第21章 巡る推理

猫は人が思っているよりずっと利口である。そしていつでも犯罪を習得できる。


マーク・トゥエイン



十月二十七日 午前十時五十分


「それってつまり、どういうことなの?」


 私が訊くと、理真りまは、


丸姉まるねえからの連絡はまだ来そうにないから、先に私の推理を話しておこうか」

「推理……形塚かたづかさん殺害事件の? 犯人は、やっぱり……」


 理真は悲しそうな顔で首を縦に振ってから、


「そう。美緒みおちゃんと明日奈あすなちゃん、二人の犯行だと思う」

「あの二人が……どうして?」

「そこまでは、まだ分からない。今までに得た情報と手掛かりから、私の考えを話すわ」


 理真は残っていたコーヒーを全て喉に流し込んだ。


「十月二十三日の午後七時、理由は分からないけれど、美緒ちゃんと明日奈ちゃんの二人は、みなみ中学校の体育用具室で形塚さんを殺害する。二人のうち、実際に手を下したのはどちらだったのか。私は美緒ちゃんのほうじゃないかと思う。あの告白は異常な迫力を持っていた。あれは、私は真実の心の声に聞こえた」


 それには同意だ。あれが演技だとは、とても思えない。それに、わざわざ「殺人を犯した」と告白する理由など何もない。私がそれを伝えると、理真は頷いて、


「そうね。で、形塚さんを絶命させた二人だけれど、仕事はそれで終わらなかった。死体の指を血に付けて、マットに血文字を残したの」

「あのダイイングメッセージは、犯人の偽装だったってことね。〈フユシナ〉と書いた……でも、どうしてそんなことを? あの二人は冬科さんを知っていたってこと?」

「そう、正確には、明日奈ちゃんのほうが、でしょうね。でも、知り合いというようなものじゃなかった。明日奈ちゃんのほうが、一方的に冬科さんのことを知っていただけ、小動物殺傷犯としてね」

「えっ?」

「そうとでも考えなければ、冬科さんに罪を被せる理由が見つからないもの」

「さっき理真が言った、ここ最近、小動物殺傷事件が起きていないっていうのは、もしかして」

「そう、冬科さんは、形塚さん殺害現場に残されていたダイイングメッセージから、思わぬ形で警察の訪問を受けることになってしまった。身に憶えのないことながらも、警察が来たことにより、冬科さんは用心して犯行を控えるようになった」

「そういうことか」

「明日奈ちゃんの家と冬科さんのアパートは近所同士。ある日偶然、明日奈ちゃんが冬科さんの犯行現場を目撃してしまったんじゃないかしら」

「犯行現場……動物を、鳩や……猫を殺すところを……?」


 視界の隅で、眠っているクイーンの耳が、ぴくりと動いた気がした。


「そう。でも、冬科さんのほうでは、明日奈ちゃんに見られていたということには気付かなかった。あの二人が顔見知りだったとは考えがたいから、明日奈ちゃんは犯行後の冬科さんを尾行したんだよ。で、アパートの部屋を突き止めた。あとは折りを見て、郵便物なんかから名前を知ればよかった。漢字の読みなんて、ネットでいくらでも調べられるしね。冬科さんのアパートに警察が家宅捜索に乗り込んだとき、野次馬の中に明日奈ちゃんがいたのも、それの裏付けになる。明日奈ちゃんは、アパートに警察が来て人だかりが出来ているのを見て、『とうとう冬科さんに捜査の手が伸びた』と思って見に行ったんだと思う。そこで、私と顔を合わせて逃げ出した」

「あっ! 昨日の美緒ちゃんの家での電話。明日奈ちゃんが、『犯人は、もう捕まったんでしょ?』って訊いてきたあれは」

「そう、明日奈ちゃんは、自分たちの仕掛けたニセの証拠のおかげで、とうとう冬科さんが逮捕された。って思ったんでしょうね」

「そういうことか……でも、そんなことする必要ある? 動物を殺す現場を目撃したのであれば、すぐに警察に通報すればよかったのに」

「それじゃあ、明日奈ちゃんの気が晴れなかったんじゃないかな」

「気が晴れない、って……あ、学校で聞いた」

「そう。現状、動物を殺した場合には、動物の愛護及び管理に関する法律、いわゆる、動物愛護管理法だと、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金となっているわ。殺したのが人の所有するペットだった場合、器物損壊罪も適用されるだろうけれど、それだと、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料」

「猫や動物を面白半分に殺した罪として、そんなものじゃ、明日奈ちゃんは納得しなかったってことね」

「学校で教諭から聞いた話だと、明日奈ちゃんはそういう考えを持っていたんでしょうね。明日奈ちゃんは、ただ通報して、そのくらいの罪状で済まされることが我慢ならなかった。冬科さんが初犯だった場合、執行猶予も付くだろうしね。明日奈ちゃんは、何とか冬科さんに、彼女が納得するに足る罰を与えられないか、考えていたんだと思う」

「そこへ、美緒ちゃんと二人で形塚さんを殺害してしまうという事態に陥ってしまった。……もしかして、冬科さんへ罪を着せるためだけに形塚さんを殺した、なんてことは……? 動機は一切不明だし」


 それを言うと、理真は難しい顔をして、


「そこまでするとは考えられない……考えたくないけどね」

「うん、まあ、とにかく、美緒ちゃんと明日奈ちゃんは、自分たちが罪を逃れるとともに、冬科さんに殺人罪を着せてしまおうとしたってことだね。そのための工作が、ダイイングメッセージと、冬科さんのアパート裏で見つかった財布、そして、部屋の前の血痕」

「そう。まず、あの血文字は、捜査会議で調べてもらたように、形塚先生の手帳から文字を見つけて、筆跡を似せて書いたんでしょうね」

「だから、筆跡鑑定でも微妙に差違があるとされたのか。他人が本人の筆跡に似せて書いたのなら、今際の際に通常じゃない精神、肉体状態で書かれたためだとも思われる程度の〈ぶれ〉が生じてもおかしくない」

「次に、形塚さんの背広から財布を盗り、さらに血液も採取して、現場から冬科さんのアパートへ向かう。財布は現金を抜いたうえでアパート裏に放置。血液は部屋の前に垂らした。現場から運んでるうちに血液が固まってしまうと悪いから、揺らしながら運んで凝固を防いだんでしょうね。血痕が部屋の前一箇所にしかなかったのは、そのためよ。多量の血液を採取するのは大変だし、運ぶ際のリスクも大きすぎる。部屋の前にも、あまり大量に血を付けると、冬科さんに発見されて怪しまれて始末されてしまうかもしれない」


 あのアパートの廊下が汚れていたのは、彼女たちにとって幸いしたのかもしれない。一度は警察官までがスルーしてしまっていたのだ。


「で、そう考えると、冬科さんが形塚さん殺しは頑なに否認したのに、血痕のことになると歯切れが悪くなったっていうのも、納得できるよね」

「そうか、冬科さんが小動物殺傷犯なら、部屋の前に血痕があったりしたら、もしかして? と思ってしまうかもしれない。自分でも知らないうちに、服のどこかに動物の血が付着していたのか? って」


 うん、と頷いて、理真は、


「以上で、形塚さん殺害の罪を冬科さんに着せる工作は終わり。で、次に、手順は前後するけれど、殺害直後の現場に戻るわ。血文字でニセのダイイングメッセージを書いて、財布を抜いて、血液を採取したあとのこと。今度は、美緒ちゃんと明日奈ちゃん、二人自身のための工作をしなければならない。何とかしなければならないのは、アリバイ。まずは、明日奈ちゃんが自分の友人たちにアリバイの偽証をしてくれるようにその場で電話して頼んだ」

「でも、理真、あの友人たちが証言したのは、午後五時から六時までの一時間だよ。死亡推定時刻と合わないから、昨日も、おかしいねって言ってたじゃない」

「それは多分、彼女たちが中学生だからだよ。午後七時まで家で一緒だったなんて言えなかったんだと思う。もうその時間には親が帰宅していて、アリバイ工作が不可能だった。親にまで、いもしない友人がいたことにしてくれ、なんて頼めるわけないもの」

「そうか。中学生という身分なら、仕方ないかも」

「でも、その証言を担保するために、現場にもある工作をした」

「……腕時計か!」

「そう。本当なら、時計の針を動かして時刻を五時から六時の間にした状態で壊してしまうのが一番よかったんだけれど、形塚さんの腕時計は電波時計だから、自由に針を操作できなかった。手順を踏めば可能なんだけれど、そんな知識は二人にはなかった。その腕時計は、側面のボタンを押すごとに現在時刻から相対して、全部で九つのタイムゾーンに時刻を変えられる仕様になっている。そのことに美緒ちゃんと明日奈ちゃんが気付いたかは分からないけれど、思うように時刻を設定できない腕時計に二人は難儀したでしょうね。でも、いじっているうちに、自分たちが合わせたい時刻に近い時間に、時計の針を持ってくることに成功した。それは、中国標準時+0800。日本標準時+0900とは時差がマイナス一時間しかない。日本時間の午後七時に中国時間に設定したら、時計の針は午後六時を指す」

「アリバイ証言可能な時間ぎりぎりだ」

「時刻を設定したら、すぐに腕時計を床に叩き付けて壊して、時計を止める」

「でも、実際に形塚さんを殺したのは、午後七時なわけでしょ。友人たちにアリバイ証言を頼んで、腕時計の針を動かしても、検視と解剖で容易に死亡時刻は割り出せてしまうよ。実際そうだったし」

「そこは、中学生の女の子のことだからね。そこまで検視技術に精通しているわけじゃない。一時間くらいの時間差なら誤魔化せると考えたんじゃないかな」


 それは言えるかもしれない。綿密に計画を立てる大人の狡猾な殺人者ならまだしも、中学生の女の子では。


「こうして、南中学校の体育用具室には、頭部を殴られ、マットに血文字を書き記した形塚さんの死体が残された。あとは、翌朝になって死体が発見されて、ダイイングメッセージから冬科さんのところに捜査の手が伸びて、財布や血痕を証拠として、冬科さんが殺人罪で逮捕されるのを待つだけ」

「ところが、その冬科さんには完全なアリバイがあったんだ」

「そこまでは手が回らなかったんでしょうね。知り合いでも何でもない大人の男性のアリバイを操作するなんて、中学生女子に出来るわけないもの。冬科さんのアリバイがあるかないかは、僥倖ぎょうこうに頼るしかなかった。それとも、もしかしたら、今回のは、そこまで綿密な計画を立てたうえで行われた犯行ではなかったのかもしれない」

「予定外の殺人だった?」

「うん。何か突発的な感情に見舞われてしまったことによる殺人だったのかも。冬科さんに罪を被せるのは、これに便乗して、といった完全な後付けの行動だった」


 そこまで言い終えると、理真は自分と私の分、空になった二つのマグカップを手に台所に向かい、二杯目のコーヒーを淹れ始める。


「でもね、まだ分からないことが」


 インスタントコーヒーの粉末をカップに落としながら、理真が言った。「何?」と訊くと、


「明日奈ちゃんの友達に電話したときのこと、憶えてる?」

「もちろん。三人が三人とも、五時から六時まで一緒にいたって同じことを言ってた」

「その中に、明日奈ちゃんは含まれていなかった」

「あ、そういえば。三人は、美緒ちゃんと一緒だったとしか……」

「私との電話でも、明日奈ちゃん自身、『美緒にはアリバイがある』としか言わなかった」

「明日奈ちゃんのアリバイは? って訊いたら、はぐらかされちゃったもんね」

「そう、あれが分からない。どうして、友達のアリバイ証言に自分を含めなかったのか」

「そういえば、理真、事件の日の夜に、現場近くで女子生徒の目撃情報があったよね」


 理真は、湯気の立つマグカップを二つ持って来て、


「うん、それも分からないことのひとつ。紺色の制服だったそうだから、美緒ちゃんが通ってる南中学じゃなくて、近くの西にし中学の生徒だよね」

「明日奈ちゃん?」

「多分、いや、間違いないと思う。由宇、その目撃証言のこと、詳しく憶えてる? 紺色の制服で女子生徒だったという他に、鞄のようなものを提げていたと目撃者は言っていた」

「ああ、そうだったね」

「それって、クイーンを入れたバスケットだったんじゃないかな」

「だから、明日奈ちゃんだと? でも、その人物が目撃された時間って、確か午後八時くらいだったんじゃ」

「そう、そこも引っかかるんだよね。犯行から一時間も経ってから、どうしたまた現場近くに行ったのか。しかも、クイーンを連れて……」


 そこまで言ったとき、理真の携帯電話が鳴った。ディスプレイに表示された発信者名を見て、「丸姉」と呟くと、理真はすぐに応答した。


「もしもし……うん……うん……分かった。ありがとう」


 ほぼ一方的に相手が喋るだけで通話は終わった。電話を切って理真は、


「冬科さんの衣服のいくつかから、ルミノール反応が出た。超特急で絵留えるちゃんに調べてもらったら、人間の血液じゃなかった、恐らく動物のものだろうって」


 冬科が小動物殺傷犯であることは、ほぼ間違いがなくなったということか。


「理真、どうする?」

「……これから捜査本部に行こう。で、私の推理を話して、輝子てるこさんと相談する」


 あれ以来、やす輝子刑事も、県警本部から捜査本部である上所かみところ署に出張してきている。行けば会えるはずだ。犯人が中学生であるというなら、それが最善の方法だろう。そうと決まれば。私と理真はコーヒーを一気に飲み干して立ち上がった。


「クイーン、留守番よろしく」


 久しぶりに定位置に帰ってきた三毛猫を見て、理真が言った。いつの間にか起きていたクイーンは、「にゃーお」と返事をした。



 途中で昼食を食べてから、私たちは上所署にお邪魔した。捜査本部が設置された会議室に、すぐに安刑事の姿を見つけることが出来た。今日は私服だが、いつものようなダメージデニムなど履いていない。フォーマル寄りの無難なセレクトだった。さっそく空いている部屋を借りて、三人きりで理真の推理を聞いてもらう。


「……なるほどな」


 聞き終えると安刑事は、脚を腕を組んで椅子の背もたれに大きく背中を預けた。


「輝子さん、どうしたらいい?」

「オレが二人と話をしてみよう。今の理真の話は聞かなかったことにして、任意で聴取に応じてもらう。そこで、理真の推理で不明だった教師の殺害動機なんかを聞き出せれば、自首してきたという扱いでうまくやれると思う」


 理真の推理を担保に話を聞いたのでは、疑いを掛けられての参考人聴取という、二人に不利な形になってしまうからだろう。


「もう、学校も終わる時間だな」安刑事は腕時計を見て、「これから、美緒か明日奈の家にでも行って……」


 そこまで言ったとき、ノックの音がした。「どうぞ」と安刑事が答えると、制服警官が顔を見せて、


「あの、安堂あんどうさん」

「はい、何でしょうか?」理真が顔を向ける。

「お電話が入っています。高宮さんという女性から」

「高宮? 高宮明日奈ちゃん?」

「女の子の声でしたので、恐らく。安堂さんの携帯番号を教えて欲しいという、署に入った電話だったのですが、ちょうど署にいらっしゃると聞いていたもので、直接お話になりますかと伺ったら、そうしてほしいとのことで」


 私、安刑事と顔を見合わせてから、理真は立ち上がった。


「代わりました、安堂です」


 捜査本部に置かれた電話の受話器を取って、理真は応答した。通話は録音されていることはもちろん、スピーカーモードにして会議室内に流されている。


「安堂さん……昨日の話の続きだけれど……犯人は、本当に捕まっていないの?」


 聞こえてきたのは、間違いなく明日奈の声だった。「昨夜の話」というものが分からない捜査員たちからは、何のことだ? といった、声に出さないどよめきが湧き上がっているようだ。


「そうよ。皆目検討がつかない状態なの」


 多少の緊張を帯びているような明日奈の声と対照的に、理真の声は極めて冷静だった。


「明日奈ちゃんは、犯人に心当たりがあるの? あれば、ぜひ聞かせてもらいたいわ」

「そ、そういうことじゃあ……」


 明日奈の声に動揺するような響きが加わった。畳みかけるように理真は、


「冬科さんにはね、完璧なアリバイがあるの」

「――えっ?」

「形塚先生の死亡時刻に、冬科さんは遠く離れた場所にいて、信用できる目撃証言があるのよ。冬科さんは、形塚先生を殺した犯人ではあり得ないの」

「アリバイ……そんな……」


 さらに明日奈の声に加えられたのは、狼狽だった。理真は、明日奈の出方を窺うように黙っている。張り詰めた空気の中、しばしの沈黙を破って明日奈が口を開いた。強い決意が垣間見えるような口調だった。


「犯人は……私です。私が、殺しました」

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