第22章 告白の行方
猫を嫌う人には気をつけろ。
アイルランドのことわざ
十月二十七日 午後三時十分
私と
「明日奈が指定してきた公園は、彼女の家の近くだな」
カーナビの画面を見て安刑事が言った。助手席に座る理真も、ちらりと画面に目をやった。
「それにしても、いったいどういうことなんだ」と、ハンドルを握る安刑事は、「
「美緒ちゃんを守ろうとしてる、とか?」
私は後部座席から口を入れた。
「それも含めて、全部話してくれるといいけどな。……あそこだ」
安刑事の言葉通り、フロントガラスの向こうに公園の出入り口が見えてきた。
公園のベンチに、高宮明日奈は腰を下ろしていた。私たちが近づくのに気が付くまで、彼女の視線は公園の隅にある植え込みに注がれていた。
「明日奈ちゃん!」
理真が呼ぶのと、明日奈がこちらに気付いて顔を向けたのは、ほぼ同時だった。明日奈の表情は、植え込みに向けていたときの憂いを帯びたものから一転、厳しさを込めたものになった。
「
その声には、電話で聞いたような、緊張、動揺、狼狽といった感情は、一切込められていないように聞こえた。
「明日奈ちゃん、どういうことなの?」
理真の言葉に、明日奈は少しだけ笑みを見せて、
「電話で話した通りよ。私が殺したの、
「どうして?」
「……詳しいことは署で話すわ。行きましょう」
口調にも態度にも、全く動じた様子を見せないまま、明日奈は私たちと一緒に覆面パトに乗り込んだ。
「私が、形塚先生の頭を殴って殺しました。そして、その罪を被せるために
明日奈は、淀みなくそう語ったあと、口を閉ざしてしまった。そのあと、何を聞かれても同じことしか答えない。冬科のことを小動物殺傷犯だと知っていて、殺人の罪を着せようと工作をしたというのは、理真の推理通りだったわけだが。
「形塚を殺した動機も、何も喋らない。ただ、自分がやったと言い張ってるだけだ」
安刑事は、私と理真がいる応接室に入ってくると、そう言ってソファに腰を下ろした。その直後、
「理真」
と
「
言い終えると、彼女も安刑事の隣に座った。
「動物の死体を見たくらいで、服に血なんて付かないでしょ」
「理真の言う通りなんだけど、証拠がないことにはね」
「明日奈ちゃんの証言だけじゃ、無理なの?」
「さすがに、それだけじゃ」
理真も加えて、三人は憮然とした表情になる。もちろん私もそうだ。せっかく明日奈が証言したというのに。そのことについて、私は、
「明日奈ちゃん、どうして急に自白なんてしたのかな?」
「理真との電話で、自分たちの行った工作が無駄になったって分かったからじゃないの? 冬科さんに殺人罪を着せて逮捕させる計画は失敗に終わった。だったら、せめて本来の動物愛護管理法で裁いて欲しいって思ったから」
丸柴刑事が言った。
「そうだったとしても」と理真は、「殺人の自白までするなんて変だよ。冬科さんが動物を殺してる現場を目撃したんだって、それだけ伝えればいいはず」
「やっぱり」と今度は安刑事が口を開き、「
「あの、明日奈って子には、形塚さん死亡推定時刻のアリバイがないそうね」
丸柴刑事が確認してきた。「そうなの」と理真は、
「友達へ頼んだと思われるアリバイ証言には、美緒ちゃんだけを入れてたのよね。本人の口からも、はっきりと自分にアリバイはない、って言ってるしね」
「輝子、明日奈ちゃんの親御さんに連絡は入れたの?」
「もちろん。実は最初、明日奈から『両親には絶対に知らせないでくれ』って頼まれたんだけど、そんなわけにいかないからな。二人とも仕事中だったけれど、すぐに署に来るって言ってた」
「何かあったのね、輝子」
安刑事の表情が浮かないものだったためか、丸柴刑事が質問した。「ああ」と呟いてから安刑事は、
「それがな、明日奈の両親二人とも、娘が殺人を告白したことに対して、心配するとかよりも、余計なことをしてくれたっていう、煩わしく思う気持ちのほうが強いんじゃないかなって感じたんだ」
「なにそれ」
「聞くところに寄ると、明日奈の両親は二人とも、結構な会社に務めてて、結構な地位にいるそうじゃないか。娘の醜聞で、自分の立場が危うくなることを気にしてるんだろ。明日奈の家庭は、夫婦仲だけじゃなくて、親子仲もうまくいっていないんじゃないかな」
西中学で教諭から聞いた、明日奈の両親に離婚話が持ち上がっているということを思い出した。その場にいた三人、私、理真、安刑事は互いに顔を見合わせた。理真は安刑事と視線を合わせたまま、
「輝子さん、私が明日奈ちゃんと話をしてみてもいいですか?」
理真の申し入れに、安刑事は首を横に振った。
「前もって明日奈から言われたよ。探偵さんとは絶対に話をしないって」
「……かなり嫌われちゃったみたいね」
「オレの印象だと、理真と話をして、何かボロを出してしまうことを恐れてるんだと思う」
「ということは、明日奈ちゃんには、何かしら言えないことがある。嘘をついているってことね」
明日奈から接触を拒まれているというのであれば、どうしようもない。民間探偵である理真は、あくまで関係者の協力を得て捜査、取り調べをしている。駄目だと言われたら、捜査権も何も持っていない理真は、黙って引き下がるしかない。
部屋に広がった沈痛な空気の中、丸柴刑事が、
「どうするの? いくら明日奈ちゃんが自白したって、それだけじゃ逮捕も送検も出来ないでしょ。証言自体が要領を得ないうえ、何の証拠もないのよ」
「いや、
「それだ!」
安刑事の声を遮るように、理真が叫ぶと同時に立ち上がった。
「それ、って、何だ? 理真」
「明日奈ちゃんが自白した目的だよ。あえてアリバイを作っていなかった理由も、それで説明できる」
「あっ! 分かったぞ、理真。……刑法 第四十一条 十四歳に満たない者の行為は、罰しない」
理真は頷いた。
「そうか!」と丸柴刑事も、「明日奈ちゃんは現在十三歳。だから、たとえ逮捕されても、罪になることはない」
理真は、ゆっくりと椅子に座り直して、
「明日奈ちゃんは、保険をかけていたんだよ。もし、冬科さんに罪を着せるためのトリックが失敗して、自分たちに捜査の手が伸びてきたときのことを考えて。輝子さん、美緒ちゃんは十四歳になってるんじゃない?」
「ああ、そうだ。二人は同じ中学二年だが、誕生日の早い美緒はすでに十四歳だ。……それじゃあ、いざというとき、罪に問われることのない自分ひとりの単独犯ということにして、美緒を助ける。そのために、明日奈は友人のアリバイ証言に自分を含まなかったってことか。犯人としての要件を満たすために」
「なんて子なの……」
丸柴刑事は、呆れたような、賞賛するような、複雑な感情を込めた声を出した。
「理真、どうする?」
安刑事が訊いた。理真は、
「美緒ちゃんに会ってみる。いくら冬科さんに罪をかぶせる計画が失敗したからって、いきなり自白したのは、やっぱりおかしい。さっきも言ったけど、冬科さんが小動物殺傷犯だということを伝えれば、それで事足りる。今回の自白には、美緒ちゃんが関わってるはず」
「美緒が、何をしたっていうんだ?」
「多分だけど……やっぱり美緒ちゃんは、罪の重さに耐えかねて、自首したいというようなことを明日奈ちゃんに告白したんだと思う。美緒ちゃんの決意は本物だと明日奈ちゃんは悟った。だから、そうはさせまいと先手を打って、最後の作戦を発動することにした。十四歳未満の自分の単独犯で終わらせるという作戦を。当然、この作戦は明日奈ちゃんひとりだけのもので、美緒ちゃんには知らされているはずがない」
「そういうことか。確かに、美緒が自首してきたら、十四歳だから少年法で罪に問われることになる」
「それじゃあ、理真」と丸柴刑事が、「美緒ちゃんに会って、明日奈ちゃんが殺しを自白した、って伝えるの? そうすれば、美緒ちゃんはさらに良心の呵責に耐えかねて、今度こそ全てを話す、と?」
理真は、うんとは言わなかった。「それなんだけど……」と難しい顔をすると、
「それだと、明日奈ちゃんを助けたければ、洗いざらい全部話せ、って脅迫してるみたいじゃない? 明日奈ちゃんの気持ちを無駄にして、二人の心に大きな傷を残す結果になってしまうと思うの」
「でも、このままだと、明日奈ちゃんの証言に従って再捜査が成されることになる。そうなったら、遅かれ早かれ、美緒ちゃんは明日奈ちゃんが自白したということを知るわ」
「そう、だから、そうなる前に、何か手を打ちたいの。丸姉、輝子さん、警察が動くのはもう少しだけ待ってもらえる? 私と由宇で美緒ちゃんと話をしてみるから」
二人の女刑事は、互いに顔を見合わせて同時に頷くと、
「二人とも、美緒ちゃんのこと頼んだわよ」
「明日奈については、オレに任せておけ。課長たちにも、うまいこと言っておくさ」
ありがとうございます、と理真と私は二人に頭を下げて、急いで部屋を飛び出した。
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