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銀杏並木を見ると少しずつ葉が黄色を帯び始めていた。寒がりの僕は夏の暑さが去るとすぐさま暖かめの下着を着込む。コートはまだ薄手のものだが、そろそろ厚手のものも出しておいた方がいいかもしれない。
あー、今日はどんな風に授業を進めようかなぁ。
最近、あゆみちゃんの授業の日を楽しみにしている自分がいる。別に他の生徒の日が苦痛というわけではまったくないのだけれど、あゆみちゃんの授業がある金曜日だけは少しウキウキしている自分がいる。
なんというかあゆみちゃんは教えていてとても楽しいのだ。天才じゃなければ秀才というほどでもない。勉強がそこそこできるけど、あくまで「そこそこ」止まりだ。
それでも精一杯分かろうとしてくれる。無理と言いながら頑張って付いてきてくれる。
そういった頑張り屋なところに加えて、僕がからかうと拗ねたような顔をしたり、詰まらないミスをしたところを少し恥ずかしがったり、無理に会話の糸口を探さなくても間が持つ。
それらが、僕があゆみちゃんの授業を楽しみにしている理由だろう。
その考えが少し不味いことを僕は意図的に無視していた。
◇◆◇◆◇◆
「そういえば先生って何歳なんですか?」
唐突にあゆみちゃんがそんなことを訪ねてくる。
「どうしたの? いきなり」
「いや、単純に気になったというか。この間他の先生とそういう話したんですよ」
ああ、そういうことか。
実際、生徒に年齢を聞かれるというのは大して珍しい話でもなく、他の生徒にも何度か聞かれたことがある。
「じゃあ……何歳に見える?」
そして、僕は大抵聞かれるとこんな風に返すのだ。
「えー、じゃあ二十二歳ぐらい?」
惜しい!
「正解は二十三歳でした。ここでバイトしてる先生の中ではトップクラスで年上だね」
流石にバイト全員と顔見知りなわけではないので、確実ではないが、二十三歳――大学院一年生以上の人はいなかった気がする。
この塾のバイトは大体が大学一年生から三年生が多く、四年生や大学院生は少数だ。
「えー、見えない」
あゆみちゃんはなんか驚いた、というか疑わしげな顔をする。
「それは僕が子供っぽいってこと?」
「そうは思ってませんけどぉ、この中で一番年上かって言われると微妙」
まあ、確かにね。
僕は少し童顔だから、若く見えるのも仕方がない。
そういえばあゆみちゃんは逆に大人っぽく見えるよなぁ。
そもそも身長が高いのだ。いつもは大抵どちらかが座っているから今まで気づかなかったのだけれど、この間偶然あゆみちゃんのそばに立ったらびっくりした。僕より身長が高かった。いやね、そりゃ僕の身長は男子平均以下ですよ。どうせギリギリ165cmですよ。でもまさか中三の女の子に抜かされるとは思ってなかったじゃないですか。
身長だけでなく、顔も中学生にしては大人びているし、よく見てみれば睫も長くて女性らしい目をしている。多分、私服で街を歩いているのを見ても中学生だとは思わないだろう。服装をきちんとすれば大学生でもいけるかもしれない。
あゆみちゃんともう一人の生徒に問題を解かせている間に、少しだけ想像してみる。それはあゆみちゃんが僕の通う大学構内を歩いている姿だ。うん、やっぱり全然違和感がない。もし、こんな子が一緒に講義を受けていたらつい見蕩れてしまうかもしれない。
って、いやいや。何を考えているのだろう。相手は大人っぽいって言っても中学生だぞ。
「先生、ここ分かんないです」
そうやって質問をしてくるあゆみちゃんはやっぱり中学生だった。
◇◆◇◆◇◆
「なんか暖かそうな格好してんね」
「それ皆にも言われました」
十二月になってあゆみちゃんがいつもより厚手のコートを着てきた。最近寒くなってきたからね。昼はまだ我慢できなくもないけど、夜帰るときとかめっちゃ寒いし。
「まあ、あたし車で送り迎えして貰ってるんですけどね」
「あ、ずりぃ」
「先生は自転車ですか?」
「いつもはそうなんだけど、今日は雨降ってたから歩きだよ。アパートから三十分ぐらい掛かるから疲れる」
「そんなに掛かるんですか!? 先生、偉っ」
いや、まあ仕事だからねぇ。
「バスは使わないんですか?」
「雨の日のバスって混んでるからあんまり使いたくないんだよね。それになんかバス使うと負けた気がするというか」
「意味分かんないですね」
うん、そう言われる気はしてた。
「さて、じゃあ今日は三平方の定理入るかんね。ここは覚えることは少ないけど、応用が多いからまずはテキストをとっとと終わらせるよ」
「もう相似、円で結構ツラいんですけど」
「わーい、大変そうにしてるのを見るのは楽しいぜ」
「先生って結構イジワルですよね!?」
◇◆◇◆◇◆
「明けましておめでとう」
「おめでとうございます」
冬期講習は年内に終わり、年明けに会うのはこれが初めてだ。
「お正月はどうだった?」
「どうだったって言われても勉強ばっかです。あとは買い物も行ったりしましたけどぉ」
「僕はほとんど寝てたわ」
「うわぁ」
そんな声出すなし。
「昼ご飯食べて炬燵でゴロゴロして、昼寝したら夕方で――っていう生活を続けてたわ」
「うわぁ」
いや、だからそんな声出すなし。
「無理です。それはあたし無理です。時間がもったいないじゃないですか」
「そんなこたぁ分かってるよ。でもね、炬燵で惰眠を貪るのは気持ちいいんだよなぁ」
「気持ちは分かりますけどぉ、あたしだったら多分『あー、一日何もしなかったなー』って後悔しちゃいます」
お、鋭い。
「うん、僕も今後悔してる……」
「……」
ちょっと? 何その馬鹿を見るような目は?
「さ、さーてじゃあ今日のところやっていくよー?」
「……」
「ちょっとあゆみさん? そろそろその目止めてくれないと泣きたくなってくるんだけど」
「ぷっ。なんか先生ってきちんとした人が付いてないと駄目になりそうなタイプですよね」
別にそこまでではないと思うけど……、いや、反論材料が見当たらない。
実際、正月はだらだらとしていたわけだし、アパートは散らかりまくっていて酷い有様だ。
「じゃあ、彼女にはしっかり者の女性を探すことにするよ」
まあ、彼女なんて全くできる気がしないけど。
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