3.「タルパ」

 勢いだって組合を出たはいいものの、やはり行く先のあてなど当然あるはずもなく。

 宙天に浮かぶ太陽の高さから推し量るに、いまは昼前ほど。ほどなくして、中央区画にある時計塔が鐘楼を鳴らすだろう。


 ヘンリーは途方に暮れていた。

 やはり話を受けるべきだったし、とても失礼なことをしてしまった。自己嫌悪で死にそうだ。


「よっ、どうしたんだい? せっかくの別嬪さんなのに、そうも暗い顔をしてちゃ台無しだぜ?」

「───だから、僕は男だと、」

「へっ、そうなの?」


 いや、そもそもこいつ、誰だ。

 話しかけてきたのは、皮鎧や武器を身にまとった年若い男。おそらく、冒険者どうぎょうしゃだ。


「いやあ、悪い悪い。綺麗な顔してるから、てっきり。おっと、俺はジェイド。よろしくな!」


 なぜか手を差し出してくる。しかも無駄にいい笑顔付きだ。白い歯が眩しい。

 この街にはあれか、馬鹿と変人しかいないのか。なにがよろしくなのか、ヘンリーには全く分からなかった。

 とはいえ、手を払いのけるのも礼儀に反する。一応手を伸ばし、握手に応じようとする。

 すると、またもや別の男が来て、彼を諌めるようにして口を出してくる。


「おい、ジェイド。なにナンパしてんだ? さっさと登録済ませて、神殿の方に行くぞ」

「いやいや、アレッサンドロ。ナンパじゃないって。この人、一応男だし。ほら、謝れって」

「まじかよ。ていうか、一応って。お前の方こそ失礼だろ」

「じゃあ、いっせーのせで謝るぞ」

「何でそうなるんだ、この莫迦」

「誰がバカだ、バカ。バカって言う方がバカなんだぞ」


 目の前で繰り広げられるあまりに程度の低い言い合いに、ヘンリーは愛想笑いを浮かべて静観するしかなかった。

 話しかけられて、気づいたら無視されている。これは何かの罰なのだろうか。

 口汚い罵り合いが始まって、しばらく。


 突如として、二人の頭に手刀が振り下ろされた。

 ごん、という鈍い音が辺りに響く。


「てめっ、なにすん───」


 そう叫んだのは、ジェイドであったか、アレッサンドロであったか。とはいえ、二人ともすぐに閉口することになる。

 いい笑顔を浮かべた、ローブと三角帽子を見にまとった魔法使い然とした、これまた若い少女が冷笑を浮かべていたからだ。

 多分、同じパーティーの仲間だろう。ようやっと助け舟が来た。


「あら、馬鹿はどっちかしら? いきなり知らない人に絡んで、いきなり茶番を始める二人と、そんな馬鹿を叩いて諌めた、この私。どっちが馬鹿だと思う?」


 なんというか、三人の力関係は一瞬で把握できた。

 随分と個性豊かで、賑やかそうだ。とりあえずはそう思うことにした。

 少女は、ついでヘンリーに向き直ると、ぺこりと頭を下げた。


「すいません! うちの馬鹿二人がご迷惑をおかけして!」


 馬鹿二人、のくだりにアレッサンドロは何か言いたげであったが、最終的に後ろの大バカ二人もそれに倣い(やはりアレッサンドロは渋々といった様相ではあったが)、頭を下げる。


「いや、別に構わないよ。だから、顔をあげてほしい。ここは、往来だし。むしろやめてくれないと困るんだけど」

「私、ベアトリーチェです。貴方のお名前は?」

「僕はヘンリー。ヘンリー・ミュゼットだ。よろしく、ベアトリーチェ」


 そう言って、今度はこちらから手を差し出す。正直なところ、周囲からの視線が痛い。

 だからさっさと切り上げたかった。

 随分と今日は出会いの多い一日だ。そう思いながら、ベアトリーチェと握手する。

 すると、彼女は少し恥じらうような仕草を見せ、


「あの、ミュゼットさん」

「ヘンリーでいいよ、ベアトリーチェ。それで、何かな?」

「その、私たちと、パーティーを組んでくれませんか?」


 これはまた。

 とはいえ、願っても無い申し出ではあった。昨晩の失敗が思い浮かぶ。渡りに船、というやつだろう。


「そうそう、俺たちさ、今ちょうど前衛が一人欲しくてね。ヘンリーも一人っぽかったし、声かけてみた、ってわけ」

「ちょ、ジェイド! 失礼でしょ! すいません、こいつこういう奴なんです」


 とはいえ、それに軽々に頷くことはできない。

 ジェイドが持っているのは革鎧に短剣ダガー。クラスは恐らく野伏レンジャー

 アレッサンドロは法衣と木製の長杖スタッフ。クラスは神官プリーストあたりだろうか。

 ベアトリーチェはもっと分かりやすい。三角帽子に、着丈の長い外套ローブ。どう考えても魔法使いソーサラーのそれだ。

 そして三人が三人とも、持っている武具が新しい・・・。鯖も浮かんでなければ、革もへたっていない。使い込んだ様子がない。ついこないだ買い換えたばかり、というわけではないだろう。


「───すまないが、君たちと組むことはできない。気を悪くしないでくれ、単純に僕のほうに問題がある、っていうだけだ」


 そうだ。彼らと足並みを揃えているような余裕は、ヘンリーには無い。

 言っては悪いが、彼らは素人だ。武器の構え方、足取りからそれは直ぐに分かる。

 自分も冒険者になったのはつい先日のことだが、およそ実力という点では、ヘンリーとジェイドたちは同列ではない。


「そうですか……。無理を言って、すいません」

「ちぇっ、残念だなー。まあいいや、指令オーダーとか依頼とかで一緒になったらよろしくな」


 そう言って、二人はあっさりと引き下がる。いささか拍子抜けだった。本当に、良い人たちだったのかもしれない。

 胸の奥にちくりとしたものを感じながらも、そのまま組合に向かう二人を見つめた。


「アレッサンドロ、だったよね? 君は行かなくていいのかな?」

「いや、一つだけ聞きたいことがある」


 何故か、アレッサンドロだけは残っていた。彼の態度からは、どこか冷めたものやプライドの高さが伺えた。正直、ヘンリーの苦手なタイプでもあった。

 ひょっとしたら、誹りや恨み節の一つも言われるのかも知れない。

 だが、彼の口から出たのは意外な一言だった。


「───随分と顔色悪そうだったけど、大丈夫か? それにあんた、無所属だろ」


 無所属。


 一口に組合と言っても、大まかな意味は三つに分けられる。


 一つ目は、職業組合。商人組合や職人組合などがコレにあたる。


 もう一つが、およそ二十年前に発足された冒険者組合。これは前者二つと明確に違う点がある。それは、国家間で冒険者組合は運営されているということだ。


 そして最後が、小組合。冒険者組合によって管理される、述べ六つの神殿のことを指してこう呼ぶ。それぞれが独自のノウハウや技術体系でもって冒険者の後進育成や、街の祭事の管理を行なっている。

 彼が無所属と呼んだのは、この神殿に帰依しないものたちの総称だ。


 小組合には、大概の冒険者が所属する。無所属は、その大まかの枠組みから外れている者たちを指す言葉だ。

 そんなのはヘンリー含め、ごく僅かしかいない。なぜならば、所属しない理由メリットがないから。


 所属すれば、神殿ごとに『加護』が与えられる上に、教導官からの指導も受けれる。

 もし、所属しない者がいるとしたら。それは、何かできない・・・・理由があるか、別の宗教を信仰しているか、そのどちらかだ。そして、ヘンリーは見た目からしても信仰篤い人間にはとても見えない。


「……ま、理由は聞かないでおくけど。最低限治癒ヒール解毒ピューリファイぐらいは受けた方がいいと思うぜ?」


 別段、ヘンリーにやましい理由があったわけではない。とはいえ、彼は鋭い。ことその点に至っては素直に感心した。

 ヘンリーの加入に関して、後ろでずっといい顔をしてなかったのは、そういうことだろう。

 あのお人好しそうなジェイドや、何だかんだで素直なベアトリーチェに挟まれて、苦労して来たのかもしれない。


「おーい! アレッサンドローっ! 何してんだよー!」


 遠くで、ジェイドの声が聞こえた。

 やれやれといったような風体で、彼は苦笑を浮かべる。

 でも、心底から嫌だというわけではないんだろう。ジェイドたちの後を追う彼の背中は、楽しげで、少し眩しい。


「はいはい。まったく、楽じゃねーや」


 そう言って、アレッサンドロは二人の輪に加わる。

 三人は幼馴染みか何かで、古い付き合いなのかもしれない。きっと、気心の知れた仲だ。

 それが少し、ヘンリーには羨ましかった。

 自分には、そんな仲間なんてついぞできなかった。

 あの三人の間に入った自分を想像してみる。

 お互いの秘密を打ち明け、胸の内を分かち合う。そして冒険に出かけ、徐々に経験を積み、階級を上げていく。まさに絵物語のよう。だが、現実とはそうではないことをヘンリーは知っていた。

 自分には仲間は作れない。秘密を打ち明ける勇気もない。

 あの三人との距離はまだ、そう離れてはいないはずなのに。何故だか、とても遠く感じた。


 不意に、誰かがまた肩を叩いた。

 またか、と。少しうんざりした顔で後ろを向く。

 立っていたのは、何とタルパだった。


「話す、タイミング、分からなかった。それより、さっきは、ごめん。何か、気に触る、こと言ったのかと、思って」


 なん、で。

 ずっと後ろで見て、待っていたのか。

 いや、その言い方は正しく無いことをヘンリーは分かっていた。待たせていたのだ・・・・・・・・

 勝手なことを、という気持ちもある。別に誰が頼んだわけではない。しかし、素直に嬉しかったのは事実だ。

 タルパの大きな身体が、縮こまったように、所在なさげに小さくなっていた。余計なことをした、というような顔だ。


「ごめん、空気、読めてなかった?」


 もちろん、そんなことあるはずもないのに。

 目頭がわずかに熱くなって、それから。

 それから少しだけ、何故か笑えた。


「ぷっ、ふふふふふ」


 口元を上品に抑え、必死に笑いをかみ殺す。

 今度はタルパは何故笑っているのか分からなくって、困ったような顔になる。

 ああ、ほんとうに。

 ほんとうに、森で見たのと、同一人物とは思えない。


「なん、だ。なんで、笑わってる? おれ、何か、おかしなこと、した?」

「ふふふ、いや。───いや、私のせいだ。私の、心の狭さのせいだ。君には本当に、迷惑をかけてしまった。本当に、すまないことをした」

「ああ、それなら、良かった。キクリは、いつも、俺のことを、鈍いと言う。だから、今回も、俺のせいかと」


 これは、どういうことだろうか。

 これじゃまるで、友達みたいじゃないか。

 自分は、いつから。いつからこんな、情緒不安定の面倒臭いやつだったんだろうか。

 タルパを変なやつだと、とてもではないがそう笑えそうにない。


「その、すまないが、本当に勝手だというのは分かってる、けど───」


 言い切る前に、タルパはすたすたと歩き始める。

 さすがの事態にヘンリーも困惑した。今の謝罪の言葉と、気恥ずかしさはどこへ向かわせようというのか。

 すると、こともなげな顔で、タルパは、


「カダスの神殿は、こっち。怪我、治さない、と」


 訂正。やっぱり変なやつだ。

 強くて、恐ろしくて。でも、良いやつで。それでもって、変わったやつだ。

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