第50話 【ACT六】粛清
(――まさかあんな失言を彼がするとは)
彼は、内心では青ざめていた。
(気付かれたか? いや、私だとはまだ気付かれていないだろう)
(とにかく、急がねばなるまい)
(彼の発言の意図は何だ?)
(私の存在を露呈させる事、ではあるまい)
(だとしたら、やはりあのメスガキの誘惑か)
(だがメスガキは、誘惑を拒絶どころか粉砕しやがった)
(彼の意図としては、メスガキの誘惑に成功した上で、私をぎりぎりまでこのまま、と言う状態に置く事だったろう)
(されどそれが失敗した現状で、私が、これ以上ここにいるのは危険だ)
(さり気なく、逃げなければならん)
(幸い夕食の時間が近い)
(この好機を逃しては――!)
彼も、夕食のために誰もが席を立ったので、立ち上がった。
その時、彼は声をかけられた。
「ああジャクセン殿、晩餐の
彼は内心ぎくりとしたが、平静を保って答えた。
「おやマグダレニャン殿、献立がどうかしましたかな?」
マグダレニャンは少し残念そうに、言った。
「ええ、たった今、ちょっとした事情で変更される事が決まりましたのよ」
「おやおや、これは残念だ、鹿肉のソテーは私の好物だったのに」
「ええ、私も残念でたまりませんわ」
そう言ってわずかに悲しそうな顔をしたマグダレニャンの顔が、次の瞬間、軽侮の色を浮かべた。
「私、かつて言いましたわね。 『無能である方が卑怯であるよりは良い』と」
「!?」
ジャクセンは顔色を変えた。気付けば、彼に、居並ぶ人々の視線が集中していたからである。その視線の中から、I・Cが姿を見せて、ぎらつく犬歯を歪んだ口角から覗かせる。涎とおぞましい期待にまみれてぎらつく、それを。
「前々から疑ってはいましたけれど、私、妊娠した事を告げたのはヨハンと貴方だけなのですわ」
凍り付くような彼らからの視線に、ジャクセンは必死に弁明した。
「ち、違う、そ、そこの魔王が――!」
魔王は嘲った。
「俺が言ったのはシャマイムだけだよ。 そしてシャマイムの口の堅さは、御存じの通りだぜ」
「誤解だ! 私は、」
「アロンが通敵していたのは周知の事。 そしてレットが裏切っていたのも同じく。 そして彼らが裏切りの報いを受けた事も。 ですが私はまだ疑わしかった。 何故ならアロンは、『裏切り者』と呼ぶにさえ値しない廃棄物で、レットは『一匹』と呼ぶには大天使共にとってあまりにも有能すぎたから。 だから私はずっと考えていたのですわ。 聖王があの時言った『裏切り者が一匹いる』の本当の意味を。 ――それが、ようやく今、確信に至りましたわ」
「ち、違うんだ、これは!」
「あら、もはや一切の弁明も釈明も自己弁護も要りませんわ。 何故ならこれは貴方の異端審問弾劾裁判。 判決はいつだって――」マグダレニャンは三本の指を立てると、一本ずつそれを折って行った。「死刑かそれに匹敵する大罰だと、御存じでしょう? さあI・C、お前の晩餐の献立が決まりましたわ」
最後の指が折られる直前、逃げ出そうとしたジャクセンに、I・Cが襲い掛かった。
凄まじい断末魔と、血が飛び散った。
「お嬢様、これはラッキーだぜ」と口元にべったりとこびりついた血をぬぐいつつ、I・Cが邪悪に笑って言った。「泳がせていた甲斐があった。 大天使共に、偽神の『地球最後の日』の目論見が漏れたぜ」
「やはり。 レスタトを捕食した時にジャクセンだとは分かっていましたけれど、こちらの計画通りに行ったのですわね」マグダレニャンは淡々と言った。
「だがヤツらはまだ半信半疑だ。 気の毒に。 自分達だけには偽神が微笑んでくれるとまだ心のどこかで思い込んでいやがる」
「折角の晩餐の前に食欲が失せるような真似を。 やはり聖教機構は野蛮ですね」
ロットバルドが顔をしかめて言った。
「おいおいロットバルド、お前なら痛いほど分かってんだろ、『聖教機構がどう言う組織か』なんてさ。 神を信じる者は誰だって本質的に野蛮なんだ。 見たくも無い野蛮さを隠すために神を信じるんだぜ。 だが……」
「?」ロットバルドはI・Cのご機嫌そうな顔を、怪訝そうに見つめた。
「だからこそ、その血肉は怖いくらいに旨いんだよ。 野蛮ゆえの新鮮さ。 やべえな、癖になりそうだ」
I・Cは、そう言って下品にもゲップをした。
「アル中がこの非常時に糖尿病の疾病にもかかってはどうするのですか」
マグダレニャンが蔑んだ目で睨むと、I・Cはお手上げだと両手を上げ、
「勘弁してくれよお嬢様、俺はこれから世界一不味いものを喰わなきゃいけないんだ。 ちょっとくらい口直ししたって――」
マグダレニャンは鋭い目で睨み、
「――どうやら貴様にはまだ躾が足りないようですわね」
「……うわあ、怖え。 おいシャマイム、助けろ!」
シャマイムは、少しだけ黙った。そして、言った。
「断る」
突っぱねたシャマイムの発言に、特務員達がわああっと嬉しそうに叫んだ。
「シャマイム、よく言った!」
「そうだよ、断っていいんだよ、こんなゴミ屑の頼みなんか!」
「ううっ、今まで断れずにどれだけ酷い目に遭ってきたか……!」
「いかん、嬉しくて何か泣けてきたぞ……」
「ブルータス、お前もか!」
「俺もだ、同志よ!」
感涙している特務員の中から、ランドルフが進み出てきて、にっこりと微笑みつつ、
「お嬢様、私めや全特務員はいつ何時であろうとも、I・Cを調教する準備が整ってございます」
I・Cが青くなった。
「おい死神、何をほざいてやがる! お前の調教って、俺の首をすっ
「あら、感心な心構え」だがマグダレニャンも微笑んだ。「では、今度は皆様の晩餐のお邪魔にならぬように、しっかりと躾けなさいな」
「「承知」」
特務員の返事は、完璧に調和していた。
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