹の事について、栞先輩に相談はしたものの、あの喧嘩から帰宅した夜。我が家の食卓には豪華な食事とエプロン姿の妹が出迎えてくれ、素っ気無い態度は改善された様に思える。
妹の奇抜な髪色については結局のところ、未だに意味不明な訳だが、最近の人間関係は全体的に良好。特に交友関係についても問題なし。
このまま学院生活が平穏に過ぎてくれればなんて、在り来たりな事を考えながら自分に割り振られた教室に足を向ける。
1年Aクラスに着けば、雄介が俺の席に座りながらスマートフォンをいじっている。
もうじき授業が始まる所為か、少しずつ教室にはいつもの賑わいを取り戻しつつあるようだ。
俺が窓際、後ろから3番目の自分の席に近づけき雄介に目線を送る。その視線に気が付いた雄介はスマートフォンから視線を外しニヤリと此方に笑みを向けて来た。
「よ、生徒会長様の個人レッスンはどうだった?」
「どうもこうも無いよ。これから毎日だってよ。」
「それは羨ましい事で。」
「言ってろよ。」
こいつとの関係も変わらないなと溜息を付きながら、手をひょいひょいと、俺の席がら退けと仕草のみで意志を伝える。
雄介もその仕草に気が付いたのか、体を起こそうと首を持ち上げた。
それを邪魔するかのように俺のポケットに入れられたケータイが鳴った。
ピピピピ!
同時に5時限目の授業の開始を知らせる予鈴が鳴り響く。
キーンコーンカーン……。
いつもそれらは唐突に訪れる。こうして俺の日常生活が平穏無事に過ぎればいいと願った時に限って。
画面にはメール。表示させる名前は「唯ゆい」。
俺はいつもの見慣れている筈のこの着信に嫌な予感が走った。
恐る恐るメールを開く。
【たすけて】
【今2年生のフロアのトイレにいる】
雄介が此方を怪訝な表情で伺って居る様だ。
「どした? なんのメールだったの?」
「悪い。俺ちょっと行かないと。」
その言葉に雄介も驚きを示した。
「は? もう授業始まるぜ?」
「何とかしといてくれ。」
それだけ言い残し、俺は教室を飛び出した。
――――
ポツンと一人残された鴇雄介ときゆうすけは溜息を付いた。
「はあ……。どうにかってどうすんだよ……。」
相変わらず、俺の親友のシスコンっぷりは健在の様で。
教室にはもう既に大体の生徒が席に付いている。それに呼応する様に、次の授業を担当する教師も教室に入って来た。次の授業は物理。担当の教師はそれなりに厳しい人物だ。
「おらみんな席につけー。」
教師のテンプレートな一言に未だ自分の席に付いて無い生徒も順次自席に戻っていく。授業が自然と始まる雰囲気が教室に満ちて行く。
自分もそれに習い、親友の席から立ち上がる。
未だ手には、自分のスマートフォンが握られている。
先程着信があった画面。メール送信者、「圷唯あくつゆい。」
【涼りょうは5時限には出られないから、鴇とき君何とかしておいてね。】
再度溜息を止められない。唯ちゃんのブラコンぷりも健在の様で。
「はあ……。何とかってどうすんだよ……。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます