ASCENSION 夢幻の彼岸
第52話 【ACT〇】長恨歌
お前が殺すのならば私は生かそう。
お前が滅ぼすのならば私が産み出そう。
お前が泣く時には私が抱きしめ、
お前の苦しみを私も背負おう。
だから。
だから、
天にあるならばどうか比翼の鳥に、地にあるならばどうか連理の枝になりたい。
天地は永遠と言っても、いつかは限りがあるだろう。
――されど、この悲しみだけは。
「ねえ、ねえイノツェント!」ヘレナは馬鹿だからはしゃいで言う。「虹が出ているの!」
「ふーん」
俺はベッドに寝たまま、ぼんやりと窓から空を見上げた。
鮮やかな虹が、雨上りの空にくっきりと咲いていた。
「綺麗だね! 本当に綺麗! ねえイノツェント、どうして虹って綺麗なの?」
「俺の知った事かよ。 俺達オピスの民は、綺麗だとかそう言うものにゃ縁が無いんだよ。 いつだって礫と罵声を背中に浴び、魔族からさえ忌み嫌われて。 そんな俺達に綺麗だとかそんなものが振り向いてくれる訳がねえだろうが」
そう言って俺は心臓の上に彫ってある小さな蛇の刺青を、何気なく撫でた。これがオピスの民の共通点であり、ささやかな唯一の自己主張なのだ。
「……そっか。 そうだよね。 私達は……生きている事すらみんなから嫌がられるんだよね。 今だって、聖教機構のお情けで、何とかここに住まわせてもらっている……」
ヘレナはしょげた。でも、次の瞬間、意外な事を言う。
「それでも、私は生きたいな。 ずっとイノツェントと一緒にいたい。 誰からもダメって言われても、誰からも死ねって言われても、私は、イノツェントと一緒にいたいの。 こうやって、いつまでも一緒に虹を見上げたい」
「うぜえ」
俺は呆れてしまった。コイツは本当の馬鹿だ。前から分かってはいたけれどさ。
「うん、分かっている。 でもね、私は嘘は言っていないからね。 雨に打たれる冷たさも、食べるものの無いひもじさも、立ちっぱなしの街角で凍えるのも、全部知っている。 だけど、今、私は生きたい。 今の私は、生きたいの」
「馬鹿じゃねえの? 人間なんて生きたいっていくら言おうが、簡単に死ぬぞ。 俺は簡単に殺してきた」
傭兵稼業やってりゃ、そりゃ殺人数が成果で、報酬に繋がるから、簡単に殺せるようになる。人なんて血と糞尿を詰め込んだ肉袋だって、否が応でも理解する。戦場でそれを理解しないヤツは死ぬ。それだけだ。怯える女の涙も、抱きかかえられた赤ん坊の叫びも、老人の哀願も、男も女も老いも若きも、みんな銃声がかき消すんだ。
で、やがて、それが楽しいって気付く。殺人は結構楽しかったりする。
神様が禁じようが、法律が死刑だと定めようが、そう言う禁断の果実はいつだって耽美なんだ。それに俺は逆に神様に聞きたい。『殺人にしか生きている目的や楽しみを見いだせない人間がいた場合、その存在も罪なんですか?』ってな。
お前がそう創った癖に。
「うん。 それも分かっている。 簡単に死んでも、私は最期まで、ううん、私は、たとえ死んだって――」
そこまで言ってヘレナは静かになった。でもその横顔は、穏やかに微笑んでいた。
俺はまた起ってきたので、ヘレナを押し倒した。
……俺がヘレナを喰い殺す、およそ二か月前の事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます