鬼と剣士

ルカカ

鬼と剣士

「え?」

 嘘でしょ、と少女は呟いた。

 その呟きに気づいた者はなく、前に立った団長は話を続ける。

「闇ヶ森の王の討伐隊は、騎士のみの精鋭隊とする。出発は明日の夕方だ。選ばれた騎士は、それまでにしっかりと休息を取るように」

「はい」

 騎士たちの野太い返事に、団長は満足気に頷いた。

「以上だ。解散!」

 兵が散り散りになる中、少女は呆然と立ち尽くしていた。

「おい、ユリアン。どうしたんだ」

 騎士の一人が少女に近づく。

「選ばれなかったのがそんなに悔しいのかよ。悪いが兵団の紅一点でも、今回ばかりは連れていけねぇよ」

 落ち込むな、と騎士は少女の肩に手を置いた。その言葉は少女には届いていなかった。

「ねぇ」

 かすれた声で少女は聞く。

「どうして、森の王を討伐するの」

「先月、森の王が国都近くの街で暴れただろ。そのせいで無視できなくなったんだ」

 それだけ答えると、騎士は討伐の準備へと向かった。その背中は、選ばれたことを嬉々としていて、明るかった。

 残っていた兵たちも少しずつ去っていく。男だらけだった広場が、少女一人になった。

 時間が経ち、少女はうつむいていた顔を上げた。揺れていた瞳は定まり、覚悟を決めた表情をしている。

「時間がない。急がなきゃ」

 また呟くと、少女は兵の宿舎へと走った。


 少女の名はユリアン。

 鋭い剣さばきと、身軽さと、女の勘で、兵団に一発合格し、現在は騎兵部隊に所属している。騎士隊まであと一歩に迫り、将来が期待されている一人だ。

 しかし少女には、騎士隊の夢を捨ててでも、向かわなければならない場所があった。


 自室に戻るなり、兵団の堅苦しい服を脱ぎ散らかす。

 隠していた自前の服を、タンスの奥から引っ張り出した。袖の短い上着に、黒のズボン、その上から無造作にベルトを巻く。ベルトに武器庫から拝借した剣をかけた。

「これでよしっと。やっぱ、私に兵団は似合わないんだよ」

 窓を開け放す。夕方のオレンジの光が部屋に射し込んだ。その眩しさに思わず目を細める。

 窓枠に手をかけ、一度だけ部屋を振り返る。少しだけ優遇された簡素な部屋。支給品は上等だし、ご飯も美味しいし、ベッドも暖かいし、みんな優しかった。

 思い残すことは、ない。

 トンと軽く窓を乗り越え、庭に飛び降りた。


 足音をできるだけ立てないように、闇ヶ森へ向かう。

 城壁を乗り越えるのに少し手間取ったが、それでも夜中には森にたどり着けそうだった。

 どんどんと国都は遠ざかり、木々が目立つようになる。きれいに舗装された道が、踏まれ続けてできた細道に変わってゆく。

 夜が近くなり、足元が見づらくなってきたが、足を止めるわけにはいかない。

 走り続けていた足が、止まる。

 曲がりくねった細道の先に待ち構えているのは禍々しい気を放つ森、闇ヶ森。

 唯一にして絶対の存在、闇ヶ森の王を倒すために、それだけのために、ここまで来てしまった。


 葉の隙間からこぼれる月明かりを頼りに、森の中を歩く。

 完全な夜になり、闇が身体に巻きつくようだ。手足が重くて、動きにくい。

 闇ヶ森には、多くの魔物が棲みついているという。その魔物たちに一度は出会うと思ってたが、気配がするだけで姿すら見えなかった。

 多少残念に思っていると、大きく開けた場所に出た。闇が薄く、身体が軽くなる。

 中央に立ち、声を張り上げた。

「ディラン。久しぶりね」

 不気味な静けさを保っていた森が、ざわっと風もなく揺れた。そして奥から現れたのは

「久しぶりだな。ユア」

 人間と対して変わりない姿の、青年だった。絹糸を夜空で染め上げたような濃紺の髪、月のように輝く黄金の瞳、端整な顔立ち。

 唯一異様なのは、額からのぞく二本の角。真っ白な角は月明かりにきらめき、プラチナのようだ。

 その角こそが闇ヶ森の王である証。人を喰らい魔物を殺す、鬼の証。

「ここでは角を隠してないのね」

「まぁな。むしろ、隠してたら本物かどうか疑われる」

 ディランは肩をすくめた。

「そっちは」

「兵団で騎兵部隊まで登りつめたわ」

「すごいじゃん」

「騎士隊に入ったら、闇ヶ森に来る予定だったんだけどね」

 次は私が肩をすくめた。

「なら、なんで今ここにいるんだよ」

 ディランは不思議そうに首を傾げた。ため息が口から落ちる。

「森の王がいきなり現れて、いきなり街で暴れて、国都は大変な騒ぎなのよ」

「ふぅん?」

 ディランは首を傾けたまま、眉を少し上げた。事の重大さに気づいてない。呆れた根性と、無関心さだ。

「騒ぎのせいで、あなたを倒す討伐隊が結成されたの。明日にも来るわよ。しかも選りすぐりの精鋭隊が、ね」

 はん、と自信満々にディランは胸を張った。

「返り討ちにしてやるさ」

 その気の強さは一体どこから来るんだ。呆れて言葉もない。

「で、それを知らせるために、わざわざ予定を変えて森に来てくれたってことか」

 納得したようにディランは頷いた。ったく、

「全然違うわ!」

 思わず突っ込み口調になってしまった。コホン、と咳払いでごまかした。キッとディランを見つめる。

「あなたを殺すのは私よ。討伐隊なんかに手出しはさせない。そのために、討伐隊より先に来たの」

「なんだ、そういうことかよ」

 ククッとディランは笑った。その笑い方は以前と全く変わらなくて、

「昔が懐かしいな」

 呟いたのはディランだった。同じことを思っていたことが嬉しくて、顔が綻ぶ。

「あの頃は、とっても楽しかったね」

 私がディランを拾い、二人で遊びまわった頃。私が特別な子でも、ディランが人でなくても、どうでもよかった頃。

「あの日は辛かったけどな」

 ディランに角が生え、鬼だと分かった日。私に剣の才があることを知った日。

「あの時は激戦だったよね」

 ディランが血に酔い、私が暴走を止めようとした時。剣士と森の王として剣を交わした時。

 二人の道が、違えた時。

「あの約束を果たす前に、あなたは逃げた」

「仕方ないだろ。魔物が出てくるなんて、予想もしてなかったんだ」

 新たなる闇ヶ森の王。その力を感じ取った魔物たちは、一斉に森から出てきた。確かに、あの時ディランが森に行かなければ、国は壊滅していたかもしれない。

「おかげでこっちから出向くはめになったけどね」

「ありがたいよ。わざわざ喰われに来るなんて」

「冗談はよして。あなたを殺すためよ」

 ククッ、ディランは喉を震わせる。ふふっ、私も微笑む。二人で笑うなんて、久しぶりだ。

「ねぇ、ディラン」

 あの時伝え損ねた想いを、こぼす。

「ねぇディラン。私はあなたが好きよ。大好きよ」

「……俺は鬼だぜ」

 ククッとまた笑うディランに、微笑み返す。

「そんなことはどうでもいいわ。今までも、この瞬間も、これからも、ずっと、私が好きなのはディランだけよ」

 ディランは月の瞳を細めて、ニィと音なく微笑んだ。

「俺もだよ」

 ディランの返答に、目を見開く。

 ディランは、今なんて言った。

「俺も、ユアを愛してる。たぶん、初めて会った日からずっと」

 驚きすぎて、ディランを凝視する。ディランの白い肌がかすかに赤らんでいることに気づいた。思わず笑ってしまう。

「ディランも照れるのね」

「あ、当たり前だろっ」

 ありがとう、呟いた言葉にディランは答えなかった。ただ、喉を鳴らすようにククッと笑う。

「あの日の約束を果たしに来たんだろ。なんで今さらそんな事言うんだよ」

 弦月のように細められた瞳は笑ってなくて、苦しさを必死に閉じ込めていた。

 言わないほうが良かったかな。後悔を胸の奥深くに押し込める。

「私は、約束を破ったあなたを、許さない」

 自分に言い聞かせるように、一語一音をはっきりと言う。

「だからあなたを殺す。でも、ずっと育ててきた想いだから、行き場なく捨てる前にちゃんと伝えたかったの」

 ディランの視線とぶつかる。月の瞳から苦しみは消えて、覚悟の光が灯った気がした。

「俺も、あの約束を破ったユアを許さないよ」

 ディランもはっきりと言った。

「だから喰ってやるよ。跡形もなくな。そんでもって、その後もお前を愛し続ける。交われない想いなら、それが一番だろ」

 ククッ、苦しそうに楽しそうにディランは笑う。

 ふふっ、哀しくて辛いから私も笑う。

「私たちは愛し合えないのね」

「当たり前だろ。種族が違いすぎる」

 深い哀しみの瞳を見れなくて、私は過去に想いを馳せる。


 ディランが鬼だと分かったあの日、私たちは約束を交わした。


『もし俺が血に酔って人を喰ったら、そう思うと怖い……』

 怯えるディランの手に、自分の手を重ねた。

『私も怖いわ。剣の才におぼれるのが、誰かを殺すのが、怖い。誰も傷つけたくない』

 二人とも黙って、部屋の隅に座っていた。夜の闇の中、手の温もりだけを感じた。

『……俺が血に酔ったら、ユアが俺を殺してくれないか』

 思いつめた声が、いきなり耳に飛び込んできた。

『ユアしか、俺を殺せない』

『ばかディラン。私を人殺しにするの』

『俺は鬼だから、鬼殺しだな。みんなに賞賛される』

 沈黙。それは長くは続かなかった。

『なら、私からもお願い。私が力におぼれて人殺しになったら、私を食べて』

『いいよ』

 ディランの即答に、心が軽くなった。私の言葉もディランの心を軽くできるのだろうか。できるなら、どんな約束でもいい。本気でそう思った。

『だったら私もいいわ。あなたが血に酔ったら、この手で殺してあげる』

『ユア……。ごめん、ありがとう』

『お互いさまよ』


 交わした約束は、どちらも破られた。

 ディランは血に酔い、暴れ回って、人を喰べた。

 私は怒りに目がくらんで、短剣を丸腰の相手に振り下ろした。

 約束破りの清算の時がきた。

「ユア。喰ってやるよ」

「ディラン。私はあなたを殺すわ」

 沈黙。長くは続かない。

「大好きよ、ディラン」

 スッと剣を抜き放つ。月明かりの下、刃は妖しくきらめいた。腰を落として構える。

「愛してるよ、ユア」

 ディランは懐に手を入れた。そしてゆっくりと出てきた手には、短剣が握られていた。ほぼ真っ直ぐに、しかし隙なくディランは立つ。

 二人の間を、風が吹き荒れた。

 そして止んだ瞬間、私はディランに向かって斬りかかった。


 切り結んで、避けて、拳を突き出し、足を蹴りあげ、また切り結ぶ。

 理性は機能を失い、身についた動きと反射だけで闘い続けた。

 始まってからどれだけ経ったのか分からない。数秒なのか、数分なのか、数時間なのか。ただ、視界の隅でまだ月は輝いていたとき。

 いきなり、その瞬間はやって来た。

 ディランの剣を横に振り払った瞬間、ディランの心臓がガラ空きになった。

 迷いはなかった。

 一気に間合いを詰める。

 ザンッ

 肉を断つ、鈍い音。

 金色の月は血に染まった。


 二人は背中合わせに座り込んでいた。

 斬られた左腕を押さえて、荒い呼吸を繰り返す。

 ディランの様子は分からない。ただ、背中から伝わる熱は急速に下がっていた。

「なぁ、ユア」

 ディランは背中合わせのまま、こちらに体重を預けた。

「俺が鬼なのが悪いのかな」

「え……」

「俺が鬼じゃなかったら、お前とのんびり二人で暮らすことができたのかな」

 疲れ切っていて、どこか自嘲気味な声が耳に刺さる。

 私はパクパクっと酸素不足の魚になった。そして、やっと口をまともに開いたとき

「ちがうっ!」

 気がつくと叫んでいた。私の声が森に木霊する。

「ちがうよ。私たち人間が悪いんだよ。私たちより強い存在が怖いから、怖いことを認められないから、あなたと共存することを考えられなかったんだよ。ディランは悪くないわっ」

「そうかな」

「そうよ。だから、だから自分を責めないで」

 夜空に浮かぶ月を、ディランの瞳に重ねる。今、あの瞳には雲がかかっているのだろうか。

 胸を覆った不安を風が吹き飛ばす。

「私が変えるわ」

 考える前にはすでに、そう言っていた。

「私たちが共存できる世界に変えてみせるわ」

「できるのかよ」

「できる、約束する」

「……なら応援してる」

 ディランは苦笑しようとして、咳き込んだ。気にするな、ディランの心の声が聞こえた気がした。

 わかってるよ、あなたは心配されるのが苦手よね。だから言葉を続けるよ。

「きっと、私たちが生まれ変わる頃には共存できる世界になってるわ。だから、次は堂々と恋人になろう。誰にも文句は言わせない、隣で笑い合おうよ」

 こんな風に、背中合わせじゃなくてさ。

 こんな風に、傷つけ合うんじゃなくてさ。

「だったら、俺の後を追うなんて出来ないな」

 からかうようにディランは言った。

 図星だから、しばらく黙る。

「……なんで知ってるの」

「お前の考えることなんてお見通しなんだよ。剣の才が暴走しないうちに、俺を殺して自分も死のうって思ったんだろ」

「まぁ…………ぅん」

 馬鹿、とディランが呟いた気がした。聞き返そうとすると、ディランが先手を打った。

「お前は世界を変えるって言ったんだ。死ぬ暇なんてないぜ」

「わかってるよ。もう二度と約束を破ったりしない」

 背中に伝わる重みが軽くて遠い。

 瞳が潤んだ。それを乱暴に拭い、唇を噛み締める。

「あと一つ約束しろ。人を殺すな」

 声が震えないよう、注意しながら頷く。

「わかった」

「でも、もし危険な状況に陥って、どうしてもって時は、一度だけ許すよ」

「なんで」

「俺はユアに生きててほしいんだ」

「……わかった」

 振り向いて、ディランの顔を見たい。

 想いを全力で堪える。口の中に血の味が広がった。

「ユア。俺が消えるのは、ユアのせいじゃない。自分を責めるなよ」

 少しかすれた声は、私の心臓を鷲掴む。

「じゃぁ、誰のせい、なの」

「お前が言っただろ。誰のせいでもない。まだ、この世界が鬼を受け入れられないんだよ」

 抑えが効かず、一粒だけ雫がこぼれた。頬を伝い、地に落ちる。もう雫が落ちないように、上を向く。

「ディランを受け入れる世界にするよ、絶対。だからディランも、自分を責めないでね」

「わかってるよ」

「生きたことを後悔しないでね」

「お前こそな」

 ククッ。いつもの笑い声に呼応して、背中が震えた。

「生まれ変わってまた逢おう。お前が変えた世界を楽しみにしてる」

 ふっ、と背中から重みと温かみが消えた。夜風が背中を撫でる。

「ディランっ⁉︎」

 慌てて振り向いた、瞬間。

 唇にかすかな温もりと確かな圧力を感じた。

 甘く優しい一瞬に酔って、瞳を閉じる。

 そして、ゆっくりと、目を開いた。

 そこにディランの姿はない。

 抜き身の短剣が地面に転がるだけ。

「ディラン、またね」

 熱を帯びた小さな呟きは、風に乗ってどこまでも響いた。

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鬼と剣士 ルカカ @tyura

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