第43話 【ACT七】数千年の彷徨の果て

 I・Cは逃げている。シャマイムの機体を抱きかかえて、全速力で逃げている。彼の頭の中には、恐怖から逃れる事しか無い。彼は空間を超遠距離跳躍して、聖地エルサーレムにいた彼の主マグダレニャンの元に逃げ込んだ。真っ青な顔で、震えた唇で、彼は主に対して、思わず絶叫した。

「もうお終いだ! や、ヤツが蘇った! アイツが、かつて古代世界を支配しかけたアイツが復活した! も、もう俺達には自死しか安寧な死は無い!」

「……詳しくお話しなさい。 ロトで何があったのですか、ロトに何があったのですか」マグダレニャンは内心ではこの男が真っ青になったのを久方ぶりに目撃したため、動揺したが、それを抑えて言った。

I・Cは、完全に恐慌状態に陥っている。

「俺はかつてヤツを不意打ちでぶっ殺したんだ。 寝首を掻いた。 だが、もう、ヤツは完全に目覚めている。 まともに激突したら、俺はヤツにはとても及ばない。 ロトのバベル・タワーの内部にあるセフィラー・マルクトでヤツは死から目覚めた。 死と言っても、ヤツの事だ、きっとガブリエル辺りに魂の断片を預けていて、それを使って蘇ったんだろう。 俺はそもそも、ヤツの完全な抹殺には失敗していたんだ……。 この前のノアの箱舟、何で中にあんなに鍾乳石だの石筍だのがあったのか、やっと分かったぜ……ガブリエルがドビエルに取り憑くまで、きっとあのオカマはそこにいたんだ。 ヤツの存在性は桁がおかしい、それこそ魂の断片ですら時間軸を歪めるほどの代物だ。 だから箱舟は異様な時の流れに晒されていたんだ……! もうお終いだ、この世界が終わらされる!」

「落ち着きなさい。 シャマイムを修理させ、貴方も少し休んでから、冷静な報告を――あら」

シャマイムが、やっと再起動した。と言っても、可動なのは頭部くらいであったが。

「ボス、ロトに派遣された聖教機構と万魔殿の全調査員は、敵対勢力により全滅したと判断される」

「……そうですか。 では、I・Cの言う『ヤツ』とは一体――」

「ああ、そうか」I・Cは、ふっと我に返って、独り言ちた。「そうだよな、世界の創造主が滅べば当然世界も滅ぶ、あの時にこの世界が滅ばなかったのは、ただ単に、ヤツが生きていたからだけなんだ……」

「I・C、冷静になりなさい。 そして詳細な報告を――」

「……大天使達により、旧約の神、旧き神が蘇ったのさ」I・Cは、悲しそうに言った。「大天使達の暗躍は、恐らく全てそれのためだったんだ。 そして旧き神、偽神が蘇ったからには、きっと、この世界くらい、簡単に死を迎えるぜ」

「!」マグダレニャンは驚いた。「それは事実なのですか!?」

「こんなしょーもないホラを吹いて、俺に何の利がある、お嬢様。 戦ったって無駄だ、相手はかつての唯一絶対神だ。 俺達は早々に自殺しないと、きっと死ねないくらいの苦しみを永遠に――」そこで、彼は、乾いた笑いを浮かべる。

「イノツェント」シャマイムが、言った。いつものような機械音声で言った。「何故戦う事を諦めた?」

「だって俺、知っているもん。 ヤツの恐ろしさを、誰よりも知っているもん! ヤツは神だ、腐っても偽者でも旧くても『神』なんだ! 仮に誰かが戦っても、それは、そいつの苦しみが長引くだけなんだ……」

「イノツェント」シャマイムは、言った。「では自分は戦う」

「ヘレナ?」I・Cの顔に、初めて怯えと諦め以外の何かが浮かんだ。

「イノツェント、私はもう逃げない。 一切の苦しみから、もう逃げない。 戦う事が無意味であったとしても、死ねないほどの苦しみをその結果味わうとしても、今現在に一時的に死へ逃げる事で苦しみの神髄から解放される事など無い。 足掻く事を止めた瞬間、人は人でなくなり、獣に戻るだけだ」

「ヘレナ、駄目だ、アイツは最強なんだ!」

「最強であろうが最悪であろうが、私は私の戦いを続ける。 イノツェント、私はもう、逃げる事だけはしたくない。 私は我が子を殺された悲しみを壮絶な憎悪に変換し、悲しみそのものからは目を背けてきた。 だが、私はこの悲しみから目を逸らさずに見つめ続ける。 あの子だってそれを望んでいる。 私にはあの子の思いが分かる。 あの子を私の憎悪で利用するのは、もう止めたから。

 私は、お前を赦す。 お前の最大の罪過から、お前を解放する。 だから、お前ももう逃げるな、イノツェント」

「――」

何も言葉が無かった。何も言葉にならなかった。言語がいかに稚拙な意思伝達手段であるか、彼は思い知った。

だって、今感じている、この、初めての、は。

「――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――!!!!!!!!!!!!!!!!!」

I・Cはその場にくずおれて、ヘレナを抱きしめ、赤ん坊のように号泣した。




 全人類に告ぐ、滅亡せよ。

 審判の日、来たれり。

 慄け、そして死を思え!

 ――『全人類滅亡計画ディエス・イレ』発動。

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