17話 束縛


 私は縛られている。


 左腕に巻かれた小さな腕時計には約束の時間5分前。ここ渋谷ハチ公前には沢山の人が大来しているが、未だ待ち人は現れず。

 いつ到着されても良いように背筋をピンと張り、女の子らしく両手を腰の前で鞄を握り締めた。こういう純粋そうな仕草に男は弱い。この何年も意識していた所為か、もうすっかり癖になってしまった。

 先程から2分に1回のペースでやって来るナンパ男を全てスルーしながらスマートフォンを定期的に確認。唯ゆいから電話があった時は、腸が煮え返りそうな思いをしたが、そのおかげか、その後に引き起った会話のおかげで今日の私は自分でも驚くほど機嫌が良い。


 今日の私はデートに適した身なりをしている。

 白のワンピースにデニム生地のジャケット。高すぎないヒールのパンプス。お化粧もばっちり。これで落ちない男はいない。はずなのだが、あの朴念仁は何年経っても私にはときめかないようで、待ち合わせの際にどんなに可愛い服やアクセサリーを身に着けて来ても褒められた事は無い。まあ最初からそんな事は期待してはいないが、その割に別の女を度々作ってくる事には未だに解せない。


 ふと見知った影が一つ。遠目でちらほらと視界に圷涼あくつりょうの姿が見えた。鞄から小さな手鏡を出すと、今の自分の状態を最終確認する。問題無さそうだ。



「君めっちゃ可愛いね! さっきからずっと一人で待ってるよね? ずっと見てたんだよね、暇なら俺と遊ばない?」



 ここで丁度2分に1回のそれが訪れたらしく、耐えきれない程の苛立ちが体中を襲った。頬を赤らめながら鼻の下を伸ばすこの男は複数人に声を掛け、1匹釣れればラッキーとでも思って気軽に話しかけているのかも知れないが、それによって此方に降りかかる損害を考えているのかと、嫌悪感と殺意が自分の中で入り混じる。

 顔の角度を変えず、鋭い目付きを向ける。今の感情を一切隠さず低い声で言い放った。


「消えろゴミ。今すぐ消えないと、レイプされるって言いながらそこの交番行くから。」


「あー……すいません。」



 男はハチ公前の近くに存在する交番をチラチラと見ながら、その言葉が効いたのか、この目付きが効いたのか、いそいそと遠ざかって行った。


 少しの間を置いて此方に走りながら詰め寄って来た圷涼は両手を首元当たりで重ねる。



「向日葵ごめん! 遅れた!」


 時計を見ればまだ11時58分。


「ギリギリセーフだよ! 涼ちゃん!」


途端に私は笑顔を作った。


「ホントは先に着いときたかったんだけどさ~ちょっと妹と喧嘩しちゃってさ。」


「唯ちゃん大丈夫……?」


「ん……まあ大丈夫だよ。」


「心配だよ~! 涼ちゃんの事もそうだけど、唯ちゃんに何かあったのかなってずっと考えてたんだよ!」


「向日葵ありがとな……。遅れたお礼になんか奢るよ。」


「え~じゃあパフェ! 早速パフェ食べたい!!」


「いや、飯な。飯食ってからな?」



 どちらがという訳でも無く、自然と二人肩を並べながら人通りに向かって歩き出す。スクランブル交差点にはいつも通りの人ごみが溢れていた。

 いつもと何ら変わり映えの無い会話。手を繋いでいる訳でも無く、腕を組んでいる訳でもないのに、自然と二人の雰囲気は恋人のそれに近い。


 渋谷にしては割りと空いているファミレスで昼食を取り、少し雑談を交わしながら約束の買い物に向かう。目的地は様々で雑貨が置いてある店全般。その中でも割とユニークな商品を置いてある店を幾つか選択した。


 涼ちゃんの要望は音が大きい事。

 私の希望はあの質素な部屋に私の色を残すこと。毎朝起きるたびに、向日葵の顔を頭の中に思い浮かばせればそれでいい。前回の不細工なニワトリもそういう理由であの形を選んだ。一目見た時から見た目のインパクトが大きくこれしか無いと思い立ち購入。実際に印象は強かった様に思える。


 とある雑貨屋に入り、時計が売られているスペースに向かう。様々な時計を眺めながら、既に壊れてしまったニワトリ時計によく似た、ニワトリの形をした時計が目に付く。

 商品が紹介されたカードには[大音量]と書かれている。



「涼ちゃん涼ちゃんっ!」


「ん? いいのあった?」


 此方に笑顔で振り返ると同時に、え? またニワトリ?と言いだしそうな表情を作る涼ちゃん。


「これ可愛くないっ!?」


「え? またニワトリ?」


「えー可愛いじゃん~」


「いや、また不細工だろ! まあ音がでかいのは良いと思うけど……。」


「ねえ涼ちゃんこれにしよ! これがいいよ!」


「まじか……ようやくニワトリから解放されると思ってたのに………。」


 涼ちゃんは聞こえるか聞こえないか程度の声で不満を上げる。


「聞こえてるからね! そんな事言うなら、もう知らないからね!」


 あざとく頬っぺたを膨らませくるりと背を向けると、涼ちゃんは焦る様にして手を振りながらあたふたとし始めた。それを見て少し口元が緩んでしまう。


「わかった! わかったから! それにする! それがいいなうん。」


「やった~。」



 涼ちゃんがウィンドウから商品を持ち上げる。

 ショーウィンドウに映る彼と、その彼の隣で無邪気に笑う可愛い女の子が映り込む。


 それを見て悪寒がした。身体が一気に冷めて行く感覚。

 勿論これは本当の私じゃない。造り物の笑顔に造り物の性格。正直こんな女が目の前に居たら蹴り倒しているかもしれない。気色悪い。

 本来の私はもっと最低だ。それを自覚出来る程に今まで最低な事をしてきたし、これからもするだろう。そもそも笑うという行為自体あまりしない。話す事も嫌いだし、誰かと仲良くするなんてあり得ない。必要ない、めんどくさい、気持ち悪い。



 そんな私が数年前にある事をきっかけに恋をした。正直自分でもゾッとした。



 そんな下らない感情を私が。と言うのも勿論あったが、一番愕然としたのは、こんな最低な人間が、という事だった。それまで周りに対して横暴の限りを尽くしていた私に対して誰かが好きになる訳が無い。見た目に釣られて来る輩も、今になっては出て来たが以前ではそれすらあり得なかった。


 自分の中で否定すればするほど、その想いは大きくなっていく。嫌われたくないと思い始めると、何をしていても彼の顔が頭に浮かぶ。最初は涼ちゃんの前でそういう事をしない様にした。しかし噂は回る。

 周囲は私が近づく涼ちゃんに警告を出すことは当たり前だったのかも知れない。

 彼の耳にその話が入れば、一心でそれを否定している自分がいた。彼の私を見る目が怖くなり、次第に裏ででしかそういう事が出来なくなった。

 それでもまだ尚、不十分。周りが敵だらけの私では、どう立ち回ったところで全ての情報を管理することは出来はしない。私がやっている事、根も葉もない噂、そのどちらでも涼ちゃんの耳に入れば、涼ちゃんは少しづつ離れていく。


 そこで私は皆が求める理想の偶像を演じる事にした。テニスを始め、イメージを上げた。家にいる時間のほぼすべてを使い、勉学に励み学年のトップレベルまで上がった。

 どんなに些細な力でも求めた。


 その時点での私は皆の上に立つ必要があった。最低でも全ての噂を操作できるくらいの力が必要だった。



 気が付けば、今のちぐはぐな自分になっていた。




「向日葵、どうした?」


 呆けている私を心配している様な表情をする涼ちゃん。


「ううん! ちょっとぼーっとしてた!」


「大丈夫か?」


「全然ばっちりだよ!」



 年を重ねる毎に、想いは次第に大きくなっていく。見せたい自分と本当の自分のズレも比例して大きくなる。私自身で作り出した矛盾がもう私では手が付けられなくなってしまう程に。

 こんな自分をきっぱり捨て去って、気に食わないものを気に食わないと皆の前で言って蹴り飛ばしたい。でも今の私にはどうしてもそれが出来ない。


 この想いがある限り、私は縛られ続ける。

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