cafe②-2
「………!」
「他人の中身なんか、どうしたって想像する以外にないわ」
きつめのハグ。髪を撫でられる感触がくすぐったい。こんなふうに抱きしめられるのはいつぶりだろうか。もう子供ではないはずなのに、心地良い。
不思議なものだ。やるせない切なさ、もどかしい寂しさ、後悔に似た悲しさ。昨夜からエリーゼの心を支配して離れなかった暗闇が、少しだけ静かになった気がする。
だが、これは。
「当然でしょ。だって自分の心すら、全部はわからないじゃない」
「……サクラさん、あの」
「王子なんて余計にそうよ。顔にも態度にも出さないもんを解れって方が無理だっつの。ああいう甘えたのにはね、一度ガツンと」
「………くるしい、です」
「え?」
エリーゼの顔が小さいのか、サクラの胸が大きいのか。おそらくどちらも正解。前者は後者にすっぽりと埋もれてしまう。
体格は劣っても腕力で勝るので、抜け出ることは可能のはず。というのは理論上の話。
愛情表現を邪険にする神経を、エリーゼは持ち合わせていない。
「あらら、ごめんね」
詫びてはいるが、大して気にした様子はない。解かれたエリーゼは深く息を継いだ。
「おかしいなあ、そんなに強くしたつもりはなかったんだけど」
「……ご自覚がないのですか」
エリーゼが視線を下げていく。サクラの胸と己の胸とを交互に見比べて、溜息をついた。問題は力の入れ具合などではなく、そもそもの大きさであるからして。
「ああ、そういうこと。気にすることないわよ、姫もすぐ大きくなるから」
そう信じ続けて数年になるのだが。悪気がないとは、かくも残酷なり。
「なに、王子って巨乳好きなの?」
ごきゅっ。エリーゼの喉がおかしな音で鳴いた。カフェラテを詰まらせたらしい。咳き込むまいとするほど、赤面メーターが上昇していく。
「なんで、そう、なるんです、か」
「ちょっと、やだ。むせてるんだから喋るのやめなさいよ。タバスコ入れすぎたかしら」
「サクラ、さんが、変なこと、言うから」
渡された冷水をちびちびと飲む。サクラに背中をさすられながら。目の端に滲んだ涙が
長い睫毛にも水滴を残した。
エリーゼの呼吸が整ったことを確かめると、サクラは穏やかに口を開いた。
「……初めて王子を見た時ね、やばいのが来たな、って思ったの」
もう7年も前のことだ。例の事件の犯人が収容されるという話は瞬く間に施設全体へ伝わり、囚人たちはその話題で持ちきりだった。当時のサクラはその中の一人である。
「すごい数の人を殺したって聞いてたし、子供だってのも知ってたからね。想像するでしょ、ごついんだろうなとか。蓋開けてみたらひょろひょろの痩せっぽちなんだもん。驚いちゃった」
10歳のカノン。サクラに促されるように、エリーゼも記憶をたどる。
彼は確かに小柄だった。細かったし、身長も小さかった。癖のある髪は肩につくほどに伸びていて、後ろ姿なら女の子と見間違うくらい。今ではエリーゼより頭ひとつ分も高いところから見つめてくるというのに。
「……確かに、イメージとは違いました」
「ね。身体は小動物みたいなのに、目だけが完全にイッちゃっててさ」
サクラは眉間にこれでもかとシワを寄せ、ぎりぎりまで目を細めてみせた。カノンの目付きを真似ているらしい。正直、まったく似ていない。
「普通の子じゃないのは見てすぐわかるけど、聞いてたことができるようには、到底見えなかった。本当にこの子があれだけの殺しをやったんなら、内側に全部、隠してるわけでしょ。相当やばいなって」
逮捕されても、刑が決まっても、牢に入れられても、顔色を変えない少年。それはもう不気味だった。
何を考えているかわからない者ほど扱いにくいものはない。十分な食事も摂ろうとしない彼に、誰もが手を焼いたそうだ。
そんな時。刑務官の一人が、カノンと同じ年齢の娘がいることを申し出た。
「そんなのの話し相手に連れてこられたのが、よりによって姫だった。可哀想にって、みんな言ってたわよ。ボスのやることに反感持ったのなんて、あれが最初で最後」
仕事のためか、子を持つ親としての同情か。10歳だったエリーゼが刑務所を訪れたのは、父の紹介ゆえだった。
「私はカノンと出逢えてよかったです」
そう言うとエリーゼは顔をほころばせた。床と距離の開いた足がぶらぶらと遊んでいる。いつだってそうだ。エリーゼはカノンの話をしている時が一番かわいい。
その笑顔が、しぼむように曇る。
「でも……忘れてって、言われちゃった」
「王子に?」
エリーゼがうなずく。本棚の最下段、左から7冊目、奥付けのページに挟まれたメモ。
信じられなくて、信じたくなくて、何度も何度も読み返した。
「あんた達、やっぱり似てるわよ」
「そう、でしょうか」
「相手を想いすぎるところなんか、特にね」
サクラはそう言って笑いつつ、脚を組み換える。途中で足元に視線を落とした。ちょうどエリーゼが霊的な何者かを見たあたり。
「……もし、私が思う通りなら」
マグカップをあおる。最後の一口を飲み込んだ。すっかり冷めてしまっている。
温かかったものが知らないうちに冷たくなっているのは、どうしてか少し寂しい。
「カノンが頼れるひとは、サクラさんしかいないと思います。だから、彼がここに来たら……」
エリーゼが顔を上げた。父親似の、強い瞳だ。大人でも気圧される。父に似ようと強くある、17歳の少女の瞳。
「どうか、カノンを守ってください」
「……王子が信じられるのは、貴女だけよ」
「私にはできないんです」
サクラは思う。そうだ、この子はこういう子だ。悲しみの全てを内側に抑え込んで、感情が通りすぎるまでじっと待つ。
泣かないのではなく、泣けないのか。
「もう……できないんです。私には」
涙も流せないほどの痛み。彼女にとって、どんなに重いことだろう。
今回ばかりは、想像すらできない。
サクラは何を言うこともできず、再び視線を足元に落とした。
そこに、恨めしい誰かを見つめるように。
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