16話 破裂


 爽やかな晴天。温度調整の必要の無い気温。

 遅すぎる朝食を済ませ、強い義務感を植え付けられた学校が休日の今日この頃。まさに外出日和の天気に自然と笑顔が滲む。こんないい天気の日に久々な幼馴染との外出に浮かれてもバチは当たらないだろう。約束は昼の12時。渋谷ハチ公前。


 家が近いんだから、一緒に行けばいいんじゃないかと提案したところ、向日葵曰く、「こういうのは待ち合わせするべきなの!」と珍しく顔を真っ赤にして強い主張を示してきたので仕方なく同意した。


 その割には、俺が寝坊をしていないかと、起床についての安否を取ろうとしている確認メールが既にもう3件も来ている所を見るに、向こうもそれなりに慌ただしいらしい。

 そのメールに対して「おはよう」のメールを送信。ずっとスマートフォンを握り締めていたのではと思ってしまう程早く返信が着信。画面に目を向けた。


 [涼ちゃんおはよう!]

 [涼ちゃん起きてる?]

 [涼ちゃんそろそろ起きないと間に合わないよー!]


 【向日葵おはよう】

 [全然おはやくないよ!]

 【飯食ってた】

 [もう!その前にメール返してよ!心配したじゃん!]



 些細なメールに自然と口元が綻ぶ。

 向日葵ひまわりとは日頃からそこまでメールを交わす事は少ない。毎朝一緒に登校しているのにメールで話す事も特にある訳でも無いし、俺自体メールがそこまで好きな訳じゃない。

 それでも向日葵は毎朝「おはよう!」というメールだけは欠かさず送ってくれているのに対して、俺も「おはよう」と返信する。そんな俺と向日葵トークの内容が、「おはよう」の連続になってしまうのは、社会現象の一種かも知れない。


 此処から渋谷までは徒歩込で40分程度。未だに時間はそれなりにあると言うのに向日葵がこうして急かして来ると言うのは、遠まわしに多少のお洒落はして来いという意味合いも含んでいるのかも知れない。

 確かに、たとえ幼馴染との買い物とはいえ、傍から見れば男女一組。カップルに見えなくも無い。そうじゃないにしても街であれだけの可愛い子の隣を歩くのだから、少しは見た目に気を使った方が賢明かも知れない。


 俺は今着ている自分のTシャツの匂いを嗅ぐ仕草をした後、風呂場に向かって歩き出した。


 お気に入りのジーンズと無地のVネックのロングTシャツ、薄手の黒いジャケットを羽織る。髪も心なしかセットされている。

 少し慌ただしい用意になってしまったが、ここまでやれば誰も文句は言うまい。なんて自己満足に浸りながら、ふと幼馴染との外出にしか気合いを入れられない俺の寂しい恋愛事情が頭をよぎり溜息を付いてしまう。

 彼女と出掛ける訳でも無いのになぜ俺は無駄に頑張ってしまったんだろうか。

 時計を見れば11時過ぎ。足早に玄関に向かい靴箱から革靴を選び、靴紐を結んだ。



 唐突に背後から声を掛けられゾクリとした。



「涼。」



 振り向けば、妹の唯ゆいがすぐ後ろに立っていた。

 腕を後ろに組みながら、少し不機嫌が伺える姿勢で側面に目線を置いている。



「ん?」


「どっか行くの?」


「ちょっと出かけてくる。」


「誰と?」


「向日葵と買い物。」


 途端に唯ゆいの目付きが険しい物になった様な気がした。


「今日はダメだよ。家の用事があるの。涼も行かないと。」


「用事って?」


「後で説明する。向日葵には私から断っておくから。」



 唯は染めたての真っ直ぐ伸びた白い髪を揺らしながらポケットからスマートフォンを取り出す。当たり前、とでも言いたげなその態度を見て、俺は少し苛立ちを感じた。



 髪を染めるのは別にいい。校則で禁じられている訳では無い。

 家の用事だって勿論手伝う。いつも家の事を唯にばかり頼んでいるのは心苦しいから。

 だが、今までの素っ気無い態度はどういう事だ。俺が詰め寄って話を聞こうとしても、目も合わせない癖に。こんな出掛ける直前に思い出したかのように家の用事を突き付けてくる。


 俺にも交友関係があり、都合がある。

 それを土壇場でキャンセルさせる程の家の用事なんて普通ありえないし、もしそうなら事前に言っておくべき。


 そもそも、今日の買い物だって誰かさんが壊した目覚まし時計の替わりを買いに行くのが目的。その目覚まし時計だって向日葵に俺が貰ったものだ。そこら辺で適当に買って来たものじゃない。

 それを今まであんな態度をしておいて、こんな出掛ける寸前で当てつけの様に頼み事をする妹を見ながら、向日葵の顔が思い浮かんだ。


 今まで、我慢し黙って考えない様にしていた事が、一度考え出した途端に自分では止められない程に連鎖していく。それと同時に、家中で二人きりが多いのだから、喧嘩なんてしたくないと自分で抑えつけていた感情が膨らんでいく。


 唯はスマートフォンで電話を掛け始め、向日葵が出たと思われる途端に不機嫌な声を走らせた。



「あ、向日葵ちゃん? 悪いけど今日、涼行けないから。」



 挨拶も無しに唐突な失礼極まり無い態度に発言。

 唯のその台詞に俺の中に蓄積され続けていた不満と怒りが破裂した。


 俺は唯からスマートフォンを力任せに取り上げると自分の耳に当てた。



「向日葵か?」

{りょ、涼ちゃん?}

「大丈夫だから。今日行けるから。」

{ほ、ほんと……?}

「ああ、絶対行く。」


{うん……じゃあ待ってるね。}

「いや、男の俺が先に着いてないとかっこ悪いだろ?」

{あはは……そんなの気にしないよ。}




「涼! 今日はダメって言ってんじゃん!!」


 隣で唯が電話の向こう側にも聞こえそうな大きな声を出した。

 俺は聞こえないふりをしながら、向日葵にゆっくり電話を終える言葉を掛ける。


「ああ、じゃあまた後でな。」



 通話終了のボタンを押す。脈が速い、体中から血管が浮き出る感覚。携帯電話を握る手に自然と力が入る。今にも割れて壊れてしまいそうだ。

 唯は極めて不機嫌そうな表情で此方に文句を投げかけて来る。だが、それらの言葉が耳に全く入らない。


「ねえ聞いてるの?涼。 兎に角、今日はダメだから。今から向日葵にもう一度電話して……」


「なあ、唯ゆい。お前、時計壊したろ?」


「え? いきなりなに? あんな時計どうでもいいじゃん。新しいのなら今度私が……」


「今度、向日葵にちゃんと謝れ……」


 此方の鋭い目付きにようやく気が付いたのか、唯は肩をビクリと震わせる。


「は……なんで……?」


「言わなきゃわかんねーのかよ……。」



 男特有の低く重い声。

 俺が今本気で怒っている事に気が付いたようで、途端に唯の瞳には少し涙が滲んだ。目線をキョロキョロと配らせて、まるで怒られている子供の様。それでも俺は彼女を咎める視線を辞める事は無い。

 目が合えばすぐに逸らす様は、昔から俺に怒られた時の唯の癖だ。



「……おい、聞いてんのかよ。」


「……え……?」


「だから謝れっつたの。」


「……ご、ごめん……なさい。」


「俺にじゃねーよ。明日、向日葵ひまわりに面と向かって謝って来い。いいな?」


「……。」



 何も言わない。無言の抵抗を決めている唯。それでも俺は知っている。唯はこういう時、我慢強い方では無い。無言には無言で対抗するのが一番効果が高い。

 俺は只、ひたすらに唯に鋭い目線を送り続けた。



「……。」


「……。」


「……わかっ……た。」


 恒例の深い溜息を一つ。俺が怒り喧嘩に発展した際、もう怒ってないよという意味合いを含んだサイン。


「それと今日は向日葵と出掛けるから。家の用事は行けない。」


「……うん。……御飯は……?」


「夕食は勿論、家で食べるよ。」


「……ん。」



 服の袖で軽く涙を拭く唯は、何とも言えなくなる程弱弱しい雰囲気。少し肩が震えている。

 今日の家の用事なるものが、どれだけ大変かは分からないが。今日の夕食は俺の機嫌を取るために贅沢なフルコースが用意されるであろう事はいつもの事の一つ。


 仲直りを試みようと軽く唯の頭を撫でた。抵抗する訳でも、嬉しがる訳でも無く微動だにせず、袖で涙を拭く妹。

 今になって少しだけ湧く罪悪感。勿論、向日葵に貰った時計を壊されて怒ったのは紛れも無い事実。それでも、その裏に少しだけ見え隠れする今まで素っ気無い態度をされた事への苛立ちを彼女に当ててしまったのではないのかと自分のシスコンっぷりに溜息を付いた。

 ふと時間という楔に人間が囚われている事を思い出し、ポケットに入ったスマートフォンを覗けば、約束の10分前に到着するという男の理想はもう叶いそうになかった。

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