REINCARNATION 夢幻の此岸

第44話 【ACT〇】父親の困った愛情

 ――ぽつり、と雨が降り始める。それは一滴、アスファルトの上に落ちて跳ねて、どこかへと消えて行った。だがすぐに次の一滴がアスファルトを打つ。次々と雨がアスファルトを濡らし、そしてそれは水の流れとなって排水溝になだれ込んで行った。


 「どうしてだセバスチャン!」

どん、と拳を机に叩きつけて、『聖王』ギー・ド・クロワズノワは怒鳴った。心底悲しくて悔しくて、怒鳴った。

聖教機構最高幹部である彼の、最も信頼していたと言っても過言ではない秘書のセバスチャンが、いつの間にかマフィアと癒着していたのである。

その動機が金だの彼の権力の乱用目当てだった、ならば良いのだ。そうすれば彼は何の躊躇も無くセバスチャンを処断できた、のに。

「どうして俺に言わなかった! お前の娘が重い疾患を抱えて産まれて、その治療のためには大金がどうしても要ると!」

「……」セバスチャンは、叱責されても黙っていた。けれど、ややあってから、ぽつりと言った。「貴方にだけは、迷惑はかけたくなかったのです。 幸いマグダの手術は成功しました、だから、私は、」

丁度、今日、死ぬつもりでいたのです。

「――」ギーはぎりぎりと歯ぎしりした。無念だった。これ以上なく、無念だった。それから、懐から拳銃を取り出して、机の上に置いた。「五分だ。 それ以上の猶予は、もう、やれない」

「ありがとうございます」セバスチャンは、微笑んだ。白い歯が見えた。

ギーは俯いたまま部屋を出た。セバスチャンが誰かと通話する声が聞こえた。

「ああ、私だ。 マグダの様子は、そうか、元気か。 いや、何、ちょっと心配になってしまってね。 じゃあ、失礼した」

――直後、銃声。


 その赤ん坊は、彼を見ると、にっこりと笑った。

父親を自殺させた彼を見て、無邪気に笑うのだ。

母親に似て、ちっとも父親に似ていない娘だった。

彼は何となく気付いた。この子は、不義の子なのだと。だが父親は、血の繋がらないこの娘を愛した。愛したから、あんな真似をして、自殺を甘んじて受け入れた。だが母親はこんな疾患持ちの娘など要らないと捨てた。

 なあ、セバスチャン。

俺がちゃんと責任を持って、この子を育てる。

だから、安心して、眠れ。


 若い頃のランドルフは主君の『聖王』が悪魔よりも恐ろしくてたまらなかった。

別に聖王が神のごとき権力を乱用するとか彼を虐待するとか、たかが『暴君』の一言で済む生易しい理由からではない。

聖槍・貫く者グングニル・ロンギヌス

破壊力では世界一と言っても過言では無いこの聖遺物と、見事に適合している彼の主君は、

「私の可愛いマグダを嫁に欲しいだと? よしその交渉はこの槍を受けて立っていられたら開始しよう」

と、とんでも無い事を公言していた上に、

「マグダに色目を使ったな」

そんないわれない酷い因縁をこじ付けては、マグダのおりだったランドルフ目がけて、既に八回も聖槍を発動させて大怪我を負わせていたからである。

(死んだって要らねえよ、アンタみたいなクソおっかねえ舅付きの嫁なんか!)

(第一、年を考えろよ、どこの誰がこんなチビに色目使うんだよ!)

ランドルフは、だから、当時二歳の聖王の娘に対しても、当初は恐怖しか持っていなかった。二歳とは思えないほどにとても賢い娘であった。だが、あくまでも二歳である。時々お漏らししたり夜泣きもする。その都度、忙しくてたまらない聖王に代わって面倒を見ているランドルフは、オムツを交換したりあやしたりするのだが、時々、壮絶な殺意を感じては、青ざめて振り返る事があった。

そう言う時は、必ず彼の背後でドアが薄く開けられていて、その隙間から血走った目が彼を睨みつけているのだ。マグダに虐待でもしてみろ。お前を死よりも酷い目に遭わせやる。雄弁に熱烈にそう語りながら。

(誰がこんなガキを虐待するかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!)

 若きランドルフはがたがたと震えつつ、内心で絶叫した。だが通じなかった。


 そんな彼にとって救いの女神は、意外にも恐れていたこの娘であった。

この娘、非常に利発な上に、とてもませていて、他はまともなのに娘関係になると暴走しかしない父親を、手の平で三歳の頃には転がしていた。

「おとしゃまきらい!」

聖王にとっては一番効果のある攻撃が飛んできた。娘の涙である。

「らんどるふいじめるの、まぐだいや、いじめるおとしゃまきらい!」

「……」ショックで放心状態に陥った聖王だったが、ぎこちなく動きつつ、「わ、分かったよマグダ。 もう私は二度とランドルフを虐めないよ」

「ほんと?」

「本当だとも、約束する」

ぱーっと幼女の顔が輝いて、ランドルフと繋いでいた手を放し、幼女は父親に飛びついた、そして抱きしめられて、

「おとしゃまだいしゅき!」

 天使だ。ランドルフは膝から崩れ落ちてえぐえぐと涙にむせびつつ、感激していた。この娘は天使だ、女神だ、聖女だ!


 以来、ランドルフは心底この娘を愛するようになった。だって彼にとっての救いの女神なのである。それにこの娘は、父親の愛ゆえの暴走を制御してくれる、天使なのでもある。

そんな聖王に挑戦者が出た。

彼の盟友『獅子心王』が、一人息子ヨハンの嫁にこの娘をくれと言ってきたのである。

自殺志願者が発狂して全面戦争の宣戦布告をしやがった!そこに居合わせた者全て、勿論ランドルフも真っ青になった。地獄だ。この世の地獄が勃発する!否、この世界が破滅する!激戦区の戦場の最前線に立たされたってこんなに恐ろしい思いはしない!

「ほう」聖王は完全にブチ切れつつ言った。ちなみにこの男、かつて政敵に紅茶を満席の議場でぶっかけられた時には、まるで『風が少しそよいだな』程度に平然としていて、逆襲に『これ以上私を水の滴る良い男にしてどうするのですか』と言い放ち、政敵を屈辱感と敗北感で真っ赤にさせ、議場を爆笑の渦に巻き込んだ。「なるほど、貴方の御子息のヨハン君には私の聖槍を真正面から受けて立つ覚悟があるのだな」

「ああ、それがあるのですよ」と獅子心王アマデウスは嬉しそうに言った。「あの子は銃弾が頬をかすめても平然としていた。 一発では無い、数発撃たれても、それがどうしたと言う顔をして」

「では試してくるとしよう」

うわあ!とそこにいたランドルフら側近の方が思わず悲鳴を上げて止める羽目になった。彼らは総出で聖王を説得した、聖教機構屈指の名門ヴァレンシュタイン家と縁続きになって聖王に困る事は何も無い、むしろあの仲良しの可愛い二人の事だ、今は婚約者で、いずれはと言う事でも良いではないか。

第一、たったの六歳の少年に聖槍をぶち込むのはあまりにも。

「私は公言したはずだが。 マグダを私から奪い取るつもりならば死を覚悟しろと」

いやいやいやいやいや、落ち着いて下さい!

いつしかランドルフらが実際に死を覚悟して、聖王を説得していた。

何しろ聖王と来たら、既に聖槍を発動させていて、いつ誰にぶち込むか、と言う状態であったからである。

「おとしゃまー!」そこに救いの女神がやって来た。ランドルフらが必死に聖王を食い止めている間に、一人、彼女を連れに行った賢明な者がいたのだ!「まぐだ、よはんのおよめさんになるの?」

「大丈夫だよマグダ」にっこりと殺意を溢れんばかりに顔ににじませて、愛情たっぷりに聖王は言った。「私の世界一可愛いマグダを誰があんなクソガキの嫁になんかやるものか」

「!!!」救いの女神の目が真ん丸になり、そして、涙を限界まで溜めた。「おとしゃまのばか!」

一撃で聖王が致命傷を負った。どこからともなく、どよめきが起きた。

「まぐだ、よはんのおよめさんになるもん! おとしゃまきらい! おとしゃまのばか!」

「ぐ、あ……」呻いたきり動けない聖王に代わって、獅子心王が嬉しそうに、

「本当にウチのバカ息子の、そうだね、婚約者になってくれるのかな?」

「うん! よはん、やさしいもん! なきむしだけど、まぐだはだいすき!」

「ありがとう!」

獅子心王は笑顔で、マグダを抱き上げた。そして死にかけている聖王に、冷たく、

「貴方は子供の願いを踏みにじるような真似は、よもやなさるまいな?」

「あ、ああ……」心臓につららが突き刺さったかのような、絶望と苦鳴に満ちた返答は、ほとんど断末魔であった。


 聖王の恐ろしく地味な嫌がらせが始まった。ヨハンへの、マグダを奪われた嫉妬心からの嫌がらせであった。

「君は本当にマグダを大事にしてくれるのか」

そんな類の事を、ねちねちとヨハンに絡んでは言うのである。ヨハンはそれを一度もうっとうしいとも言わず、一々丁寧に、「はい」と答えるのであった。

「私は聖槍を受けて立ち上がった者にしかマグダをやりたくはないのだ。 覚悟はあるかね?」

「マグダの、た、ために死ぬ覚悟、なら、い、いくらでも。 でも、本当にぼ、僕がするべき覚悟は、マグダのた、ために、どんなに辛くても、生きるこ、事です」と少年は、どもりながらも、きっぱりと答えた。

「……そうか」

聖王は、一応は納得した様子で引き下がった。だが、内心ではちっともまだこの少年を認めていなかった。

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