良い縁談の条件については

 その見合いに乗り気になったのは、母が先だった。結構な資産家の息子で、本人自身も不足のない勤めを持っていて、結婚すればマンションを購入してくれるという。悪くないどころか、二度とない好条件だとも言える。写真を見た限りでは、生理的に嫌悪感を抱くような相手じゃない。新しいワンピースを買ってやるという言葉にも、母の力の入り方がわかる。私もまた、久しぶりに勝負だななんて、その週末を楽しみにしていた。


「五十嵐さん、来週出られない?」

 電話応対のために、社員は持ち回りで土曜と日曜の当番を設けられていたのだが、時々時間の都合のつかない社員が、個別に日程を交換する。

「すみません、お見合いなんで」

「まだ早くない?もうちょっと自分で遊んでたらいいのに」

「両親が、早く結婚させたがってるんですよ。私に会社員は無理だと思ってるみたい」

 そこだけの会話のつもりだったのに、誰が持ち込んだやら、二日後に専務の耳に入っていた。


「五十嵐さん、お見合いするんだってねえ。結婚が決まったら、辞めるつもり?」

「あ、そうですね。私に兼業主婦は無理ですもん」

「五十嵐部長も、結婚するまで置いてやってくれって言ってたけどね。惜しいなと思うよ」

 パジャマ姿で視線は書類に向いたまま、専務が熱心にでもなく言う。

「惜しい、ですか?」

「せっかく仕事に前向きになったんだから、ウチの会社で、もっとできることを増やしてからにしても、と思う。結婚するにしても、まだ若いだろう」

「若くて可愛いうちのほうが……」

 専務は書類から顔を上げて、笑った。

「若くて可愛い以外に何もなかったら、年食ったときに残るものがないよ。俺はそんな空っぽな嫁、いらないけどな」

 専務の嫁になるわけじゃないのに、専務の好みの話をされても困る。けれども言われたことは確かに尤もで、経済観念も薄く、何か出来ることがあるわけじゃない若い娘の売り物は、確かに可愛らしさしかないのだ。それがなくなったときに愛される保障が、どこにあるというのだろう。自分だけは不幸にならないと思っていたけれど、現にここに離婚した男がいるのだ。原因は知らなくとも、愛情は保証されるものじゃない。


 新しいワンピースで臨んだお見合いは、スマートに進んだ。彼の母親は感じの悪い人ではなかったし、彼自身も洗練された物腰で、まったく不足はなく、逆に不足があるのは私サイドだ。

「可愛らしいお嬢さんですね」

「まだ何もできないので、お恥ずかしいんですが」

「いいんですよ。却って垢がついていなくて、教え易いですもの」

 ぎりぎりひっかかりのある言葉が素通りしたのは、仕立ての良いスーツを着た彼と、その後ろの資産が見えるからだ。

「キャリアウーマンっていうんですか?男と肩を並べて仕事しようなんて人は、いけませんね。可愛いお嫁さんになるのが一番」

 彼の母親の言葉に、私の母も頷く。

「そうですね、家に馴染むには、若いほうが」

 笑い合う母親たちの会話を、彼は黙って聞いていた。


 ふたりで話して来いと言われて、向かい合わせに座ったホテルのティールームで、私はミルクティを頼んだ。休みの日は何をしているのかなんて簡単な会話をして、お互いを探り合う。

「お勤めでは、どんなことをしてるんですか?」

「いろいろです。ワープロを打ったり、お茶を出したり。経費の計算とか」

「ああ、小さい会社なんですね。染まらないように気をつけないと」

「染まる?」

「小さい会社って、人間関係が密で、社員の雰囲気が似てきませんか?そんな地域型の企業の雰囲気は……」

 野暮ったくて小さな私の勤め先は、一流企業勤めの彼から見れば、きっと意に染まない。やっと馴染んできた仕事先で身につけたものは、彼にとって意味がないのかも知れない。

「何も知らないうちなら、僕の好みも身につけられますよね」

 目の前の一流ステイタスに頷いたのは、付加価値について欲深になっているからという理由だけだ。彼と結婚したあかつきの新築マンション、イタリアの食器。


「お話を進めたいって申し出があったわ。願ってもないお話だもの、すぐお返事しちゃった」

 夕食の後に電話を受けた母が、嬉しそうに言う。好条件の相手から及第点を貰ったという優越感が、私を浮かれさせる。ひっかかった部分が、流して良いものかどうかなんて、考えもしなかった。



「五十嵐さん、そんな話をいちいち真に受けてたら、お嫁に行ってから困るよ」

 専務の病室で、リゾート会員権を共同購入するつもりだと話した時だった。一ヶ月のお給料プラスアルファくらいの会費で、リゾートマンションを年間で使うことができるという。

「毎度同じところに旅行は、しないでしょう。月に一回ずつ行ったとしても、その金額ならホテルに泊まれる。リゾートマンションじゃ、布団とか食事は持ち込むか借りるかしかないんだから、ホテルのほうが安上がり」

「お友達何人かと、遊びに行こうと思って」

「誰が何回使ったかで、揉めると思うよ」

 誰が何回使ったから割り増しね、なんて考えもしなくて、ホテルよりも割安で使えると思っていたけれど、言われてみれば確かにそうだ。話を持ち込んだ友人は、会社の斡旋だからと言っていた。

「五十嵐さんって家にいたら、布団とか百科事典とか買わされそうだよね」

「それはちゃんと断って……」

「正確な判断力つけないと、言いくるめられてアウトだよ。大人のやることだから、何かあっても自業自得って言われて、バカにされるだけ」

 私は自分に判断力がないとは思っていなかったし、なんとなく子供扱いされたみたいで、面白くない。


 リゾート会員権の購入に難色を示していた寛子と、その晩食事をした。他の友人から説得するように言われていたのだが、寛子の意見は専務の意見と大方同じだった。

「でも、寛子だけ共同購入に入らないと、一緒に遊びに行けないよ」

「年に何回も同じところに行きたくないもん。みんなだって、すぐ飽きちゃうと思うよ。そんなところにお金つぎこみたくない。自分で働いたお金なんだから、つきあいだけで大金払いたくないもん」

 寛子は普段人づきあいも良いし、別にお金を出し惜しみする性質じゃない。着ている物だって、銀座で一緒に選んだのだ。

「お金の使い方は、自分で考えるよ。真弓も貯金くらいしてるでしょ?」

 自分で持っているとすべて使ってしまうから、家に入れる僅かな金額を、母が貯蓄してくれている筈だった。他の友達から似たような話を聞いて、そんなものだと思っていたのだ。


 世間はまだ、日本中にお金が溢れているような錯覚を抱いていた。



 ランチにレストランを予約する違和感は、優越感になった。見合い相手の片桐さんは女の子の扱いもスマートで、身元が保証されない人間よりも、見合いで保証された相手を探したかったのだと言った。

「やっぱりねえ、余裕の無い家の子って、がつがつしてる気がするんだよね」

 何にがつがつして見えるのかは、聞かなくてもいいような気がした。

「仕事仕事って忙しそうにされてもね。どうせ男には敵わないんだから、無駄でしょう」

 仕事は別に競争じゃないと、私は短い社会生活の中で認識していた。少なくとも河埜不動産の中では、専務の「できるヤツが助けてやれ」の一言で助け合うことが普通だし、営業さんたちも難しい交渉は専務や社長を同行しているから、手柄面はできない。片桐さんの会社の雰囲気は知らないので、社員同士が競うように仕事をする場所の想像は、できない。

 誘われた写真展で、片桐さんは私のよくわからない写真を感心して見ていた。一見美しいのにグロテスクな写真たちを私は素敵だと思わなかったのだが、そう言うとセンスが古いとバカにされそうで、口には出せなかった。



 ワープロ検定を受検したのは、社内の何人かに誘われたからだ。試験内容を見れば私の普段の業務とかけ離れたものではないし、ひとつくらい社会に出たって証拠を残しておいても良いと思ったのだ。いきなり一級を受験することにしたので、それなりに練習が必要になって、仕事を終えたあとに何人かで会社に残って勉強した。

「五十嵐さんに敵わなくなったわ。図形作るの、早いねえ」

「普段の仕事が清書メインなだけです」

 答えながら、自分自身の変化を嬉しく思う。まったく使えないと思われていた人間が、今他人に自慢できるものを身につけたのだから。専務は退院して、時間を短くしながら復職していた。毎日の病院通いを楽しみにしていたので、残念ではあったけれども、日常の中にしばらくぶりの顔が戻ってきたのは、嬉しかった。


「頑張ってる女の子軍団に、差し入れ」

 もうちょっと勉強したら夕食に行こうかと相談していた矢先、専務が持ってきたのはハンバーガーショップの紙袋と、ケーキの箱だ。

「おなか空いてました!ありがとうございます!」

 声を合わせて礼を言い、さっそく袋に手をつけた。

「頼もしいね。うちの女の子たちが力をつけてくれるのは、自慢だよ」

「もうね、クリスマス過ぎて大晦日近いですから。今に年が明けて、おめでたくなります。五十嵐さんみたいに若いうちに、お見合いしとけばよかったなあ」

 フライドポテトを摘み上げて、河合さんが言う。もうじき30歳になる河合さんは、地方から東京の短大に出てきて、そのままこちらで就職したらしい。クリスマスは25歳、大晦日は31歳で、女はクリスマスケーキだと揶揄されていた。24歳までは飛ぶように売れるが、25歳には安売りになり、それ以降は見向きもされない。

「今更田舎に帰ったって、行かず後家扱いされるだけだもん。仕事くらいしますよ」

 専務が吹き出した。

「仕事くらいってのは、ご挨拶だなあ。河合さんは頼りになるから、辞められると困るし」

「結婚しても辞めなくていいなら、いくらでもいますよ」

「それは大歓迎だ。期待してるからね」

 軽い口調でそんな話をしているふたりを、羨ましいと思った。父が結婚までの間と頼んで会社に入れてもらった私と、辞められたら困ると言われる河合さんなら、専務がどちらを大切にしたいのかは、はっきりしている。毎日病院に通い親しく話せるようになった人は、私より大切な社員がいるのだ。



「河埜君に、あまり遅くまで働かせるなって言ってやったんだよ」

 珍しく早く帰宅した父が、夕食の席でそんなことを言った。

「あんな小さい会社なら、女の子が遅くまで仕事することなんてないと思ってたのになあ」

 父の勤め先は大企業だから、私と同年代の女の子がたくさんいて、噂に聞くだけではあるが、ずいぶんなハードワークをしているようなのに、それとは話が違うらしい。

「ワープロの勉強会してたんだもの。お父さんだって、部下が仕事頑張ってたら、嬉しいんじゃない?」

 それはそうだが、と口籠もる父の言葉を、母が引き取った。

「片桐さんとのお話が進むんなら、そんなに頑張らなくても。結婚までしかいないんだから、ご迷惑にならない程度に仕事すればいいのよ」

 瞬間、頭に血が昇った。確かに私は暇潰し程度の甘い気持ちで会社に入ったけれど、同じフロアに真剣に仕事に取り組んでいる人が存在するのだ。そしてその人たちは、会社の中で私よりずっと価値が高い。どんな場所でも、高い価値の人から学ぶことがおかしなことである筈がない。

「女の子はね、旦那様に可愛いと思ってもらえるのが、一番。片桐さんのお母さんも、そう仰ってたでしょう」

「仕事のできる女ぶってるほど、可愛くないものはないからなあ」

 疑ってもいなかった価値観は、なんだかひどく気持ちの悪いものになっていた。


「父が失礼なことを言ったみたいですね。申し訳ありませんでした」

 翌日の昼休みに入る前、専務に頭を下げた。

「ああ、良い縁談が進みそうなんだって?でもね、五十嵐さんは五十嵐さんの仕事があるから、謝ってはおいたけど、特別扱いする気はないからね」

 専務の言葉にほっとしながら、自分自身が情けなくなった。親のコネクションの就職を甘く考えて、仕事の内容も甘く考えていた私を、ここまで変えてくれたこの会社の専務に、無駄に頭を下げさせてしまった。ランチに出るために手に持っている財布は、河合さんに言わせれば「二ヵ月分の食費」にあたる価格のもので、そんなことに浪費する給料を払ってもらっているのにも拘わらず、父の勝手な言い分はおかしい。



 片桐さんと会うのは何度目かを数え、秋が深くなっていた。紳士的に手も握らない片桐さんは、私の食事代と映画代を払い、私もそれを当然のように享受する。

「そろそろ、お話を進めても良いですか。真弓さんに社会の垢がつかないうちのほうが、いいと思うんです」

 仲人さんの言葉に、今度ははっきりとひっかかりを感じた。社会に馴染むのは、垢をつけることなのだろうか?覚えたあれこれは、結婚するにあたって無駄になるのか。名刺の受け取り方や電話の受け方すら知らなかった私に、戻りたくない。


「五十嵐さん、悪いけど特急で打ってくれないかなあ」

 営業さんの書いた雑な原稿をワープロで打ち、おかしな言葉遣いをビジネス用語になおす。

「最近の五十嵐さんは、本当によく動いてくれるよね。助かった」

 その言葉が嬉しいのは、成長を認めてもらっているからだ。河合さんみたいに、必要な人材だといわれてみたい。その当の河合さんは、専務と向かい合わせて何かの数字合わせをしていた。

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