7.「暗闇より」

 


 しかし始まったのは、戦いなどではなく。

 ───眼前にあったのは、蹂躙だった。


 タルパが腕を振るう。

 やはり敵はそれだけで弾け飛び、破り捨てられた紙のように五体を辺りに散らす。


 出鱈目だった。

 出鱈目で、無茶苦茶で、悪夢のような光景だ。だが、まぎれもなくそれは現実だった。

 視界の端で黒い影が動いたかと思うと、その次には決まって鮮血が飛び散る。

 もちろん敵だってやられまいと必死に抗う。

 短い手足で武器を振るい、必死に虐殺を止めようとする。

 でも、それも敵わない。数的優位なんていうこの世の法則は、タルパにはまるっきり通じていなかった。


 あの人外じみた力の出所は、ヘンリーをしてよくわからない。

 かつてあった東方の国家には『氣』なるものを操る武術があったというが、それと比べても、これ・・は少々異質過ぎる。

 体捌きは無茶苦茶で、運足なんぞ知るかというような、ともすれば技術はそこいらのチンピラと何ら変わることなどない。

 だが、人並み外れた、などという表現では生易しいような、端倪たんげいすべからざる膂力があの暴力を実現させていた。

 武術というものを根本から馬鹿にしている。タルパは言ってしまえば、そういう存在だった。


 人間は弱い。弱いから術理を身につけ、与えられた僅かな力を有効に活用する。それが武術というものだ。少なくとも、ヘンリーはそう教わった。

 だが、目の前に広がるこの虐殺劇は何だ。あれは果たして、神代の怪物か。


 対するゴブリンは、健気なものだった。

 健気に儚く、花を散らすように身体を手折られ、潰された。

 矢を必死に番えて応戦しようとするも、そのことごとくを撃ち落とされる。しまいには味方の死体を投げつけて、邪魔だと言わんばかりに一蹴される。


 ───それにしても、妙だ。


 あれだけの力の差があれば、普通は逃げるのが正解だろう。どう考えても、山と積み上がった犠牲は犬死だ。

 それなのに、果敢に挑む。まるで、狂奔にかられているみたいに。


 ヘンリーは棒立ちで、見てるままだった。

 あれに割って入ることなど、およそ人間には不可能だ。災害が二足を得て歩いているようなものだ。巻き込まれれば、どんな達人でもたたではすまない。


 血が、臓物が、腕が足が骨が武器が、高く飛び散っていく。突き立てた剣は鎧を貫くことすら叶わず、弾かれた瞬間の間隙に薙がれてそのまま屍をさらす。

 その四足は凶器で、それがさながら旋風のようにあたりに撒き散らされる。

 こんなのは戦いじゃない。戦いなどと、呼んではいけない。

 蟻を、踏み潰しているだけだ。

 長い手足を一つ振るうだけで、辺りに血しぶきと肉片が舞う。


 しばらくして、戦いは終わった。

 あたりはゴブリンの臓物や血に塗れ、酸鼻を極めたような、思わず目を覆いたくなるような光景が残された。


「さ、あ、行こう」


 タルパも敵の返り血に染まって、法衣の半分が黒く、また半分は赤いという有様だ。

 ヘンリーに出来たことは、


「そうだ、ね」


 同じように短く、そう返すことだけだった。


 *


 太い枝に枯れ枝を布で巻きつけ、そこに油を少し垂らす。それに火打ち石を使って火をつければ、即席の松明の完成だった。

 今度はあまりモタつかずにつくることが出来た。形こそ不恰好だが、タルパも文句は無さげだ。


 その明かりを頼りに、いざ一歩を踏み出した。


 洞穴の中はジメジメとしていて、縦にも横にも狭いつくりになっていた。

 なにが言いたいかというと、だ。血の臭いが物凄いと言うことだ。せめて多少はぬぐわせるべきだったか。生臭いような、腐ったような。とかく形容しがたい酷い臭いだった。

 これだけ臭いが酷いのでは、敵が来ましたと諸手をあげているようなものだ。

 とはいえ、先ほどの戦いでゴブリンを粗方倒してしまったのか、他に誰かのいそうな気配は微塵も感じられない。

 つまりは、タルパの狙いはこれだったらしい。しかし、これだけ首尾良く行くのはやはりおかしな話ではあった。


 本当に、こんな場所に行方不明になった冒険者がいるのだろうか。それも、生きて。

 もうとっくに殺されたのではないか。なにせ生かす意味がない。

 しかし、あの組合長もタルパも、訳知り顔だったのだから、何か自分の与り知らないような理由があるのだろうか?


 縦穴をずっと奥へと進むも、それらしき場所は見えてこない。

 ひょっとして、冒険者を攫っていたのはここではないのではないか。勘違いでここを潰したのではないか。

 暗闇を、今にも消えてしまいそうな揺らぐ明かりを片手に進んでいると、そういう考えが頭をもたげてしまう。

 時折揺らめく炎すらも、敵の襲撃を報せるようなものに思えて仕方ない。

 よくタルパは平気な顔をして先へ進めるものだ。


「おち、つけ。松明、おれ、持つ」


 そんなふうに考えていたことを見透かしたように、タルパは諭すように言った。思わずむっとする。まるで子供扱いだ。

 しかし、今の自分が平静とは程遠いのも事実だ。大人しく松明を手渡そうとすると、


「うん? その手、怪我をしてるじゃないか」


 差し出されたガントレットに覆われていない右の手のひらには、こびりついて固まったゴブリンのそれに、加えてタルパの血が滲んでいた。


「べつに、たいしたことじゃ、ない」

「そうか。なら、いいんだ」


 それっきり二人は黙りこくって、お互いに一言も交わすことなく先へと進んでいく。

 すると不思議なことに、臭いはさらに酷くなっていく。それは、隣を歩くタルパの血の匂いだけではない。もっと異質な、何かだ。

 しばらく経つと、やたらとひらけた場所に出た。いままでの息苦しさすら感じるような坑道じみたものではなく、それこそぽっかりと空いた、と形容するに相応しい。

 これだけ広いと、松明の灯も端には届いていなかった。もとより素人手製の不恰好なものだったし、それは仕方のないことだ。

 だが何か、ヘンリーはここに例えようのない違和感を感じた。


「足元、気をつけ───」


 タルパがそう言いかけた瞬間、

 一瞬ではあるが、火が弾けるかのように勢いよく燃え上がった。

 次いで、悪臭が強まる。


 当然だが、日が勢いよく燃え盛れば、届いていなかった場所にも明かりが届く。

 そして光は───それ・・を照らし出した。

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