5.「そして賽は投げられた」

 時刻は早朝。雄鶏がけたたましいさけび声をあげ、それから時を告げる鐘楼が三度鳴らされたころ。

 オンディーヌ教区を抜け、アトゥルシャ教区に差し掛かる、市街の中央にある通。そこは昨日の喧騒通りから一つ隔たれた場所にある三本あるの一つ、通称『冒険者通り』。

 その名に恥じず、朝から出稼ぎに出かけようという冒険者たちや、遠出の依頼から帰ってきた冒険者が祝杯をあげている。

 寝ぼけ眼をこすりながら、二人は連れ立って組合へと向かう途中であった。

 相変わらず、こんなに早くであるにも関わらず通りは人でごった返している。

 蚤の市もかくや、というような有様だ。

 主要な人物は白人コーカソイドだが、タルパのような東洋人モンゴロイドも少なくはあるが混ざっている。さらに辺りを見回せば、ロマの民、果てには獣人ネローンまで。まさに、人種の坩堝という例えがぴったりだ。

 こんな活気付いた街をかつてヘンリーは見たことがなかった。

 幸いにもタルパの背丈は周りよりも頭一つ飛び出ており、見失うようなことはない。


「ふわぁ……しかし、随分と人が多いな。曲がりなりにも魔物との最前線だし、もっと殺伐としていると思ってたよ」

「───冒険者制度、が、あるから」


 声の主はもちろん、タルパだった。

 冒険者制度とは、主に北方同盟に加入している諸国を主流にした制度だ。その内容は同盟国内に限り、あらゆる通行税の無償化。加えて冒険者にさえなれば、自由身分が与えられるというものだった。

 まさに至れり尽くせりである。


「だけど、そんな制度を建てれば税収は目減りする一方だ。よく領主たちを抑え込めたね」

「今は、入会にも、審査が設けられた。でも、昔は、それどころじゃなかった。盗賊騎士に、魔物、山賊。戦後に、食いっぱぐれた連中も、悪さしてた」

「どこも形振り構ってられなかった、というわけか。それにしても盗賊騎士とは、穏やかじゃないね」

「仕方、なかった。戦争、終わったら、軍縮。家も、いっぱい取り潰された、って聞いた」


 つまりは苦肉の索だったのだろう。そしてそれに加盟した国も、どこもかしこも似たような経済状況であったと聞く。

 しかしヘンリーがこのとき最も驚いたのは、やけにタルパが饒舌であったことに対してだ。

 そもそも昨日と今日で彼に関して分かったことは、その口数は極端に少ないということだ。

 朝餉であるレンズ豆と干ダラのスープを食べている時もそうだったが、タルパは基本的に必要最低限の会話しかしない。それも事務的な態度で、だ。

 だが今の彼は、違った。

 いつも通りの大きな身体に、眠たげな瞳。だけど、その瞳には確かな感情が篭っている。

 タルパなりに、何か思うところがあったのかもしれない。どちらにせよ、会って数日という関係でそれを聞けるほどにヘンリーは野暮ではなかったし、慎みを知っていた。


「っと、そうこう話してるあいだに着いたね」

「ああ」


 吠える狼をバックに交差する剣と盾の旗。

 破風に掲げられたそれが揺らめく、二階建ての建物。

 常に開きっぱなしの扉からは、例の馬鹿騒ぎが耳に届いてきた。

 ああ、これだ。

 何度来ても、ここは好きになれそうにはない。酒気を帯びた表情、無遠慮な好奇の視線。

 ヘンリーは人とは節制を尊ぶべき生き物だと思っている。そしてここは、その考えとはまるで正反対の場所だ。

 昨日の、よりによって人を娼婦呼ばわりした男の顔がチラついた。

 そんなヘンリーの想いとは裏腹に、タルパはずんずんと進んでいく。だが、正面から入ろうとはせずに、そのまま裏手へと向かっていく。


「あれ? そっちは職員用の入り口じゃないのか?」

「いや、こっち、でいい」


 そう言って職員用の扉を開け、ずんずんと中に入っていく。どうするべきか逡巡するものの、やはりおし黙って付いていくしかない。

 準備中の受付嬢や職員たちが一瞬こっちを見て、ギョッとしたような顔を向けたものの、そそくさと持ち場に戻っていく。

 やっぱり昨日の騒ぎの所為なのだろうか。ぽっと出の新顔が、まずいことをしたのかもしれない。


「あっ、お二人とも! こっち、こっちです!」


 快活な声に、明朗さを感じさせる笑顔。

 ほっとすると同時に、彼女の名前を呼ぼうとして、はたと気づいた。そう言えば、名前を聞いていない。

 だが、それを聞ける雰囲気ではなかった。

 黙ってタルパと受付嬢の後をついていき、昨日の組合長の部屋まで案内される。正直、ヘンリーは場違いとしか言いようがなかった。


 受付嬢が扉にノックをすると、中から「入ってくれ」という男の声。

 十中八九、組合長本人で間違いないだろう。なにせタルパは二等級の冒険者。謁見だって許された立場だ。直々の依頼などさほど珍しいものではないはずだ。

 そうなると、自分が呼ばれた理由だけが謎だ。


 昨日と同じ部屋に、受付嬢と、タルパ、ヘンリー。そして昨日と違うのは、壮年の男が一人ソファに鎮座していることと、こころなしかその顔が暗いことだ。

 重苦しい、鉛のような沈黙が部屋を包む。

 受付嬢に促され、向かい合うようにこちらも椅子に腰掛ける。

 すると、ややあって男が話を切り出した。


「重ね重ね呼び立ててしまって、悪いね。さて、先日の依頼の件なんだが……」

「あの、せめて自己紹介を。ヘンリーさん、困ってますよ」

「そうか、そうだよな。自己紹介は必要だな、うん。はじめまして、ヘンリーくん。私はルバート、ルバート・オズウェル。ギルドマスターと、人はそう呼ぶがね」


 そう言って、ルバートは撫でつけられた白髪混じりの髪を整え直しながら、にこりと微笑む。

 人当たりの良さそうな御仁だった。

 人当たりが良さそう過ぎて、いささか覇気に欠けている。組織の長、というよりはそこらへんにいそうな中年、という印象が先だつ。

 あんまりと言えばあんまりな評価ではあったが、こちらが値踏みするような視線を向けても、相手は愛想笑いを返すだけだ。


「はは、頼りないだろ? ただのおっさんが組合長だなんて」

「いえ、そんなことは」

「お世辞を言わなくとも大丈夫さ。いやぁ、元は寄合酒場の一店主でね。こんな大層な肩書き、私には不釣り合いだってのはわかってる───おっと、話がズレた」


 そう言うと、隣から受付嬢が紙を差し出してくる。

 タルパはそれを鷹揚に受け取り、手元に引き寄せて読む。そして何を思ってか、それをヘンリーに手渡してきた。

 見ると、紙には名簿のようにつらつらといくつも名前が書き連なっていた。

 読んでいると、とある箇所が目に止まった。

 ジェイド・ガビアーニ。

 ベアトリーチェ・エンタリリー。

 アレッサンドロ・コンチネンツァ。

 ヘンリーの記憶違いでなければ、それは、昨日話しかけてきた冒険者の名前だった。


「───ひょっとして、見知った顔があったのかな?」

「少しだけ、ですが。彼らが、一体どうかしたんですか?」

「まさにそこが今回の本題だよ。私の組合に所属する、優秀な冒険者述べ八十七名───ここ数日で依頼を受け、そのまま帰らなくなった冒険者の人数だ」

「それは、多いんでしょうか?」

「多いよ。多過ぎる。いくらなんでも、これは異常だ」


 不意に、昨日の三人のやりとりを思い出した。あれだけ夢に溢れていて、互いが互いの不足を補っていた、彼らが。

 無論、そんなことで冒険者として永らえられる可能性は変わらないし、彼らだけが特別であることではないことくらい、ヘンリーにもわかっていた。

 それでも、笑顔でヘンリーに話しかけてくれた彼らが、死んだかもしれない。そう思うと、胸がざわついた。

 そんな心の内を知ってか知らずか、ルバートはこともなげな様子で、


「時にヘンリーくん。君はゴブリンの群れに遭遇したそうだが、奴らに何か変わったことはなかっただろうか?」

「変わったこと、ですか。とは言っても、僕は魔物と戦ったことなんて数えるほどしかないですし」

「いや、何でもいいから情報が欲しいんだ。例えば、君を前にして祈るような仕草をしていたとか」


 魔物が、祈る。そんなことはしていなかったし、かつて聞いたこともない。だが、それに近いものをヘンリーは聞いていた。

 ささげもの。

 聞き間違いでなければ、ゴブリンはヘンリーをそう呼んだ。

 それが何を意味するのか、ヘンリーにはわからない。わからないが、思い当たる節などそれしかない。そうルバートに伝えると、彼は思案気に顎を引き、その面持ちが剣呑になる。


「なるほど。言葉を発し始めたか・・・・・・・・・。もう、あまり時間はないかもね」

「あの、何がまずいんでしょうか」


 そう聞くと、彼は一瞬考えるそぶりを見せ、


「───そもそもね、魔物が我々の言語を喋るはずがないんだよ。もし彼らが言葉を話していたとしたら、それは外からもたらされたものだ」


 もたらした?

 魔物に、言葉を?

 いったい、誰が?


 当然の疑問に、しかしルバートもタルパも、受付嬢も、答える者はいなかった。


「ありがとう、ヘンリーくん。貴重な情報提供、感謝するよ」


 そう、あっさりと。

 そして、ルバートはタルパに向き直り、


「さて、タルパ。今の話の通りだと、夜までは時間がない。君には無理を強いることになるが、やってもらえるね?」

「もちろん、だ。それが、依頼、だから」

「さすがは『鉄輪のタルパ』。では、頼んだよ」



「───待ってください」


 気づけば、ヘンリーは。

 ヘンリーは、そう言っていた。

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