2.「ヘンリー」

#2


「───ただの、ゴブリンの群れ、だった。率いてた、のは、リーダー。心配してた、ことじゃ、ない」

「なるほど、了解しました。それでは、依頼の方は引き続き継続ということで」

「ああ、頼む。それ、と、こいつも」


 希薄な意識の中、誰かの会話が耳に届いてくる。しかしその音は水の中に身体を置いているかのように不鮮明で、はっきりとは聞き取れない。

 しかし、言葉が二つ三つと重なるにつれ、感覚はだんだんと明瞭になっていく。薄っすらと目を開けると、柔らかなランタンの灯りが視界に飛び込んできた。

 そこで完全に目が覚めた。

 そして、はっきりと思い出した。

 目の前で繰り広げられた、あの虐殺劇。肉の潰れる音と、ゴブリンの悲鳴。瞼を閉じてしまえば、それが鮮明に映し出されてしまいそうなほどに。


 矢庭に身体を起こす。

 すると、かけてあったブランケットがはらりと床に落ちた。


「───あっ、起きたんですか!」


 心配そうな顔で、女性がヘンリーに声をかけてくる。愛嬌のある顔をくしゃりとさせて、「良かったぁ」と心底嬉しそうに彼女は笑った。

 ヘンリーは彼女に見覚えがあった。

 どこか見知ったその顔は、組合ギルドの受付嬢のものであった。とはいえ、彼女の受付窓にはいつも人だかりが絶えなかったため、会話など当然したことがなかったし、並ぼうとも思わなかった。

 それでも本心からの笑顔を向けてくれていたのだ。なるほど、人気の理由も納得であると、そう呆けた頭で考えていた。


「起きた、のか」


 部屋にはもう一人いた。

 その男はどこか訛りのある共通語を話しながら、背を屈めて落ちた毛布を拾う。

 でかい男だった。背丈は二メートル近い。偉丈夫と言っていいだろう。彫りの浅い顔立ちに、深いクマのある気難しそうな黒の瞳。それにまずここらの生まれではない、エキゾチックな容貌。

 言葉を発さずとも、ただ立っているだけで妙に威圧感を感じさせる。

 だが、なにやら随分と既視感のある立ち姿だった。


 真偽はどうであれ、ソファに横たわった状態で話しかけるのも失礼かと思って身体を起こそうとする。

 しかし、地面に足をつけた瞬間に激痛。思わずびくり! と身体が跳ね上がりそうになる。


「ああ! もう、まだ怪我は治っていないので無理はしないでください!」


 どうやら心配させてしまったらしく、大人しくしていた方が良さそうか。

 明媚めいびな眉が悲しそうに歪むのを見ると、ちくりとしたものが胸に刺さる。

 せめて、礼を言わねば。

 無理やり身体を起こし、とは言っても心配させないように取り繕った笑顔を浮かべて。


「───すまない。ところで、ここは?」


 そう言いながら、辺りを見回す。

 アザレアの組合は酒場が併設されているのもあってか、騒がしくとっちらかった印象を受けた。だが、ここは違う。

 壁に掛けてある絵画に、花を活けた壺。果てには調度品までが高価そうな物ばかりであった。かと言って、ただ目に痛い驕奢きょうしゃなものを並べただけ、というわけではなかった。それらは渾然と調和されており、部屋の主の気品とセンスの高さが伺える。


「えっと、組合本部の二階にある組合長ギルドマスターの部屋です」

「───なに?」


 返ってきた一言は予想外なものだった。

 組合の、その主の部屋。ここがそうであると言う。

 一介の怪我人で、等級も八等級のどこにでもいる冒険者に過ぎない自分が、何故。

 本来であれば治癒院、もしくはそこらへんに身包み剥がされて捨て置かれてもおかしくはないのだ。


「俺が、連れてきた。何か、状況、知らないかと、思って」


 困惑していたヘンリーに助け舟を出したのは、男だった。

 連れてきた。どこから、なんて聞く必要はない。やはり背格好といい、森で遭遇したあいつに相違なんてないだろう。

 血を雲霞うんかのごとく辺りに撒き散らしながら悠然と歩いていた、あの姿が頭をよぎる。

 とはいえ、恩は恩である。助けてもらった立場なのだ。


「キミ───いや、貴方の名前を聞いてもいいだろうか?」

「タルパ」


 男は短く、そう告げた。


「───それだけ、か? こう、姓とか、もっと他には?」

「ない」


 取り付く島もない、とは正にこのことだ。

一言、そうぶっきらぼうに返されてしまった。そうなると、こちらもそれ以上には何も言えない。

 こう、コミュニケーションそのものを全力で拒否していく姿勢がありありと伝わる。

 なんだこいつ。

 感謝の念は消し飛び、変な奴だという印象だけが残った。


「あの、誤解しないで欲しいんです。タルパさん、悪い人ではないんですよ。ただこう、言葉が足りないっていうか、不器用っていうか」


 あわてて受付嬢が擁護する。

 当の本人はどこ吹く風といったようで、うんうんと頷いていた。まず間違いなく話なんて聞いてないだろう。

 警戒心が一気に薄れていく。身構えていた分だけ損した気分だ。

 大きく息を吐いた。あいにくと変わり者であれば慣れていた。


「どうかしましたか?」

「───いや、なんでもない。えっと、タルパ」


 のそりと、男はこちらを向く。

 まるで熊みたいな奴だ。森で会った時とは本当に偉い違いだった。

 男はぼそりと、


「なんだ。まだ、なに、か?」

「先ほどは、窮地を救ってくれてありがとう。───貴方がいなければ、僕はあそこで屍を晒していただろう」

「別に、気にする、ことじゃない」


 それでも、深々と頭を下げた。

 そうしなければいけないのだ。

 ヘンリーは目的があって組合の門戸を叩いた。だが死ししてはその目的は果たされない。一人で大丈夫だと、できると思い上がって、単独で依頼を受けた自分を恥じた。その結果が、あの体たらくだ。頭を下げずして何を下げるというのか。


「───本当に、気にすることじゃ、ないのに」


 首の裏をむず痒そうに掻きながら、そうぼそぼそとタルパは口にした。もちろん、ヘンリーの耳には届かなかった。聞こえないように言ったのだ。気恥ずかしくて、聞かれたら堪らなかったから。


 生ぬるい沈黙が二人の間に訪れた。

 矢も盾もたまらず、ヘンリーは慌てて話題の転換をしようとする。


「───そ、そういえば、組合長は何処に? 部屋の主人がいないようだけれど?」

「ああ、マスターなら事務仕事に追われていて、今はこちらに顔を見せられないとのことです」

「ならなぜ、こんな場所で依頼の報告を?」

「それは───」


 そこまで口にして、受付嬢は露骨に言い淀んだ。答えに窮しているというよりは、答えることそのものを問題視しているような口ぶりであった。

 ヘンリーは察した。ここから先には、踏み入れてはいけない。朦朧とする意識の中で聞いた、タルパの受けた『依頼』とやらに関わっているのだろう。


「いや、すまない。何でもないんだ。しかし、僕がここに居ては迷惑だな。そうだ! 依頼の報告をしていなかったから、今からしてくるとしよう」


 努めて明るく振る舞いながら、そう言った。

 些か不自然ではあったものの、こちらの意図を向こうも察してくれたようだ。

 ソファから立ち上がった際に、その振動が傷口に響いたが、あくまで笑顔は崩さない。

 部屋を後にしようと扉に手をかけて、とあることに気付く。


「───あれ、荷物がない」


 正確には、剣やら胸当てやらは部屋の角に所在なさげに置かれていたのだが、背負っていた背嚢だけが無かった。

 そしてバックの中には、討伐達成の証であるゴブリンの耳が入っていたはずなのだ。

 それがないということは、即ち依頼の不達成を意味する。そうなれば、旅籠はたごに泊まることも出来ない。

 まさか、森の中に。

 慌ててタルパの顔を見やる。

 すると、何とも微妙な顔つきで首筋を掻きながら、首を横に振った。

 まさかの野宿決定である。


「ない、なら、貸そうか? 相部屋で、良ければ、だけど」


 泊まる。

 それは願っても無いことだった。まさに僥倖、青天の霹靂である。

 しかし、しかしだ。タルパ本人への好悪の感情とは別にして、とある理由から・・・・・・・一抹の不安もある。

 とはいえ、橋下での野宿は堪えるものだ。ここは話に乗ろうかと、


「なら、私の部屋はどうでしょう? 組合寮ですし、あんまり広くはないですが」

「男女が、同衾、この国では良くないことだと、キクリに聞いたが」

「あっ、そうですよね。ヘンリーさん、女の子みたいに綺麗だから、つい」


 それは聞き捨てのならない一言であった。

 女の子。此の身が、女であると。


「───やめてくれ」


 思わず、語気が強くなる。

 二人が何事かと、少し驚いたようにこちらを見た。

 ああ、やめてくれ。悪いのは二人じゃないんだ。ただ、それだけは、ましてや恩人に言われるのは辛かった。

 そして、そう言われることすら許せない狷介けんかいな自分にことさら腹が立った。

 だが、一度行ったことを取り消さようはずもなく。


「すまない。お二人の申し出は有難いが、僕は野宿で大丈夫だ。なに、身から出た錆というやつだ。君たちが気をもむ必要はないよ」


 そう言って荷物をとると、部屋を後にする。

 二人は何も言ってこなかった。

 自己嫌悪と後悔に駆られながら、渡り廊下を歩いて階段を下った。降りるとそこには、酒場が併設された、明る過ぎるランタンに照らされた組合の広間だった。

 依頼板を見ながら右往左往して、決めあぐねているもの。依頼も終わり、景気づけに酒盛りをしている屈強な男たち。事務仕事を淡々とこなす受付嬢。その喧騒の中にあって、今しがた降りてきたヘンリーのことなど、誰も気には止めていなかった。

 ふらふらと歩きながら、広間の出口へと向かう。

 不意に、肩に手が触れた。大きな手だった。


「すまないが、大丈夫───」

「よう、嬢ちゃん。見ねぇ顔だな。酌してくれよ」


 予想していたものタルパではなかった。

手の持ち主はヘンリーの知らない、いかにもなチンピラ崩れの男だった。

 男は相当に酔いが回っているのだろう、顔を赤らませ、盃片手にそう話しかけてきた。

 思わずむっ、とした顔になる。違う、と。僕は男だと、そう弁明しようと口を開きかけた。

 だがそれもすぐに閉口することになった。


「ああ、それとも女衒ぜげんだったかぁ? じゃあコレでどうよ、今晩」


 男はそういうと、ズボンから銀貨を一握取り出し、無理やりヘンリーの手のひらに押し付けた。

「お盛んだねぇ!」と周りの連中からヤジが上がる。それに対して男は「おうとも、なんせ冒険者なもんでね。毎夜毎夜も冒険さ」と野卑な笑いで返した。


 本来のヘンリーであれば、もう少し上手くあしらえたかもしれない。穏便に事を解決する術は、社交界でいくつも学んできたつもりだ。しかし事ここにあっては、とてつもなく機嫌が悪かったのだと言っておく。


「───なせ」

「あ? わりぃが、聞こえねぇ」

「───山賤やまがつ風情が、今すぐその下卑た手を離せと言ったんだ!」


 肩にいつまでも乗せていたその手を、無理やり振り払う。予想外の対応と、酔いも手伝ってか男のバランスが崩れた。中空に伸ばされた腕を掴み、そのまま一本背負い。

 見事に男は宙を舞い、酒場のカウンターに向かって投げ出される。そのままろくに受け身も取れずに椅子に激突した。


「ふんっ」


 呆然としている周囲になど目もくれずに、ヘンリーは悠然と組合を後にする。


「な、なにごと?」


 水を打ったように静まり返ったギルド内に、誰のものとも知れぬ声が響いた。無論、応えるものは誰もいなかった。

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